居場所としての居酒屋(2022−12ー06) |
太田和彦の著書、「70歳、これからは湯豆腐、私の方丈記」の中に60男のやる事のひとつに「居場所をつくる」というのがある。現役時代は第一の場所は自宅でそこには家族がいる、第二は会社で社員同僚がいる、そして第三の居場所、自分ひとりだけになれる場所(居酒屋)が会社の帰りにあった。 ところがリタイアすると居場所はずっと自宅だけになり、奥さんも主人が出勤している間の自分の時間がなくなった。これは互いによくない。 セカンド・スペースをつくらねば。これは家に自室があるだけではてぬるく、物理的に離れるからこそセカンドだ。 近所に一部屋借りてわが"方丈"とし、鴨長明に習って「方丈記」を書こう。ここでもうひとつの人生を過ごそう。その余裕がなければ居酒屋だ、、、。 と太田和彦節が続くのであるが、ボクはこの考え方に大いに同調する。 しかし近所に部屋を借りての"わが方丈"はハードルが高いのでボクの場合、一部屋を完全に自分の部屋(書斎)にするという方法を取らざるを得ない。 完全に自分の部屋であるからクローゼット、ローボードにもボクのモノ以外は一切ない。カミさんも用事がない限り入ってこない。 ボクは帰国後、古い家をぶち壊して新しくするまで間の仮住まい、程度の考えでマンションを買った。ところがここに10年以上住んでしまった。 そのまま住み続けてもいいのだが、ちょっと手狭に感じていたところ、隣の棟に格好の出物があった。南東の最上階(と言っても8F)の角部屋、広さは今までの1.5倍、ルーフバルコニーもある。 ボク達は一軒家に住む、という考えは既にない。マンションが自分たちのライフスタイルに合っているからだ。 部屋のリフォームが先月14日に終わり引っ越しをした。ボクの書斎もアップグレードされた。広さも10畳近くになった。視界は50km先の伊良子水道からセントレア空港のコントロールタワーまで椅子に座ったまま見渡せる。こういうのは田舎マンションのいいところでもある。 |
太田和彦はデザイナー・作家で元資生堂のアートディレクター、東北芸術工大の教授などもやったことがある"居酒屋エッセイスト"ともいうべき人で、ボクより4才上だ。今から4年前"週刊東洋経済"の書評で「酒と人生の一人作法」という著書が紹介され、これを買って読んだのが始まりだった。 と思っていたら違っていた。 何と今から17年前の2005年9月、アメリカに住んでいた頃に新聞書評を見て「東京・居酒屋の四季」という本を取り寄せていた。 ボクはその少し前から仕事、そしてプライベート(親父が亡くなった直後だった)で日本に行く事が非常に多かった。 オハイオ・コロンバスから日本まではシカゴ、時にはニューヨーク経由で冬だと13時間以上、時には14時間という長いフライトだった。 日本では昼は仕事、夜も付き合いがあってゆっくりする時間は限られていたが、ボクは一人になれた時は居酒屋に行ってボーッとするのが好きだった。 居酒屋で周りから聞こえてくるのが日本語で、ぼんやり聞いていても意味がわかるというのが「ああ、今日本にいるのだな〜」と、しみじみした気持ちになったのを覚えている。 ボクはグルメには全く興味がない。 居酒屋では"本日のおすすめ"から1〜2品、あとは新鮮な刺身と少し濃いめに味付けした煮物、酒はすっきりした吟醸酒があれば文句はない。 様々なしがらみを忘れて頭の中は空っぽ、居酒屋でボーッとするのがいつの頃からなのか、好きになった。 しかし自分の好みに合った居酒屋というのは案外少ない。わめくような大声で話す客で一杯の、チェーン店系の居酒屋はボクの対象には入っていない。 ボクはある時、そもそも自分に合った居酒屋とは何なのか、実は結構曖昧である事に気が付いた。そこで新聞書評でたまたま見つけた太田和彦の「居酒屋学」のうんちくに目を通したのであった。 |