2023年の正月(2023−01−04)
令和5年、2023年になった。
今年はどういう年になるのか、コロナ感染は収束するのか、ウクライナ戦争は終結できるのか、物価高・インフレはどうなるのか、というような世界中の国が知恵を絞っても解決できない問題はどうなるのか。

ボク個人としては健康の改善・維持、家族の幸せ、穏やかな日々の生活、といった祈願を新年にあたってする、、。
正月とは大きな事から、そしてボク自身の些細な事までをアレコレ考え、身近な願い・問題に対して、「自分として今年は何をするか。」、という決意(という程でもありません)をする”節目”、と一応決めている。

ま、1年に1日くらいこんな日があってもいいのではないか、こう思っている次第である。

元日に最初にやる事、それは初日の出を拝む、である。
これは「歳神様を迎えて一年の豊作と多幸を願う。」という由来からの行である事を、中学生の頃父親から聞いた記憶がある。

ボクはその頃は津市に住んでおり、海岸まで500mと非常に近く、毎年父と妹と犬の3人+1匹で海岸に出て初日を拝みに行った。

母親はナゼか一度も来た記憶がない。その代わりにボク達が家に帰るとテーブルの上におせち料理が並んでおり、雑煮の準備もできていた。

結婚をして娘が2人でき、少し大きくなってからは、カミさんと4人で鈴鹿の白子海岸に出て、初日を拝んだ事もあった。本社転勤で埼玉県にいた頃は、マンションのベランダからだった。

オハイオに行ってからも一度だけ初日を拝みに行った事がある。ボクの家は人口100万人の州都コロンバスの北西端にあり、15分も走れば広大なトウモロコシ畑が広がるという環境だった。

日本から娘2人も来ており、マイナス10℃くらいの中、4人で凍てつく大地から昇る太陽を見た感激は忘れない。

帰国後はマンション住まいになったので、再度ベランダから初日を拝んできた。
11月に隣の棟の新しい部屋に引っ越しをしたが、その直後から大規模修繕が始まり建物は足場とネットで囲われ、今年はベランダから初日の出が拝めなくなった。(ネットごしに見えなくはないが。)

そこでボクはこの足場から屋上に上がって初日の出を拝むことにした。足場は直径約60mmの強靱なパイプで組まれ、クロスの補強、通路・階段まで地上から屋上まで組まれている。

そして足場の外側にはすっぽりとネットが掛けられており、建物を遠くから見るとまるで巨大な虫かごのようである。

新しい部屋は最上階の東端でルーフバルコニーがあり、そこから屋上に登る階段が設置されている。

工事用に設置された階段を住人が使うのは禁止されている。しかし正月という事でここは大目に見てもらって、バルコニーからパイプの間をくぐり抜けて、作業用階段から屋上に上がってみた。

視界360度を遮るのは、屋上に設置された水槽とこれを囲う壁だけである。
気温は2℃、少し風があるので8階建ての屋上は寒かったが、見晴らしの良さは抜群、東の知多半島から昇る初日は見事だった。

ボクの書斎の上の屋上は、一番隅なので更に高く足場が組まれており、ボクはその上から2023年の初日を拝んだ。
今度足場が組まれるのは12年後の令和17年、2035年であり、滅多にない貴重な体験(?)をさせてもらったという次第である。

初日を拝んで部屋に入り、カミさんに「何やってんの!」と叱られながら完璧に冷えた身体を温めて、カミさんが作ってくれたおせち料理を頂く。
ボクらは結婚して45年が経つが、今までカミさんの作ったおせち料理を食べてない正月は3回ある。

2回は結婚した年と翌年、1回はオハイオにいた時で、正月にカミさんだけ日本に一時帰国してボクは異国でひとりで正月を迎えた時だった。

結婚直後の2回は子どももいなかったので、正月はカミさんとボクは津にあったボクの実家に行き、カミさんはボクの母親からおせち料理の作り方の手ほどきを受けた

その後カミさんはこれをベースに、本を読んだりして研究をしたようで、今の形になった。
母親のおせち料理は、その母親から教えてもらった素朴な昔風のおせち料理であった。

ゴボウ・レンコン・タケノコ・ニンジンなどの煮染め、黒豆、たつくり、なます(大根、かぶら等)、タコの酢の物、昆布巻き、栗きんとん、数の子、有頭エビ、あとはかまぼことか伊達巻きとか、これは買ってきたものを盛りつけるだけ。
焼き豚もお手製のが出てくる。2日目の夜はブリの照り焼きなどが加わる。

これらのおせち料理はずっと変わっていない。ではこういうのがアメリカでも作れたのか?カミさんが作るおせち料理の材料で、アメリカで手に入らなかったものはなかった。これには最初の頃はびっくりしたね。

コロンバスから600kmのシカゴに行くと大きなスーパーがあり、クリスマス休暇にシカゴ見物を兼ねて正月用品の買い出しに行った。コロンバスには日本食材店が2軒あり、ここでも殆どのものが手に入った。

おせち料理はカミさんはかなりの量を作るので、年によっては三が日以降も残ったりする。

正月であるから雑煮も作ってくれるが、ボクはお昼に餅を1個だけ入れたものを頂くだけである。
おせち料理で胃袋が一杯になり、雑煮を収めるスペースが殆どなくなるからだ。

正月は朝からお酒を頂くことができる、ボクにとって特別な日でもある。ボクは年末に地酒の「八兵衛」と「久保田の千寿」の一升瓶、それに「ジョニー・ウオーカーのダブル・ブラック」を買った。

八兵衛と久保田はそれぞれ半分がなくなった。三が日で一升、毎年のペースはこんなものである。

三が日の後は少し禁酒をして、その後は普段のペースに戻す。LINEで知人達と新年の挨拶を交わすと、おせち料理でお祝いを一杯、という連中はボクよりペースが上の人が何人もいる

年末に受けた定期健康診断(半日人間ドック)では肝機能、血糖などは問題なかったので一応安心して祝い酒を頂いた、という次第である。

正月と言えば年賀状の交換がある。ボクは定年でアメリカから帰ってからは、年賀状はもらった人だけ出すようにした結果どんどん減って、今では葉書による年賀状は殆どなくなった。

その代わりにEメールで新年のあいさつを送る。これにはPDFの挨拶状を添付する。普段あまりやりとりのない相手には、PDFの挨拶状以外に近況、今年の抱負などを簡単に記入する。

今まで受け取っていた年賀状は"謹賀新年"とか"あけましておめでとう"だけのものが多かったが、相手には申し訳ないがズバリ言うと、こういう年賀状は何だか虚礼のような気がしてならなかった。

PDFの挨拶状は全部の宛先に対しての共通の内容とし、これに相手に応じてメール本文にいろいろ書けるので非常に便利である。

メールが出せない相手には、電話を掛ける。電話で近況などを聞くのは実に楽しい。正月の電話は普段とは違った気持ちで、違った話もできるというものだ。

もうひとつ正月で忘れられないのは初詣である。ボクはご多分に漏れず名ばかりの仏教徒である。
従って初詣に神社に行く事に対して、何の抵抗もない。

ボクは初詣に行く神社は、いつものジョギング・ウオーキングコース上にある自宅から1.5KM程のところにある"吉田神社"である。
ここは40年以上前から縁のある神社であるが、宮司の顔は未だに見たことがないという不思議な関係だ。

境内には集会所のような建物があり、以前はここで外国人(ベトナム人、ブラジル人)にボランティア−による日本語教室が開かれていたが、今はどうなったか。

ボクとカミさんは今年も3日に行ったが多くの人は元日、或いは2日までにお詣りに来ているのだろう、神社ではボク達以外は若い3人組しか見かけなかった。

関西・東海地方では”松の内”は1月15日までなので、初詣はこの期間に行けばよい。そして「新年おめでとうございます。」という挨拶をする。東北・関東の松の内はもっと短いらしい。

正月は1年ごとに迎える”時の節目”である。節目と言えばこれまでの人生で様々な節目があった
それらの節目は自分でその瞬間に認識できた節目、「ああ、あれは大きな節目だったな〜」という、後になってわかる節目もある。

正月を精神的な節目にするかどうかは、それぞれ個人が決める。ボクは正月を自分の節目と決め、普段はあまり考えないことを考え、やらないことをやる、という過ごし方をやってきた。
そしてその後、初詣と称して神社に行き、賽銭を投げ神妙に祈願をする、家では普段は口にしない食べ物を食べたり酒を飲んだりして”節目を実感”し、そして愉しむ

ボクは新しい年を迎える、という節目でちょっとした事を自分で決めて、それを忘れないようにして1年を過ごすように心がける。こういうのをこれからも大事にしたい、そんな風に思う次第である。。