新しいPCです(2022−06−20) |
ボクのPCとの付き合いは1977(昭和52)年頃にワンボード・マイコンのNECのTK80というのをキットで組み立て、マシン語を少し勉強したのが始まりと言えるかも知れない。 しかし本格的には、1986(昭和61)年に会社で、NECのN5200というPCを導入する担当になってからである。 N5200はX86系(16ビット)のCPUでPTOSというOSを搭載、完全な企業向けのPCで当時150万円くらい(車1台分)の値段だったと記憶する。同じ頃マルチステーションIBM5550が全社的に導入展開され、当時の言葉で言う、”OA化”がものすごい勢いで推進された。 ボクのいた会社はホスト系が日本IBMのビッグ・ユーザーで、その後PCはIBM以外は排除された。 各部などがNECとか東芝、マッキントッシュ(その後のAPPLE、MAC)導入の稟議書を上げても、特別な理由がない限りシステム部からは反対の意見が入った。 この頃ボクは本社からあるプロジェクトに、プロジェクト業務コンピューター化の責任者として出向していた。プロジェクトは全体で100人くらいだった。 ボクはハードは東芝を使いたいという根回しをして稟議書を起こし、ホストコンピューターの下にオフコン(小型汎用コンピューター)と、その端末となるPCを30台、一気に導入した。 PC1台は60万円くらいだったのを覚えている。 これは当時としては結構思い切った規模で、ハードだけで5000万円くらい使ったと記憶する。 PC(ワークステーション端末)はこれも画期的で”ノートPC”にした。 当時IBMには、まだまともなノートPCはないという時代で、東芝を使った理由はここにもあった。東芝は液晶パネル、小型HDDなどの技術で最先端を走っていた。 ボクが個人的にPCを使うようになったのは、自宅で勉強のためにという事で自分のPCを持ち帰ったのが始まりだった。このPCに電話回線でインターネットに繋いだのが1992年の秋頃、ブラウザーはNETSCAPE,メールはCAMEREON、業務ソフトは当初LOTUSを使い、その後MS系になった。 PCのOSはウインドウズは3.0(3.1ではない)で、今から考えると信じられないくらいに不安定だった。 |