2023年読書始め(2023−01−30)
新しい住まいに移って2ヶ月少々、今度も最上階であるが角部屋で、ルーフバルコニーがある。ボクの書斎は間取りの中で一番隅っこで、南と東に窓があり昼間は明るく、広さも10畳になった。
リタイア後の毎日の中で、時間のかなりの部分は読書が占める。つまり普段は書斎にいる時間が一番長い。

部屋が広くなったので、今まで別の部屋に置いていた本棚の1つを自室に入れた。ここには手許に置いておきたい本だけを収めた。机の上にも小さな本立てを作り、現在通読中の本を置いておく事にした。
通読の本は新しく買った本以外に再読の本もある。12月から今月にかけて5冊の本を買って読んだ。以下その感想の一部である。

< 浅川基男著「日本のものづくりはもう勝てないのか」幻冬舎 >

1980年代、日本は世界一のものづくりの国であった。しかし25年くらい前からおかしくなった。鉄鋼、電気・電子(特に半導体)、自動車も何だか曇ってきた。これらを支える情報化に至っては、世界の潮流から周回以上の遅れである。なぜこうなったのか、一言で言えば「技術革新」に乗り遅れてしまったからである。

しかし日本はかつて、とてつもない技術革新の中に身を置き、それを乗り切ってきた歴史がある。一つは明治維新から約20年間、もう一つは大東亜戦争敗戦後20年間である。
この本は日本が2つの技術革新の時代を、どう乗り越えてトップレベルの国になったのか、その解説が230ページのうち150ページ(65%)を占めている。残り80ページは、日本のもの作り産業を再生するにはどうすればいいのか、幅広い分野に対する提言である。

筆者は大学教授ではあるが、かつて日本有数の素材メーカーに長年勤務、また海外との関係も深く、日本の若者への見方も極めて鋭い。ボクが海外勤務で大きく感じた「自己主張をしない日本人」についてもかなり深く触れている。

この本は明治維新頃の日本人、大東亜戦争直後の日本人、これらと現代の日本人は「別民族」として捉えるべき、というボクの持論が間違っていない事を見事に証明してくれている。しばらくしてから、読み返したい1冊になった。

< 塩野七生著「誰が国家を殺すのか:日本人へX」文藝春秋 >

筆者は歴史作家、小説家、評論家であり、「ローマ人の物語」で有名だ。ボクは「ローマ人の物語」全巻をある方から進呈されたが、まだ全部は読み切っていない。

筆者は「ローマ人の物語」は歴史書と言った事は一度もないにも係わらず一部学者は、これは歴史書ではなく小説だ!、と盛んにわめいている。
歴史小説で言うならば、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を史実と思っている人が殆どであるが、あれは創作の塊である、と言えば言い過ぎか。

それはともかくこの人の評論は長年のイタリア史研究、そして現在住むイタリア(ヨーロッパ)からの視点による日本の政治・経済・社会を見る目は鋭い。またそれぞれが素直な評論であり、保坂正康の歴史解釈のように捻れた思想、何かに染まっている、という臭いが全くない。

この人は「事実」を見る姿勢と目が据わっており、これが評論のベースになっているので、中身に変な舌触りがない。ボクは松本清張の視点に一部であるが、似たようなところを感じる。食材(世相・情勢)を集めて、それを素材の味を失わないように調理(歴史からの解釈、見解・意見の付加)をし、皿に盛った料理(本)という感じがする。

読みどころはヨーロッパが抱える問題、特に難民問題、そして経済力の全く違う国にEUという共同体の下で一つの通貨とルールを適用した結果どうなったか、などである。わかりやすく非常に読みやすい1冊である。

< 橘玲著「バカと無知」新潮社 >

表題は少々どぎついが、真面目で奥の深い内容である。人間の奥に潜む心・考えの本質とは何か、それがどんな形になって我々の日常の中に現れるかなどの多くの実験(ほとんどがアメリカのもの)を多用して書かれている。

自分より優れた者は自分にとっては損失(マイナスな存在)、劣った者は自分にとっては報酬(プラスな存在)から始まって、「バカは自分がバカである事に気付いていないからバカである。」、「日本人の3人に1人は日本語が読めない」、と次々と衝撃的な内容が並ぶ。

子どもは純真、は本当か」、そして「自尊心は勘違い力」と展開、「差別と偏見」あたりがストーリーのピークになる。中でも「偏見を持つな、という教育が偏見を強める」、というあたりの心理学者による実験結果の引用は、誰でも「ホー!」となるに違いない。

筆者の結論を言うと、「人間の本性=バカと無知の壁」に気付いて自らの言葉に多少の注意を払うようになれば、もう少し生きやすい世の中になるのではないか、というところである。内容は全て心理学をベースにしている。筆者の"橘玲"という名前はペンネームであり、本名は公開されていない。

橘玲は「世の中はきれいごとで溢れているが、それらは全ては絵空事である」としている。

この人には、みんなが口に出せない不愉快な現実について切り込んだ「言ってはいけない」という7年前に話題になった著書があり、「バカと無知」はこれの続編と言える。

< デービッド・アトキンソン著「日本人の勝算」東洋経済新報社 >

1965年イギリス生まれ、日本に来て30年になる著者は、ボクの第六感から少々胡散臭いガイジンという印象があり、今まで距離を置いてきた。
この人は様々な経緯から菅内閣の成長戦略会議の議員になり、この辺でちょっとボクの考えが変わった。

この本を読むきっかけになったのは東洋経済の記事に「日本には中小企業が多すぎて生産性が低いのが課題である。」、というインタビュー記事が気になったからだ。

読んでみると日本には技術革新や海外展開に対応できる人材が乏しく、最新設備の導入にも限界がある、最低賃金を引き上げて経営力と競争力がない中小企業を淘汰・統合するなどの政策を行うべきなど、よく読むと共感できる。
中小企業こそ日本を支える生命線、というのは間違ってないが「柔軟性に欠ける」というのも事実だ。

外国のエコノミスト、学者による日本経済の分析が多くの表、グラフで引用されており、内容はわかりやすい。ただここが弱い、ここを是正すべきだ、という指摘に対し、それらを具体的にどういう方法で対応すべきかという、"HOW"についての記述は浅いのが目立つ。

人口減少と高齢化について、我々は毎日耳タコで聞かされている訳だが、この著書はそれを非常に体系的に解説してくれる。人口減少と高齢化の恐ろしい問題点が、ボクもやっと理解できた一冊である。

< 三宅正樹著「スターリンの対日情報工作」平凡社 >

ボクは4年前にある雑誌に「ゾルゲ事件」について5回、合計30ページの記事を書く機会があり、事件に関する数千ページの資料に目を通した事がある。
ゾルゲ事件は世界の20世紀の歴史を塗り替えたとも言われ、昭和11年から昭和16年の大東亜戦争が始まる前に、ソ連のスパイ・ゾルゲが尾崎秀実、他多数の日本人協力者と共に日本で引き起こした大スパイ活動である。

ゾルゲは日本の内閣(御前会議を含む)、日本陸海軍、在東京ドイツ大使館から巧みに情報を得て様々な手段でソ連に送ったが、首領であるスターリンは実はゾルゲからの情報を信用していなかった
ゾルゲはドイツのソ連侵攻が1941年6月15日に行われるという正確な情報(実際は6月22日)を送ったにも係わらず、スターリンはこれを無視、ソ連はモスクワ陥落寸前までの窮地に陥った。

本には「ゾルゲ逮捕後、スターリンは誰からの、どんな情報に基づき対日戦略を構築したか」という、これまであまり語られて来なかった内容も書かれている。

スパイは決定的な証拠を残さないからスパイである。ゾルゲ事件のようにその全貌をさらけ出したのは極めて希なケース。」と筆者は書いている。つまり我々は殆どのスパイ活動を知る事はないのである。

この本を読むと昭和初期、日本政府の内部情報のほとんど全てがスターリンの手許にあった、という事実をしっかりと認識する事になる。

スパイは形を変え、今の方が当時より多いのは間違いない。日本人の協力者も格段に多いはずだ。今の日本はそれらを取り締まる法律と体制は十分なのか。大いに関心がある。

年明けから少々重い本を読んだが、この5冊はいずれも非常に興味深かった。今年は一体何冊の読書ができるか、大いに楽しみである。
読書をして最近わかった事がひとつ。ボクの場合朝起きて午前中は経済・技術関連夕方までは政治・社会・国際関連夜は随筆のような、いわゆる"読み物"がいい。
夜に経済関連の本を読んでも殆ど頭に残らない。(一杯飲んでいるせいもあるかも知れないが)

そんな訳で時間帯と読む本のジャンルの組み合わせが自然に出来上がった。音量をグンと絞ったBGMを聞きながら、夜はウイスキーを舐めながら書斎での読書は、今のボクにとっての充実の時間である。