久しぶりに随筆を読んでみました(2021−05−06)
著名人で"浅田?"と聞かれれば誰を思い出すか。

元フィギアスケート選手の”浅田麻央”を頭に浮かべるという人が多いかも知れない。それとも”浅田美代子”なんて口にする人もいるかも。浅田美代子は女優じゃなくて、元アイドル歌手だったって知っているのはボクの年代か?
いや〜違う違う、浅田で思い出すのは”浅田飴”、というオジさん、オバさんもいるだろう。

ま、それはともかく浅田と言えばボクの場合小説家の”浅田次郎”を思い出す。
ボクが浅田次郎を知ったのは実はアメリカ転勤になった45才の頃、正確に言うとそれから数年してからだ。
ボクは30代半ば頃から小説をあまり読まなくなり今年の直木賞作家は誰だとか、芥川賞は誰だとか騒がれても殆ど興味はなく今もそれに近い。

小説を読まないボクが何で浅田次郎を知ったかというと、アメリカ転勤後の頻繁な日本との往復のフライトの中である。
これは飛行機の中で隣の席に浅田次郎が座ったというわけではなく、JAL機内誌"スカイワード(SKY WARD)"の中に書かれていた浅田次郎のエッセー"つばさよつばさ"を読んで知ったのである。

浅田次郎はボクと同年代で東京オリンピック、大阪万博、オイルショック、経済の高度成長期の中をすり抜けており、エッセーの中に出てくるバックグランドが何となく共感を得やすかったのである。

ボクは15年間のアメリカ勤務の中で日本との往復を50回ほどやった。
ボクの会社では海外勤務者は勤務後3年目に、5年以降は毎年1回のプライベート帰国のエアーチケットをくれた。

しかしボクの場合殆どは業務出張との抱き合わせとなり、純粋なプライベートで帰国したのは数回、あとの45回くらいは全部業務出張であった。
オハイオ・コロンバスからシカゴまでのフライトは1時間、シカゴから成田までは13時間、冬は14時間半なんてのもあった。

長いフライトの中で座席に置いてある機内誌SKYWARDに掲載されてる浅田次郎のエッセー、”つばさよつばさ”を読むのがいつの間にか楽しみになった。
浅田次郎は東京生まれ、東京以外で生活をした事がないようで、エッセーを通じて語る彼の人生は波瀾万丈そのものである。
父は事業をやっており小学生の頃までは裕福であったが突如没落、そして両親は離婚、浅田次郎は夜の街でホステスをやる母親に育てられるが私立中学、私立高校に進学。この頃は既に小説家になる夢を持っていたらしい。

高校卒業後考えあって陸上自衛隊に入隊するも2年で除隊、その後アパレル業界で仕事をしながら小説などを書いて1995年の吉川英治文学新人賞を受賞、以来最近の菊池寛賞まで8つの文学賞を受賞している。

SKYWARDには浅田次郎の日常生活を中心にした話がユーモアたっぷりに書かれており、肩が凝らず実に面白い。
浅田次郎は下戸で食い道楽、着道楽(背広だけで100着以上あるという)、そしてギャンブラーでもある。

彼のエッセーにはラスベガスの話がよく出てくる。
あのルクソールのピラミッドは墓であり、ラスベガスの上客であるアラブ人達は絶対に泊まらないというのも彼のエッセーから知った。

ラスベガスではどれくらいの実弾(お金)を準備していくのか、彼はハイリミット・コーナーしか行かないようなので我々の感覚の20倍〜100倍くらいではないか。
ラスベガスには年に最低3回、多いときは5回くらい行っているようだ。

浅田次郎はカジノでの収支はマイナスである事をはっきりと告白している。実は彼のギャンブルの中心はカジノではなく競馬であり、これの収支はプラスである事を本人も認めているし、周囲には大きくプラスである、と断言する人もいるようだ。

ボクは浅田次郎はSKYWARDの中の"つばさよつばさ"だけで、彼の小説はズッ〜っと読んだ事がなかった。
2000年頃だったかに鉄道員(ぽっぽや)という彼の人気小説が映画化され、これを同じくシカゴ・成田間の機内映画で見た。泣けるストーリーだった。

その何年後かに壬生義士伝も機内映画で見た。JAL国際線の機内映画というのは最新話題作を取り入れてくれるので結構楽しめた。
このように浅田次郎の小説は映画化されたものしか知らなかったが、定年になってアメリカから帰国後いくつかの小説を読んでみた。

プリズンホテル、椿山課長の7日間など、"つばさよつばさ"で勝手に作っていた浅田次郎のイメージとは違った、どれも"大衆食堂の味"がする作品だった。
ナルホド、、、と思った。

このゴールデンウイークの直前、久しぶりに浅田次郎の随筆を読みたくなった。「ひとは情熱がなければ生きていけない」、ちょっとキザな題名だと思ったがまだ読んでなかったのでAMAZONで注文した。

これは同じく講談社が出している"勇気凜々ルリの色"の第5巻目というべき随筆集で、中味は2000年前後にあちこちの雑誌に書かれた随筆を集めており、初版は2007年である。

随筆が書かれたのは小説家として不動の地位を築いた頃、50才前後の浅田次郎が半生を振り返っての自分の過去、生き様、そして信念をわかりやすくキザではない親しみのある、しかし一つひとつが良く選ばれた言葉で綴られていた。

読み終わってキザだと思った題はキザではなく、題名は実に適切だと思った。

浅田次郎の随筆との出合いはJALのシカゴ・成田間の長いフライトの時だったので、あの城達也のナレーションで有名な"JET STREAM"を聞きながら、そしてウイスキーを舐めながら深夜にも読んだ。
ボクは200ページ〜250ページくらいの随筆・小説などは1日ちょっと、2日以内で読む。

ボクは今では小説を殆ど読まなくなった。と言うか他に読みたい本が多く小説まで手が回らない(?)のと、他人が作った作り話にはあまり興味がないからである。

ゴールデンウイーク、たまにはこういう随筆を読むのも悪くないと思ったね。