ボクと中国(2020年4月3日) |
ボクは中国人と中国は基本的に好きではない。 昔は中華料理も食べなかった。あんな臭い料理食えない!って言ったら友人は、「SHINは頭だけじゃなくて腹まで中国と相性悪いんだね」、とか言われた事がある。 でも最近は時々食べる。 でもあの新鮮さとは縁遠い材料を油でごまかす、その精神というか根性が気にくわない。(さすがに無茶苦茶だね、この言い方は、、、さらっと読み流して下さい) ナゼ中国を好きになれないかと言うと、先ず、ウソをつく、これだ。 中国人は、「ウソをつけるヤツが自分の前にいて、そいつにウソをつかない奴はバカだ」、という諺だか考え方がある。 これからいくと日本人は自分がバカではない事を証明する格好の相手って事になるね。 次に嫌いな理由は不潔だからだ。 とにかく中国人の不潔さはボクの知る限りハンパない。(この言い方最近よく聞くので使ってみた) セントレア空港の▲▲インというホテル。私たちはどこかへ行く時に前泊が必要な場合、以前はここを使っていた。 ここは実は日本人用の部屋の並びと外国人用の並びを分けている。 ホテル側はそんな事していないと言うかもしれないが、それはウソだ。 ちなみにセントレア空港で外国人と言えば”中国人”と”韓国人”を言う。 まあこれは全国同じだろうけど。 この2種類の”外国人”だが、たまに、「アジアからの人」、とか言うヤツがいるけど、何でそういう言い方をするのかわからない。 この2種類で日本へ来る外国人の6割は占めるのだが、テレビで、「京都に来る外国人は、、、、」、とか言うとナゼか急に白人が画面に出て来る。これっておかしいと思わないか?中国人でごった返しているにもかかわらず、だ。 ボクはこれって意図的な何かを感じる。 感じない? |
話を元に戻そう。 あるときセントレアの”▲▲イン”で、この”外人様”の泊まる並びに部屋をアサインされた。 同じホテルとは思えなかった。とにかく異臭がする。ボクは犬並みに鼻がいい。カミさんにもよく言われる。 汚れが染みついている。勿論清掃はしているのだろうが、取り切れないのだろう。 こんな事が2回連続であった。 それで”▲▲イン”に泊まるのを止めた。今はちょっと高いが空港ロビー横のホテルに泊まっている。 昨年夏、横浜・東京見物の2泊3日のグループツアーに参加した。 3日目に浅草寺に行った。何年ぶりだろう。 もう腰を抜かしたね、ここで。中国人で溢れかえっていたね。 本当に溢れかえるとはこの事だね。 で、カミさんが本堂横にあるトイレに行った。ボクはイヤな予感がしたが何も言わなかった。 カミさんトイレに入ったと思ったら、顔色変えて2.5秒で飛び出してきた。 ボクはやっぱりな〜、と思った。何がどうだったか詳細は省く。書きたくないね、これは。 中国人が集まる観光地の公衆トイレに行けば理解できるよ。 ”百聞は一見にしかず”、だよ。 これと同じ事はボクは北京へ行った時に経験してる。場所はドイツの有名なカー・メーカーのデーラーとだけしておこう。 ここに行った時、ウン悪くウンを催した。 で、トイレを借りた。 今まで見たことなかったね、ああいうのは。詳細は省く。書きたくないね、これも。 いくら何でもボクもこのHPの品位は保ちたいからね。 昔(と言って1930年代だが)、日本のある機関が中国人とはどういう民族か、徹底的に研究をしている。 ボクはある機会があってこれの一部を読んだことがある。 その中に、多くの具体的な例と共に、「志那人ノ清潔概念此我ト根本的ニ異ナリ同居スルヲ能ワズ」、という一文があったのを今でもよく覚えている。 文面はちょっと違ったかも知れないが、要するに、「中国人は衛生概念が我々と根本的に異なり、同じに生活はできない」、ときっぱりと断定しているのである。 その時はよくわからなかったが、その後彼らとの接点ができてから理解できるようになった。 中国人は日本のホテルに来てトイレと風呂が同じスペースにあるというのは信じられない事だと思うけど、どうだろう。ボクはまだ見たことがないが、彼らは自分の家以外では便座に尻を置かないというのが普通らしい。 彼らもちゃんと知ってるのだね、尻を便座に置くというのはどういう事なのか、実は。 あっ、そうそうタイでは多くの観光地、特に寺院では中国人用と中国人以外用のトイレを分けている。日本人は一杯観光地に行っているのにナゼか、これ話題にならない。 何でだろうね。 |
日本で中国を話題にして少し批判をすると、「それは違うと思うな、それはね、、、」、とかいう連中がどこからか現れて時にはムキに、時にはソフトに彼らを擁護する。これはマスコミとかで頻繁にある。知人の中にもいるでしょ? 討論会などでは、必ず中国を擁護するメンバーを入れる。 そういう目で見たことがない人は、今度からそういう目で見てごらん。 ボクは前々からかなり不思議に思っていたのだ、実は。 ボクは昨年後半、ある雑誌に昭和初期の日本で起きたスパイ事件についての連載記事を書いた。毎月6ページ、5ヶ月間書いた。これは結構いい勉強になったね、ホントに。 今年も書いてくれって言うので6ヶ月間書くことになった。またこれらの顛末記は別途このコラムで書こう。 この記事を書くために調べものをしていた訳だが、当時の日本を知るには満州国を知らない限りわからない、という事がわかった。これはボクが尊敬するある歴史家の一文を読んだせいかも知れないが。 「祖国を離れて幾千里、真っ赤な太陽大地に落ちる、ここは満州新開地、、、、」 だったかな、多分。 ボクが子供の頃、近所のお爺さんが縁台に座って団扇を扇ぎなが、そして遠くを見ながら呟いていたのを思い出す。このお爺さんからは満州のいろんな話を聞いた。 で、ボクは去年の秋に思い切って10日間の旧満州の旅をした。 実にいろんな発見をした。 何を見て何を感じたかはここに少しづつ書いて行くが、わかった事の一つが上に書いた不思議な現象がナゼ起きるのか、である。 どこからかスーッと現れる中国の擁護者、どんな対談にも必ず混ぜられる中国擁護者。 実はこれはボクが感じるぼんやりしたものではなく、実に巧妙な彼らの活動の結果である事がわかったのだ。 目からウロコというか、さすがのボクも唸ってしまったね。ここまでやってたのかと。 詳しくはこのリンク先を見て欲しい。(旅日記:旧満州の旅−3 瀋陽・旧奉天) 本当にスゴイと思ったね。何を目的にして何をやってきたのか、それを彼の国は堂々と公開して、その施設に日本人を連れ込んで、勝ち誇ったような態度で説明をしていた。 驚きを越えた、というか日本人をここまでバカにしてるのかとハラワタ煮えくりかえったね。 自分の周りの普通の人がこの手先になってる。これ、本当だよ。その本人も気が付いていない。怖ろしいね。 場所は撫順だったけど、上のリンクを見て欲しいね。筋金入りの旧日本陸軍の将官まで洗脳されていたとはね。 |
相変わらず支離滅裂な文章であるが、これは仕方ない。 書いた後の推敲も殆どなしだから読みにくいのは承知。でもボク自信は理解できるのでそれでいいと思っている。 まあ自分のメモ換わりに楽しんで作っているHPでもあるしね。 |