日本近代史について(2022−09ー05)
ボクは45才を過ぎた頃から、日本近代史に大いに興味を覚えるようになった。ナゼ日本近代史なのか、これには背景がある。
ボクは中学生になる頃から、短波放送で外国の放送を聞いたり、外国の風景などに関心があった。その頃、近所のアメリカ人宣教師からもらったナショナルジオグラフィックは、すり切れるまで何度も見た。

会社員になってからは海外関係の仕事をするようになり、外国人と接したり外国に行く機会が増え、45才から15年間はとうとう外国に住むことになった。

外国に住むとイヤでも自分は日本人である事、自分の祖国は日本である事を自覚させられる。
国と人によっては、自分の国に自信と誇りを持てない人間は軽く見られ、適当に扱われる事がある、というのもわかった。

そういう中で自分、つまり日本人、そして自分の国をより深く詳しく知りたいと思うようになったのは、半ば自然だと思う。

「日本を知るには"日本近代史"を理解するのが要諦である。」というアドバイスをある先輩から受け、飛鳥時代でも平安時代でもない、近代史を少しずつ紐解くことにした。

日本近代史とはペリー来航(1853年)から、サンフランシスコ英和条約(1951年)までの100年間が対象で、節目は明治維新、日露戦争、そして太平洋戦争(大東亜戦争)である。

明治維新を知るにはその前の江戸時代末期30年間、日露戦争を理解するには明治維新から日清戦争を経ての30年間、そして太平洋戦争を理解するには日露戦争以降満州事変、更に日中戦争の30年間について調べないと理解できない、というのもわかってきた。

歴史上の大きな節目は、その原因が前の約30年間で熟成されており、この仕込みの30年間とも言うべき長さは、現代でも流れの大きな変化などについては、同じように見える。

ボクの歴史の探求は年代を追って大きな流れを把握した後は、狙いとする大小の出来事から年を遡ったり戻ったり、というのを繰り返し、背景・経緯・因果関係を明らかにしていくという方法である。
そういう中での最大の関心スポットは太平洋戦争の”開戦”である。

太平洋戦争はある日突然に起こったわけではなく、そこに至るまでには実に長い、長いプレリュードがある。
これを自分なりに解きほぐすのである。

二十世紀の初めに、大国帝政ロシアを破って列強の仲間入りを果たした日本は、徐々に軍事大国への道を歩んでいった。
その留まるところを知らぬ拡大主義が、日本を次第に「世界の孤児」へと追い立てていく。これは外交力の拙さが最大の要因である。
外交とはすなわち、内政のコントロールでもある。

その動きは、昭和6(1931)年の満州事変勃発、それに続く満州国建国、更に昭和8(1933)年に国際連盟を脱退したあたりから特に顕著になった。

日本は日清戦争(1894年)で台湾を、日露戦争(1904年)で南樺太(サハリン)を領有し、朝鮮半島を併合した。

その後の第一次世界大戦(1914年)では赤道直下の旧ドイツ領の南洋群島を支配下に置き、さらには大陸の一部満州にまで鉾を進めた。

つまり、東洋の一角に、あっという間に「大日本帝国」なる一大帝国が出現したのである。

欧米諸国の時間感覚からすれば、まさに晴天の霹靂、突然の出来事であった。なかでも中国東北部に日本が満州国を建国したことは、アングロサクソンから見れば、自らの権益の後退を意味していた。

ここから日本は、あらゆる非難、脅し、そして押さえ込みを彼らから受けることになる。東洋のサル、という人種差別も根元にあったのは見逃せない。

今の我々日本人に「帝国」の概念は馴染めない。また今となっては、かなり誤解して使われていると感じる。
「日本国」と「大日本帝国」は、全く”似て非なるもの”である。

よって戦争勃発に至った真の理由や、なぜアメリカやイギリスが日本の大陸への進出を絶対的に容認できなかったのか、というあたりが理解されないと、太平洋戦争そのものは決してわからない。

「帝国」とは多民族国家の集合体である。「大日本帝国」を例にとると、朝鮮民族も千島のイヌイットも台湾の高砂族も漢人も、樺太の白系露人も南洋諸島のポリネシア人も、すべて「帝国臣民」という事になる。

同じように、当時は「日本人」と言えば、大和民族も朝鮮民族も台湾人も「日本人」だった。まずここを理解する必要がある。
そして「満州帝国」は「大日本帝国」の版図の中の「準帝国」に位置する。

古代ローマ帝国も、大英帝国も、オスマントルコも帝政ロシアも、大唐帝国(中国)もモンゴル帝国もみなその版図の中には多くの属州や自治領、直轄領、総督府を抱え込んでいた。

ノモンハン事件の発端も、外蒙軍と満州軍の揉め事にソ連軍と日本軍が介入した事から始まったが、これらは互いの版図を拡大しようとする、せめぎ合いにほかならない。
地図上では、ノモンハンという場所はソ連でも日本でもなく、旧満州とモンゴルの国境である。

この「版図」という概念が「大戦」を理解する上で極めて重要になる。
なぜナチスドイツのポーランドへの侵攻が英仏の対独宣戦布告になったのか、なにゆえ日本の支那(中国)大陸への進出が日米の激突を招来したのか。

また太平洋戦争での徹底的な敗戦にも係わらず、なぜ日本が再度、経済大国として蘇ったのか。

それはアメリカは「大日本帝国」を解体したのであって、「日本」を滅亡させたわけではないからである。

同様にナチスの「第三帝国」は消滅しても、今の「ドイツ」は大戦前より発展している。
皮肉なことに、アングロサクソンの帝国版図も終戦と同時に解体され、やがては冷戦終結と共に疑似帝国のソ連も消えた。
これで世界から帝国は消滅したのかと思いきや、今度は「中華帝国」がその版図拡大に乗り出し、世界中で摩擦を起こしている。日本も今のままでは済まないのは目に見えているが、政府は寝たふりをしている。

中国は20世期初頭のアングロサクソン、そして日本をマネしているのか。さすがコピー・盗作王国である。

かつて日本に明治維新が起きたときには、薩長連合が江戸をめがけて攻め上った。令和の今日では改革も維新も選挙の投票によってなされる。間違っても鹿児島県と山口県が結託して東京に攻めてくる、という事態は起こらない。

人間世界の時間経過は、人の思考の傾向と常識を根底から変えてしまう。その「現在の目」で、過去を改めて見つめ直すことの意義は極めて大きい。
ところが実際にこれをやってみると非常に難しい。手に負えないことも多い。

しかしこれをやって、そこで初めて自分と自分の国の今の立ち位置を知り得るのである。立ち位置とは、過去と現在の相対座標の事である。

過去を知らずして今を知る事はできないし、ましてや将来を考えることなど白日夢を見るに等しい。ボクはこれを信じて疑わない。

科学技術は過去の延長線から飛躍した全く新しいものを生み出す事があるが、歴史にはこれが殆どない。必ず過去の何かと因果関係にあると考えてよい。

但し科学技術は”国力”に直結しており、現代日本はこれを忘れたかのようになってしまった。

そして歴史の中には、「知られざる秘話」が山のようにある。
それらを紐解く事によって我々は何が起きていたのか、すなわち日本と日本人が何をやってきたのか、その経緯と中身を初めて知り、理解ができるのである。

ボクは歴史研究(探究)のアマチュアである。よって何か具体的結果を出して定期的に発表するなどの必要もない。しかしこの興味の尽きない仕事に自分の時間を使えることこそ、何事にも代えがたい喜びと充実感を覚える。

歴史探訪・研究は究極の自分探しかも知れない。ボクのライフワークである。