アメリカとキリスト教:2024−08ー21
アメリカの大統領が神(キリスト教)について語らないことは、資格を問われかねない重大な問題であるようだ。
しかし、この事実を理解している日本人は少ないように思う。

以前、池上彰氏がアメリカとキリスト教の関係について、その背景・様々な出来事などをテレビで解説していたのを、ボクはよく覚えている。

しかしアメリカ通を自称するジャーナリストや教授先生が、このテーマにきちんと触れた例をボクはあまり見たことがない。

彼らはLGBTQとかに関しては熱心に語るが、神に関してはどうも関心が薄いようだ。ナゼだ?

アメリカは歴史的にキリスト教が深く根付いた国であり、その影響力は極めて大きい。

1620年にメイフラワー号でアメリカに到着した102人のイギリス人たちは、宗教的迫害を逃れ、命がけで新天地を目指した(もっとも、半数は別の理由で渡航していたことは興味深い)。

これがアメリカの原点である、、、ここまでは高校の教科書にも書いてあるね。

多くのアメリカ人にとって、宗教は生活の一部であり、大統領が信仰を持ち、それを公言することは、「私は同じ価値観を共有していますよ」と国民に示すための重要な要素のようだ。

また、アメリカの学校で唱えられる”忠誠の誓い(Pledge of Allegiance)”には、「神の下の一国家」(One Nation Under God)というフレーズが含まれている。
これは”アメリカの宗教的価値観”を実によく現しているとボクは思う。

この忠誠の誓いは、小学校から高校まで毎日、授業が始まる前に国旗に向かって唱えられる。毎日、である。
これも日本人はあまり知らない、というか、これも注目を避けようとする。ナゼだ?

日本以外では普通に行われている事なのに。
アメリカの各教室には大きな国旗が掲げられており、毎日その前で誓いが捧げられているのだ。
アメリカでは、信仰に基づく行動は一部の人々に限らず広く見られる。

大統領が「神」という言葉を頻繁に口にするのは、道徳的な堅実さを示し、国の統一感や使命感を強調するためと思う。
このようなアメリカの日常的な宗教的強調は、イギリス人もビックリ。
隣国カナダでは、自分たちと違う他の事と同じように、「ああ、アメリカ人らしいね」と軽く受け流している。

1986年にボクは私は初めてアメリカ本土を訪れた(1975年にアメリカの離島、ハワイには行っている)、その後、何度も出張でアメリカを訪れるようになり、1996年からは家族を伴って15年間アメリカで生活した。

この間、アメリカとキリスト教について直接的、間接的にさまざまな経験をし、自らも多くのことを調べ、考えを深めることとなった。

アメリカは世界最大のキリスト教国家であり、国民の約80%がクリスチャンである。(熱心か、そうでないかは別として)

テレビなどで「最近は移民の増加でイスラム教徒が増えている」などというレポートが流れ、デモの映像が映し出されることがあるが、イスラム教徒は全体の1%程度に過ぎない。

確かに、無宗教の人々は若い世代を中心に増えているが、キリスト教の火種はしっかりと心の中に残っている、とボクは思っている
日本人のように、完全無欠な無宗教者は少ない。

ある時、”アメリカの高校生の70%が神の存在を信じている”というデータを知り、ボクは大いに驚いた。(池上彰も言ってたね)

日本人からすると、信じがたい高い割合である、と思わないか?

アメリカに留学した日本の高校生が、同級生から「君は君の神を信じるか?」と尋ねられることがある。答えはYESでもNOでも構わないのであるが、明確な信念と答えを持っていないと、関係は深くならないと聞いている。

アメリカでは、ある程度の年令になると、しっかりとした信仰感を持たない者は子ども扱いされることがある。

また、アメリカ人の約40%が”ダーウィンの進化論”を信じていないという調査結果がある。
テキサス、アラバマ、カンザスといった州では、進化論を学校で教えることを禁じているところもある。

人間は神によって創造されたものであり、猿から進化したなどという考えは、神への冒涜となるわけだ。

また、人は洗礼を受けて初めて”人”になるとされ、洗礼を受けていない者には距離を置く傾向がある。
ボクは、キリスト教の根っこの部分は、かなり強い闘争性と同様、排他性を持つと感じる事がある。

学校には”聖書読書会(Bible Study)”があり、公立学校では課外活動として行われている。中学校1年生からこうした活動があると聞いたが、日本人にはあまり声がかからないようだ。
会に参加するのはどのような生徒か、アメリカ人に尋ねたところ、「普通に真面目な生徒」という答えであった。

ある白人女性社員との会話が、ボクにとって非常に興味深いものだった。彼女はアメリカの現地法人から日本のボクの会社に駐在していた経験があり、3年間の滞在で日本のこともそれなりに理解していたからである。彼女は子どもの頃はドイツとかで生活し、大学はNY、オハイオの田舎者(!)とは一線を画していた、と思う。

ボクは自宅に招かれた事があるが、庭の方を指さし「今度あそこに木を200本ほど植えます」と言った。

庭とは果てしなく広がる草原で(少なくともボクにはそう見えた)、川とか池もあると言ってたが、よく見えなかった。

彼女が日本に駐在していたのは30歳前後の頃で、その時、ボクは彼女と少し関わりがあった。
ボクがオハイオに赴任した際、彼女は私の部下として働いた。

赴任して半年ほど経った頃、ボクは「高1の娘が間もなくこちらに来る」と彼女に話した。

すると彼女は、「アメリカの高校生は日本と違ってずっと大人で、周りもそのように接します。
日本の高校生は幼いですよね。少し苦労するかもしれませんね。高校は大人の世界ですから」とニタリ笑って言った。
この言葉の意味は、3年くらい経って十分に理解できた。

アメリカでは高校2年生になると、自分で車を運転して通学する生徒が結構いる。親のベンツなんかに乗って学校にくるのもいたりする。

娘の通っていた高校には、生徒用の広大な駐車場があり、そこには多数の自家用車が並んでいた。

また、高校3年生にもなると、男子生徒の中には髭を生やした、完璧に”オッサン”としか見えない生徒も珍しくないし、女子生徒もこれが高校生かよ、、、と驚くほど大人びていることがある。

外見はさておき、「大人の世界」とは何を意味するのか、どこからその違いが生じるのか?
アメリカの高校生は非常に自立心が強く、社会に対する関心も高い。

大学に進学するための学費を、アルバイトでせっせと貯金する生徒も多く、これは日本の生徒の小遣い稼ぎとは全く異なる次元の話である。

また、課外活動を通じて社会との関わりを持つ生徒も多く、ボクは娘を通じてこうした高校生たちを数多く見てきた。

このような環境で育ち、幼い頃からキリスト教の教えとその影響を受けた教育を受けてきた国民に対して、大統領が何を語らなければならないか、何となく理解できる気がする。
アメリカの大統領が神について語る理由は、単なる形式ではなく、この「大人びた」高校生たちの心にも響く深い意味があるのだろう。

クリントン元大統領が、ホワイトハウスで”大学の女子実習生に狼藉を働いた”事件は、広く知られている。
しかし、政権へのダメージが予想より少なかった理由として、最初は言い訳を繰り返していたクリントンが、ホワイトハウスでの朝の礼拝で宗教指導者に正直に罪を告白したことが挙げられる。

要するに、“懺悔”が功を奏したということである。

また、ブッシュ前大統領もホワイトハウスで聖書の研究会を頻繁に開催していたそうだ。
メンバーの証言によれば、その研究会は欠席が許される雰囲気ではなかったそうだ。

アメリカでは、神を信じない者が責任ある要職に就くのは難しいようである。

ボクのメモによれば、アメリカ人の約80%が神の存在を信じ、60%の人が悪魔や地獄が実在すると考えている、とある。
更に驚くべきことに、半分以上のアメリカ人が自分には守護天使がいて、日々の生活で自分を助けてくれていると信じているという。

ある時、私は普通のアメリカ人(会社で個人的に親しくなった)の家庭に食事に招かれたことがある。
食事前、30才後半の彼は10歳くらいの息子に、「感謝のお祈りをしなさい」と指示すると、この子はかなり長いお祈りを一生懸命にやった。ボクはその間、手を合わせて”真面目な仏教徒の振り”をしていた。

アメリカではテレビ伝道師の番組が、平日でもケーブルテレビのあちこちで放送されており、宗教的メッセージや聖書の解説は非常に人気がある。
ケーブルテレビには、宗教関連のチャンネルがいくつもある。

日曜日の昼近く、近所の大衆”Buffet restaurant(バイキングレストラン)”に行くと、目を見張る光景に出逢う。

来店客の半分が、父親はジャケットにネクタイ、母親はドレス、息子は七三分けでジャケットと蝶ネクタイという装いなのだ。

これらのファミリーは、教会帰りなのだ。
普段はスニーカーにジーンズ、野球帽というカジュアルな姿の彼らが、日曜日の教会行きにはこうしたフォーマルな格好をするのだ。

会社の部下とその家族にレストランで会ったことがあるが、その話題で2年間ほど会話が続いた。「SHIN、最近あのレストランで見かけませんが、別のところに行ってるんですか?」といった具合で、会話は始まった。

アメリカにおける”信仰と日常生活の結びつき”は非常に多く、かつ深かった。少々驚くべきものもあり、興味深い観察対象でもあった。

異教徒であるボクでも、アメリカの教会は親しみやすい存在であることを経験した。
娘が高校3年生の夏休みに、普通のアメリカ人家庭でのホームステイをさせたいと思い、会社のアメリカ人同僚に相談したところ、「近所の教会に頼んでみたらどうですか?」と勧められた。

そこで、ボクは仕事帰りに近所の教会に立ち寄り、全く面識がない牧師さんに相談してみた。

「わかりました、ボランティアを探してみましょう」との返事があった。

そして2週間後、その教会に通う家庭の奥さんから連絡があり、ホームステイを受け入れてくれることになったのである。

大袈裟に言うと、キリスト教の「隣人を助けよ、さらば汝も救われん」、というのをあとで大いに感じた。
あの若い牧師さんと優しそうな奥さんには、本当に感謝である。

アメリカと宗教について、日本人はあまり語りたがらないし、素朴な質問をアメリカ人にすることも少ない。

その結果、宗教についての理解が乏しいまま、何年アメリカに住んでいても、アメリカ文化の本質に触れることなく帰国してしまう人が多いのではないかと思う。

アメリカの宗教(キリスト教)が、その文化や生活にどのような影響を与えているかを知らずして、アメリカを理解することは不可能である、ボクの僅かな経験から断言できる。
アーミッシュを理解するにも、まずはキリスト教の基礎を知ることが重要だ。

ボクも、アメリカ人のキリスト教文化についてはホンの一部しかわかっていないが、オハイオにいる間はできる範囲で積極的に知ろうと努力してきた。

幸いにも、ボクの周りにはボクの”アホみたいな質問”に答えてくれるアメリカ人社員が何人かいたので、仕事の帰り際に時間があるとき等に、ざっくばらんに質問などを試みた。

質問をすると、彼らは予想以上に真剣に答えてくれたことを覚えている。一般的なちょっとした質問を仕事時間中でもやると、仕事を辞めて2〜3人で議論が始まる、とか。
娘が学校で”human right”についての授業が理解できず、ボクに聞かれたので、ボクは会社で「ところでウチの娘が、、、」と言ったところ2人のアメリカ人が議論になったり、、、とか。

しかし、今では残念ながら、宗教だけでなく、アメリカについて深く語れる相手が周りにはいなくなってしまった。これが、少々寂しいところである。。