ボク(本コラムも”私”ではなく、”ボク”を使うことにした))がアマチュア無線局を開局した昭和40年頃のアマチュア無線大国は今と同じアメリカだった。アメリカのハム人口は25万人、日本は4万人で70%が中高生だった。これは当時の局名録などを見ると一目瞭然だ。
日本の殆どの局はHFと50MHZの公称10WのAMで、技術のある成人のハムとかがSSB、144MHZのAM(FMではない)をやっており、自作が主流の時代だった。語弊はあるが当時のハムは今のような大人の「道楽」ではなく、青少年の科学的興味をかき立てる「健全な趣味」だったと言える。
ボクが21MHZのAMでオーバーシーQSOを始めた頃はアメリカもAMを使っている局が結構おり、特に28MHZはAMがメインだった。その後2〜3年であっという間にアメリカからAM局はなくなったが。
彼等とQSOすると大体がオジさん・年配者で、ボクらのような中高生というのは殆どいなかった。
あとでわかった事だが、実はアメリカにも中高生ハムは一杯いてみんな主にCWに出ていたのだった。
理由は彼等の免許制度によるところが大きかったのだ。この辺の事情は別途本コラムで説明をする。
21MHZとか28MHZでQSOするアメリカの局はみんな立派な送受信機を使っていた。
ハリクラフターズ、ハマーランド、コリンズの受信機、送信機はヒースキット、EFジョンソンなんかがAMには多かった。とにかくボクは夜の夢にも出てくるほど羨ましかったね。
その頃の日本の中高生ハムが使っていた送受信機は自作とキットの組立が半々くらいだった。
一部の金持ちドラ息子ハムは完成品とか輸入品を使っていたかも知れないが、ボクらとは縁のない連中だった。
とにかく雑誌で見るアメリカの送受信機は素晴らしいものに見えたね。
その後30年くらいした頃の45才から会社の定年になるまでの60才まで、ボクはアメリカ・オハイオ州に住んだのだが、ここで大きな発見をした。
それはボクがハムを始めた頃から、日本の多くのメーカーは受信機、測定器、パーツなどをアメリカに大量に輸出していた事であった。 |