仕事は誰がするのか(2018年7月27日)
来年から外国人労働者の受け入れ枠を増やし、数年先には50万人以上の外国人が新たに日本で働く事になるという。
これに関連するがボクはバンコックで、タイ人労働者を日本の会社等に斡旋するビジネスをやっている日本人の男と話をしたことがある。

20人(!)ほどの現地人スタッフを雇って、バンコックのど真ん中に事務所を構え、立派な社長室にふんぞり返っていた。
初めてこの男に会った時、胡散臭い雰囲気を即座に感じたのを鮮明に覚えている。こういうビジネスに従事する人間に共通する、あの独特の胡散臭さであった。
ボクはこういう臭覚が割と敏感である。

この男の話しの中で、人材派遣ビジネスで大事な二つのポイント、というのがあった。
一つは中国人を扱わない事、もう一つは農業・建設業への人材の送り込みは極力やらない事、というものであった。

中国人は行った先で問題を起こす確率が高い、農業・建設関連は受け入れ側に問題が多いと言っていた。
具体的な話もいろいろと聞いた。

ボクは問題がより深刻なのは、受け入れ側の日本企業等側であると思っている。
詳細はここでは省く。

ボクはこれまで中小企業の製造現場で働く、多くの外国人を見てきた。
ゴムを作る工場で真夏に50℃近くになる炉の傍で上半身裸で働くブラジル人、ある会社では出身国別に班を編成して組立作業をさせていた。
農業とか建設業の状況は間接的ではあるが、これもいろいろと話を聞いている。

身近なところでは宅急便の、あのキメ細かいサービスは外国人なしでは不可能だが、現場では信じられないような事が起きているようだ。

しかし誰が何と言おうと、日本はもう外国人労働者なしでは成り立たない国になっている。

でも待てよ、日本にはニート、パラサイトが200万人以上、いや300万人もいるというではないか。ナゼこういう連中の就業を促進しないのか。
ニート・パラサイトは将来は間違いなく巨大な、”マイナス社会コスト”になる。
外国人労働者を連れてきて働かせ、日本人は遊ばせておくのか。まずは日本人を働かせるのが先決ではないのか。

ボクは思う。小学校で英語教えたり、中学校でコンピューター教えたりする前に教える事は一杯ある。
その中の一つに「働く事の意義」、を教える、というのがあると思っている。

ニート・パラサイトはナゼこうなったのか、小難しい理屈を言う連中がいるが黙れ、アホ!と言いたい。
ボクに言わせれば、彼等は単に労働意欲が低いだけだ。

ある高校の先生と生徒が、ある中小企業の見学に来た。
先生は工場で油まみれになって働く工員を見て、小声でこう言った。
「いいかよく見なさい、君達も勉強をしないと将来こういう仕事をする事になるんだぞ、、、」

はっきり言おう。これは四日市のある公立高校の教員と生徒の話だ。名前か?忘れた。
会社は?ボクが少しだけいたある中小企業だ。
この時ばかりはボクは頭に血が上ったね。傍にあった鉄筋でこいつの頭をひっぱたきたかったね。

大阪では勉強しない子どもに、「おい、お前、大きいなったら吉本行くか?」、と冗談に言うらしいが、これとは違う。
教員は本気で生徒にこう言ったのである。
教員の致命的なのは、「汗を流して働いた事がない」、と、「毎日相手にしているのが子供である」、という点だ。

まあ、今のボクには何もできないね、既に。
日本に未来はあるのか、それともないのか。じっくり高見の見物とするか、、、。