2022年の幕開け(2022−01−05)
2022年になった。おめでとう!

「新年を迎えておめでとう」はどうして"おめでとう”なのか。この歳にして初めて疑問に思ったので調べてみた。
要するに、我々の見えないところに歳神様というのがいらっしゃって、その神様を新しい年にお迎えをするのでおめでとうと言う、という事らしい。(これについて全部書くと一杯あるのでこれだけでやめ。)

ボクは今まで単純に、「昨年も何とか元気で生きてきた、そして新しい年を迎えることができた。めでたし、めでたし。今年も元気で1年を過ごしたいね。」、くらいで考えていた。

「門松は冥土の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし。」、という一休さんの歌を送ってきた先輩が今年は何と4人もいたのには驚いた。

正直ボクはまだこういう気分にはなれないが、あと何年かしたら正月にお屠蘇を頂きながら、しんみりと思うのだろうね。

それはともかく、ウチには娘が2人いるが上は今年も来ないので下の娘夫婦と大晦日、正月と"お祝い"をした。
下の娘夫婦は昨年の10月に隣の棟に引っ越してきたので、往き来は歩いて30秒だ。

娘夫婦は最上階の8Fで今のボク達の部屋よりウンと広く、ルーフバルコニーまで付いている。近くに身内がいるというのは何かと心強いね。

カミさんは年末に2日間かけていつものおせち料理をたくさん作ってくれ、三が日はみんな(と言っても4人だけだが)で頂いた。そして例年の我が家の行事もやった。

それは、昨年の正月に神社でもらった絵馬の裏に書いた1年の誓い・目標をそれぞれが見直してワイワイ言いながら反省、そして新しい絵馬に今年の誓い・目標を書いてまた来年の正月に「さて?」とワイワイ見直すのである。

ちなみにボクが書いた目標に対する昨年1年間の実績はゼロではなく、マイナスであった。痛く反省。

ボクは何年か前から年賀状を出すのを辞めた。
現役時代はボクも人並みに百枚以上も出していた事もあったが45才でアメリカに転勤、それから15年間年賀状は出さなかった。正確に言うと辞めたのではなく、EーMAILによる新年の挨拶をに代えたのであった。

帰国後、帰国の挨拶状を出したら年賀状を再び頂くようになり、ボクも出すようになったが、やはりE−MAILでの新年の挨拶を続け、いつの間にか葉書の年賀状は出さなくなった。

E−MAILだと昨年の様子、新年の決意(という程のものではありません)など書いて写真を貼付、こちらの方が14cmX10cmの紙の上に1〜2行書くより誠意のある挨拶状だと思うがどうだ?

また紙の年賀状は年も明けていない年末に"あけましておめでとう"って書かなくてはならないが、1月1日にお屠蘇でいい気分になってからのE−MAILの方が、新年の挨拶という意味ではリアルじゃないか。

今年も何枚か年賀状が来たが、商人からの年賀状以外は全部E−MAILアドレスがわかっていたので、お礼はE−MAILで出しておいた。

E−MAILで出した新年の挨拶は80%以上の方から返信がある。2〜3年返信がない相手は年賀E−MAILアドレスブックから削除している。なぜかE−MAILの新年の挨拶に絶体に返事をくれない人もいる。

新年の挨拶は電話を掛ける相手も何人かいる。逆に頂くのも多い。1年に1回の"元気か?"コール、または普段から密な付き合いのある人は電話の方がいいね、ボクは。

3日は近所の神社に初詣に行った。いつもウオーキング・ジョギングで立ち寄る氏神様である。
神社に行くと年末年始行事の後片付け(まだ三が日なんだけど、、、)をやっている知人のSJさんにお会いした。

SJさんは沖縄の出身で私より6〜7才先輩だ。故郷にはもう10年以上帰っていないとの事、「やはり両親がなくなるとナゼかあまり帰郷したくなくなりました。」、と仰ってた。何となく、というかよくわかります。

SJさんはこの神社の氏子会のメンバーだそうで、7〜8人の方と一緒に初詣の受け入れのテントやら焚き火の後片付けをやっていた。

正月はテレビを見て過ごすという人も多いようだが、ボクは普段からニュース以外テレビをあまり見ない。
正月は特に見ない。同じようなタレントが同じような事やって騒いでいる
番組ばかりである。

しかしいつからああやって群れてひな壇に座ってワイワイやるようになったのだ?(見ない、と言っておいて見てるではないか)

あれは"集団掛け合い漫才”か、と思ったりするのだが、掛け合い漫才はそれなりにストーリーがあるし、ボケと突っ込みがいるのだが、あれにそういうのはない。

そういうの以外も、とにかく不思議な番組(ボクにとって)が多いね。
「すご〜い」、「ワー」、「うっそ〜」、「まじ〜」、「きゃ〜」の5語で1時間番組を過ごす女タレントなんか、逆に天才だと思うよ。

ニュースでは経団連か何かの新年パーティーでレポーターが各業界の経営者に"今年の景気の予想"を聞いていたが誰も真面目に答えていなかった。
彼等の答えは"予測"ではなく自分の"願望"を少し酔った顔で言っていたに過ぎなかった。

あとはコロナ感染が第六波を迎えた事か。そりゃそうだろう、年末からみんな一斉に旅行だの帰省だの、そしてアチコチで大宴会を繰り返している訳だからオミクロン株があろうがなかろうが、感染は増えて当たり前だと思うがね。

新年早々に読んでいた本にW.シェークスピア、「お気に召すまま」、の中の一文が出ていた。

「君、時というのはそれぞれの人間によって、それぞれの早さで走るものなのだよ。」

”自ら充実した仕事を日々している者達にとっては、時間は価値をもってゆったりと流れ、ただぼんやりと過ごす者にとっては、時間はむなしくあっという間に過ぎ去ってしまう。
時の流れは、それぞれの人に異なった速さで走るものなのだ。”


こういう事だそうだ。

ナルホド、、、ボクは仕事を辞めて数年経っているので、ここで言う"ぼんやりと過ごす"のが自然と多くなっているのだろうか、時間の流れの速さを感じる事がある。

そうか〜、シェークスピアさんの論に従うには毎日の生活の密度を上げればいいのか〜、つまりぼんやり過ごすな!という事だね。

新年のE−MAILに書いた5つの目標にもうひとつこれを加えよう!
言われてみれば当たり前のような気がするが、新年早々いい格言を見つけました。
さい先良し、かな。