広島長崎への原爆投下とは:2025−08ー15
今年も暑い8月15日がやってきた。
8月15日、日本にとって太平洋戦争の敗戦記念日で、今年は80周年である。

ボクはこの時期になると太平洋戦争に関する本を読んだりする。今年はビデオを1本と本を2冊購入した。
戦争についての著書はこれまで50年間で200冊以上読んだと思う。PDF化してある著書だけでも150冊はある。殆どが近代戦史・軍事技術史で、戦記とか戦記小説は少ない。(戦史と戦記は全く違います)

どの本でも同じであるが、特にこういう本は"誰が何について書いているか"を把握・理解してから読まないと、偏った知識と考え方に巻き込まれてしまう可能性がある。

敗戦80年、当時20才の人は今や100才、存命している方はほとんどいない。

現在テレビなどで戦争体験者として出てくる方は、当時15,6才の少年兵(現在95,6才)とか、米軍の本土爆撃の被災経験者、或いは父親とか兄などから話を聞いた人とかがほとんどである。

しかしこういう話はいくら積み上げても"非戦・不戦・反戦"の主張は伝わってくるものの、戦争の本質は見えてこない。

我々が絶対に知っておかなくてはならない、忘れてはならないことは、"なぜ戦争を始めたのか"、そして"始めた戦争になぜ負けたのか"、というところだとボクは思っている。

対連合国に対する戦争は、多くの人は(これはウソ)負けるとわかっていたのに始めた、こんな政治家と軍人はバカだという意見・評論が多い。

多くの人はこれを聞かされて、実質的に"思考停止状態"になっているようにボクには見える。つまりバカ達のやったことで片付けられるので、冷静に考える事を放棄さられているのではないか。

それと最近テレビで時々見るのが、空爆の被災者の話を小学生に聞かせて「今日の話どう思いますか?」とかレポーターが聞いて答えさせるのがあったりする。これに一体何の意味があるのか、ボクにはわからない。

太平洋戦争では日本人将兵240万人と民間人80万人の合計320万人の人が命を落とした。
将兵がもっとも多く戦死しているのがフィリピンで52万人である。つまり戦死将兵の5人に1人はフィリピンという、驚くべき事実がある。

更にボクが注目しているのが、これら52万人が戦死した期間で、この90%が昭和19年10月から昭和20年3月までのたった5ヶ月間で亡くなっている。

太平洋戦争全体の戦死将兵240万人をこれと同じ見方をすると、戦死者のうち約200万人弱は終戦前1年数ヶ月間の短い間に亡くなっている。

同じく民間人80万人の死者を見ると、昭和20年1月から終戦の8月までの8ヶ月間で99%、つまり79万人が亡くなっている。

東京大空襲、各都市への空襲、沖縄戦、原爆投下、全て昭和20年1月以降である。

つまり日本人の戦死・犠牲者の殆どは終戦前1年間ちょっとの期間である。
もし日本が何かの理由によって、昭和20年8月より1年早く終戦(降伏)をしていれば、将兵の75%以上、民間人の99%は死ぬことはなかった、という事になる。

日本は昭和20年11月には日本本土で連合軍を迎え撃つ、いわゆる"本土決戦"をする計画であった。
しかし8月15日に降伏をした。

連合軍が日本本土に上陸した場合、日本人の犠牲は500万人〜1000万人とアメリカは予測していた。

これは迎え撃つ日本側の見積もりも近似した数字である。
一方の連合軍(主として米軍)側は25万人〜100万人の戦死者という予測であった。

広島原爆投下(8月6日)、日本が日ソ中立条約に基づき、連合国との講和の仲介を期待していたソ連からの宣戦布告(8月8日)、長崎原爆投下(8月9日)で日本は本土決戦を諦め、降伏をした。原爆犠牲者は約22万人、その後の後遺症死を含めると55万人である。

ボクは思う。原爆投下がなくても、ソ連の参戦だけでも降伏していたかも知れないが、判断は大きく遅れ結局は本土決戦にずれ込んだのではないか。55万人の命が1000万人の命を救ってくれたと思うのは間違いか?

ボクの父親である終戦当時22才のN少尉は、九州日向灘で上陸する連合軍を迎え撃つ水際部隊にいた。本土決戦では最初に全滅必至の、”捨て駒部隊”であったという。

ボクは10日ほど前に、"オッペンハイマー"という、日本では2024年に公開された映画を見た。これはアメリカで第96回アカデミー賞作で話題になった映画である。

ボクは映画は繰り返し見たいので映画館ではなく、DVDを買って自宅で見る事にしている。ただ公開直後のDVDは高価なので多くの場合、1〜2年待って安くなってから買う。

中身は、マンハッタン計画(原爆開発)の責任者"オッペンハイマー"が科学者として原爆を開発、戦争を終結させた国家の英雄になるが戦後水爆開発に反対し、1954年に世の中の表舞台から抹殺されるまでの話である。

映画はカラーとモノクロの二重構成で、カラーは"オッペンハイマー視点"、モノクロは"政敵のストローズ視点"、かつストーリーの時系列が前後に錯綜する場面が多く、難解な構成ではある。

オッペンハイマーの周りには常に共産主義者がおり、彼自身も共産主義の活動に積極的に加わっていた。
これが戦後に命取りになる。

なぜアメリカは共産主義を恐れたのか、戦後に嵐のようなレッドパージ(赤狩り)がなぜ行われたか、これは1920〜30年代のアメリカの社会・政治背景の知識が少しあると、より理解しやすいと思う。

映画を見た日本人の多くは、「広島・長崎の惨状に触れていない、原爆使用を正当化している」、という事で批判的評論が多いが、これは"反原爆・反戦"映画ではないので、そこも理解する必要がある。
主題は、
- 科学者は兵器開発にどこまで責任を持つべきか?
- 国家と個人の倫理はどこで衝突するか?
- 核兵器の誕生は人類に何をもたらしたのか?
だった。
アメリカでも単純なヒロイズムの持ち主とか、リベラルの"何でも反対屋"の、「広島・長崎の原爆反対!」という声はあった。多くのマスコミ・評論家・一般の人は20万人が亡くなった、という事に関しては深い同情の意を表す。

しかし、「原爆は戦争を終わらせ、多くのアメリカ人の命と日本人の命を救った」、というアメリカの解釈を、広島・長崎の犠牲者とは別の次元の事として、アメリカのあちこちで強く感じた。

ボクの父親であるN元少尉は79才まで生きた。本土決戦があれば、N少尉は宮崎の海岸で確実に戦死しており、今のボクは存在しない。ボクがいないと言う事は、ボクの娘も孫もいない。

ボクは原爆の話題に触れると、どうしてもこれが頭に浮かぶ。多くの今生きている日本人も同じだと思うが。