想定外の国、ニッポン(2021−09−01)
ニュースによるとイギリスではコロナの中で普通の生活をする、”コロナと共生”の段階に入ったという。この政策転換を支えているのはワクチン接種の成功と大規模な検査の継続的実施、それに治療体制の確立である。

イギリスではワクチンは既に18才以上の80%が接種済み、変異株へのワクチン効果を大規模な調査などで証明しこれを公表、医療体制も整備、現在は逼迫はしていない。しかし検査とその結果に基づく隔離の方針は変えていない

イギリスのコロナとの共生とは、コロナがあっても国民の生活を普通にも戻すという政策であり、国と国民のやるべきことを分けて実行する、目的は経済の回復である。

政府はやるべき事はやっている、そして国民はそれを信頼している、というのがイギリスのようである。テレビのワイドショーから情報を仕入れ、疑心暗鬼で毎日を過ごしている日本国民とは次元が異なる。

腰の引けた担当大臣が自信なさそうに泳いだ目で会見をやり、自粛ばかりを要請し、「発展途上国にワクチン支援をやります。」、とか全くトンチンカンな発言して東京ではワクチン接種に1kmの行列を作らせ、医療は崩壊寸前で今から”野戦病院”を作ろうとしている日本、この秋から冬そして来年にはどんな状況が訪れるのか。

コロナはともかく最近のビックニュースは何と言ってもアメリカ軍のアフガンからの撤退である。ボクはアフガニスタン、その隣国のパキスタン、イランなどは行った事はない。中近東はUAEとサウジアラビアに行った事がある(リンク)だけだ。両国ともテロとか反政府武装勢力が跋扈している国ではなく、平和な風景だった。

今回の出来事はバイデン大統領が4月にアフガニスタンからの軍の撤退を決めた瞬間、アフガニスタン政府軍が崩壊、大統領は現金を持って国外逃亡、こういう中でアメリカ、EU各国など、それに日本がアフガンからの引き揚げ引き上げによる混乱である。

アフガン政府軍はタリバンと戦闘は殆どなかったという。兵士は武器を捨て、軍服を脱ぎ、物資を略奪して逃げた。そもそもアフガン人は部族との繋がりはあるが国という概念は希薄であり、従ってアフガン政府・国民(他の部族)への忠誠心というのはない。

各国は自国民と自国に協力したアフガン人の脱出を支援するために軍用機と警護の部隊をカブールに送りこみ、8月26日頃には一部を残し多くを脱出させた。

日本が対象としていた脱出者数は日本人は約20名、アフガン人約500名(700名以上という話もある)である。
しかし8月17日には日本大使館員12名は現地に於ける全ての任務を放棄、イギリス軍機でドバイ経由イスタンブールに逃げてしまった。

これは自衛隊機が到着する8日前である。残る8名の日本人と日本を頼りにしているアフガン人を見捨てて、である。

自衛隊機が到着したときは各国は軍の輸送機で殆どの人の脱出を終えた後で、カブール空港には各国の最後の輸送機と部隊が残っていただけである。

結局自衛隊機は日本人1名を脱出させたのみで、500人のアフガン協力者は脱出させることができなかった。タリバンの妨害などによってタリバンの期限とする30日までに空港までたどり着けなかったのである。

特筆すべきは27日までに韓国空軍と陸軍は390名のアフガン人の脱出に成功している。これは空港までのバスの争奪を大使館員がやった成果だとしている。日本の外務省はこれに関してはノーコメント、言っているのは「想定外の中で、できる限りのことはやった。」、である。

アメリカ軍のアフガン撤退はいろいろ言われているが、アメリカがどれだけ支援を続けようと、アフガン政府が独り立ちすることは決してない、軍事支援を打ち切る、というアメリカの戦略判断は正しいとボクは思っている。ただ撤退作戦はもうちょっとうまくできなかったものか、と素人ながらではあるが感じる。

アフガン紛争はナゼ起きたか、これの起点は2001年9月11日の同時多発テロである。アフガニスタンにアメリカが攻め入ったのはテロの総帥であるアルカイダのオサマビンラディンをタリバンが匿っていたからである。
アメリカのアフガン撤退は2021年8月31日であるが、撤退が911からちょうど20年(12日足りないが)というのも何か因果めいている。

その20年前の911の時、、、実はボクはその1日前までワシントンDCにいたのである。正確に言うと9月7日からボクはカミさんと下の娘を連れてオハイオ・コロンバスからから車でDC観光に来ていた(リンク)のである。

多くの日本人は同時多発テロはNYのツインタワーだけだと思っている。が、違う。
4機の民間機が同時刻にハイジャックされ全て墜落、1機はDCの何とペンタゴンに突っ込んで乗員乗客の全員とペンタゴンの職員・軍人125名が死亡している。

その時のボクらは9月11日(つまり911)の午後にDCからコロンバスに帰る予定だった。DCからコロンバスは約600km、1回の休みを入れて6時間ちょっとのドライブだった。

が、ナゼか1日繰り上げて10日に帰ることにしたのである。どうして1日早く帰る気になったのか、不思議な事に良く覚えていない。

10日は朝早くホテル(ホワイトハウスまで歩いて10分くらい)を出てDCの東100kmくらいにある海軍兵学校を見学(リンク)、夜8時頃にコロンバスに戻り自宅近所の中華レストランで食事をしたのを覚えている。
翌日起きて朝食後テレビを見ていると”臨時ニュース”、後は、、、。

ブッシュ大統領は報復を宣言し、ここからテロとの戦争が始まったのである。ブッシュ大統領が、「アメリカがひとつになって戦わなくてはならない、長い長い戦争の始まりだ。」、という演説をボクは今でも鮮明に覚えている。

即時に予備役の将兵が招集され、その数は最終的に20万人だったと記憶するがボクの部からも2名が出征した。一人はボクのところに来て「私のことは忘れないで下さい。」、とにっこり笑って言ったのを今でも忘れない。結局彼はそのまま現役を志願して軍に残り、会社には戻ってこなかった。

ボクのいた会社は社員15000人という規模であったが、一番多いときは20名くらいの社員が予備役で出征していたように記憶する。彼等の写真は会社のメインロビーの奥に名前と会社の所属が書かれ、一人づつ小さな額に入れられて掲示してあった。

ボクは社員達の戦地での様子を又聞きの又聞きくらいでたくさん聞いた。戦死したという話はなかったがローカルの新聞には戦死者のニュースが時々出ていた。

しばらくしてから食堂のオバさんの息子(多分)が海兵隊に入隊し、軍服姿の彼を食堂に連れて来てみんなに紹介していたのを見掛けたことがあった。

出張で大きな空港に行くと砂漠戦用の黄土色の戦闘服を着た若い兵士とかを多く見掛けるのが何年も続いた。

留学した日本人の女子学生に軍から、”3年(4年だったか)軍務に就けば、グリーンカードのサポートと学費の大幅免除の特典があるが、どうか?”という手紙が来て、その子が怒り狂った(どうして?ボクは理解できない)という話もこの頃である。ちなみにアメリカ海軍の空母乗り組み水兵の30%はグリーンカード取得目的の外国人である。

アメリカは軍の存在が市民と非常に近いように思う。土曜日の夕方スーパーに行くと訓練帰りの州兵部隊の中佐殿が戦闘服のままで買い物をしている姿とかは普通に見る風景だった。DCの地下鉄などでも戦闘服姿の男女の軍人を頻繁に見掛けた。
ボクは、アメリカとアメリカ人を知るためには軍の将校・下士官兵の階級と位置付け、任務、出身、学校との関係などを知っておくのは必須だと思っている。

ボクは今回のアフガニスタンの米軍撤退のニュースを聞き、そして日本政府の対応を見たとき、動きの拙さと幼稚さ、そして的外れに驚くと言うより、大きな不安を覚えた。
コロナと同じく、日本政府は日本人の命を守る能力がないことが又も証明されたからだ。

アメリカがアフガンから撤退する、というアナウンスは4月に行われているが何も準備がされていなかったのである。何が起きてきたのか、そしてこれから何が起きるか、予測する能力がないのである。
ここでも起きて欲しくない事は考えない、という日本人の致命的欠陥が露呈している。

今の日本では何かの問題対応が失敗に終わったとき、政府その他あらゆる組織・機関の責任者は、「想定外であった。」と言って机の前に列んで頭を下げる、というのが定番の免罪符になっている。

今回は自衛隊機の派遣遅れの原因をあまりにもあっけないアフガン政府軍の崩壊による、状況の”想定外”の進展にあった、と外務省は言っている。

しかし各国が撤退をほぼ完了しようとしている時期でも外務省は会議をやっていた。
会議とは脱出の方法の検討などではなく、自衛隊機を派遣する法的根拠などについてらしかった。

アメリカ軍からは日本人及び関連するアフガン人などを脱出させるため支援をする提案があったが外務省はこれを断っている。
理由はアメリカ軍と行動をするとタリバンに狙われる可能性があり危険、という判断だったようだ。

テレビに映るカブール空港の自衛隊員は丸腰で列を作って歩いていた。小銃さえ堂々と持たせてもらえないのだ。外務省は、「空港内は安全な事になっているから行かせたのだ。銃はいらない。」、、、結構な判断である。
それとも隊員の帽子に”憲法9条の日本”とでも縫い込ませたのか。

次はこういう事が世界のどこでいつ起きるのか、その時に日本国政府は我々を守ってくれるのか。それとも水戸黄門の格さんのように、”想定外”、と書いた印籠を国民に突き付けるのか。