旧満州の旅−1 : 2019/9/7〜2019/9/15
私は日本近代史に興味があり、これの勉強を仕事を辞めた後のライフワークのひとつにしています。日本近代史に首を突っ込むと”満州国”についての知識がないと話にならない事に気が付きます。
そこで満州国とは一体何だったのか、私なりにいろいろと調べてみました。

その結果、私が持っていた満州国のイメージとは現代中国(共産党中国と言った方が良いかも知れません)が作った虚像に基づくものであった、という事が解ってきました。
今は中国東北部と呼ばれている旧満州、そこは未だに日本の足跡が色濃く残っているという事もあり、一度行ってみたいと思うようになりました。

そんな中、哈爾浜(ハルピン)から南の主要6都市を8日間で回るというツアーを見つけました。初めてのところに行くのは先ずグループツアーで参加するのがベスト、これがわかっていましたので利用して行ってみる事にしました。
今は中国共産党が支配する旧満州とはどういう所なのか、そしてそこから見える日本とは何か、たった8日間ではありましたが1回目の旅としてはマズマズでした。

ツアーでは何を見てきたのか、そして何を感じたのか、写真と共に簡単に綴りたいと思います。

セントレア空駒まで
空港まではいつものとおり四日市駅からバスで行きます。途中には日本有数の大きなレジャーランド、ナガシマ・スパーランドというのがあります。

ここには今から40年くらい前(!)に1回行っただけです。
ここは各種ジェットコースターで有名で、”何とか絶叫マシン”とかいうのが幾つもあって、なかなか面白いそうです。

これができた45年くらい前、ショックでおしっこを漏らす人が続出という、ウソか本当かわからない噂が伝わってきました。

戦とれ空港の朝
今日のフライトはセントレアから大連まで、ETDは11:40ですから、当日自宅を出発しても十分に間に合う時間でしたが、いつものクセでセントレアホテルに前泊をしちゃいました。

09:30頃にツアーカウンターに行けばいいので、部屋でゆっくりとできました。
部屋は空港がよく見える、新館の最上階、天気も良く私達が住む対岸の三重県もくっきりと見えました。

いつもこの海の向から、この空港を見ているのですね。

チェックイン
出発ロビーは大変な混みようです。
先ず旅行会社のカウンターに行ってチェックイン、この時の係の人が添乗員さんです。

続いて航空会社のカウンターに行ってフライトのチェックイン。今回のフライトは中国南方航空のCZ620です。
中国南方航空には初めて乗ります。ここは中国国内での規模が最大の航空会社との事です。

大連までのフライトは2時間半ちょっと、あっという間に着きました。

大連到着
大連の空港に着くとツアー全部を通してのガイドの周さんが迎えてくれました。
ツアーには添乗員、それに全体のガイドと、行く先々のガイドの合計3人がつきます。

グループは全部で9人、女はカミさんともう1人だけで残りは7名は全部男ばかり。

旧満州の旅、とかいうのは女性が好んで来る場所ではないですよね。実はウチもカミさんはそんなところ来たくない、と言ってたのですが無理やり連れてきたという次第でした。

大連駅(1)
空港から大連駅へ、ここから高速鉄道で4時間40分かけて哈爾浜まで行きます。
大連までは904kmあり、8駅で平均速度は195kmです。宣伝では最高速度350km/hとなっています。

中国の高速鉄道に乗るのは初めてで駅は非常に大きい、というより巨大です。
待合室は多くの人で溢れています。

待合室に入るには持ち物などの検査があります。中国人は身分証明書、我々外国人はパスポートの提示を求められました。

大連駅(2)
待合室はこのような席が並んでいて、列と列の間は非常にゆったりと作られています。席の数を概算で数えたところ約800席ありました。

ホームには改札が開くまで入る事ができません。ホームは全部で25以上あり、時間になるとホームごとの改札が開くのでそこから入ります。

ガイドからもらったチケットには406.5元(約6000円)と印字されていました。2等車(普通車)とはいえ、乗車距離から考えると日本の3分の1です。

漁夫の砦
日本の新幹線の東京⇒広島は895kmを9駅で、3時間54分です。
実際に乗って感じたのは速度掲示板が330kmとか表示されるのですが、とてもそういう速度で走っている感じではないのです。

乗った車両は何というタイプなのかわかりませんでしたが、席の真ん中にはテーブルがあります。
列車の乗り心地は悪くはないのですが、小刻みな揺れが気になります。
半年前に台湾で台北から隆雄まで乗った高速鉄道はそういう揺れはありませんでした。

哈爾浜シャングリ・ラ ホテル(1)
高速鉄道では日本の新幹線と同じく、スーツケースなどの収納スペースが少なく、結構苦労しました。
ガイドの周さんは体も大きく、結構馬力があり手伝ってくれて大いにに助かりました。

真っ暗になってからホテルに着きました。ロビーは広々として非常にきれいです。

宿泊客は中国人以外に白人を時々見掛けただけで決して多いようには見えませんでした。
割と少ない感じでした。

哈爾浜シャングリ・ラ ホテル(2)
朝食はカフェテリアです。
中国に来て真っ先に感じることは、どこに行っても非常に愛想が悪いことです。

ちょっとした受付の女性、こういうカフェテリアの案内嬢など、にっこり笑って、「どうぞ、いらっしゃいませ」、というのはありません。
目が合っても睨み返す、というのが普通です。

何かをしてくれると、「謝謝、ありがとう、Thank you.」、のどれかを言うのですが反応はなし、です。
ですから暖かみを感じないのですね、どこへ行っても。

哈爾浜シャングリ・ラ ホテル(3)
中国人が笑顔で接待、対応しない事の一つの説に彼等、彼女らは、”客は敵だ”と考えている、というのがあります。

つまり客さえ来なければ自分の手を煩わせる事はない、不愉快な存在である、というような気持ちが心のどこかにある、という事らしい。
これは旧ソ連(どちらも共産国)も同じだというのです。3分の1くらいは当たっていると思います。

さて朝食のあと少し時間があったので外に出てみました。日曜の朝なので交通量は少ない感じです。

松花江・スターリン(斯大林)公園
ホテルの裏は松花江(しょうかこう)で、川沿いのスターリン公園には多くの人が出ており、散歩をしたり、中には泳いでいる人もいました。

哈爾浜は北緯45度、日本は残暑厳しいというかまだ暑いのですが、ここは清々しい気候です。

哈爾浜は19世紀末にロシアの満州支配の拠点として急速に発展したところで、それまでは何十軒かの民家があったに過ぎないところでした。
哈爾浜はロシアの風景・名称が多く残るところです。

月餅
月餅は中秋節の贈り物で、いろんなセットがホテルでも売られていました。
値段を見ると200元くらいから中には2500元なんてのもあり、びっくりです。

現役時代にオハイオからこの季節に北京を訪れたとき、何人もの中国人社員から月餅をどっさりもらって持って帰るのに苦労した事があります。

月餅の味は私には、「まあまあ」、という感じで、日本人の味覚にはちょっと、という感じだと思うのですが。

市内観光開始
哈爾浜は今は近代都市です。
1905年に日露戦争で日本はロシアに勝利、日露講和条約によって日本の領事館もでき、日本人が合法的に住めるようになりました。
今の哈爾浜は郊外も含めると人口は900万人もいるそうで工業、そして農業が盛んです。

昨日の大連から哈爾浜までの5時間弱の列車の旅、車窓から見える旧満州の大地に点在する村々はまだ近代的な生活とは少し距離がある感じでした。

東清鉄道本社
日清戦争に勝利した日本に対し、ロシアは清に有利な干渉を日本に対して行い、そのお駄賃に満州に鉄道を引く権利を清からもらいました
東清鉄道の本社ビルは哈爾浜のど真ん中にあります。

ガイドはこういうところの説明は、「ムニャムニャ、、、」、ではっきりとやりません、”露清密約”については詳しく言いたくないからでしょう。

東清鉄道の観光は”三国干渉”、”露清密約”について知らないとあまり意味のないものになってしまいます。

東清鉄道クラブ
職員の交流、娯楽用の建物で1911年に建築されました。ひょっとしたら宿泊設備もあったかも知れません。

日本もかつての官庁・会社は職員・社員用にこういうクラブを建てるのは珍しくなく、いろんな歴史的な場所に行くと”XXの元クラブ”、というのは国内でもよく見掛けます。

今は哈爾浜の鉄道博物館になっているそうですが、残念ながら中に入る時間はありませんでした。
立派な建物でした。

満州国鉄列車
博物館の横には満鉄時代の車両が駅と共に展示してあります。
満州は満州族が支配・住む土地で、満洲族が清をつくり清が領有、それを19世紀になってロシアに割譲されました。

その後、日露戦争で日本が勝利、日本がロシアから租借していたのを、清朝滅亡後の中華民国(北京政府)が満州の領有を主張します。

ところが中国は内乱状態が続き、日本が満州事変を起こして傀儡国を作った、というややこしい歴史です。

地下鉄
哈爾浜の地下鉄は2013年に1号線が開通、現在まで3号線までが開通しており、最終的には10号線(全長340km、115駅)まで予定しているそうです。

しばらくこの駅を見ていましたが日曜日のせいなのか、乗り降りする客は2人を見掛けただけでした。
平日の道路の交通量はどの程度なのかわかりませんが、郊外を含めて900万人の都市ですから公共交通機関の整備は急務なのは確かです。

かつて中国は駅などは写真撮影禁止でしたが、今は問題ないようです。

東清鉄道幹部用宿舎
東清本社近くにはこういう建物がいくつも残っており、それらは東清鉄道の幹部の宿舎だったそうです。

これらは今では商業用地として利用価値の高い場所にあるので、現在は様々な目的で修理をしながら使っています。
ここはKFCになっていました。

哈爾浜はロシア人が作った街で西欧の古典建築の建物が幾つも残っています。
また哈爾浜には19世紀初めには2万人のユダヤ人が住んでいました

哈爾浜駅
1899年に東清鉄道の松花江駅として開業、1903年に駅舎を建て替えています。

ここは日本の初代総理大臣の伊藤博文が朝鮮人の安重根に暗殺された場所として日本人にとっては忘れられない駅です。
この事件は今でも日韓両国の永遠の確執の象徴になっていると言えるでしょう。

ここもガイドは「伊藤博文が暗殺されたところで、最近記念館ができました。」、とだけの説明でした。

一般住宅街
やはり何となくヨーロッパの香りがします。

今の共産中国政府は、中国は様々な民族の合体国家である事をあまり意識させないようにしています

しかし満洲は満洲族の地で文化も言葉も文字も全く独自のものです。
よく映画で中国人を描くとき辮髪(髪のべんぱつ:毛を伸ばして三つ編みにする)姿にしますが、あれは満洲民族の風習であったものが清の時代に中国に持ち込まれたものだそうです。
チャイナドレス、あれも満洲民族のものだそうです。

聖アレクセーエフ教会(1)
中国正教会の哈爾浜主教区の中にある一つの教会です。非常によく保存されています。

中国には古くからキリスト教は伝わってきていますが、1900年の義和団の乱、それに近年の文化大革命で徹底的に信者は迫害・教会などは破壊されて落ち着いてきたのは1980年代に入ってからです。

今の共産中国は表向きは信教の自由を保障していると言ってますが、外国の影響を受ける宗教活動を禁じており、中国政府の公認団体が任命した団体(?)、聖職者しか活動できないそうです。

近年政府高官、その家族にキリスト教信者が増えて対応が益々難しくなっていると聞いています。

中国政府が公認する教会はバチカン以下、世界中から正当なカトリック教会とは認められていないそうです。

共産中国には信教の自由はある、というのは言行不一致、間違いなしです。

聖アレクセーエフ教会(2)
教会に着いたとき、教会は鍵が掛けられていて、入る事ができず、ガイドがどこかに電話を掛け、2人の男がやってきて鍵を開けてくれたので中に入れました。

今日は日曜日、しかも午前11時半頃、ミサはなかったのでしょうか。教会の中は確かにきれいなのですが、どうも使われているという感じがしません。
ここは観光用教会のような感じがしてなりませんでした。

ガイドはどこに電話を掛けてやってきた2人はどこから来たのでしょうね。

教会横の建物
旅店とは旅館の事だそうです。でも営業はやってないようで、シャッターが閉まっています。私はこういう建物を見ると中国に来た、という感じがしますね。

中国人は農村戸籍か都市戸籍があり、農村戸籍はいろいろと制約があります。
注意しなくてはいけないのは、”都市戸籍”は都市部の戸籍という意味ではありません

国から土地の貸与を受けた小作農以外の戸籍を指しており、農村部であっても都市戸籍者はいるという事だそうです。

哈爾浜旧ヤマトホテル(1)
かつて南満洲鉄道株式会社が経営していた高級ブランドホテルです。
1907年に大連に最初にできてから1945年まで満洲全土で15のヤマトホテルが営業していました。

作られた目的は満鉄沿線を発展させるために西欧人も呼び込む必用があったのですが、西欧人が快適に過ごせるホテルがなかったこと、それに満鉄の迎賓館としても使える西欧式の高級ホテルが必用だったからでした。

外のこの黄色は?ですが、中はさすがの風格でした。

哈爾浜旧ヤマトホテル(2)
哈爾浜のヤマトホテルの建物は1903年の東清鉄道時代に建てられ、ロシアの野戦病院、将校クラブなどに使われ、1935年に満鉄が買収、客室56の高級ホテルに生まれ変わりましたす。

中は基本的に当時のものを復元・修理して使っており、当時の雰囲気を偲ぶ事ができます。

満鉄はヤマトホテルを鉄道事業、それに満洲開発を支える手段として採算を度外視していたので、単独事業では利益は出ていなかったそうです。

哈爾浜旧ヤマトホテル(3)
ホテルは現在も使われており、普通に予約して泊まれるそうです。
日本国内で昭和初期の高級ホテルの雰囲気を残しているところはどこでしょうか。帝国ホテル?

かつてはどういう人が泊まっていたのでしょうか。満州国政府の役人、満鉄の幹部、日本政府の役人、軍の高級将校、会社関係の幹部、外国人、そういう人達だったのでしょうね、きっと。

原罪の入り口の看板は貴賓楼・LUNGMEN GRAND HOTEL となっていました。

一般道路の状況
ツアーですから一般庶民の生活を見れるチャンスが殆どありません。しかしそこは最大限観察をします。
まず車、4分の1は日系メーカーの車です。トヨタとホンダが目立ちます。日系の中国でのシェアーは20%くらいですから、見えたのと大きくは外れていませんね。
運転のマナーは見ている限りそれほど悪くはありません。

次に歩いている人などの服装は、時々おいおい、というような格好の人を見掛ける以外は普通です。
シャツとかズボンにアイロンがかかっているものを着ている人はほとんどいません
いわゆる、よれよれ感たっぷり、って感じが殆どですね。

広場ダンス
中国はちょっとした公園などに行くと”広場ダンス”などに頻繁に出くわします。結構着飾っている人もいます。

これほど盛んな理由は共産中国政府がかなり前から太極拳も含めて推奨をしているからです。
理由はズバリ”健康維持・増進”です。

人民日報にも、”やろうぜ!いや、やりなさい!”、という記事が今でも盛んに載っており、私も日本語版で見た事があります。
これは大変良いことで、日本でもやるべきですね。

松花江鉄橋
松花江は巨大な川です。この付近で川幅は1kmくらいだった思います。
松花江は満洲語でスンガリ・ウラ(天の川)と呼ばれており、スンガリ川という名前で親しまれていたそうです。

一体この川はどこからどこに流れているのかというと、朝鮮の長白山から流れ出て、最終的にはアムール川に合流するという壮大な川です。長さ1927kmの大河です。

鉄橋は既に役目を終え、今は自転車とか歩いて渡る事ができるようになっています。
アーチがあるのは下流側に作られた新橋です。

松花江遊覧船
これはオプションでしたが乗ってみました。
あまり疑問なく160元(2000円ちょっと)をガイドに払ったのですが、実際の料金は15元(200円)!!

これは乗った後でわった事で、さすがぼったくりの中国観光です。ちなみに旅行会社は近○○本ツーリスト。
マージンは現地旅行会社、ひょっとしたらガイドに丸ごと入るのでしょうね。

遊覧船はそれ程混んでなく、ゆったりと座って景色を見る事ができました。

松花江ロープウエイ
船を降りて、今度はロープウエーです。ここから見ると緑が多いことに気が付きます。

共産中国は満洲という言葉を地名ではなく満洲人の事、つまり人を指す意味で使います。ナゼか?

地名としての満洲は中国に含まれない、という含意があるため中国の一部である事を強調するためここは、”中国東北部”と言い換えられているのです。

これって殆どの日本人は知らないですね。

再度スターリン公園へ
今回の全コース通しの現地ガイドである大連出身の周さんの説明の中から、”満洲は中国とは違う”、という雰囲気がかなり伝わってきておりました。

また満州国は日本の傀儡国ではあったものの巨額の資本が投下され、鉄道・発電などの近代的なインフラが整備された事も、かなり強調していました。(北朝鮮も同じです)

このインフラにより満洲は工業が発達し、1948年に共産中国になってかずっと中国唯一の工業地帯で共産中国を支えていた、のですと言ってました。

市民楽団
これは後で知ったことなのですが、現在の旧満州エリアは比較的親日的な人も多く、また日本に来ている中国人の3分の1を占めているのもここの人だそうです。

公園の通りをブラブラ歩いていくと市民と思われる楽団が演奏を始めるところでした。
メンバーに若い人は見当たらず、全員60才くらい以上のシニアばかりで、女性も2人ほどいました。

公園で太極拳をやり、ダンスをやり、そして楽団演奏もする、なかなかいいと思いました。

ランチです
個人旅行ではレストランで、「注文間違えた〜!」、とかで大騒ぎする事もあるわけですが、ツアーでありません。

とびきり美味いものは出ませんが、妙に日本人の口に合わないものが出て来ることもあまりありません。

中国に来ても昼も夜もビール飲んじゃいますね。昼は1本、夜は1本〜2本。
頼むと勝手な銘柄のビールが出てきますが、クセのあるのはあまりありませんでした。

中央大街散策(1)
ここは哈爾浜を代表する歴史的な大通りで、ロシア統治時代の建物などが多く残っています。
1450m、道幅は21.3mで全て石畳。アジア最大だそうです。

哈爾浜最大のショッピング街になっており有名中華料理レストラン、ロシアレストラン、北朝鮮レストランまであるそうです。日本レストランはあるのですかね、、、。

時間がなかったのでゆっくり”散策”はできませんでしたが、こういうところをブラブラしてロシア料理でも食べるってのもいいですね。

中央大街散策(2)
日曜日なので学生とおぼしきグループを結構見掛けました。
歩いてみてわかったのは、私達のようなオッさん、オバさんが少ないことです。
公園にはオッさんなど、中央大街は若者とせいぜい40代半ばくらいまでの人、って感じでした。

中国も既に高齢化が始まっており、日本とはかなり違う状況になっているようです。
一番の違いは日本は豊かになってから高齢化が始まった、中国は豊かになる前に高齢化が始まった、という点です。

氷の小屋
今思い出してもナゼこんなところに入ったのかよく覚えていないのですが、氷で作ったお城の見世物小屋です。
中はマイナス10℃、防寒着を着て15分くらい中をぐるっと回りました。

哈爾浜は北緯45度、しかも内陸ですから冬の寒さは格別だそうです。1月、2月の平均最低気温はマイナス20℃、平均最高気温がマイナス10℃という事ですから半端ではないですね。

「冬の哈爾浜は雪と氷の世界で素晴らしい!」、とか言って行く日本人が結構いるそうですが、信じられん!!

高速鉄道で新京まで(1)
中国では列車がホームに入ってから乗客をホームに入れるのでホームが混み合うことがありません。

こういう方法をとるのは乗客が間違った列車に乗るのを防止するため、それに安全確保のためにホーム上の乗客を少なくしておく、という事のようです。

そのために大きな待合場を作り、ホームごとの改札をしているのですね。いいシステムだと思いますね。

東京駅でこれをやろうと思ったら駅全部を新幹線用に使わないとムリでしょうね。

高速鉄道で新京まで(2)
列車の中は日本の新幹線と似ています。というか荷物を置くスペースがないところまで似ています。

車内販売もあります。日本と違うのはゴミ集めのオバさんが時々来るところです。
車内の清掃はまずまずで不快感はありません。

意外に思ったのは車内では大声で話す中国人がいない事です。これはこの後もすっと同じでした。

新京までは1時間25分です。

長春西駅港
やはり大きな新しい駅で2012年開業だそうです。

哈爾浜からの車窓風景は非常に興味深いものがありました。点在する何を生産しているのかわからない工場、貧しそうな農家の家々、大草原、ちょっとした街には大きな建物

先ほどまで見た哈爾浜の大都会の風景とは全く違う中国の農村風景が印象的でした。

それと高速鉄道ですが、列車の先頭部分の写真を撮ると駅員などに注意される事があるそうです。例の中国の”何でも軍事施設”のひとつなのかも知れませんね。

国会議事堂?
長春西駅からは男の50才くらいのガイドが乗りこんできました。話し方とか説明は解りやすくていいのですが、質問にはあまり答えてくれないガイドでした。

早速バスで旧官庁街を回ります。実に立派な広々とした官庁街です。これらは全て実質的に日本が作ったものです。

ガイドの説明する右を見ると、そうです、日本の国会議事堂の図面をもとに作った旧満州国の国務院です
実に驚きでした。

夕暮れの長春
現在、長春は吉林省の省都で、旧満州国の時は首都”新京”と呼ばれていました。
今は人口が市街地を含めて800万人ほど、哈爾浜とは違った雰囲気であるのが直ぐにわかります。

長春と言えば長春第一汽車、1953年にできたという共産中国最初の自動車メーカーのあるところです。

現在はトヨタ、マツダと提携しており殆どの生産はこの両社の車をベースにしたものですが、外観ボディーを変えているのでベースモデルがよくわかりません。

ちょっと遅めの夕食(1)
清朝時代は、満州族が志那全土を支配していました。漢族は満州族に支配されていたのです。
漢族が、外敵に攻め込まれぬために作った「万里の長城」は、朝鮮半島の東側で終わっています。

清朝が瓦解したとき、満州族など5族が作ろうとしたのが、満州国であった、というのが私の解釈です。

今の日本人解釈の歴史は共産中国がねじ曲げて、切り貼りして、塗り替えて、叩き直したものを頭から浴びせたもので、日本人の多くが洗脳されている、というのも私の解釈です。

ちょっと遅めの夕食(2)
バスはとあるレストランの横に止まりました。
部屋に入る待ってましたとばかりに飲み物の注文が取られ、直ぐに3人ほどで料理が運び込まれて、夕食スタートです。

料理は日本人の口に合うようメニューが選ばれ、味付けも変えられているものもあると思います
全部結構おいしく頂けます。

食事は殆どの場合、個室が用意されていましたので、同じレストランに来ている中国人が何を食べているか見る機会が殆どなかったのは残念でした。

長春のホテル(1)
2泊目も”シャングリ・ラ ホテル”です。
立派なホテルです。白人の客も見掛けましたので、いわゆる”インターナショナル・ホテル”ですね。

初めてのところで、これだけの大都会、しかも夜ですから一体どの辺りに位置しているのかよくわかりませんが、どうも市内の中心部のようです。

チェックインの手続きなど全部ガイドの周さんがやってくれます。今回思ったのですが、日本からの添乗員ってあまり必要ないのでは。

長春のホテル(2)
部屋も文句なしです。

今回失敗したのはインターネット、メール対策をやってこなかった事でした。中国ではGOGOLE、YAHOOの検索サイトは使えないし、GMAILも使えません。

共産中国の言論統制は日本人の想像を超えており、VPNの規制もかなり行われているようです。

日本人の中には、”まあ、こういう事は中国だから仕方ないね”、とか急に中国共産党の代弁者になる人が多いのはどういう事なんだ?

長春のホテル(3)
そんな訳でカミさんはIPADを持ってきたのですが役に立たず、私のIPHONEも意味なしでした。

旅行のパンフレットには”ホテルはWIFI無料!”とか書いてあるのですが、これは問題ありですよね。
”但し、接続できないサイトが一杯あります”、って書いておかないと。

窓からは新京の夜景がきれいに見えます。
哈爾浜も、ここ長春も大きな街です。しかも見た目は非常にきれいです。驚きました。

2日間はあっという間に過ぎてしまいました。見るもの聞くもの全てが珍しく,新鮮です。
治安は外国旅行に必用な普通の感覚で気を付けていれば問題はなさそうです。変な物売り、押し売りみたいなのは結構いるようです。

私は外国に行ったとき、その国の生活コストについて興味があるのですが、中国のような地方によって別の国のような物価、それに職業による収入の差、更に健康保険とか年金制度などを考えるとまだ日本とは大きな差があるというのが実態でしょう。
ズバリ、日本で騒ぐ生活・収入の格差なんていうのは中国では格差でも何でもない、という事でしょう。
いずれにせよそういう事はやはりその国に住んでみないとわかりませんが。

旅は全て順調でした。