桜とは(2020−03−27)
とうとう今年の東京オリンピックが延期になりました。
マスコミではこれの影響について様々な報道を繰り返していますが、オリンピックの延期が発表された瞬間東京でのコロナ感染者数がドンと増えたのは偶然なんですかね。

私の方は幾つかの飲み会も断って自宅に引きこもっています。既に仕事でどこかに行って人に会ったりする必要がない身分です。出かけるのは裏のスーパー・ホームセンター、コンビニ、それにウオーキング・ジョギングくらいです。

ウオーキング・ジョギングはここ数年変わっていない5kmのコースをウオーキング40%、軽いジョギングを60%、途中で休憩を2回とります。
コースはなるべく歩道がある道路という条件で決めました。
全体の90%くらいは歩道があります。

いつものお詣りに立ち寄る小さな神社、3日前はまだつぼみ状態だった桜が一部咲き始めていました。
東京では既に満開のようですが、あと数日もしたら当地も満開になるでしょう。
先日、会社の後輩のNKさんから桜の下で一杯やりましょう、という誘いを受けています。

そう言えば25年以上前にも、NKさんに会社の帰りに花見で一杯誘われた事を思い出しました。約束の日の夕方、というかもう夜になっていましたが有楽町線の朝霞台だったか朝霞で降りて公園に行きました。
ところがあまりの寒さに花見を諦めて、近所の居酒屋で一杯やって帰りました。

今度は昼間なので大丈夫とは思うのですが天気がよくて、暖かくて、風がなければいいのですがね。

神社で撮った桜の写真、いつも休憩をする公園から早速NRさんにLINEで送りました。

敷島の 大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花

というメッセージが送られてきました。NRさん、さすがです。

これは"本居宣長"が詠んだ有名な歌なのですが、ここ数十年は余計な解説が多く、特に左巻き系の学者先生他の連中にかかると彼らの精神と同じく変質、ねじ曲がってしまいます。

どうして素直に日本人の心を読んだもの、という解釈ができないのか、憤慨さえする時があります。

本居宣長は私の故郷である松阪で生まれて松坂で没した有名な江戸時代の国文学者です。そう言えば最近鈴屋に行ってないな〜。

NRさんのメッセージで桜にまつわる句を久しぶりに思い出しました。

春眠暁を覚えず 処処啼鳥を聞く 夜来風雨の声 花落つること知る多少

これは中学校の時に習いました。
最初の、「春眠暁を覚えず」、は誰もよく知っている部分で、全体をまとめて言えば、「春は気持ちよくぐっする寝れる」、という意味とされています。

しかし私の先生はそれ以上に、「よく寝たな〜、あっ、嵐で花(この場合桜)が散ってしまったか〜、、、」、という桜に対する気持ちを詠んだ歌、と教えてくれたような記憶があります。
今になって調べるとそういう説明を見つける事はできないのですが、私の記憶違いなんでしょうかね〜。

もうひとつ、桜で思い出す歌があります。

世の中に たえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし

これも中学校の時に国語で習ってナゼか今でもよく覚えている歌なのです。
「もし世の中に桜というものがなければ人の心はどんなにのどかなことか」、という意味です。

「桜は咲くのが待ち遠しいものではあるけれども、散るのが気になって心が穏やかでなくなる、桜とはそれくらい素晴らしいもの」、という心を詠んだ歌だと習いました。

ナゼよく覚えているかというと、この詠みの、「桜」、を自分の嫌いなものに置き換えて、春を「我が」に変えて直訳するのが流行ったからです。
嫌いな先生の名前が例えば田中だとします。
「世の中にたえて田中のなかりせば、我がこころはのどけからまし」、とやる訳です。(もし世の中に田中がいなければオレの心はどんなにのどかなことか、、、となります)

これを何人かの仲間でやっていたのをなつかしく思い出しました。
あれから55年、、、教えてくれた先生はご存命であれば95才くらいだと思います。
遙か昔の事です。。