白い連中が言う”白いゴミ”:2024−08ー17
アメリカの次期大統領選挙まで、あと80日である。
民主党のバイデン大統領が立候補を諦め、代わりにカマラ・ハリス副大統領が民主党の大統領候補になり、副大統領候補はミネソタ州のワルツ州知事を指名した。

一方の共和党のトランプ大統領候補は、副大統領候補としてオハイオ州選出の上院議員のJ.D.ヴァンスを指名した。
調べるとJ.D.ヴァンスはオハイオ州ミッドタウンの貧しい、崩壊した家庭の出身の白人、今年40才になったばかりの上院議員で、「ヒルビリー・エレジー」というベストセラーになった自伝を書いている事がわかった。

ミッドタウンはボクの住んでいたところから1時間半ちょっと、何度も行った事がある。
オハイオ州は日本の総面積の4分の1より広く、人口は1200万人、ミドルタウンと同じような市(町)はオハイオ州には大小250くらいある。

そんな訳で著者のJ.D.ヴァンスに少々親しみを覚え、”ヒルビリー・エレ−ジー”を買って読んでみた。

「オレが初めてミッドタウンに行った1989年の時は、幼稚園児だったのかよ〜、あの時は街のど真ん中のボブエバンズに入ったよな〜」、、、まあ、こういうノリで読み始めた。

"ヒルビリ−(hillbilly)"という言葉は日本では知る人は少ないと思う、というかボクもオハイオにいた時に、ある日本人から教えてもらった言葉で、ボクが接するアメリカ人との会話の中では聞いた事がない言葉であった。
意味はズバリ、"山猿+田舎者+貧乏人+無知無教養"である。

それはともかくこの本は白人労働者階層の文化、その悲惨な日常を描き、J.D.ヴァンスの回りで起きたこと、彼が感じた事、そして彼が何をやって今に至ったか、が書かれている。

伝記の舞台になる街の雰囲気、それに人々については間接的に見聞きしてきただけで、身近に見たり、深く感じたりの機会は少なかった。ボクは外国人で、しかも東洋人であったから、彼ら白人の世界に入る事はできず、というか、近づくことも難しかったからだ。

オハイオに行った直後に、後で考えるにどちらかと言うと”ヒルビリー”に近かったと思われる白人に、「私はアメリカについて知りたいのだが、何をすればいいのか」、という質問をした。
彼の答えは、「日曜の午後に街の真ん中にあるバーで、地元の連中が何を話しているか、これを知ればわかる」、という返事だった。

人口5,6千人の街の中心にあるバーに、日本人が突然現れたら、多分5分も居ることはできないのは、ボクは既にわかっていた。
居れたとしても、彼らのスラング混じりの英語が理解できるわけがないのも知っていた。

つまり彼は、「日本人なんかにオレたちの事がわかるわけがない、余計な事言うな」、と言ったのである。

粗末な家具が置いてある狭いリビングと、ベッドルームが2つか3つの、古い小さな家に住むアメリカ人を訪れた事は何度もある。
「貧しそうだな〜」と一目で感じ取ったものの、それ以上は何もわからなかった。

一度だけ大ファミリーの、大晦日のパーティーに参加させてもらった事がある。
「あれ?あんた誰だっけ?新顔ね」、とかお婆さんに言われたり、などという事はあったが、この時の印象は人種・コミュニティーの壁を乗り越えるのは絶望的な感じがしたのを覚えている。

しかしこの伝記に出てくるJ.D.ヴァンスの両親、ファミリー、周囲の人々についての記述は、あの貧しいが明るくて、とてつもなく密な”雰囲気”も思い出させてくれた。
伝記は失業、貧困、家庭内暴力、ドラッグ、想像を絶する内容である。その中に次のような場面がある。

J.D.ヴァンスの母親は重度のドラッグ常習者であったが、ある時病院で仕事を見つけてきた。

そして採用時に受ける、ドラッグ検査で使われる、尿の採取ボトルを自宅に持ってきて、息子である当時高校生であったヴァンスに、彼の尿をボトルに入れてくれと頼むのである。
こういう家庭であった。

アメリカはドラッグと銃の社会である。日本人はこれは言葉では知っているが、実感した人は少ないだろう。

ボクの会社の事務所の入り口には"銃の持ち込み禁止"という看板があった。駐車場に停めてある車の多くには銃が置いてある、これは普通の事だった。

車を運転しながら踊り狂って反対側の車線に飛び込んできた、、、ボクは自宅近所でこれを経験した。
正面衝突寸前だった。
翌日、会社のアメリカ人にこれを話したところ、「ドラッグやって運転するのが結構いるから、注意したほうがいいですよ」だった。
どうやって注意すればいいのか、と思った。

J.D.ヴァンスは祖母が母親代わりで、彼の唯一のよりどころであった記述が至るところにある。
「祖母がいなければ今の自分はない」、と断言しているが、祖母もヴァンスの母親を14才で産み、ケンタッキーから駆け落ちして、オハイオに来て貧困、家庭内暴力、アルコール依存症といった環境しか知らない。

祖母のお陰で高校を卒業、オハイオ州立大に入り、続いてイエール大のロースクールに入り、その後全米のトップ1%の裕福層にたどり着く。

伝記からは、母親と父親は頭が良かった事が窺え、彼はその血を受け継いでいるのが、はっきりとわかる。生まれつき勉学の才能があったようだ。

J.D.ヴァンスは人生で幾つもの節目を経験しており、高校生の時にやったスーパーマーケットのアルバイトが、最初の大きな節目であったと記している。

ここでは客などを通じて、人と社会を見る目が養われている。
特にフードチケット(生活保護の一種)を使う人たちの事などは、ボクもよく見掛けていたので、同じ感想を持つ。

高校を卒業して海兵隊に入隊、厳しい訓練を通じて物事を最後までやり抜く精神力を身に付けたのが、次の節目だ。海兵隊での事は、何度も出てくる。

部隊勤務ではイラク、更にハイチへの派遣、これらの遠征では広報に従事、昔で言うところの”宣撫工作”に該当するような任務だったようだ。

そして軍務によって得る事のできる、日本から見ると極めて優遇された奨学金を使っての、オハイオ州立大を何と2年で、しかも最優秀の成績で卒業している。(キャンパスはボクの家から20分程度だった)

J.D.ヴァンスはヒルビリーについて、次のように言っている。

「彼らにとって貧困は、代々伝わる伝統と言える。先祖は南部の奴隷経済時代には日雇い労働者として働き、その後はシェアクロッパー(物納小作人)、次いで炭鉱労働者になった。
近年では機械工や工場労働者として生計を立てている。」

「アメリカ社会では、彼らは"ヒルビリー"(田舎者)、"レッド・ネック”(首筋が赤く日焼けした白人の労働者)、"ホワイト・トラッシュ”(白いゴミ)、と呼ばれている。
だが私にとって彼らは隣人であり、友人であり、家族である

つまり彼らは”アメリカの繁栄から取り残された白人”なのだ。
民主党が多様性(ダイパシティー)という事で支援しているのは”黒人”や”移民”だけで、白人の知識人は彼らを"白いゴミ"とバカにしているだけである。

そんなヒルビリー達に、声とプライドを与えたのがトランプだ。

この伝記の解説者(渡辺由佳里)は、"ヒルビリー"がトランプに熱中するのは、トランプは”彼らにわかる言葉”で、アメリカの問題点を説明してくれるからだという。

「悪いのは君たちではない、イスラム教徒、移民、黒人、不正なシステムを作ったプロの政治家、メディアが悪い」これは普段、自分たちが家族や仲間うちで語っている事と、完全に一致しているのだ。
だからトランプの支持者は、リベラルな左翼思想に染まった(と見える)民主党の大統領候補者などに同調する事など有り得ない。

少数民族、黒人、移民、そして自分たちには目も向けないでバカにしている、大学を出た白人(多くは都会に住んでいる)がスポンサーである、"民主党の大統領候補者"を支援する人などはいないのだ。

ボクのアメリカ大統領選挙への関心は、日本の経済・外交・防衛問題への影響である。

民主党、共和党どちらが勝っても、日本にとってそれぞれプラス面、マイナス面があるが、日本のマスコミはこういう日本への影響についての報道が少なすぎる。
芸能人の人気投票のような報道ばかりが目立つ。

会社で、何人もの白人のアメリカ人社員が、ボクに言った様々な事が忘れられない。

「会社は最初から、黒人とかマイノリティーの”採用比率”を決めている。なんて馬鹿げた事なんだ。
試験の結果からでは絶対に採用され得ない連中が、堂々と入社してくる。
つまり成績が上でも、彼らによって不採用になる白人がいる。肌の色で差別する仕組みを作ったのは、民主党だ。SHIN、知ってますか?」。

これはアメリカの"アファーマティブ・アクション"と言われる政策で、マイノリティーの雇用を促進するという目的で、随分前に作られた。ヒルビリーではない白人からも、こういう不平等は一杯ある事、民主党の移民政策はおかしい事など、散々聞かされた。

民主党の大統領候補のカマラ・ハリスは、演説中に急に大口を開けて笑い出すだけでなく、そしてトランプは檄を飛ばすだけでなく、それぞれの政策をもっと話してはどうか。
日本にとっても大きな影響を与える選挙であり、ボクも感心を持たざるを得ないのである。