もう10日ほど前の事になるが、下の娘からバレンタインのチョコレート、もとい、ケーキをもらった。何でケーキなのか、ボクはチョコレートはあまり食べないのを知っており、ケーキをくれたのだった。
バレンタインデーの由来は、3世紀頃のローマ帝国に遡る。この頃のある皇帝が兵士の結婚を禁止した、それを可愛そうに思ったバレンタインという司祭が、この命令に背いて多くの兵を結婚させ、結局は皇帝に処刑された。
その日が2月14日だった、という事らしい。
しかし、である。
ローマ教皇庁は1969年に、このバレンタイン聖人を、2500人くらいの聖人リストから削除しているのだ。
この時は、どうもはっきりしない聖人(実存が疑わしい?)200人ほどを削除したのだが、バレンタイン聖人もこの中に名前を連ねたという事らしい。
ところで、聖人リストには日本人もいる。
豊臣秀吉がバテレン追放令を出したにもかかわらず、これに背いたスペイン人宣教師ら9名と、日本人信者など17名を秀吉は処刑にした。
この26名はローマ教皇庁の聖人リストに載っている、つまり17人の日本人が含まれているという事だ。また17人のうち5人が伊勢の国(三重県)出身であるのはちょっとびっくりだった。
豊臣秀吉はスペイン人宣教師によるキリスト教の布教に大きな危機感を抱き、これを禁止したのである。
あのまま布教を続けさせていれば日本は南米各国、フィリピンなどと同じ運命を辿っていた可能性は高い。
当時スペイン・ポルトガルなどは植民地獲得のために宣教師を尖兵・スパイとして候補国に派遣、その後で軍隊を送り込む、という方法をとっていたのである。これは揺るぎない歴史上の事実であり、当時の宣教師達が母国に何の情報を送っていたのか、スペインにはしっかり記録が残っている。
ボクはこの辺の歴史について「平川 新著:戦国日本と大航海時代(中公新書)」から知識を得たが、秀吉は当初はキリスト教を認めていた。しかし様々な情報から「布教=侵略」、つまり布教と侵略が一体化しているところを知り、キリスト教の「邪法性」を読み取ったのである。
特にフィリピンのスペインによる植民地化から、これを読んだらしい、とある。 |