職人の国ニッポン(2020−08−30)
毎日暑いです。私の住む鈴鹿でも36度とかいう気温が8月20日を過ぎても続いています。私が小学生から中学生(いつの話しだ?)の頃の1961年から1966年までの8月20日〜30日の気温を調べてみました。

最高温度はせいぜい31℃くらい、30℃を超える日は少なく、最低温度は22℃とか23℃くらいです。これくらいだと暑いのは日中の数時間だけで朝夕ははっきりと”涼しさ”を感じるようになりました。

その頃はお盆のあと、20日を過ぎた頃からはあれ程毎日行っていた海にもあまり行かなくなりました。

理由は3つ、一つ目は8月後半になると海にはクラゲが出てきて刺されるとエラく痛かったこと、クラゲが出ると海水浴には行くな、というのは常識でした。

二つ目は海辺も岩場も人が減って友達もあまり来なくなり、何となく"夏の終わり"の気配を感じたことです。この何となく、というのが今考えると不思議な気持ちでした。

三つ目は気温が低くなって風などが吹くとちょっと寒く、ブルッと来るようになっったことでした。

空の雲の様子も真夏とは少し違ってきました。入道雲がムクムク、そして夕立がザーッというのも減ってきたように思います。
昨日は久しぶりにいいお天気で、南の空には夏休みの終わりを感じた時に見た微かな記憶のある雲が見えました。

夏休みもあと3日か、、、と少し寂しく感じながら見上げた雲、、、これが見えました。私が覚えている、私にとっての”夏休みの終わりの雲”でした。
半世紀以上昔の記憶、というか感傷がほんの一瞬蘇ってきました。

コロナで世の中が萎縮、全てが沈滞して早くも5ヶ月が過ぎました。既に仕事をやっていない私は影響を受ける事の一番少ない部類の人間になっている訳で、ほとんど自宅で過ごすという生活が続いています。

そんな中で3月から閉鎖していた現役時代にいた会社の保養所が7月から再度利用できるようになりました。保養所は全国に5カ所あり、WEBを見ると前部開いています。

早速鳥羽市にある保養所に行って一泊、この日は私達夫婦以外にもう一組だけという利用上状況でした。

コロナでどこも行けず、唯一行ける場所が保養所、、、と言うわけで先週もまた行ってきました。今度は利用者は私達以外なし、つまり貸し切り状態でした。

従ってどこへ行っても誰もいません。大浴場も貸し切り、管理人さんには「今日は貸し切りなので風呂は"家族風呂"で使って下さい。女風呂は沸かしておりませんので」、と言われました。

夕食、朝食の食堂も貸し切りでした。保養所は3ヶ月ごとに料理を変えるのがウリになっており、7月8月は同じ料理です。
が、管理人さんが気を利かせてくれてシェフに指示してくれたようで7月とは少し違う料理が出てきました。

「皆さんがみえるとできませんが、お二人だけなので。」、という事でした。受付では管理人さんに体温を測られ、食堂の係の女性はちゃんとプラスチックのフェースマスクをしていました。

そんな訳で一泊して風呂に2回入ってゆったりと過ごし、帰りには定番の道の駅で買い物をして帰ってきました。

他の人がちょっとやそっとではマネのできない素晴らしいものを作る人などの事を職人と言います。そういう人に対して"職人気質な人だ"という言葉を使う事があります。

”職人気質”(ショクニンカタギ)とは、自分の持っている腕とか技術に自信があり、かつそれらが実際にそうであって他人も認めている、頑固ではあるが仕事に実直に取り組む気質の事です。

日本はずっと昔から職人の国だと言われてきました。長い修行をして一流になる、、、私は尊敬するに値すると思います。
職人は様々な仕事で今もいます。例を挙げればキリがないというか街を少し歩けば職人に出会います。

自分の腕に自信をもって何かをやる人、例えば理髪師、料理のシェフも職人と言える人がいます。
私は大きな会社も結局は職人の集団であると思っています。特に製造業はそのように思います。

職人とは自他共が認めるプロの事、と言えばいいかも知れません。
職人の中でも特にその技に抜き出でてる人を日本では"神様"、と言います。XXの神様、というのは今でも時々聞く言葉です。
日本はこのような職人で成り立っている国で、これからも職人を目指す人がいる限り日本は安泰です。

しかし、です。
日本に全く職人なしでやられている仕事があります。それは政治です。
政治家の職人を今まで見た事がありません。ゼロです。(フリをしているのは時々いますが)

ナゼいないのか?政治家・リーダーの職人は誰が育てるのか。職人ですから親方が必要です。アメリカとかヨーロッパの国は政治家職人を仕組みで育てています。
さて、日本はどうする。政治の職人なしでは日本はおかしくなってしまう、、、。