引っ越し整理中ではありますが(2022−11−27)
サッカーのワールドカップ・カタール大会で、日本の選手と日本人サポーターのある行動が話題になっている。
それは日本選手が試合後、自分達のロッカールームをきれいに掃除をして折り鶴を置いていった、もうひとつは日本人サポーターが試合後にゴミの片付けなどをやって、試合前よりきれいにして帰ったという。

日本メディアの報道によると、それぞれの行為は海外で絶賛されたらしい。
ボクはこれを聞いていろんな意味をこめて、「さすが日本人だな〜」、と思った。エラい、立派だ、公共心がある、これぞ日本人、、、日本国民のほとんどはそう思ったのではないか。

が、実は日本以外では、こういう事はそんな単純な話ではない

まず注目しなくてはならないのは、選手とサポーターは清掃の対象が違う点だ。選手はロッカールーム及びロッカーという準個人エリア、サポーターは会場という公共の場である。

ズバリ、ボクの感想を言うと、選手の行為は海外でも、「うん、いいね」、になるがサポーターの行為は「?」、もっとはっきり言えば、「何でそんな事やるの?日本人はゴミ集めが趣味なの?」、くらいになる可能性があると思う。

ナゼか?これも超端的に言うと、公共の場を"掃除"する事と"公徳心”ましてや”文化"とは全く関係がないと考える人・国は多い。公共の場(職場なども)における、こういうボランティア−的な清掃には無関心、と言うべきか。
中には清掃は収入を得るための”仕事”であり、それで生計を立てている人の立場を脅かす行為である、という事で否定的な人もいる。

これに関し、日本人には意外、という出来事がボクの会社のイギリスの現地法人であった。

ボクの会社が何十年も前にイギリスに工場を作った時、生産ラインの清掃を日本人の出張者がやったところ即、大問題になった。
清掃は清掃員が雇ってあり、日本人出張者はその仕事を奪う行為をやったというものであった。

アメリカなどで生活すると、公園、競技場は言うに及ばず、一般道路、ショッピングモール等で日本より格段に多くの清掃夫を見かける
これは公共の場の雑草の刈り取り、芝生の手入れ、街路樹の落ち葉集めについても同じだ。

ボクがいたアメリカのオフィスでは夕方6時頃(アメリカ人はみんな帰って誰もいない)になると、掃除のオバさんがやってきて床の清掃、各自のゴミ箱(一人に一個ずつある)のゴミを集め、床の掃除をして、全員の机の上の清掃などをやっていた。

日本では当番を決めて社員が自分の職場の掃除
をしたりするが、ボクが知るアメリカの会社で社員が掃除をする姿は1度も見たことはなかった。

話はそれたが、ワールドカップでの日本人サポーターの行為に関しては、決して世界中(特に西欧)が拍手をするとは限らない。むしろ無関心が大半だと思う。外国でもゴミを片付ける人はいる。今回はむしろ日本人は全員(に見える)が同じ行動をするところに注目をされているような感じがするのだが。

アメリカの学校では小学校から生徒には教室などの清掃は一切やらせない、教えない
やはり掃除夫が雇ってある。だから予算の潤沢な市の学校のトイレは、ホテル並みに磨き抜かれている。

ボクの会社では地域の小中高校の教員を日本に招き、日本の学校を理解してもらうというのをやっていた。(最近は生徒を日本に行かせている。)
これは地元の小中高校に日本人駐在員の子どもが入学をするので、その子達がどういう環境で過ごしてきたのか教師達に理解をしてもらうためであった。

この中でアメリカの教員達が驚いた事のひとつが、授業を終わった後に生徒が教室の清掃をする事だった。ナゼ生徒に掃除をさせるのか、毎回質問があったという。

自分たちが使う教室を自分たちで清掃するのは当たり前で、生徒自らで清潔・整頓が維持できるようにするのは重要な教育事項である」、みたいな説明してもなかなか理解が得られなかったそうだ。

アメリカの先生達が言うには、もし生徒に掃除なんかやらせたら親から強烈なクレームが出るのは間違いなく、アメリカでは不可能と言ったそうだ。

これは学校は勉強を教えるところであり、掃除夫の仕事を教えるところではない、という考えによる。

「子どもの掃除が上手くなったら、その子の部屋はきれいになるので、お母さんは喜ぶかもね。」くらいの反応はあったらしい。

サッカー・ワールドカップでサポーターが試合後のゴミの片付けをやったのを海外メディアが「素晴らしい!」と報道しているというがどこの国だろうか?
アメリカとか欧州のメディアがそういう事を書いたのなら、ボクはびっくりだね。

実はボクは外国人、特に西洋人に公共の場所などの清掃を個人又は集団がやる事に関し(奉仕活動を除く)、彼らを納得させるための論理的な説明が今でもできない床を磨くのは心を磨くためである、、、という仏教の教えがあるが、これの説明はどうすればできるか、ボクにはまだできない。
自分たちで汚したところは、自分たちで清掃するのは一般的なマナーだろ?くらいでお茶を濁すことになる。

それと欧米の街がきれいなのは欧米人の公徳心が高いからではない。我々の感覚からいくととんでもない公徳心の低い連中が一杯いる。
つまり街をきれいにするにはゴミ箱の設置、頻繁に行われる清掃など、人の善意・道徳・公徳心に頼らない”仕組み”が作られていてからではないか、ボクはそう感じる。

イーロン・マスクがツイッターを買収して従業員の大量解雇を行った。
長時間働くことに賛同できない社員は退職するように」、というメールを全社員に送って退職(レイオフ)を促したという。
これについて日本ではアチコチの評論家、マスコミが騒いでいるが、日本でこれができるかという部分は、日本では雇用を守るという名目の下に厳しい規制などがあってこういう理由と通告方法で社員を解雇はできない。

アメリカに労働組合はないのか?という声もあるが、アメリカでは労働組合に入れるのは普通はノンエグゼンプト(時給社員)のみである。
アメリカでは正社員であっても月給社員(エグゼンプト)と時給社員(ノンエグゼンプト)があって、被雇用者全体の60%がノンエグゼンプトである。

ボクの会社でも現場は班長も含めて全員、技術部門にも何人かノンエグゼンプトがいた。

ツイッター社員はその業務内容から殆どが月給社員(エグゼンプト)である。
イーロン・マスクのような解雇通知は法的にも問題のない方法で、訴訟を起こすとか言う人もいるがまず勝ち目はない

これに対してある日本のコメンテーターが、「日本でこれを行えば訴訟になって大変なことになる」とか言っていた。
確かにそうだろう。

しかしボクに言わせると日本人の多くは既に夜中まで、そして休日も働いている。しかもその殆どがサービス残業という無給形態で。
日本の経営者は無給長時間労働という、世界に類を見ない労働環境の上にあくらをかいている、と言われても仕方ない。

今回の件で殆どの日本人が見逃しているのがイーロン・マスクの言っているのは実は"労働時間"ではなく"労働による成果"の倍増を言っている点である。アメリカの経営者がエグゼンプトに勤務の拘束時間でモノを言うわけがない。

つまり会社に今までの2倍いても、成果が倍増できなければそれは即解雇の対象になる、という事である。ここを指摘、強調している評論家などは、ボクが見聞きする中ではまだいない。当たり前すぎるので言わないだけなのか。

ボクは今引っ越しをして1週間ちょっと、新しい住まいのセッティング中である。新居は隣の棟で、今までの1.5倍の広さがある。
ところがリフォーム工事のやり直しなどでモノが片づかないのだ。

それに改めてモノ減らしが進んでいない事を認識した。イヤ、認識は前から十分にできているが行動がともなっていないのだ。知人に、「終活をしなくては。」、と連絡したら、「終活はまだ早い。まず断捨離をやるべし。」というウイットな返事をもらった。

注文した家具の納入が年明けの18日、正月も”引っ越し中”という気分で迎えそうである。