ハム受験(2018年5月2日)
0−V−1受信機完成後は段々とハムの電波受信が中心になり、自分もいつかは免許をとってハムになりたいと思うようになっていました。
雑誌を読むと、近所のハムの先輩の家を訪ねていろいろと指導を受けるのがいいと書いてあり、これを実行しました。

私はSさんにシャック訪問をしたいと相談をしました。Sさんも同じ事を考えていたらしく、近所のハムの家に行って無線機を見せてもらい、いろいろと話しを聞こうという事になりました。

まず最初に行ったのがJA2CKY(Kさん)の家でした。
Kさんの弟さんがSさんと中学校の同級生だったので、行きやすかったというのが理由だったと思います。
おじゃました時はKさんは不在で、弟さんが無線機の説明をしてくれました。

その次がJA2CEF(Oさん)でした。理由はSさんの中学校の近くだったからでした。
更にJA2CQZ(Kさん)、これはKさんの妹が私と小学校で同級生という事もあり、何となく行きやすかったと記憶しています。

もうひとり、これはJA2AH(Iさん)でこの方が一番年かさの方で(と言っても30才ちょっと)した。JA2AHさん以外はみんな高校生でした。

これらの訪問は全部日曜日の午後だったと思います。
訪問は予約なしで玄関からいきなり、「ゴメン下さい」、という感じでした。
どの方も中学生のSさんと小学生の私の2人に対して、気軽に親切に対応してくれました。

JA2AH、Iさんのお宅に行った時はIさんと同年配くらいの方が既に訪問中で、私とS先輩はその2人の話しを横から聞くという具合でした。
Iさんの無線機の棚には、立派なRCAのCR88が机の上にデンと置いてあったのを今でもよく覚えています。

Iさんは何十年も経った後で高校(旧制中学)の大先輩という事がわかり、数年前にもお会いしたました。
その時に訪問の事をお話したのですが、残念ながら記憶にない、と言われました。
仕方ないですよね、50年以上前の事ですから。

昭和30年代後半(1960年〜)はハム人口がグッと増える時期でした。理由はそれまで第1級と第2級の2つしかなかったハムの免許に”電話級”と”電信級”という初級免許が加わり、免許取得のハードルが大きく下がった、というのが理由のひとつでした。

試験は中学校1〜2年生でも合格が可能と言われ、たまに”小学生で合格”というのがニュースになったりしました。
試験は無線工学の初歩が10問、電波法規の概要が10問で全て”記述式”でした。
その後この初級ハムの試験はどんどん易しくなって、今では2日間の講習を受ければ実質的に100%合格というレベルまでになっています。

そんな中で私もハムの免許を取りたいという事で、中学校1年生になった時から勉強を始めました。買ってきたのはCQ出版社の、その名も”HAMになる本”という参考書でした。
当時のラジオ雑誌の製作記事は技術的な解説がかなり含まれており、こういう雑誌を日夜読んでいた私は無線工学の断片的な知識がつき始めていたので、参考書の理解も少しは楽だったように思います。

私は中学校の1年生になると同時に父親の転勤で、三重県熊野市という紀伊半島先端に近い僻地に転居しており、ハムの試験勉強はしたのですが受験する事はできませんでした。
当時の試験は平日に行われ、熊野市から受験地の名古屋に行くには5時間、つまり1泊が必要でそのために学校を2日間も休むことは到底許される事ではありませんでした。

津市に戻ってきたのは中学2年の8月で、その年の10月の受験は間に合いませんでした。
実際に受験できたのは翌年の昭和40年4月で、当時のカレンダーを見ると4月6日(火曜日)か7日(水曜日)だったと思われます。
と言うのは4月5日(月曜日)が始業式で、これには出席した記憶があるからです。

実は、ハムの試験を受験するのは親には内緒でした。願書を出したのも言っていませんでした。
試験日は何か理由を言って早く家を出て名古屋に行ったと思います。そして友人に学校を休む事を先生に言って欲しい、と前日に頼みました。
近鉄津駅から名古屋駅までは約1時間、電車の中では一生懸命に勉強をしていました。

名古屋駅に着いて改札を出て地下鉄のホームに行こうとした時でした。
どこからか現れたのか2人のオバさん(とその時は思った)が私の前に来ました。

「ちょっと君、どこから来たの?どこに行くの?」
私は正直に、「津からです。ハムの国家試験を受けるために名古屋に来ました。」
と答えました。

しかしオバさん2人はいろんな事を更にしつこく聞いてきます。
「試験ってどこであるの?今日は学校でしょ、学校休んで来たの?、、、、、」

私は試験を受けに来たというのを証明するために受験票を見せたところ、2人はどこかに行ってしまいました。
後で思うに2人のオバさん(オネエさんだったかも知れません)は婦人警官か何かだったのでしょう。

つまり平日に制服を着た中学生が近鉄の改札口から出てきたので、家出か学校をサボった不良学生に見えたので質問をしてきたかのではないかと思います。
私は受験の問題集とか筆記用具を風呂敷に包んで持っていたので、田舎から出てきた中学生丸出しでした

何となく懐かしい思出です。