戦後復興の謎(2022−08−05)
新しく買ったPCは快調である。
ところで前のPC(DELL LATITUD E5540)であるが、これはお払い箱という訳ではなく、まだ持っている。そこでバックアップ機としてもう一度活躍できるようにならないか、修理にトライしてみた。

先ず一番の問題である幾つかのキーが作動しないという症状、これはKB(キーボード)の交換で直るはずだ。ノートPCのKB交換というのはかなり面倒で、素人では難しいと思っていたが、調べるとE5540は簡単にできる事がわかった。

AMAZONで交換用のKBは2600円(送料700円)、どうせ中華製のコピー品だろう、と思いつつ注文。修理自体をダメ元でやっているので気楽である。品物は注文した翌日のお昼に届いたのにはびっくりした。

梱包からKBを取り出してみると、コピー品ではなくどう見てもオリジナルと全く同じ製品である。DELLの正規品を作っている工場(正規品も中華製)が横流しでもしているのだろう。でもボクには関係ない。

交換方法はYOUTUBEで調べるのが一番、大抵のPCの部品交換の手順は動画で確認できる。
"DELL E5540 KEYBOARD REPLACEMENT"で検索すると幾つも出てきた。

これを見て作業をやったら、何と7分〜8分で完了。使った工具は細いプラスとマイナスドライバー2本だけである。

キーボードと本体を繋いでいるフラットケーブルの脱着は結構細かい作業であったが、ボクでもできたので誰でもできるのは間違いない。

交換後は全部のキー作動がOKになり、キータッチのフィーリングも前と同じである。KB交換をDELLのサービスに頼めば恐らく2万円くらいは請求されるのではないか。

KBを買った店は大阪にある"IDVL"という会社で、AMAZONの"出品者評価"と"商品レビュー"を記入すれば300円のキャッシュバックをします、とあったので書いたら本当に300円を返金してくれた。

という訳で3000円の費用と約10分の作業で、古いPCのキーボード不具合はなくなった。
まずは第一関門は突破、かな?

ボクは晩酌の時、それに何か特別な番組以外はテレビは見ない。
そのボクにとって特別な番組の中のひとつが松本清張の小説をドラマ化したもので、これだけはカミさんに録画を頼んである。

清張の推理小説は実際の事件に基づいたものが殆どで、非常に興味深い。清張はまた"昭和史発掘"、"日本の黒い霧"などの、ノンフィクションに分類されるものも書いており、ボクは一生懸命に読んだことがある。

数日前"「文藝春秋」で読む戦後70年"(全4巻)に清張の昭和史の総論があるのを思い出して再度読んでみた。
記事は第2巻に収録されており、表題は「私観・昭和史論」である。

ボクは清張を推理小説家と同時に、歴史研究家として尊敬している。歴史研究の要は"事実の把握"である。
これのポイントは体系的・計画的な一次資料の調査、そしてその都度の仮説の組み立てである。

清張ほど日本近代史を広く深く、事実の調査をやった小説家は他にいないのではないか。あちこちに歴史の先生はいるが割と幅が狭く、対象を限定している人がほとんどである。

清張の「私観・昭和史論」では、日本を破滅に導いた明治の官僚制とは何であったのか、そして戦後日本を繁栄させた源泉はどこにあったのか、昭和63(1988)年6月号の文藝春秋でコンパクトに述べている。

内容の理解には予備知識がないと一部難しいと思われる部分もあるが、清張は何を根拠に何を言っているのか、非常にわかりやすく書いている。
ボクはたった21ページでここまで凝縮して昭和を語っている文章は、今までに見たことがない。

記事の中でボクが興味を持ったのは戦後日本が復興した理由について、記事の半分の10ページ程にまとめてある部分である。
世界中が驚愕した日本の奇跡の復興は、実は日本人自身もその理由をきっちりと掴めていないのではないか。

清張はその理由について3つを挙げている。
それは敗戦による明治の官僚体制の崩壊、朝鮮戦争特需、潜在的な技術インフラの存在である。

日本復興の引き金は朝鮮戦争である。朝鮮戦争で日本はアメリカ軍の補給廠になった。
日本の技術者は科学技術の塊であるアメリカ軍用製品(特に通信機、レーダー、車両)に接し、それの修理・整備を通じて先端技術を習得、更に大量生産の技術も学んだ。

日本に品質管理を導入するために、昭和25(1950)年の朝鮮戦争勃発直後にデミング博士が日本に来たのは、日本が呼んだからではない。もちろん何かの偶然で来たのでもない。

日本の工場をアメリカ軍が要求する品質で生産ができるよう、アメリカ軍の技術トップがデミングを呼んで、日本の技術者を教育させたのである。

この日本への品質管理導入のバックグランドは調べればわかる事だが、日科技連の図書などにもナゼかはっきり書かれていない。中には日本政府が国勢調査統計の指導で招いた、とか言う人もいる。ウソである。
その後の半導体技術などもアメリカのTIの特許、技術戦略に学んだおかげだという。

当時日本はアメリカの占領下にあり、アメリカは日本の戦時中の工業力について徹底的に把握・分析をしており、ボクはこれらの調査結果を読んだことがある。日本の技術・工業生産の問題点について、実によく整理されていた。

もう一つの要素として、清張の言い方では、「昭和14(1939)年頃から開墾した、技術の裾野の耕作地があったから。」、となっている。
アメリカと開戦になればアメリカには科学兵器があり、それまでの日中戦争とは訳が違う。日本海軍は清張の言う時期よりずっと前から多くの技術分野で力を入れ、製品(兵器)開発・生産を行った。造船、航空、材料、電機などから土木・建築までその範囲は非常に広い。

また技術者の大量育成が必要であるという点から官立高等工業7校、帝国大学開設(名古屋大学)、東大第二工学部新設などが行われた。これらの数千名の卒業生により技術の裾野が広がり、朝鮮戦争特需における技術的要求を受け入れるインフラが日本には既にあったのである。

昭和18(1943)年には日本経済連盟が量産工場のミドルエンジニアの大量養成の必要性を訴え、それが戦後の職業訓練校、工業高校の設立につながり、大量のミドルエンジニアが生産現場を支えたというのも大きな要因である。

これらの技術・人材は日本の戦争には間に合わなかったが蓄積され、朝鮮戦争特需で再点火され日本復興、そして高度成長へとつながったのである。

ボクは2年ほど前に、ある雑誌に日本海軍のレーダー開発についての連載記事を書く中で、当時関連した会社の社史を調べた事がある。

しかし部外者のボクが目にできる社史は、日本無線などの一部の会社を除き、T社、N社、M(今はP)社などの日本を代表する電機メーカーは、昭和10(1935)年頃から戦後昭和30年(1955)年頃まで間の詳しい記載がなく、実質的に空白に近かった。

これは
”戦争に協力・荷担した会社”という評判を受けたくないから、と言った人がいる。
誰がそんな事を言っているのか、どこの国の企業でも戦争になれば同じ事をやるし、それは恥ずべき事なのか?
ボクは理解できない。

そして各社共、昭和35(1960)年頃から突然、技術が花を咲かせたようになっており、非常に不自然だった。花が咲いたのであればどんな苗を植えて、どんな育て方をしてきたのか、これを明らかにしないと意味がない。

現在の日本はかつてのような日本ではなくなっている。日本は近い将来消滅する国になるという人もいる。ナゼこうなったのか。
ボクは戦後の日本復興の中に、これからの日本が何とか豊かな国として生きていくためのヒントがあるような気がするのだが。