灼熱下の京都旅行:(2024−08ー05)
子どもの頃の夏休みを思い出した。

朝食を済ませて机に向かって宿題を30分、その後9時半から阿漕浦海岸でボクは魚になった。真っ青な空に白い雲、遠くには知多半島がくっきりと見えた。
午後3時、家に帰る途中で通った畑の小道、頭上の太陽が焼けるように暑かったのをはっきりと覚えている。

そこで僕が小学校6年生だった1963年8月の津市の気温を調べてみた。ボクはびっくりした。
何と14日間の最高気温が30℃に達していないのである。8月9日などは27℃である。最低気温じゃない、最高気温が、である。
そして32℃以上は6日間、残りの11日間は30℃〜31℃が最高気温だった。

そうか〜、、、あの頭がギンギン、脳みそが煮詰まるような暑さとはこういう気温だったのだ。

僕とカミさんは先週の木曜日から土曜日まで、2泊3日で京都に行ってきた。最高気温が39℃の京都に今行くというのは「罰ゲーム?」、とか言う人もいた。

行こうと決めた大きな理由は”保津川下り”を体験したいからだった。
しかし、この灼熱地獄の下での川下り、正直言って少々不安があった。しかも予約したのは12:00〜14:00の気温が一番上がる時間帯。

結果から言うと、気温は38℃だったそうだが全く問題なかった。
京都亀岡から終点の嵐山までの16km、変化のある川を下ること2時間、水しぶきと船表からの風が実に爽やかで、気持ち良かった。

変化に富んだ渓谷、緑の山々、川の水量が少な目だったので、船ごとドーンと落差から落ちるというダイナミックなシーンはあまりなかったが、天気も良く本当に楽しめた。

実は今回の川下りで驚いたことのひとつに、23名の乗船客の国籍が挙げられる。
日本人はボク達以外にもうひとり、つまり3人だけ
だった。あとはドイツ、オランダ、台湾、タイ、韓国、中国からの外国人観光客だった。

ボク達は船の一番前の席に座ることができ、横に座ったのはオランダのアムステルダムから来た50代前半と思われる夫婦だった。
船頭は簡単な英語で説明をするのだが、僕が英語を少し話すのがわかると「通訳たのんます」、と言ってきた。

そこでボクは主としてこのオランダ人に2時間の間、船頭の話を説明してあげた。こういう通訳は少々間違っても、少々いい加減でもケンカが始まる、という事はないのでボクは”喜んで”引き受けた。

夫婦は4週間の日本観光、「リタイアしているのか?」と聞いたら現役とのこと、夏休みは5週間あると言っていたがヨーロッパ各国では大体が5〜7週間は休むのが普通、というのを思い出した。
僕はオランダに行ったこともあるので、その時の話などもした。こういう出会いも、いい思い出になるね。

京都は外国人観光客で溢れる観光地になった。場所によっては日本人を見かけないほどだ。京都は日本人が行くのを避ける観光地になったとも言われている。

僕らは久しぶりに清水寺に行ったのだが、ここでも日本人は超少数派だった。各国観光客のほとんどは20代〜40代で、50代以上は少なく、60代以上を見かけたら写真を撮った方がいい。

コンビニに入っても客の4分の3は外国人。「ん?日本人か?」と思っても、実は韓国人や中国人。

僕は中国人・台湾人女性と日本人女性を言葉を聞かなくても、あるところを見る事により70%くらいの確率で当てられる。
かつては服装や髪型で見分けていたが、今はそれに頼れない。

男も50%くらいの確率で識別できる方法がある。この方法は若い世代では60%以上の確率になる。

ホテルも外国人がほとんどだった。チェックインやチェックアウトの時にカウンターで日本語を話していたのは、カミさんだけだったと言ってもいいくらいだった。

2日目のホテルの朝食は和食、専用の割烹レストランはガラガラだった。3日目は洋食レストランに行ったが、9割以上が外国人客だった。

ボクはここでも外国人の食事のやり方を観察する。日本人と白人の大きな違いに、トレーの使い方がある。

日本人はトレーの上にいろいろとお皿を載せて、トレーをテーブルの上に置いてそこから食べるが、白人の多くは運んできた皿はトレーからテーブルに置き換える。

洋食マナーではトレーは料理皿を運ぶ道具であり、そこから食べることはしない。

今回も周りの白人を見ていたが、持ってきたトレーをテーブルに置いて、そこから食べていた白人は1人を除いてボクの周囲にはいなかった。

僕は昔アメリカ人に、「トレーの上に置いた皿から食事をするのは刑務所と軍隊の兵隊だけ」、と言われたことがある。当時は冗談かな、と思ったがその後の観察を通じて納得した次第である。
これにははっきりした理由があるのだが、別途トピックとしたい。

数ヶ月前のテレビ番組で清水寺脇の成就院の紹介があり、この付近は人があまり来ない静かな場所だということを知り、今回行ってみた。成就院の中には有名な庭園があるらしいが、普段は非公開だ。
成就院の手前には”千体石仏群”という多くのお地蔵さんが並べられている場所があった。

これは明治初期の”廃仏毀釈運動”で壊されそうになった石仏を一か所に集めて供養した名残だそうだ。
歴史どおり、石仏はかなり風化しているものの、それぞれいい顔をしていた。

清水寺はどこも人でいっぱいで、思ったよりみんなお行儀は良い印象だった。
本堂舞台は普通、ここに出て風景を眺めたりするわけだが、この日は直射日光と40℃近い猛暑のためか、皆さん写真を撮ってそそくさと日陰に入るという感じだった。

音羽の滝では長い行列ができており、なぜかここは白人の観光客が多かった。彼らは作法どおり手を清め、水を一口含んで、暑いので首筋にも水を流したりしていたが、みんな嬉しそうにニコニコした顔をしていた。

3日目は京都に来た時に交互に行く事にしている東本願寺と西本願寺、今回は東本願寺の番だった。

知人からは「暑いから倒れたら大変、タクシーで行ったら?」、というアドバイスがあったが、ホテルから10分ちょっとなので歩いて行った。

東本願寺に来ている観光客は少なく、境内の人影はまばらだった。
東本願寺の”御影堂”という巨大な御堂が、一般的な寺の本堂に相当する。

ボクは御影堂で無心の境地に浸ろうとしたが、子連れの若い日本人夫婦が来て、その子ども3人が畳の上でじゃれ始めた。

そこでボク達は隣の阿弥陀堂に行き、ここで約1時間、阿弥陀様の前で”日々の反省”をしてきたのであった。

8月第1週の京都、今年は異常高温で3日間とも京都の最高気温は40℃近くになった。
この季節に京都に行くことはもうないと思う。良い経験をした、と自分に言い聞かせた次第である。