花は桜木(2022−04−02)
日本人はいつ頃から桜の花に親しんできたのだろうか。万葉集には桜の花について既に載っているので奈良時代から、つまり1200年前から親しまれていた事になる。

桜の花は1年の始まりに一気に咲き、そしてあっという間にその花びらを散らせる潔い花である。今年も桜の花が咲く季節がやってきた。

日本という国は全国津々浦々、春になると桜の花で埋め尽くされる。桜の花は日本列島が暖かくなる南から北に向かって咲き、そして咲いた順に散っていく。

現代はテレビなどがあるので、その開花時期がどんどん移動していくのが一カ所に住んでいてもよくわかる。
春の一時期に、一種類の花で埋め尽くされるという国が日本以外にあるのだろうか。

その桜の花、ボクの住む三重県の中北部地方は3月の末から咲き始め、この土日に満開になり来週からはもう散り始める。
土曜の今日(4月2日)の夕方からは天気が崩れるというので、ボクは午前中に近所の桜を見てきた。

桜はどこもほぼ満開、来週には桜吹雪が舞うのだろう、今日の桜は実に見頃であった。
ボクの4.5kmのウオーキング・ジョギングコース上にも何カ所かまとまって桜を見れる場所がある

今日はいつもと違いジョギングはせず、ウオーキングだけでゆっくりとコースを回ってみた。

先ず自宅を出て約1km、鈴鹿高専(鈴鹿高等専門学校)の校門を入ったところに少しまとまって桜の木が植えてあるので、校門の守衛に断って校内に入ってみた。 ここは校舎と学生寮の間の桜がきれいである。

土曜日でしかも春休み中なので敷地内に人の気配はなく、静かである。正門の裏側の敷地の西端から7〜80m離れたところにちょとした団地があり、その中に今は空き家になっているボクが建てた家と土地がまだある。つまり30才前後の時は学校の横にぴいったり寄り添って住んでいた事になる。

学校は1962(昭和37)年に開校し、その何年後かにボクはこの学校を受験している。

ボクは合格通知をもらったのであるが、結局この学校には行かなかった。
ここに入っていればボクの人生はどうなっていたのだろう、、、ボクはウオーキング・ジョギングで校門の前を通る時にふとそんな事を考えたりする。

あれから半世紀後の今、ボクは再び学校のほんの近くのマンションに住んでいる。
この学校とは何か縁があるようだ。

校内をブラブラ歩き、再び校門の守衛に挨拶をして学校を出た。
歩道に出るとウオーキングをする、ボクと同世代と思しき夫婦とすれ違った。普段はこういう人と会うことは少ないが、やはりこの夫婦も桜につられて出てきたのかも知れない。

鈴鹿高専の斜め前には鈴鹿医療大学のキャンパスがある。
77年前まで、この辺の何km四方は海軍航空隊(鈴鹿海軍航空隊)があり、鈴鹿高専もボクの住んでいるマンション付近など全て飛行場のエプロン(駐機場)だったのである。ボクのマンションの横に一直線に延びる道路があるが、これは第1滑走路の名残である。

7階建ての大学本館は航空隊庁舎の建物があったところで、そこから一直線に延びる道路の左右は桜並木になっている。80年前、航空隊の軍人達はこの道を歩いて登庁したのであろう。

ボクはここも一応守衛に断ってキャンパスの中に入ってみた。
キャンパス内の大木の桜は海軍時代からのもの、そうでないのはその後に植えられた桜と聞いた事がある。

広いキャンパスに人影はなく静かであった。
大学ができたのは1991(平成3)年で、その前は電電公社鈴鹿学園があり、電電公社の技術者教育のメッカであった。
ボクが鈴鹿に住み始めた1979(昭和54)年頃は学園の職員の官舎があちこちにあり、今もその一部が残っている。

キャンパス内の道路、建物のレイアウトは海軍、電電公社(その後NTT),そして今の大学と大きく変わっていないそうだ。
ボクはNTT時代に学園祭だったかで中に入った時、マンホールの上に錨のマークと"帝国海軍"と書かれた文字を見た記憶がある。

静かなキャンパスを少し歩き、プール横の土手に上がってみた。遠くに家並みが見え、確かに飛行場があったと言われても不思議ではない雰囲気が残っているような気がした。

鈴鹿海軍航空隊は偵察員の教育航空隊であったと聞く。つまり航空隊の開隊した1938年(昭和13)年から現在までの約80年間、ここは教育(海軍、電電公社、NTT、大学)の地であったと言える。

大学から西に約2km行った所に、ボクのウオーキング・ジョギングコースのチェックポイントのひとつである、吉田神社がある。ここは小さな神社であるが境内には何本かの桜があって、周囲の景色というか雰囲気に非常にマッチしており、ボクの好きな場所である。

普段のウオーキング・ジョギングの時は必ず寄って賽銭を投げ、お詣りをする。
境内の隅っこに集会所の建物があり、ここで多分ボランティア―だと思うが外国人(ベトナム人?)に日本語を教えていたのを何度も見たが、今はどうなったのだろう。

鈴鹿市には車関係の部品を作る大小の工場があり、ベトナム人を筆頭にブラジルなど南米からの出稼ぎ者がたくさん住んでいる。
市役所にはポルトガル語・スペイン語の通訳までいる。

ボクはどちらかと言うと外国人労働者の受け入れにはまだ賛成はできない。

ナゼなら日本には20〜50才代で定職に就かないでブラブラしているのが200万人おり、外国人を連れて来る前にこれらの人を就労させるのが先決だと思っているのだ。
このままでは社会の大きな負債になるのは間違いない。

外国人労働者がこんなに増えた理由は、手っ取り早く労働力が欲しかった経団連が自民党を動かし、入国のハードルを下げさせたからである。

ボクはある中小企業の社長さんからブラジル人労働者についていろいろと話を聞いた事がある。「彼等は日本人よりずっと真面目にきちんと仕事をやってくれる。もう日本人は使いたくない。」と言っていたのが印象に残る。

かなり前であるがゴムを加工する会社に行ったら現場従業員は全員ブラジル人だった。日本人は採用をかけても来ないと言うのだ。「今年ようやく新卒(高校)の日本人を1人採用できたが、その男の子はこんなきつい仕事はイヤだと言って、1週間で辞めてしまった。」と言っていた。

ボクはズバリ、親の教育と学校の教育が間違っていると思っている。

この神社の道路を挟んだ斜め前に桜島公園というのがある。ボクは娘達が幼稚園くらいの時に、今は空き家になっている前の家からここによく連れて来たものだ。当時の2人が目に浮かぶ。
その時に娘達が登って遊んだ築山はそのまま残っている。

ここには運動会が出来るほどの大きなグランドがあり、その周囲に桜の木が植えられている。これもきれいな花を咲かせていた。
実は、、、3日前に会社の後輩とこの桜の下で一杯やったのである。

2020年の4月頃は既にコロナが問題になっており、居酒屋で一杯はヨロシクないという事で桜の下でやったのが始まりである。
昨年の春はコロナ第4波の真っ最中で屋内での一杯はやはり御法度という事で桜の下でやった。

今年はコロナはともかく、桜の花の下での一杯はイイもんだね〜、という事でやった。
来年の今頃にコロナはどうなっているかわからないが、多分桜の下で一杯はやることになると思う。

ボクは本社に転勤して1〜2年目の頃に上野公園の桜の下で宴会をやった事がある。

しかし何百人もの人が桜の下に集まり、あのすし詰めみたいな環境で警察官に見守られながら(狼藉者の取締り)一杯やるのは好きになれなかった。

それに終わってから埼玉の自宅まで1時間半近く掛かったのも苦痛だった。
その点、桜島公園はいい。スーパーでお総菜とお酒を買って桜の下のベンチに跨がって一杯。終わって自宅までの帰りはブラブラ歩いて12〜3分。

桜の観賞それ自体はなかなかいいものである。写真を撮るのもいい。しかし"花より団子"の例え、桜の下でダラダラとお酒を戴く、、、やっぱりこれが一番いいね。