旅の始まり(2021−12−04)
コロナでどこも行けない、、、と言いつつボクは趣味のひとつが旅行でありコロナが流行り出してからもガマンができず禁を破って京都、沖縄・久米島、東京、その他何カ所かに行っている。

京都はどこに行っても観光客の姿を見ることは殆どなくひっそりしており、人気どころの観光地を心ゆくまでゆっくりと見学することができた。こういう状態は将来共もう二度とないのではないか。

本当は海外で行きたいところが幾つかあるのだが、まだ無理なのでコロナ第5波が激減したのを見計らってコロナ下で2回目の沖縄久米島に行くことに決めたのが11月の初旬。

本当は直ぐにでも行きたかったのだが11月一杯はナゼかホテル代がヤケに高く、12月になるといつもの価格に落ち着くようなので12月4日から7泊8日とした。

フライトは溜まっているマイレッジを使ってあっさりと予約完了。レンタカーもオリックスで軽を7泊8日で予約。

こう言うと全部ボクがやっているように聞こえるが、実は殆どカミさんがやってくれる。

ひょっとしたらボクは旅行の予約ができないのではないか、と言われそうだがアメリカにいた15年間は旅行の計画とホテル・フライト(ドライブプラン)など全部ボクがやってきたので、ちゃんとやれる自信は勿論ある。

でも日本に帰ってからはいつの間にか旅行の予約はカミさんの仕事になっている。

そんな訳で4日の那覇までのフライトが08:40と少し早いし、のんびり旅をモットーとしているボクは空港のホテルに前泊するために3日の午後に自宅を出た。
ボクはこれで10回目の久米島の旅になる。カミさんは同じところに何回も行くというのは好まないらしいので今回もひとり旅である。

前泊のホテルはセントレア空港のコンフォート・ホテル、以前は東横インに泊まっていたが大陸からの客のあまりのルール無視・傍若無人・サルに近い態度に嫌気がさしてセントレアホテルに変えた。

ところがセントレアホテルは東横インの3倍以上の値段、これは前泊にはもったいないな〜、という事でこれもカミさんのリコメンドによりコンフォートホテルにした。

このホテルは部屋もそこそこ広くて非常に清潔、スリッパ以外は◎である。
スリッパが◎でない理由は色が濃い青色で床のカーペットとのコントラスト差がなく夜中に起きたときにスリッパを探すのにちょっと戸惑うからだ。

ま、これは大した問題ではないけどね。

それはともかく4日のセントレアから那覇のフライト、ほぼ満席だったのには驚いた。きっとコロナ下で減便をしているせいなのだろう。

那覇から久米島は最初の予約段階では乗り継ぎが1時間くらいのフライトだったのがその後JALからメールが来てそのフライトはキャンセルになり、乗り継ぎに4時間のフライトになった。

ボクはこういうのは全くと言えばウソになるが殆ど気にならない。では那覇空港で何をやっていたか。
それは空港探索である。

ボクはオハイオにいた時コロンバスからサンフランシスコのフライトが10時間遅れになり空港で待った事がある。これは最初から10時間遅れる、というアナウンスではなく4時間遅れ、6時間遅れ、、、という具合に伸びたと記憶する。
お陰でボクはコロンバス空港は空港職員並みに詳しくなったね。

それはともかく、人にもよるだろうが空港は数時間くらいはブラブラと散策してもあまり退屈はしない。
まず一旦ゲートから外に出た。

するとそこには出発ゲートに向かうらしい高校生の修学旅行の大集団がいるではないか。ゲート入り口の手荷物検査ラインに彼らが並ぶと、その後になった一般客はとんでもない時間を待たされることになる。

ボクは数年前に同じく久米島に行く時にこの那覇空港でそういう経験がある。検査ラインのひとつは一般客用に使うとかの気配りをしてくれてもいいのでは?と思ったがそれはなかった。

しかし何で高校生の修学旅行は沖縄が多いのだろう。
ボクは10年くらい前に沖縄本島に旅行で来たとき、バスの1日観光に参加したことがある。

ガイドがあの時僕たちが受けたのと同じような説明を高校生にも行っているとすれば彼らに間違ったサインを送ることになる。

ガイドの説明はズバリ、沖縄は沖縄であって”日本”とは一線を画している、沖縄は江戸時代から”日本の犠牲になってきた”、この2つがベースで全てが語られていた。

ま、それはともかくボクが空港内をブラブラしていたこの日の11:45〜14:30の間に、3つの高校生の修学旅行集団がボクの視界に入った。

結局この日は3時間近く空港内をブラブラした。昼食は知人のMさんご推薦のその名も”空港食堂”で700円の豆腐チャンプル定食を頂いた。

2階の出発ロビーでは三線(沖縄三味線)の販促キャンペーンをやっていたので、これを冷やかして三線の弾き方の手ほどきを受けた。ボクが30代だったら三線を買っていたかも知れない。
なかなか面白い、というか興味をそそられるのである。でもボクがあまりにもドングサイので教えてくれたオバさん先生は半ば呆れていたけどね。


ボクは歩き疲れたので14:30頃に出発ロビーの隅っこにあるJALのラウンジに入って一休みしたが、コロナになってからラウンジには雑誌・新聞の類いはなく、時間つぶしにはスマホかPCをいじるしかない。

ビールを2杯頂いたところでやっと15:15、久米島行きのゲート27へ行き飛行機に乗ると何と40席がほぼ満席、でも観光客風の人は殆ど見かけなかったね。

那覇から久米島は25分のフライト、この季節は大陸からの北風が強く、窓から見える海面はかなり波立っていた。高度を下げたところでざっくり見たところ20ノット(風速10m)以上はあった。
(ボクはナゼか白波から海面風をかなり正確に読むことができる)

無事久米島に到着、荷物を受け取りレンタカーのカウンターへ。久米島の長期滞在ではレンタカーは必須である。費用は7泊8日で3万5千円だった。

オリックスレンタカーのオネエさんの説明が終わったらキーをくれるのかと思ったら、横にいたオジさんがパーキングまで連れて行ってくれ、そこで車の外観のキズなどのチェックを一緒にやった。
返却時の検査で客と一悶着あるのでこうなったのだろう。

ボクは車の外観チェックにも少々自信があり、1分くらいで明らかに見えるキズを3カ所を見つけた。オジさんがちょっとびっくりしてたね。

そんな訳で空港を出ていつもお世話になっているTAさんの家に寄ってお土産を渡し、ホテルに着いたのが17:10。
TAさんからは18:30から早速のミーティングのお誘いがあったので急いで風呂に入り、18:15にホテルからミーティング会場の居酒屋に向かったのだった。