ハロウイーンの思い出(2021−10−13)
ハロウイーンというのを初めて知ったのは、今から35年以上前(!)の1983年9月〜12月の約4ヶ月弱、カナダに出張で行った時でした。出張先の現地法人はトロント郊外の広大な住宅地の隅っこにあり、私は会社近くの同じく住宅地の端にある小さなホテルに泊まっていました。

10月の末にホテルカウンターにその月の日本への国際電話代を支払いに行った時でした。私は時差の関係で日本への電話はホテルから掛けており、料金は毎月末に精算するように言われていたのでした。その時気が付いたのがカウンターの横にいつもは見掛けないバスケットで、中にキャンディーが一杯詰まっていました。

私がそれを見ているとカウンターに出てきたウーリーオバさん(よく覚えているなー、名前を!)が説明をしてくれました。
「これは皆さんのお国にはないかも知れませんが、ハロウイーンという子ども達の大きなイベントなの。今夜は子ども達が近所の家を訪ねてお菓子をおねだりをして、このホテルにも来ます。それで私もお菓子の準備をしました。」

当時、つまり1983年10月31日は月曜日、ウーリーさんから説明を受けたのはこの日の夕方だったのでしょう。

カナダ・トロントの10月末の日没後は結構寒く、その日の夜ホテルの窓から外を見ていると、子ども達のグループがいくつも走り回っているのがよく見えたのを覚えています。
子ども達はきっと仮装をしていたのでしょうが、それは私の記憶にありません。

私はカナダ・トロントへの約100日間の出張では本当に多くの事を経験しました。前年の1982年1月末〜4月末までのヨーロッパ10カ国への出張、そして連続して6月初〜8月初には同じくカナダ・トロントへ出張しており、2年間で合計200日の海外経験は会社員生活を始めて数年経った頃の私に大きな影響を与えました。

1996年にアメリカ駐在になって半年後にハロウイーンはやってきましたがその時の事はよく覚えていません。
この年の10月は私はまだ単身赴任中で、24日だったか25日に会社手配のアパートから自分で借りたアパートに移った時で、新しい仕事と慣れない外国生活でとにかくバタバタしていました。

翌年に私は家を買い、そしてカミさんと高校2年生になったばかりの下の娘がやってきて、アメリカ生活2回目のハロウイーンを迎えました。

2人は5月に来たので私は直ぐに娘の学校の手続きを開始、教務担当の職員と話し合いの結果、9月からの新学期は日本で言うところの高校1年生から始める事になりました。

アメリカの高校への外国人の転入には、日本でどういう勉強をしてきたのか証明が必要で、私は日本の高校と中学校(中学3年生の分も要求された)とやりとりをして英文で履修証明と成績証明を作ってもらいました。

中学校は「そういうのは今まで作った事がない」と最初は拒否され、これには困りました。

そこで教員の経験がある社員にアメリカ流"履修証明"の作り方を教えてもらい(サンプルを作ってもらった)これを送ったところ、それをそっくりそのまま作り直して送ってきました。結構いい加減、、、でした。

アメリカの履修証明は例えば"数学を150時間"ではダメなのです。
数学の何をやったのか、幾何なのか代数なのか、それぞれどういうレベルを何時間習ったのか、それに対してどういう成績だったのか、成績は絶対評価なのか相対評価なのか相対(5段階)評価とはどういうやり方なのか等々を詳しく書かなくてはなりませんでした。

国語、社会、英語も同じで、例えば”国語の何をやったのか”、と言う内容が必要なのでした。そしてそれらに対して校長のサインも必要でした。中学校の校長は漢字でサインがしてありましたので説明を求められました。

今考えてもよくやったよな〜、と思える面倒な手続きをやって下の娘は高校に通い出して2ヶ月が過ぎた頃、ハロウイーンの時期を迎えたのでした。

アメリカ、カナダ、ヨーロッパのハロウイーンの主役はあくまで子どもです。そして大人はこれをサポートするという大事な役割があります。
子ども達は "Trick or treat ! " と言いながら近所の家々を回ってお菓子をもらいます。ですから家々の大人はお菓子を準備して、来た子達には二言三言声をかけて励ます(?)みたいな事をやらなくてはなりません。
私の家にもお母さんに連れられた、かわいい姉弟がやってきた事がありました。

子ども達は行ってもいい家とそうではない家を見分ける方法として、玄関などに電飾をしたカボチャとか窓にハロウイーンの飾り付けをしているかどうかを見ている、というのを私は後になって知りました。
我が家でも毎年カミさんがお菓子を準備して10月の31日は子ども達を待ち構えていました。

アメリカに来て半年の下の娘、一般的には仮装をして家を訪ねて走り回りお菓子をねだるのは、どんなに大きくても中学3年生相当(15才)まででそれ以上はやりません。

が、娘は歳のサバを読んで(?)仮装なしでやったみたいでした。
それは同じ高校に行っている日本人のMさんが最後なので仮装をして何としてもやりたい、という事でそのお付き合いで行ったのでした。

日本人の場合高校3年生でも小学生くらいに見られたり、35才くらいの女性が高校生に見られるのは普通にあります。
但し近年は地域によっては東洋人(中国人・韓国人)が増え、彼等は年令より若く見える、というのが一般人にもわかってきて、そういう間違いはうんと少なくなってきたようです。
そんな訳で下の娘の場合も年令は余り気にしなくてもよかったのでした。

結局15年間のアメリカ生活の間に私は14回、カミさんは13回のハロウイーンを迎えました。
会社でアメリカ人から言われたのはハロウイーンの日の夜の車の運転は気を付けるように、でした。つまり仮装した子ども達が闇の中をあちこち走り回っているからで、時々不幸な事故もあったようでした。

アメリカの大人達は自分のハロウイーンの思い出を子ども達にも残したいと思っているのでしょう、彼等と話しているとそういう気持がひしひしと伝わってきました。

日本でハロウイーンが今のように大きく騒がれるようになったのはいつ頃からか、私がアメリカから帰ってきたのが2010年、その時は既に都会では大人が仮装をして大騒ぎをするのが問題になっていたと記憶します。ですから日本でハロウイーンが大いに普及(?)したのは1996年から2005年くらいの間ではないかと思います。

1996年までの11年間、私は埼玉県から都内に地下鉄で通勤していましたが、ハロウイーンというのが話題になったこともなかったし、ハロウイーン自体が私にとっては"何それ?"状態だったと思います。

日本では不良ガイジンが暴れまくったり、若い男女(成人)が高価なコスプレを身にまとって群集になって騒ぎ、機動隊まで出動したりしてハロウイーンは完全に迷惑行事になっているように見えます。
これはクリスマスと同じで、全て商業ベースで世の中を煽って取り入れられた結果だと思っています。

私はハロウイーンと言えばヨーロッパの風習に基づいた子ども達が素朴に楽しむ行事、それを大人達がやはり素朴にサポートする、というイメージしかありません。

また本場のハロウイーンの飾りなどはその由来に忠実で結構グロテスクなものも多く、日本人はエッと思ってしまうものがありますが、私は日本のハロウイーン・グッズは何だか可愛すぎるような感じがします。

ハロウイーンの翌日からの会社は、みんなの机の上には余ったお菓子がバスケットに入ってあちこちに置かれて誰でもそれを取って食べてもいい、という状態になっていました。
でも誰かがそれを取って食べてる、といいうのは見た事がありませんでした。我が家でもカミさんが余ったお菓子を食卓の上に置いてありました。

ハロウイーンが終わると、次はサンクスギビング、そしてその後はクリスマスか〜、、、という季節感を大いに感じたものでした。オハイオでは10月の末と言えば紅葉もほぼ終わり、かなり寒い日もありました。
ちなみに私が記憶する一番早い初雪は10月21日でした。

そんな訳でアメリカの素朴なハロウイーンを思い出すために、カミさんが持って来たささやかな飾りを今でも毎年、我がウサギ小屋にも飾る事にしています。