温泉好きなボクは少年剣士だった:2024−11ー28
ボクは63才で会社を辞めるまで、自分自身の意思で"温泉"に行った事がなかった。
「温泉に行ってゆっくりと湯に浸るのは最高、あれは本当にいいよね〜」、とかいう話を会社で耳にしても、興味はなかった。
それよりも30代や40代の者がそういう話をしていたとすれば、ボクは「聞く気はない」くらいの気持だった。

ナゼか?若い者が温泉に浸かって気持を弛緩させるのは堕落の一種で、そういう事はやらない方がよい、という考えがボクにあったからだ。

何を言ってるの?そんなバカな事、と言われそうだが、本当だ。
こういう考えに至ったのは、理由があるのだ。

ボクは小学4年生から、父の勧めで近所の神社にあった剣道場で、週に3日の稽古を始めた。

その時の先生は教士六段の方であったが、毎回稽古が終わると皆を正座させて簡単な話をして、その後"稽古納め"になった。

小学5年生頃だったと記憶するが、その話の中に、「楽をしようと思う気持ちを捨てる」、という教えがあった。

楽をして剣道は上手くならない、また何かをする時に困難な道と楽な道があったら、困難な方を選べ、とか言われた。つまり"易きに流れる気持"に対する、戒めだった。

先生はこれを繰り返し様々な例を交えて話をした。
その中に、「風呂にダラダラと入って、ボーッと長時間過ごすのはよくない」、「風呂は身体を清潔に保つために入るもの、と考えなさい」という話があった。
ボクはナゼかこれが一番頭の中に残った。

真意は「安楽を戒め、日々精神的・肉体的に己を鍛える」、という事であったと思うが、「長湯をして"腑抜け"になるのは良くないこと」、とボクの中では記憶された。

そしてその後成人してからは、”温泉などは仕事を退いた"年寄りの娯楽"、であり、若い者が温泉に行く事は極端に言えば、何か"堕落"のようなものを感じていた。

そのボクもその後、長かった現役を退き、年寄りの入り口に立った。

しかし「これからボクも温泉に行ってみるか〜」、とはならなかった。

何十年も温泉はボクにとって縁のないところで、身体を湯に長時間浸して心地よさを味わう、という事を"知らなかった"というのが正しい言い方かも知れない。

「お前はちょっと変わったヤツだったんだな〜」、と言われるのは承知している。
しかし"長湯=精神の弛緩=堕落"という式は、ボクの頭の中に染み込んでいたのは事実である。

会社を辞めてからボクはカミさんと鳥羽市にある、会社の保養所の一つに頻繁に出かけた。

ここは車で1時間半くらいで行けた。保養所の夕食は結構豪華で、ちょっとしたホテルの高級レストランのコースにも負けない料理が出た。
ボクは海を見ながら、これを食べて一杯やるのが目的で出掛けた。

保養所には温泉ではなかったが、清潔でよく整備された大浴場があり、湯に入ると天井までのガラス窓から素晴らしい外の景色が見えた。
しかしボクはこの大浴場に行っても、入ってから出るまで15分もあれば十分だった。

つまりボクにとってはこの景色のいい、ジャグジーもサウナもあった大浴場は"唯の風呂"で、身体を洗ってさっと湯に浸かるだけの場所に過ぎなかった。

今から12年前、最初に沖縄・久米島に初めて行った時も、ホテルの売りの一つである、海洋深層水の大浴場には入らず、部屋の風呂に入った

カミさんは「何で大浴場に行かないの?最高の気分よ」、とか盛んに言ってくれたが結局入らなかった。

ところが3回目だったかに行った時、あまりしつこく言われるので、「じゃ、、、」という事で入ってみた。

湯に浸って外を見ると窓からはイーフビーチの白い砂浜、蒼い海、そして蒼い空、「ウ〜、やっぱり沖縄の海はきれいだな〜、、、」。

気が付いたら何とこのボクが(多分)10分以上湯に浸かっていたのだ。ボクの頭と身体にあった、「温泉(ここは海洋深層水)を"エンジョイする"」、というスイッチがオンになった瞬間だった。

今考えると、沖縄のゆったりした雰囲気と、大浴場からの景色が林とか森ではなく、ボクが"こよなく愛する海"であった、というのがこうなった理由ではないかと思う。
以来ボクは、長時間ゆったりと湯浴みをしながら景色鑑賞ができる、"温泉(大浴場)"が好きになった。

頭に手拭いを載せて首まで湯に浸かると、ボクはボク達少年剣士に"長湯の戒め"を説いた先生の事をいつも思い出す。
そして先生に心の中で言うのである。
「ボクは今まで先生の教えを守ってきましたが、ボクも既に温泉を楽しんでも差し支えない歳になりました」、と。

稽古では最後に必ずボクに一本取らせて、「見事!よ〜し、終わり〜!」と大きな声で竹刀を収めたあの先生。

先生がさっと竹刀を上げた時は胴を抜く、、、竹刀を僅かに斜めに下げてくれた時は小手を取る、、、。

前足を僅かに踏み込み、竹刀を下げて、首を少し下げる、、、この時はすかさず先生に面を打ち込む

いずれの動きも最初は2〜3秒間くらいだったが、どんどん短くなり小学6年生の頃は1秒以下になった。

ボクが動きを読めずに何もしないと、先生は腹から絞り出すような短い気合と共に、容赦なくボクの面を割った。

ボクが今でもはっきりと覚えているのは、先生の面は頭のてっぺんから首筋まで抜けるような瞬間的で重い衝撃のみで、痛くはなかったことである。

ボクはその後有段者になり、成人してからも稽古はずっと続け、少年剣士の指導もやった事があるが、あの先生のような面を打つことができたか自信はない。

先生はボクが10才〜11才の頃、50才くらいと聞いていたが、ナゼか名前を思い出せない。
市内の中学校の、確か理科の先生でもあった。

着替えで裸になった先生の背中から脇腹には、醜い大きな傷跡があり、支那との戦争で受けた傷跡だという噂だった。
ボクらは、先生が真剣を振り回せば敵兵は真っ二つになったに違いない、とか話し合った。

稽古が終わるのは夜の9時、ボクは道着を包んだ風呂敷を竹刀にくくりつけ、その竹刀を肩に担いで夜道をトボトボと歩いて家に帰った。

稽古の火照りが残った身体は真冬の凍てつく中でも寒さを感じる事はなく、何とも言えない爽やかな気分だったのを鮮明に覚えている。

道は薄暗い街灯に照らされて、人影は全くなかった。
家までは約400m、裏木戸を開けて勝手口から家に入ると母親はいつも「寒くなかった?」、とボクに聞いた。
ボクは「大丈夫!」、と元気に答えていたように記憶する。

遠い、遠い昔の情景である。

月日が経ち、かつての少年剣士だったボクも70才を超えた。
60才までは温泉などに行く事がなかったボクであるが、最近は時々あちこちの温泉に行くようになった。

つい先日も和歌山県の白浜温泉、兵庫県の有馬温泉に行った。有馬温泉ではGという老舗ホテルに宿泊、9Fの大浴場からの朝日を見ながらの湯浴みは最高だった。
ちなみに今も普段の自宅での入浴は、入ってから出るまでは15分以内である。

もし先生が今のこんなボクを見たとしたら、何と言われるのだろうか、、、。