短波放送の戦い(2020年10月12日)
久しぶりにRTI(台湾国際放送)を聞いた。
RTIの日本語放送は1日に2回やっており、この日は20:00〜21;00に周波数9740KHZで聞いた。

びっくりした。
ドンピシャの周波数で中国からと思われる強力な放送が妨害しているではないか。信号強度はフェージングによってRTIの方が強かったり、中国の方が強かったりする。

RTIの日本語と妨害放送の中国語が同じくらいの音量でスピーカーから聞こえるのである。
だから内容は全くわからない。

RTIは台湾にある複数の送信所から100KW〜300KWという大電力で放送をやっており強力であるが、これと同等以上の強力な電波で妨害をしているのである。

RTIの放送内容は台湾ローカルのニュース、それに一般的な生活などについて対談形式でやる番組があり、ボクは気に入っている。
しかし中国がここまで露骨にやっているとは知らなかった。

それまでも強力な北京放送(だったかと思う)が少し上の周波数に出ており、僅かな妨害を受ける事があったものの、RTIの電波は強力なので問題はなかった。

しかし今回は違う。全く同じ周波数で真上に被せているのである。RTIのWEBサイトから一応受信レポートは出しておいた。

米ソ冷戦真っ最中のボクが中学生の頃、短波放送を受信するとソ連のモスクワ放送、中国の北京放送、そしてアメリカのVOA(VOICE OF AMERICA)の電波がバンド中に渦巻いていた。
正に放送電波による東西戦争の様相を呈していた。

特にモスクワ放送と北京放送の日本語放送はこれでもか、というくらいにアメリカを罵り、日本人はアメリカの手下になってはいけない、目を開け!とか放送していた。

ボクが中学2年生の時初めて作った5球スーパーで聞いたモスクワ放送で、「アメリカのキリスト教宣教師は日本人を洗脳するために日本に来て、日本人を精神的支配下に置き、そして次に、、、」、とか女のアナウンサーが叫んでいたのが今でも忘れない。

その時は「へ〜、そうなんだ〜、、、」、とか思ったりして近所に住んでいたジョンソン先生(皆はその女性アメリカ人宣教師をこう呼んでいた)の顔をイメージしたものだ。

北京放送とモスクワ放送は短波だけでなく、中波でも送信しており、受験勉強の最中に聞いていた深夜放送の直ぐ横の周波数で良く聞こえていた。

この2つの放送局の電波が届いてなかったのはTV放送くらいなものではなかったか。もっとも日本のテレビ局はその頃から既に彼等の息のかかった連中が牛耳っていたから、”赤い放送局”の出先放送局と言えなくもなかったが。

VOAの大陸向け放送の送信所は当時沖縄にあり、送信出力は1MW(1000KW)以上というすごいものだった。
送信所に近い民家などでは電灯が勝手にパーッと点灯したという。
またテレビが火を噴いて壊れたり、トタン屋根がしゃべり出したり、鶏が卵を産まなくなったりというウソのような本当の話が一杯あった。

VOAは日本語放送もあり、モスクワ放送・北京放送に比べるとマイルドな内容で、モスクワ・北京放送と対照的だった記憶がある。

VOAのオープニングミュージックは"ヤンキードゥードゥル(日本名:アルプス一万尺)"で、各国の放送局はそれぞれ次のような曲を使っていた。
今でもこれらを何かの時に聞くとちょっぴり懐かしい。

> ラジオジャパン:「数え歌」
> モスクワ放送:「祖国の歌」、今のロシアの国歌
> 北京放送:「義勇軍行進曲」
> ラジオ・オーストラリア:「ワルチング・マチルダ」

北京放送では”大躍進”(毛沢東の指導による農工業の大増産施策)で鉄鋼の生産が10倍になりました!とか放送していたのも懐かしい。この10倍というのは本当だった、というのを後で知った。
元がゼロに等しかったので、ちょっと生産すれば数字上は簡単に10倍になった、だけの話しであった。

1980年前後、これらが放送バンド中に何局も出てつぶし合いする様子は、正に電波の戦争という感じだった。

短波放送を主とした電波戦争はソ連崩壊後(冷戦集結後)も続いた。そしてアメリカの"VOA"と中国の"北京放送"に加え北朝鮮の"朝鮮の声放送"が段々とのし上がってきたのが1993年頃からである。英語、朝鮮語、中国語、日本語、その他の言語で入り乱れての放送はプロレスがボクシングのリング上のようだった。

ちなみにその後オハイオで聞いていた短波放送は中南米、ヨーロッパの放送局などがバンド内に”お行儀良く”並んでおり、オーバーモジュレーションで互いにつぶし合う極東の無法地帯とは全く違った世界であった。

短波放送は電波戦争だけではなく、もちろん普通の放送も一杯あった。
NHKの「ラジオジャパン」、ペルーからのアンデスの声、バチカン放送その他日本語放送は世界各国からあり、当時は聞こえただけで嬉しかった。

ボクは35才の時に本社に転勤になり埼玉県に住むようになった。
本社には約10年間いたがその間はずっとマンション生活をした。マンションは結構広く、親子4人で住むには十分で快適だった。

ここでも簡単なワイヤーアンテナを張ってアマチュア無線を時々楽しむという生活をしていた。
住まいは12Fの12Fという環境も手伝って電波は良く飛んだし、短波放送も良く聞こえた。

埼玉の10年間、なぜか土日の夕方はNHKのラジオジャパンを聞いてた。ラジオジャパンの日本語放送は主として海外にいる邦人向けで、日本のニュースなどが1時間ちょっとの放送の中に凝縮さていて、日本にいる日本人が聞いても実に便利な放送であった。

周波数は11MHZ・17MHZの中南米向け放送が最も良く聞こえ、受信機はBC342という半世紀昔のアメリカ軍が使った古いものを改造して使った。
こういう古い受信機の改造・レストアもボクの趣味であった。

しばらくしてボクはアメリカのオハイオ州にある海外現地法人に転勤になったが、オハイオでNHKのラジオジャパンを聞くようになるとはその時は夢にも思わなかった。

今はラジオジャパンの日本語放送は少なくなり、その他の国からの日本語放送は台湾のRTI,ベトナムの声など数カ国だけになってしまった。寂しい限りである。

ちなみに日本を取り巻く中国、北朝鮮、韓国は未だにそれぞれ多くの日本語放送をやっているが韓国を除き政治色が強い、というか普通の日本人が聞くと奇妙な感じさえする内容になっている。(左に傾いている連中にとっては普通に聞こえるのだろうが)

各国は相応の予算を注ぎ込み設備・要員を維持し、放送内容を練って自国の主張を他国の国民にねじ込もうとしているのである。これを彼等は「自国を理解してもらうための文化活動」とか言っている。

短波放送とは今でも斯様な世界なのである。