日本人と英語−1(2018年7月1日)
今年(2018年度)から小学校での英語の授業が変わったらしい。
本格的には2020年度からで、小学校の3年生から年間35時間(1週間に45分程度)英語を教え、5年生になると年間70時間(1週間に1時間30分程度)教えるという。
今までは英語は中学校から勉強を始めていたが、読み書きに比べて会話(話す・聞く)力が弱いという事で、会話力を身につけるというのが主な目的らしい。

ボクはずっと前から小学生からの英語教育には反対している。
それは小学生は英語などを覚えるより前に、母国語の日本語による考える力と母国語による表現力を高めるための基礎を身につける時期だと思っているからだ。
日本語で考えたり表現したりする能力が未熟な子どもに、道具である外国語を教えるのは順番が逆である。
そう思わないか?

日本人は”英会話が不得意だ”、とよく言われる。
日本人の90%は高校までの6年間も英語を勉強している。問題は、どうして不得意なのか、である。
ボクは2つの理由があると思っている。

一つは”英語を使う機会がない”ので、せっかく習った英語が錆び付いてしまうのだ。
英語は言葉である。言葉だから習ったあと使わなければ、忘れてしまうのは当たり前だ。
そうだろ?

最近は外人観光客とか留学生とか労働者が増えて、英語を使う機会が昔に比べて増えた、っていう人がいるが本当にそうなのか?
全く違う。ウソつくな、と言いたい。

外人観光客が増えて話す機会が増えるのは、一般市民ではなく、それら相手の一部の商売人だけだ。
それに観光客の60%以上は半島と大陸からで、英語なんか話す連中ではない。

同じく急増している外国人労働者はどうか。
彼等にはこちらが日本語を要求しているので、日本語をしゃべってくれる。だから日本人は英語なんか話す必要はない。
これはその辺の町工場に行けば一目瞭然である。
ベトナム人も、フィリピン人も、中国人も一生懸命に日本語をしゃべり、日本人の工員はすべて日本語でやっている。

そもそも東南アジア・南米などからの出稼ぎ連中にとって英語は日本人と同じく外国語であり、フィリピン人以外は英語の教育は大して受けていない。

一般的な日本人が英語を使う機会は昔も今も変わらず、そしてこれからも大きく増えるとは思えない。

もう一つの会話ができない理由は、実は”英語が嫌いなので話さない・聞かない”というのがある。
”話せない、ではなく話さない。 聞けない、のではなく聞かない。”、のだ。
別な言い方をすると、多くの日本人は英語で会話をするのがイヤなのだ。イヤなので、「できない」、と言っているのだ。

普通の日本人にとって英語は”道具”ではなく、学校の”勉強科目のひとつ”なので、話すのが何となくイヤになっている。
自分の勉強している(或いはした)レベルをさらけ出すような気持ちがあるだろ?
その小さな(大きくてもいいけど)胸に手を当てて思い返して欲しい。当たっていると思う。
使わない理由の一部は、日本人独特のシャイな性格がそうさせている点もあるかも知れないけどね。

殆どの日本人は中高6年間で800時間弱の英語の授業を受けており、初歩的な会話に必要な英語を学んでいる。
でも”イヤ”だから使わない。
使いたくないのを”できない”と言い換えているだけ、こういう事じゃないかと思う。

また日本人の置かれている環境は、英語を話さなくても毎日の生活に困らない、仕事に困らないというのがある。
反対に英語ができないと仕事ができない、生活ができないという環境にいる日本人は英語が使えるようになっている

アメリカ空軍横田基地、アメリカ海軍横須賀基地近辺で日夜身体を張って勤務に勤しむお姉さん方、みんな兵隊さん達と英語でコミニケーションとって商売やってる。
お姉さん達は英語ができないと即生活に影響するから、英語を一生懸命に覚えようとする。そして使う。
(皆さんかなり、というかものすごいブロークン・アメリカンの方が多いが、そこはここでは触れない事にする)

ボクはオハイオで15年間、関連会社も含めて多くの日本人駐在社員を見てきた。積極的にオハイオ人と接して、自分で会話をする日本人は、半年〜1年くらい経つとドンとレベルが上がる
この半年〜1年後の”ドン”がない日本人は、5年経ってもまあまあレベルの英語で帰国していくのが多かった。
コイツはドンがあるかないか、ボクは70%くらいの確率で当てる事ができる。

こういう経験から考えると、小学校3年生から1週間に45分、5年生から1時間半の英語を教えて会話力の向上を狙うというのはあまりにもムシが良すぎる。
ボクなんかに失礼だろ?!

これって一升瓶に水を一杯入れて、そこにお猪口一杯の酒を混ぜ、「酒の味教えてやる、これを飲め。わかったか?」、と同じくらい効果と意味のない行為だと思う。(例がうまくないか?)
要するに英会話ができないのは、一口で言えば、”現在の英語教育の問題ではない”、というのがボクの意見だ。

今の英語教育は文法に重点を置きすぎている、という的外れな事を言う連中もいる。
これもアホか、と言いたい。

ではその重点を置いている文法力はどうかと言うと、日本の高校生の文法力は会話力と同じで、アジア諸国の中では最低ランクに近いそうだ。
理由は先に述べたように英語を使う機会がない、機会があっても使う事を拒否しているからだ。

英語で仕事をするとわかるが、仕事をするには会話だけではなく文章がきちんと読める、そしてきちんと書ける必要があり、これには文法力は必須だ。どのレベルの文法力が必要かと言えば、高校1年レベルで十分だと思っている。

単語は中学校で1200語、高校卒業時は3000語が目標になっている。(受験勉強一生懸命やる高校生は5000語くらいマスターするらしい。スゴイね、これは)
今度は小学校3年生からの4年間の英語教育では600語程度の単語を覚える事になるらしい。

大分前になるが主要800語の英語しか使わない、アメリカの短波放送があり、ボクは時々聞いていた。
実際に放送で使用される単語数は、800語よりかなり多い感じはしたものの、政治問題などでもそれなりに理解できた記憶がある。

1200とか3000の英単語は800語放送の比ではない。
つまり多くの日本人は、英語で表現(会話)に必要な英単語も既に習っているのである。

もっと大きな的外れは、「国際化のために英会話をやる」、という考え方である。
ボクは「国際化だからもっと日本語」、だと思っている。

国際化には英語という”手段を覚える”より、表現する中味を充実させるのが大事ではないか。

そのためには日本語力を高めて、読書をする習慣を小学生の頃から身につけさせ、母国語で知識を得て、母国語で考え、母国語で表現する能力を高めるのが先だ。
英語が少々たどたどしくても関係ない。内容が全てである。

アメリカにいるとよくわかるが、何かの感想とか考えをアメリカ人に言わせると、子どもも含めて多くの人はとうとうとしゃべるのに驚く事が多かった。
感じている事を言葉で組み立てる力が日本人とは違うのである。それを口に出して言う力が違うのである。

国際会議で日本人は発言が少ないと言われる。これは英語の問題ではない。意見をまとめる力の問題である。
そしてその意見を言葉でうまく表現する力の問題である
自分の意見をまとめ表現する力が弱いと、相手の意見を理解する力も弱くなる。これは注目すべき重要な点だ。

国際化は相互理解と相互尊重だから、これでは国際人になれない。

考える力を母国語で養う、これを養うために小学校ではその基本である国語をもっと教えるべきで、英語なんか教えているヒマはない。
それとボクは理科とか社会、算数でさえその理解力は国語力に比例していると思っている。

ボクはアメリカ生活15年、それに世界中30カ国に仕事などで行き、英語で大いに苦労した。英語は旅行であれ仕事であれ必須なのは間違いない。でも不自由する。これは仕方ない。だってボクにとっては外国語なんだから。
そんなボクでも英語の前に日本語だと思っている。
日本語で知識を得て、日本語で考え、日本語で表現する力の基礎をきちんと身につけるのが先だ。

それと英語ができると会社などへの就職に有利と言われるが、これも少し違う事を知っておくべきだ。
企業で採用したい人材の優先順位は図の@〜Cの番号だそうだ。Aより@は有利だが、BはCより上である。
これらの理由は割と簡単で単純だ。

この順位は私も実際に海外で仕事をやってみて、そしていろいろな人を見て、100%ではないが大体そう思う。

最後にボクが時々やる”30秒英会話レッスン”を紹介する。
ボクはホテルに泊まって、例えばエレベーターで10階から1階に下りる時、一緒に乗った知らない人に声を掛ける。

「どこから来たのですか?」、「今日は暑いですね」、「この街は綺麗ですね、ボクはビジターですけど」、何でもいい。
数回やりとりするとやがて1階に到着、話はそこでおしまい。
これがいいのだ。

少々、ちぐはぐな会話でも構わない。どうせ30秒で別れるのだから。このレッスンで会話のやりとりのタイミング、いろんな言い回しを覚えた。

ボクはフィリピンではマンションの34Fに住んでおり、いろんな人種の連中がいたのでいつもやっていた。
声を掛けたら睨み返された事もある。台湾人だと思ったら日本人だった。日本人と半島人はこういう会話に乗ってこない連中の比率が高い民族だ。
日本人・半島人以外に声を掛けて無視された事は殆どない。大陸人は最初から声を掛ける相手に入れてない。

日本人は英語を何年間も一生懸命勉強してきたにもかかわらず、多くの人は英語がうまく使えない。
しかし英語を使えるようになりたい、いや使えるようにならなければならない、と国も国民も思っている。
英語を使う機会はほとんどなく、ごく一部の日本人を除き”使う必要性がない”にもかかわらず、だ。

実に不思議ではないか。
一体なぜこんな事になっているのか、何が起きているのか、いずれ別トピックで大暴言を吐いてみる事にする。