2018−03−12 : フィリピンにて(〜2016。12)
フィリピンでは思いのほか仕事がはかどり、予定よりうんと早く帰国をする事ができました。2016年10月までのフィリピン駐在の日記は”MY LIFE IN USA”に書いてありますのでそれ以降の出来事をざっくりと書いてみます。。
帰国は2017年5月、HPの更新を1年半ほど休んでいましたので、記憶に間違いがあるかも知れませんが、気が付いた時点で辺は後で修正をしていきたいと思います。

マニラの風景(1)
私の住んでいたマンションからの西の方を見た風景です。マンションは40階建てで、ここの34階に住んでいました。

マニラの街は高層ビルと一般の住宅、商業施設、それにスラムが混在しており、昼間はそうでもないのですが夜はブラブラと散歩をする、というのはやはり危険です。

これを言うと、「フィリピンは治安が悪いのですね」、とよく言われるのですが世界中で夜の街をブラブラ歩ける国は多くはない、というより日本以外は知りません。

マニラの風景(2)
34階の部屋からほぼ西の方を見た風景です。私の住んでいたところは正確な地名はBGC(Bonifacio Global City)というところで、マニラ市(Manila)ではありません。BGCでは面倒なのでマニラって言っております。
マニラまで5〜6kmしかありませんしね。

手前の大きな緑地はゴルフ場で、かつては軍の大駐屯地があったところで、太平洋戦争で戦死したアメリカ兵のための広大な墓地もあります。
ビル群の左方向がマニラ国際空港で24時間、ひっきりなしの飛行機の離発着がよく見えます。

病気(1)
フィリピンに来ると10人中9人は下痢に見舞われます。たまにならないという変人もいますが、まず間違いなく罹ります。
原因は様々ですが大半は水でしょう。私は1年間で4回罹り、うち3回は駐在後2ヶ月間で、2日間くらいトイレとの往復を繰り返していたら自然に治っていきました。

ところが4回目は酷かった。会社を2日間ほど休んだのですが治る気配がありません。こりゃアメーバー性の下痢かなという事でドクターのところに行きました。
血液検査をやって処方箋をもらい、これを飲んだら2日ほどで治りました。

病気(2)
私の会社は中小企業であり、海外駐在員は正規の保険ではなく、治療は海外旅行保険で受けます。
会社の社員には医療保険がありますが、保険によるカバーの上限がありこれを超えると自己負担です。
私の会社の場合、カバーの金額は日本円で年間で数万円レベルでした。
フィリピンでのドクターの診察料金は日本円で2000円〜3000円、これは最低賃金の2日分〜3日分に相当します。

医者の治療を受けれない人はどうするか? 多くの人は売薬で病気を治そうとします。街中では多くのファーマシーを見掛けます。

マニラ市内(1)
マニラ及びその周辺都市は慢性の交通渋滞です。1〜2km進むのに30分以上というのは珍しくありません。
交通手段は車(ジプニー、トライシクルを含む)しかないと言えるでしょう。
鉄道はあるにはあるのですが、路線は極端に少なく、また車両・設備も古く、恐ろしく混んでいるそうです。(私は乗る機会がなかった。)

政府が交通インフラの整備のような地道な施策に殆ど見向きもしなかった結果です。
タクシーは何回か乗った事がありますが、乗る前に少々コツがいります。

マニラ市内(2)
主としてフィリピン人の庶民が利用する道路横のお店です。
街のど真ん中の交通の激しい道路横で食べ物なんかを売っており、ホコリだらけだと思うのですが、みんな気にしないで買って食べています。

マニラにはタイ・バンコックのような屋台は見掛けません。
バンコックの屋台は本当においしそうで、つい食べたくなりますが、ここマニラではそういう気が起きません。
それに食べ物自体のおいしさからいくと、フィリピンはタイ、ベトナムなどに比べると勝ち目はありません。

日本の練習艦隊(1)
2016年10月末のある日、”まにら新聞”に海上自衛隊の遠洋航海練習艦隊がマニラ港に入港するという記事があったの行ってみました。
「Nさん、港は普通の人は許可がないと入れません。許可はあるのですか?」、と運転手のS君が言います。
「そんなものはないよ。とにかく行ってくれ。」
案の定港のゲートではガードに、「どこに行くのですか?許可証は?」、と止められました。

「日本海軍の艦隊が来ているだろう。私は日本人だ、入れて欲しい。」
ゲートは難なくパスです。

日本の練習艦隊(2)
しばらく行くと練習艦、「かしま」、「あさぎり」、「せとゆき」の3隻が見えました。堂々の艦隊で、外地で見る艦旗と日の丸は格別です。

舷門に行って当直士官に名刺を出して、「艦隊を見にここから150km南から駆け付けてきました」、と言うとあっさりとOK.(本当は80kmくらいなんですけど)
Fさんという2等海尉の機関士が艦内を見せてくれました。

当直海曹(下士官)のひとりはTさんという婦人自衛官で、「遠洋航海は2回目で世界中あちこち行く事ができました」、とにっこり笑ってくれたのが印象的でした。

取引先の活動報告(1)
取引先の多くは年末に近くなるとその年の従業員による生産・品質などの改善活動報告会を行います。
こういう報告会に呼ばれる事も多く、いろいろと参考になります。

この会社は前の会社の系列で、社長さんはオハイオに何度も長期出張滞在をしており、しかも私の駐在期間と重なっていた、という方です。
残念ながら当時は面識はありませんでしたが、気軽に付き合いをさせて頂ける仲になりました。

取引先の活動報告(2)
フィリピンは女社会です。アメリカ以上でしょう。家庭でも殆どが奥さんが主導権を握っています。

ですからこういう発表会でも女性のプレゼンテーターが非常に多くなります。この時も3分の2は女性が発表をしていました。

会場は他の会社の人と名刺交換をするいい機会です。この時もO社という電子部品の超有名な会社の方と情報交換をする事ができました。
話しのネタはやっぱりオハイオ発の出来事でした。

クリスマス(1)
クリスマス、、、キリスト様のお誕生日です。
フィリピンではクリスマスというのは実に特別な意味があります。
ズバリ、フィリピン人はクリスマスのために生きている、、、こう言っても過言ではありません。

会社でもクリスマスパーティーを盛大にやります。これをやらない会社があったとしたら、その会社は1年で倒産です。従業員が集まらないでしょう。

私の会社もあるゴルフ場のレストランを借りて盛大にやりました。正社員だけではなく、パートの社員も、学生の実習生も全員が参加です。。

クリスマス(2)
パーティーではいろんな余興をやります。100人ちょっとの会社ですが6チームが編成され、1ヶ月以上練習した成果を披露します。
バンドもあります。はっきり言ってものすごく下手です。
でもそういう事は気にしません。みんなでワイワイやるのです。何でこんなに騒げるんだろう、というくらいに騒ぎます。

見ていると殆どの社員はアルコールをあまり飲みません。飲んでいるのは一部の連中とマネージャークラス、それに私くらいです。
ナゼ飲まないかって?お酒を飲むほどの余裕がない人が多いからだと思います。

クリスマス(3)
みんなこの日はパーティードレスを着て参加します。当然お化粧もバッチリ決めてきますので、「あれ?これ誰だっけ?」、と言うような社員もいたりします。

こういうパーティーは社員だけではなく、家族なども人数を制限して参加させている会社もありました。
クリスマスの費用はパーティーだけではなく、プレゼントも全社員に配りますのでのそれなりの額になります。

ごちそうもビュッフェ形式で、フィリピン社員達の最もハッピーな日の一つであるのは間違いありません。

クリスマス(4)
クリスマス休暇の前に、私から全社員に対してお礼の気持ちを込めて昼食、又は夕食の招待をします。
対象はナゼか正社員だけで、パートと学生の実習生は含まれませんでした。
副社長のRさんに理由を聞きましたが、「そういう習慣です」、という答えが返ってきただけでした。

そんな訳で80名を4回に分けて皆さんと食事をしました。今回は日本レストランを使いましたが、日本食を食べるのは初めてという社員もいたりしました。
(1食の値段は一般社員の1日分の給料に相当します)

クリスマス(5)
クリスマスの飾り付けは何と!!!9月の末くらいから始まります。10月になるとあちこちイルミだらけになります。これにはびっくりです。

それとフィリピンでは雇用主は従業員に、「13ヶ月目の給料」、を12月に払う事が義務づけられています。
これは個人商店レベルでも払われているようで、カラオケ・バーの女の子達も楽しみにしておりました。

日系の会社はこれ以外に業績給(ボーナス)を払うところが多いので、12月は社員達にとって更にハッピーこの上ない月でもあるのです。

クリスマス(6)
私のコンドミアムは40階建てで250世帯近くが入っています。
エレベーターの中の掲示板に、「12月20日に3回に分けてクリスマス・ゴスペルがあります」、という案内がありました

当日ロビーには男3人、女6人のグループがクリスマスソング、その他の合唱をやっていました。これはコンドミアムの管理会社から住人に対するクリスマスプレゼントなのでしょう。
でも聞きに来ている人は土曜日だというのに10人もいませんでした。

カメラを向けるとニッコリ、、、、フィリピンスマイルで応えてくれました。

クリスマス(7)
クリスマスのイルミは見応えのあるものが市内の至る所にあります。ものすごい数です。
フィリピンは原発がなく、水力発電も殆どありません。電気は火力発電が中心で、地熱発電、風力発電とかもありますが、まだまだです。

電気代は高いです。私の場合、1ヶ月4〜5000ペソ(12000円)くらいですから大卒新入社員の給料の3分の1くらいを払っていた計算になります。

こんな国でこれだけ派手にイルミで電気使いまくって、、、と一瞬思ったりしますがフィリピン人の人生で一番大事なクリスマス、そんなこと言えません。

一時帰国(1)
フィリピンの会社は日本に比べて休みが少なく、土曜日も隔週で出勤です。
日本は他の国から働きすぎとか何とか言われますが、私はそんなことはないと思っています。逆に休みすぎです。

それはともかく、クリスマスは1週間以上のまとまった休みなので私は日本に帰ります。やはり正月は日本で過ごしたいですからね。
クリスマスシーズンのマニラ空港は特に混雑します。
フィリピンは国民の10人に1人の1000万人が海外で働いており、多くの人が帰国しますので入国ロビーはもっとごった返しているはずです。

一時帰国(2)
日本に帰ると真冬なので寒いです。日中は30℃近く、最低でも23〜4℃のマニラから日本に帰るとこれは堪えます。
でも日本の年末の雰囲気は何となくいいですね。

ちょっと用事があったので東京に2泊。ウーン、やっぱり食い物がうまい。マニラでも本格的な日本料理はいくらでも食べれますが、雰囲気が違いますよね、雰囲気が。

いろいろ面倒な事は多いですが、フィリピンでの生活も悪くはありません。