本との付き合い(2021年01月29日)
そろそろ身の回りの整理というか、もう使わないと思われるモノの処分を少しずつではあるが始めた。
ボクの身の回りにあるモノはアマチュア無線関係のセット・ガラクタ(部品・真空管など)、それに書籍・雑誌の2種類で殆どを占める。
もしこれらがなければ(衣類を除いて)持ち物は段ボールの箱で2つ、せいぜい3つくらいじゃないか。

本・雑誌は9年ほど前から頻繁に目を通すと思われるもの以外は、電子化(PDF化)をしてきた。全部で2500冊くらいになる。PDF化したがどうしても再度手にとってじっくり読みたいという本は、AMAZONなどでもう一度買うことにしている。
こんな本が?! というものでも大抵手に入り、中古で100円とか200円という値段のものもあったりする。
こうやって再度買った本はこの9年間で20冊もない。

AMAZONで再度買った本が実はまだ実物の本として本棚の隅にあって、結局無駄になってしまったので新しく買った方はある先輩に贈呈した、という失敗を先日やってしまった。

これは小林良彰という経済学者が1982年に書いた”日本は没落するか”、という本である。
当時日本は世界第2位の経済大国として光り輝き、”ジャパン・アズNO1”と言われていた。

”日本は没落するか”は日本の強味と弱味を鋭く解説し、これからも失ってはならない強味を筆者は極めて具体的に分析していた
そしてこの直後のバブル経済を経て日本は”失われた20年”に陥り、それが30年になり今や更に40年になるかも知れないという国になった。

当時の状況と比べると、間違いなく”日本は没落しつつある国”、になっている。
今の日本は構造改革は進まず、技術革新にもたつき、過去の遺産で生きている国、という人もいる。

日本がこういう状態になったのはここに書かれている、”強味”をしっかりと認識していなかったため、それらをいつの間にか”スリ潰してしまった”から、というのがボクの解釈だ。

戦(イクサ)では勝っている間は、勝っている本当の理由を冷静に把握するのは意外と難しく、負けて初めてわかる、、、これは歴史で数多く証明していることであるが。

ボクが書籍・雑誌のPDF化について話をすると、「そんな大量にPDF化して、その本なりを再度見る事はあるのか?」、という質問を必ず受ける。
これに対するボクの答は、「あるとも言えるし、ないとも言える」、だ。

PDF化をした理由の一つに、ボクは本をゴミとして捨てられない、というのがある。
本は何かの目的があって買い、そして時間を使って読み、新しい知識なりを与えてくれるもので、読み終わってもその本には大袈裟に言えば愛着が残るのである。

読み終わった本は片っ端から捨てるという人がいたが、その人はボクとは本に対する考え方が違うのと、小説しか読まない人であり、話は全くかみ合わなかった。

「小説も芸術の一つである、芸術は美しくなくてはならない。芸術は大衆のものでなくてはならない、芸術はわかりやすくなくてはならない。

小説は娯楽である、小説は理屈抜きの面白さがなくてはならない、小説とはこれらを満たすために書いた作り話である。」
、と浅田次郎は言っている。

この人のいう事はよく理解できるのだが、ボクはいつからそうなったのかよく覚えていないが、他人の作った”作り話”に殆ど興味がなくなってしまったのである。
思い当たる理由が3つほどあるが。

ある小説家がカフェで外を眺めているとひとりの若い女が通り過ぎ、ナゼか気になった。
しばらくしてもう一人の別な中年の女が通り、彼女が先の女の未来の姿に重なり、2人の間の架空の時間を一気に300枚のストーリーで書き上げたという小説、面白そうだけどそれを読んでみたいとは思わない。

ボクはかなり前から事実を正確に積み上げて書かれた歴史小説など以外は読む気がしないのである。ボクが今読むのは歴史関係、国際関係、社会・経済関係、これで90%くらいだ。

ボクは今までに吉川英治、児島襄、遠藤周作、松本清張、司馬遼太郎、吉村昭、浅田次郎、塩野七生、その他多くの作家の作品を読んだ。松本清張は100編以上、吉村昭は全部とは言わないが大体読んだ。

吉川英治、遠藤周作はまだ何でも読んだ時で、特に吉川英治は読み出したら止まらなかったのを覚えている。親鸞、三国志、宮本武蔵、新平家物語などは人を吸い込むようなストーリーと文にのめり込んだ。
司馬遼太郎の”坂の上の雲”はフィクションと思い込み読んだ後何十年も経ってから、これは小説だと知った時はちょっと複雑な気持になった。

一方で小説家の書く随筆(エッセー)は好きである。
作家が持つ見識・経験などに、その人の感性・思想などを練り込んだ様々なテーマを文章にしたもの、というのがボクの随筆に対するイメージだ。

この前、塩野七生の随筆を読んだ。

この人はイタリア史、ヨーロッパ史の半端ではない知識と理解を持つ作家である。

そして長年のイタリーの生活を通じて見た日本人・日本社会・政治などについての意見・考えは興味深い。
蓮田壽賀子を手玉にとって、おちょくっているのも面白かった。

直木賞とか芥川賞を受賞後に長く生き残った作家の随筆は面白い。感性と文筆力があっても、見識・知識を磨いていない作家はやがて消えていく。
見識・知識は努力をしないと身につかない
これは凡人も作家も同じだ。

ボクは最近そういうのが少し見えるようになってきたような気がする。

書籍・雑誌類、それに様々な資料、メモなど殆どはPDF化したので身の回りもかなりすっきりした。

ところが、、、昨年の8月頃から歴史関連の書籍を本格的に買い集め出し、積み上げると1m以上になってしまった。半分以上は”みすず書房の現代史資料”であるが、これはしばらくは本棚に置いておく必要がある。

そんな訳で本を置くスペースがなくなり、本棚を整理しなくてはならない。
本棚は旅行関係の本とパンフレット、それに仕事関係の専門書がスペースをとっているのでこれをPDF化、及び廃却する事にした。
60cmくらいはスペースが作れそうである。(ウサギ小屋マンションでは本棚60cmは貴重なのです。)

広くないマンション住まい、少しでもモノを減らさなくてはならないと思っているのに、モノは少しずつ増えていく。
こういう悩みは広い一戸建てに住んでいる人にはわからないだろう。

コロナでどうせどこにも行けない状態だ。時間は十分に取れる。書籍だけではなく無線のガラクタを含め身の回りのモノ減らしを徹底的にやるか〜。
これって前にも宣言したかも、、、。