潜伏キリシタン(2018年5月13日)
長崎と天草の「潜伏キリシタン」がユネスコの世界遺産に登録される可能性が高まった、と言うかほぼ決定されたに近い状態だそうだ。以下毎日新聞18年5月5日記事から。

「潜伏キリシタン関連遺産は、現存する国内最古の教会で国宝の大浦天主堂(長崎市)や、島原の乱の舞台となった国指定史跡の原城跡(長崎県南島原市)など12資産で構成する。勧告は「禁教期にもかかわらず密に信仰を継続した潜伏キリシタンの独特の文化的伝統の証拠」として普遍的価値があると評価した。

 政府は2015年1月、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」として14資産を推薦したが、イコモスが「禁教期との関わりに重点を置くべきだ」として見直しを求めた。
これを受け16年2月に推薦を取り下げ、関連性が薄い2資産を外し、名称を「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」に変更し、17年2月に推薦書を再提出していた。」


これを読んでまたか、と思ったね。要するに白人世界(キリスト教徒)の価値観押し付けだね。
何で、”禁教期との関わりに重点を置くべき”、なのかボクには理解できない。

日本にキリスト教を布教しようとしていたスペインは宣教師(フランシスコ・ザビエルだっけ?)を日本に送り込んだ。

信長はキリスト教布教に関してどちらかと言うとYES、秀吉と家康はNOだったのは学校の社会科で習ったよね。
信長は好奇心で、「キリスト教って何じゃ?」、と言っているうちに臣下の謀反によって殺されちゃったけど。

ではどうして秀吉・家康がキリスト教を禁止したか。その前にスペインがナゼ宣教師を送り込んでキリスト教を布教しようとしたのか。
ここがポイント中のポイントなのだが学校ではきちんと教えてくれなかった。どうしてかね。

宣教師は純粋な宗教的な意志に基づくボランティア−で日本に来てた、と思っている人が結構多いのには驚く。
布教の目的はズバリ、"日本を植民地にするため”の地ならしと調査、つまり先遣隊だった。

秀吉・家康が恐れたのは宣教師を送り込んで信者を作り、その後に様々な理由をつけて軍隊が来て、その国を植民地化しているという事を知ったからだという。
当時のメキシコ、フィリピンの話を聞いていたそうだ。

信者を増やした時点で何か問題を起こす。すると信者は宣教師側につく、つまりスペインの味方をする、というのである。

またキリスト教の信条、そして仏教等とは異なる強い排他性にも非常な警戒をしたという。

キリスト教では人は神の下に皆平等だという。単純に解釈すると支配者にとって、これは問題のある考え方だ。
ワシは臣下、領民と平等なのか?となるからだ。

またキリスト教では教徒になって始めて人になるという。そのためには洗礼を受けなくてはならない。洗礼を受けない人間は人ではなく、蛮人であるという。

すると支配者も洗礼を受けないと蛮人になってしまい、蛮人が支配者というのもおかしな話しになる。(高山右近がキリシタンになった理由のひとつが、これだと言う人もいる)

更にこの時代にスペイン人(ポルトガル人も)は多くの日本人を奴隷として東南アジアに売っていた。有名な事実である。これにも宣教師が関与していたという。

このような宗教を野放ししてはならない、徹底的に取り締まる、というのは自然な、そして正しい判断ではないか。
違うかね?

白人の植民地支配は我々の想像を絶する。ボクはメキシコには何度も行った。フリピンにはこの前まで住んでいた。そういう機会を利用して少しだけ調べてみた。ボクは外国に行ったらその国の国旗・国家・歴史を知るのは礼儀だと思っている。
植民地化されるとその国は雪花菜状態になる。
そして国民は等しく全員奴隷同様になる。従わないと時には4桁単位で人が殺される。
それを秀吉・家康はちゃんと知っていた。だからその芽を摘んだのである。

キリシタン狩りによって多くの日本人キリシタンが犠牲になった。
しかし植民地になっていれば、その何百倍もの日本人が殺されたのは間違いない。
そんなバカな!という声が聞こえそうだが南米各国、メキシコ、フィリピンで植民地400年間で何が起きていたか、これを知ってから言って欲しいね。

その禁止されたキリスト教をこっそり信じてきた人達と関連する有形物を、今になって世界遺産でございます、というのを秀吉・家康が聞いたら何と思うか。

スペインがイギリスとの戦いに敗れてからは世界はイギリスのやりたい放題になったよね。
イギリスは宣教師を送るとかそんな面倒な事やらないで、最初から軍隊を送り込んで植民地化していったのは知ってのとおりだ。
イギリスは世界中で何をやってきたか、植民地の人間を3桁単位で殺しまくる映画なんか一杯作ってるけど、何の罪も感じないのかね、彼等は。

植民地と云えば日本は明治維新直前に、イギリスに日本領土の一部の租借を要求されている。
これも日本人はあまり話題にしないね。
下関市に彦島という今は陸と繋がっている島がある。その彦島が香港と同じ運命を辿りそうになった一瞬があった。

幕末に長州藩はイギリス、アメリカなど4カ国と戦った。長州藩のボロ負けだった。仕方ない。これを"下関戦争"というが、この講話談判の時にイギリスは彦島の租借を申し入れてきたのである。
しかしこの要求を最後まで受け入れなかったのが交渉使節の使者、高杉晋作だった。
高杉晋作って、今風に言えばテロリストに近い男だと思うのだが、芯は鋼だった事がわかるね。

彦島が香港と同じようになっていれば、ここを足掛かりにしたイギリスによって日本はどうなっていたか。今の日本とは違う姿になっていたのは間違いないね。言っておくがイギリスって、口で言うほど紳士的な国じゃないからね。

秀吉・家康を始めとする権力者によるキリシタン弾圧を差別だ、権力の横暴だ、許せないという見方をする人がいる。
ボクはこれは全く間違っていると思う。

言っておくがボクはキリスト教に何の偏見もない。ボクが尊敬する人、そして敬愛する友人のSさんはキリスト教徒だ。ボクとボクの家族は、キリスト教徒の提供する奉仕にお世話になった事もある。
当時のキリシタンもそういう人達だったと思う。

こんな善人達に踏み絵をやらせ、信者をあぶり出して串刺しにしまくったのは許せない、という訳だ。
しかしよく考えて欲しい。
これらの善人達は秀吉・家康の横暴ではなく、”宗教を利用して植民地化”しようとした白人どもの犠牲になった、と言えないか。

ボクは何度でも言うぞ。
キリスト教の布教を許しキリシタンが増えれば、白人どもはこれを利用して日本を植民地とし、結果どれだけの日本人が犠牲になったかわからない。

いや、わかる。簡単にわかる。
400年間の南米の人々を見よ、メキシコ人を見よ。フィリピン人を見よ。同じになったのは間違いない。

イコモスは、「禁教期にもかかわらず密に信仰を継続した潜伏キリシタンの独特の文化的伝統の証拠」、とか全く訳のわからない評価をして、世界遺産登録を実質的に決めた。

ボクは今回の"長崎と天草の「潜伏キリシタン」"の世界遺産登録を無邪気に喜んではイケないと思う。
ナゼならば”潜伏キリシタン”存在の本質に、誰も何も切り込んでいないからだ。
日本の学者・先生どもは腑抜けなのか、何も言わないね。どうしてだ?先生の仕事のひとつは、歴史をキチンと評価する事じゃないのかね

戦国末期から江戸初期にかけての日本のキリシタンは、スペイン人等の日本植民地化の防波堤になって犠牲になり、日本独立を守ってくれた人々である、、、そして「潜伏キリシタン」はその末裔である、、、。

はっきりと、世界に向かってこう言って欲しいね。