またCDを買っちゃいました:(2024−10ー03) |
ボクは物心ついた3才くらいの頃から、今に至るまでの約70年間、ほぼ毎日ラジオを聞いてきた。 3〜4才の幼い頃は居間にあった東芝製の立派なラジオを聞き、小学校3年生で家にテレビがやってきたときも、ボクは父のトランジスタラジオを常に耳にしていた。 父はトランジスターラジオを2台持っていたが、そのうちの超小型の方はまだボクの手許にある。 小学校4年生の頃には上級生に教えてもらって、自分で鉱石ラジオを作り、その後1石のトランジスタラジオ、真空管を3本使った短波受信機を作って短波放送も聞くことができるようになった。 在日米軍人・家族向け放送のFEN(現AFN)は小学6年生から聞いていた。当時は名古屋に、FENの放送局があった。 中学生になると、ラジオでNHKの英語講座を聞き始め、中学3年生ではアマチュア無線の免許を取得、交信だけでなく世界各国の放送を本格的な受信機で聞くようになった。 高校生になると深夜放送や受験講座を聞き、勉強にもラジオは必須だった。 そんな中でボクがアメリカン・ポップスに惹かれ始めたのは、小学6年生頃からだ。ちょうどその頃、多くの日本人歌手もアメリカン・ポップスを日本語で唄っており、ちょとしたブームになっていた。 弘田三枝子、中尾ミエ、江利チエミ、平尾昌晃、尾藤イサオなどの歌手を思い出す。 ボクは日本人が唄うアメリカン・ポップスではなく、意味はわからないが英語の方に憧れた。 中学2年生の頃、ビートルズが日本中で大ブームとなりファンで溢れかえった。 しかしボクはビートルズのリズムが肌に合わず、聞くようになったのは何と60歳を過ぎてからだ。 アメリカン・ポップスに興味を持つのと同時期くらいにボクは映画音楽も聞くようになった。 当時はアメリカ映画だけでなく、ヨーロッパ映画でも印象的な音楽が多くあった。 そんな訳でボクは、"鉄道員"や"道"、といった、音楽が先で映画を観たのは何十年も後、というのがあったりする。 ”アフリカの星"や"野生のエルザ"など、中学・高校時代から音楽は馴染んでいるにもかかわらず、いまだに映画自体は観ていない作品もある。 そんな元ラジオ少年のボクでも、最近ラジオを聞く時間が減ってきた。理由は放送が若者(特に女性)の脈絡のない、意味不明なトークが延々と続く番組が増え、音楽を流す時間が減ってきたからだ。 また放送される音楽も、ヒップホップやアイドルソングが中心で、全く興味はない。 |
アーティストたちは、涙が出るほど懐かしい面々ばかだ。 1963年だけでも70曲あり、ペギー・マーチに始まり、コニー・フランシス、カスケーズ、ブレンダ・リー、そしてスティービー・ワンダーやブラザーズ・フォア、何とダイアン・リネイまでしっかり収録されている。 またちょっと驚いたのは、1955年のCDにソフィア・ローレンが歌う"マンボ・バカン"が収録されていた事だ。 早速聞いてみたところ、確かに映画で聞いた、あの女にしては太めの声で歌ってる。 それとパティー・ペイジが入っていないのは、残念。ちょっと古すぎるから仕方ないね。 でも別に彼女のCDは2枚あるから、ま、イイか、、、。 この全集の素晴らしいところは、各CDにその曲ごとの歌詞(日本語訳付き)、アーティストと曲の解説、そして当時の日本の世相や日本・世界の出来事まで記載されたA4サイズの冊子が付いている点だ。 この冊子を読みながら曲を聴けば、瞬時にその時代にワープできる。 例えば、1964年(昭和39年)については以下のような記述がある。(実際はもっと一杯書いてある) 1月:アメリカでタバコが肺癌の原因と発表。「オバケのQ太郎」が少年サンデーに連載開始 3月:初の外国人力士、ハワイ出身のジャシー・クハウルア(高見山)が高砂部屋に入門 6月:新潟でM7.7の大地震発生 10月:東京〜大阪間で新幹線開通、そして東京でオリンピック開催 1964(昭和39)年のCD数枚に収録されている曲も、”ハロー・ドリー”、”アイドルを探せ”、”おお、プリティー・ウーマン”、”太陽の彼方に”、”朝日のあたる家”、”ほほにかかる涙”、”GTOでぶっ飛ばせ”など、どれも当時ラジオで聞いて、今でも耳に鮮明残っている曲ばかりだ。 そんな懐かしい音楽CD60枚と解説冊子を980円で手に入れたなんて、一瞬出品者に何か申し訳ないような気になってしまった次第である。 |