今日の伊勢湾(2022−02−02)
ボクの住むマンションは10階建であるが田舎なので周囲には高い建物がなく、見晴らしがいい。天気の良い日は伊勢湾全域、そして50km先の伊良子水道を通過する何隻もの巨大船を見る事ができる。津とセントレア空港を往復する高速船もよく見えるが、最近は本数がグンと減っている。

その伊勢湾に2日ほど前から大小10隻以上の自衛隊の艦艇が見えている。この時期になると毎年同じように見えるので、「ああ今年もやっているな。」、という感じになる。

これについては海上幕僚監部から、「平成3年度機雷戦訓練(伊勢湾)及び掃海特別訓練(日米共同訓練)」、という表題の報道関係者向けの文書が出ている。

1 目的: 海上自衛隊の機雷戦能力及び米海軍との共同作戦能力の向上
2 期間: 令和4年2月1日(火)〜10日(木)
3 訓練海空域: 伊勢湾
4 訓練統制官
海上自衛隊: 掃海隊群司令 海将補 金刺 基幸(かねざし もとゆき)
米海軍: 第5機動水中処分隊第501小隊指揮官
5 参加予定部隊等
海上自衛隊: 艦艇 15隻(掃海母艦×1隻、掃海艦×2隻、掃海艇×12隻)、航空機1〜3機(MCH−101×1〜3機)、米 海 軍:UUV操作員約5名
6 主要訓練項目: 機雷敷設戦及び対機雷戦

つまり海上自衛隊の機雷戦・機雷掃海部隊が伊勢湾で訓練を行っているのである。

ボクはある趣味の雑誌に記事を書くために、それに関連してこの2年間ほど太平洋戦争について少し調べる機会があった。太平洋戦争で日本が敗戦に向かって一気に加速したのは、昭和19年11月から本格的に始まったB29による日本本土空爆で軍需工場、各都市が破壊されたのが大きな要因であるのは誰もが知るところである。

しかし日本は機雷封鎖によって内海航路、朝鮮半島航路、華北・大連航路が壊滅的ダメージを受け、これも本土空爆同様の大きな敗戦要因であったのは意外と知られていない。

この米軍による日本の機雷封鎖作戦は飢餓作戦(Operation Starvation)と言われ、文字どおり日本を飢餓に追い込むためのものであった。

日本は昭和19年10月のレイテ沖海戦敗北により南方航路が使えなくなり、飢餓作戦の機雷封鎖によって近海、内海航路も使えなくなったのであった。

日本が利用する航路は潜水艦と航空機の攻撃によって破壊されたと思われがちである。

しかし日本沿岸・近海は水深が浅く潜水艦の行動に適さない。
そこで米軍はB29によって1万2千個以上の機雷を関門海峡、瀬戸内海、大阪港、東京港、神戸港、新潟港、釜山港など要となるあらゆる港、海峡、水道にバラまいたのである。

機雷による損害は昭和20年3月以降、潜水艦攻撃などによるものを上回ってる。敷設された膨大な数の機雷は終戦後も全部残り、昭和25年までに118隻の日本船が触雷、数千人の尊い命が奪われている。

機雷掃海は米軍の敷設した機雷、それに日本が防禦用に敷設したもの(5万個)全てを対象に、日本は多くの努力を払ってきた。

機雷は闇雲にバラまかれたのではなく、1個ごと精密に位置が決められて敷設、全て詳細な記録が残された。

また敷設は関門海峡のように完全封鎖以外はほんの僅かな安全な航路を残して敷設された。
掃海はこれらの情報に基づき、進められたのである。

太平洋戦争末期における米軍の機雷敷設による海上輸送路への致命的ダメージ、そして戦後の長い期間に及んだ機雷掃海は現在の日本政府と海上自衛隊の戦略と戦術に大きな影響を与えている。

日本は湾岸戦争の時にペルシャ湾の機雷掃海を任務とした海上自衛隊の部隊を派遣した。

湾岸戦争ではイラクによって約1200個の機雷が敷設された。
このうち1000個はアメリカ、ドイツ、イギリス海軍などによって日本の掃海部隊がペルシャ湾に到着する前に掃海されており、掃海作業が難しい200個の多くの部分を日本の部隊が担当をした。

掃海は基本的には様々な機雷処分用具によって行うが、日本が担当したのはこれらの用具が使えない環境のものが多く、EOD(水中処分員)が潜水して機雷まで接近、直接作業を行った後に遠隔爆破処理を行ったそうだ。

ボクは昨年、書斎から遠くに見える海上自衛隊の掃海艦、掃海艇を見て、機雷戦についても少し調べてみた。
現代の機雷は磁気反応タイプ、音響反応タイプ、水圧反応タイプ、これらが組み合わさったものなど複雑で、掃海が非常に困難になっているそうだ。

日本が実際に機雷掃海を必要とする事態は起きない事を願うが、起きる確率はゼロとは言えない。重要な事は、「日本はどんな機雷をどこにバラ蒔かれても直ちに掃海できる能力」、を常に持っておく、という事である。
これほど典型的な"専守防衛力"というのは他にない。

機雷は敵対する国に敷設される場合と、自らが港などを守るために敷設する二種類がある。
現在各国が最も神経を尖らせているのは敵対国の潜水艦による隠密的にやられる敷設だという。

日本海軍も太平洋戦争開戦1ヶ月後に、潜水艦(伊号124)でオーストラリアのダーウイン港封鎖のために機雷敷設作戦を行っている。

知らないうちに機雷を敷設されたら被害が出て初めてわかる事になる。
一発やられたら他にあるのかないのか、どこまで掃海をやればいいのか、結局は長期間にわたり多くの港が使えなくなる。

ボクは7年前に広島県呉市に行く用事があり、この時に市内にある"海上自衛隊呉資料館"というところを訪問、見学をしてきた。

資料館では日本列島の周囲が機雷で埋め尽くされ、それをどうやって掃海してきたのか、その歴史が詳しく紹介されていた。日本の掃海技術は世界一、部隊規模も大きいそうだ。掃海による犠牲者はごく初期に1名を出した以外、その後はゼロである。

ボクの書斎から見える伊勢湾で訓練をしている海上自衛隊の掃海部隊、この寒さの中でも水中処分隊員は海底に潜って訓練をしていることだろう。
機雷戦訓練は伊勢湾以外に陸奥湾、日向灘、硫黄島でも毎年行われているそうだ。

我々はこういう地味な、我々の目から見えない、しかし命をかけた任務を黙々とこなしている人達がいる事をもっと知っておいてもいいのではないか、ボクはそんな気がしてならない。