英国についてー1(2022−10ー03)
英国のエリザベス女王が亡くなり、その葬儀が行われた。日本からは天皇皇后両陛下が出席をされ、葬儀の様子、英国民の反応などが日本でも報道された。
日本の皇室にとって英国王室は一番近い存在
、そしてかつての日英同盟などを取り出して、「英国と日本は兄弟・姉妹と例える事ができます。」、こんな事を"イギリス専門家"なる人が言っていた。

ボクは英国には短期間3回行っただけ、仕事上でも英国人との付き合いは限られていたので、英国とその国民について論じる程の体験も知識もなかった。そこで今回の女王の逝去を機会に、英国とは一体どういう国なのか、ボク流で英国の過去を少し洗って、そして考えてみた。

近代の英国を知るためには様々な切り口があるが、調べた結果から次の3点に注目した。

1.強力な軍事力(特に海軍)に支えられた世界の征服国、植民地経営国、富の収奪国
2.世界最初の工業近代化(産業革命)国、第1次世界大戦までは世界トップの軍事・経済大国
3.インドのカースト制度と見間違う程の厳格な階級社会の国、文化はほとんど上流階級発

先ず注目すべきは1.の世界中の植民地化、セットになっている奴隷貿易である。植民地経営は20世紀半ばまで続き、日中戦争・大東亜戦争(太平洋戦争)の根底の原因もここに起因する。つまり日本の東南アジア・支那への進出と、彼らの既得権益の衝突である。

英国はオランダ・ポルトガルに遅れて植民地化を進め、北米の一部・カリブ海・アジア各国の植民地化に成功、大英帝国の基盤を作った。

この中で1600年に作られた「東インド会社」の役割は大きく、「東洋における貿易独占権を与えられた特許会社」と説明されている。

しかしこれでは何の事やらわからない。
東インド会社とは「東洋における植民地経営一切を担う組織」、つまり英国そのものであり、我々が想像する"会社"では決してない。

植民地総督府、駐屯の英軍と一体で支配、反乱の鎮圧、富の収奪、他国との戦争までも行う巨大組織であった。日露戦争後日本が作った"南満州鉄道株式会社(満鉄)"は規模は違うが一部、似た役割・機能があった。

英国については18世紀から20世紀に、アジアの植民地で"何をやってきたのか"は興味深い。

エリザベス女王が亡くなった瞬間、英国の植民地であったインドは王の載る冠に使われているダイアモンドの返還要求をしている。これの意味するところ、つまり英国がインドから持ち去って冠に載せたダイヤは、インドにとっては積年の屈辱の象徴なのだ。

日本はインドの英国からの独立に、間接的に大きな影響を与えており、インドが今でも何となく親日的な理由になっている。同じく英国の植民地であったシンガポールの国立博物館には日本軍が英軍を屈服させた展示と説明がある。

イギリスはほんのこの前(1982年)もアルゼンチンと領土問題で戦争をやった。フォークランド戦争である。双方で1500人以上の戦死者を出している。
ボクは戦争が始まった時はベルギーに主張中で、車を運転しながらラジオ放送で開戦を知った。

15世紀以降、欧州各国がどうやって世界中を征服していったか、それこそ世界中の国・地域が欧州諸国に植民地化された中で、日本はこの牙の犠牲になっていない希有な国である。
理由説明のキーワードは"強大な日本の軍事力"、そして豊臣秀吉の"バテレン追放令"である。

軍事力は例えば、当時織田信長が長篠の戦いで用いた3000丁の鉄砲、一糸乱れぬ指揮で動く5万の将兵、これは欧州から見ると驚愕すべき規模であった。

このため艦隊を送り込んで兵を上陸させても簡単には済まないと考えていたようだ。
ちなみにスペインのピサロ隊は170名でペルーのインカ帝国を滅ぼした。

スペインなどは植民地化の尖兵として、先ず宣教師を送り込んで、情報収集と住民のキリスト教徒化をやった。英国は植民地獲得に宣教師の送り込みという方法をとらなかった。

豊臣秀吉は日本に来た英国人から、スペイン・ポルトガル宣教師の危険性について耳打ちされていた。
英国のヒソヒソ話しは、競争相手であるスペイン・ポルトガルを蹴落とすのが目的であったのは言うまでもないが。

秀吉もキリスト教の危険性については薄々気付いており、バテレン追放を行った。宣教師が本国に送った報告書の多くは今も残っており、これが当時の日本を知る貴重な資料になっている。

19世紀に入ると英国はシンガポール・香港の植民地化、支那の半植民地化に成功した。シンガポールは東アジア植民地化の軍事拠点として、極めて重要な位置付けになった。
一方でロシアは満州から朝鮮半島までを狙っており、インドシナを植民地化したフランスと手を結ぼうとしていた。

半植民地の支那を守りたい英国とロシアの南下を阻止したい日本の利害は一致し、日英同盟が結ばれ日本は日露戦争で勝利、大陸の一部を手に入れ朝鮮を併合した。

併合とはその地域・国を日本国の一部にして、国民は日本国民にする事で、欧州の植民地化とは全く違う。

日本の台湾統治を植民地支配であったという人がいるが、植民地化と併合の違いを知らない人が言う事である。現在の南北朝鮮も”併合”である。

従って教育制度も同じ、資本も投下して産業の育成、社会インフラも整備した。
甲子園
の中学野球(今の高校野球)には台湾・朝鮮・満州からのチームも同列で参加していた。

近藤兵太郎監督率いる台湾の嘉儀農林学校のチームが、1931(昭和6)の甲子園初出場で準決勝までいったのは有名な話で、映画にもなっている。

植民地の場合、富(人を含む)の収奪を目的として支配する事であり、民を教育するなどはあり得ない。無教育のままの方が植民地経営には都合がいいに決まっている。

日英同盟の関係から日本は第一次世界大戦では連合国として参戦、地中海に派遣された日本艦隊の規律・士気・戦闘能力の高さに欧州各国は絶賛の評価をしたが、同時に大きな警戒感を生んだと言われている。

キリスト教を信仰し、当時から民主主義国家であった英国が、ほんのこの前まで植民地、旧植民地に対してやってきた支配と搾取は信じがたい事ばかりである。

キリスト教は排他性の高い宗教である。キリスト教徒(洗礼を受けた人)は"人"であるが、洗礼を受けてない者は人ではない。これは植民地支配に便利な宗教であったと言える。民主主義の根幹である選挙は、選挙権のある国民は19世紀時点のロンドンで男は15〜20%程度(地方を含めると数%レベル)、女にはなかった。

また英国は奴隷貿易大国でもあり、英国他の国々は19世紀までの300年間に1200万人をアフリカからカリブ海、アメリカに送り込んだ。
この後遺症が結局は今でもアフリカの発展を妨げている、と明言する人もいる。アフリカからの人的資源と天然資源の搾取は徹底しており、我々の想像を超える。

このようにして400年以上の間、世界中の多くの国と人々の犠牲の上に成り立ってきた国、それがイギリスである。
これらの国々も今では独立国として、英国と対等な立場にいる。

国連加盟国193カ国のうち130カ国以上は欧米の旧植民地国で、英国植民地であった国々はエリザベス女王をどのように見てきたのか。もっと言うと英国を許しているのか

エリザベス女王が亡くなったのを機会に、ほんのこの前まで過酷な支配をしてきた国々に対し、一言謝罪があってもよかったのではないか、という意見がある。

これはエリザベス女王の生前から、彼女が旧植民地を訪問する度に言われてきたが、英王室は一切無視である。
今回も「謝罪を期待する」、と明言していた国が幾つもあった。

エリザベス女王は若いときから落ち着き払って、いつも自信に満ちた王にふさわしい態度のように見えた。これがイギリス国民に人気があった大きな理由のひとつである。

われわれ日本人はエリザベス女王が(今は政治的権力はないが)君臨していたイギリスという国をどこまで知っているのか。ボクは今回イギリスの生い立ちについて断片的な知識を整理するために簡単に調べ直してみた。

日本と英国の関係についてはもう少し詳しく調べたので(2)で要約を記述しておく。