あの頃:フォークと無線とベトナム戦争と、、(2020年6月28日)
昭和40年、西暦で言うと1965年頃以降、フォークソングが中学生、高校生に流行りだした頃だと思います。
それぞれ正確な年代は思い出せないのですが、先ず頭に浮かぶのがマイク眞木。”バラが咲いた”が大ヒット、テレビもラジオもこの曲一色って感じの時がありました。
その後高石友也、小室等、フォーク・クルセダーズ、森山良子、何かも懐かしい。そうそうビリーバンバンとか井上陽水なんかもありました。もっと後だったかな〜、かなりごっちゃになってますけど。

昭和40年頃から学生は深夜放送を聞くのが流行りだし
、仲間もみんな聞いていたように記憶します。
当時は全てAM中波放送、FM放送というのはあったのでしょうが、FMラジオを持っている学生は殆どいなかったと想います。

私はCBC(中部日本放送)と東海ラジオを主に聞いており、聞き始めた頃は00:00〜00:30頃には放送が終了していたような記憶があります。

それで友人の中には名古屋の放送局の終了後は大阪の放送局、或いは東京の放送局を聞いているというのが結構いました。深夜は電離層の関係で三重県でも東京・大阪の放送は放送は良く聞こえました。

文化放送の土居まさるの放送とか、ニッポン放送の”オールナイトニッポン”は私も時々聞きました。
そのうち東海ラジオで”ミッドナイト東海”というのが始まったと想います。
ミッドナイト東海はモーテルとかキャバレーのCMが多く、別世界ではありますが何だろう、と思った事を記憶していますが、違ったかな〜、、、。

しかし私も良く覚えているもんですね、50年前の事を。

しかし、です。
私はアマチュア無線をやっていましたので、中波のAM放送以上に短波放送を聞く方が多かったかも知れません。当時は多くの国から短波の日本語放送がありました。

その中で日本語ではなかったのですがナゼかFENをよく聞いていました。
FENは米軍の放送局で、”Far East Network”の略、駐留米軍の軍人・その家族用に行っている放送で、今はAFN”American Forces Network”となっています。

当時放送局は全国の大きな米軍基地所在地に中波の放送局を持っており、東京(多分横田)からは短波でも放送をしていました。
周波数は3910KHZ、これは日本短波(NSB)3925KHZのほんの少し下で、いつも非常に良く聞こえました。

内容はニュースと音楽、それに何かのインタビューの放送も多かったように記憶しています。

聞いていたのは音楽で、日本の放送では聞けない全く別なジャンルのものが殆どでした。
ニュースとかインタビュー番組も多く、これらは当時の私の英語の能力では99%理解できませんでした。

毎日00:00にアメリカ国家が流れ、その時のアナウンスだけは今でも覚えています。
”This is American forces radio and television servic from Far East Network in Tokyo. Now,ladies and gentlemen, it's our national anthem."

こんなことを今でも覚えているのに、放送で聞いた音楽の曲名はおろかリズムさえ一曲を除いて覚えていないのです。あれほど聞いたのに不思議です。
覚えている一曲とは”The Animals”の”We Gotta Get Out of This Place"です。当時この曲は何度も何度も繰り返し流れていましたので、記憶に残っているのかも知れません。

昭和41年(1966年)頃からベトナム戦争が完璧な泥沼化、北爆も始まっており50万人のアメリカ兵がベトナム戦争に投入されてアメリカ国内では反戦活動が活発になり、アメリカ社会がメチャクチャになりつつある時でした。

FENを聞いていると、銃声がする中とかヘリコプターの爆音がする中で将兵にインタビュー、レポーターが興奮して叫ぶような放送があったのもよく覚えています。

毎日見ているテレビでもニュースはベトナム戦争の事ばかりで、それまで戦争そのものにあまり興味のなかった私も”反戦活動”とか”ベ平連”とか、アメリカの”ヒッピー”とかの話題に興味を持ち、音楽ではPPM(Peter Paul and Mary)とかジョーン・バエズ(Joan Baez)などの歌をよく聴いていました。

アマチュア無線では21MHZなどを聞くと沖縄とかのアメリカの局が、「CQ states side phone patch trafic, this is KR6、、Okinawa、、」とかいうのが良く聞こえていました。

アメリカはアマチュアが公衆電話回線の中継を行う事ができ、沖縄にいる兵士が母国の家族と話をするためにアマチュア局がボランティアをやっているのでした。(当時は国際電話は非常に高価だった)
話を聞いていると兵士達の母親なのか奥さんなのか、アメリカ本土側からの声は女性が多かったように記憶しています。

その後30年ほどしてからアメリカに転勤して住むようになり、私と同じか、少し上の年代のアメリカ人にベトナム戦争の事を聞くと多くの連中が、ベトナム戦争に従軍している事がわかりました。
彼等は本土からハワイ・グアム、日本本土、沖縄、フィリピン経由など様々なルートでベトナムに送りこまれ、ベトナムでの様々な話を一杯聞きました。

この頃の想い出とは深夜放送、フォークソング、反戦歌、短波放送、FEN、ベトナム戦争、アマチュア無線、沖縄米軍人のフォーンパッチ、etcがごっちゃになって残っています。

何となく、懐かしい、、、。