中欧の旅−1 : 2019/6/10〜2019/6/20
ヨーロッパは結構あちこち行った事があるのですが全部西ヨーロッパ。旧共産圏のヨーロッパは興味があったのですが行く機会がありませんでした。
今回いわゆる旧共産圏のチェコ、オーストリア、ハンガリーの3カ国を回るツアーを見つけたので、これに参加、10日間の駆け足旅行に行ってきました。
オーストリアはちょっと華やかな感じがする国、チェコ・ハンガリーは中世の香りがする素晴らしい国々でした。
グループ・ツアーへの参加でしたが、メンバーにも恵まれ大変楽しい10日間を過ごす事ができました。

出空港までのバス
私達はETD10:00より早いフライトの時は空港に前泊する事にしています。
当日自宅を出ても間に合うことが多いのですが、朝バタバタするのがイヤだからです。

セントレア空港までは最近は四日市駅からのリムジンバスに乗って行きます。

以前は津から高速船に乗って行きましたが、港に行くのにバスが1時間に1本、車で行くと駐車場が狭く利用できないからです。
バスは車窓からの眺めも良く、混むこともなく大変快適です。

前泊のホテル(1)
以前はある有名な全国チェーンのホテルに泊まっていました。値段もリーズナブルで前泊であれば十分でした。
ところがかなり前から大陸系の宿泊客が増え、そのマナーにうんざりするようになり、少し値は張るのですが、空港ロビー横のホテルに変えました。

朝食時の大陸系の客のマナーはすざましく、レストランのオバサンが我々日本人に、「すみません、すみません」、と謝るような状態でした。
このオバサンには何の責任もないのですが、オバサンの指示なんか全く聞かない連中でした。

宿泊のホテル(2)
このホテルはアメリカ駐在の頃から使っていましたが、何年か前に新館を建てて、こちらは非常に快適です。
騒ぐ客もいませんし、落ち着きます。
カウンターでギャーギャー言っている大陸人もここにはおりません。

時々エアーラインの搭乗員に出会いますがANAとかJAL,LCCの連中ではありません。全部外国のエアラインクルーです。
日系のクルーは恐らく空港から離れた場所にあるホテルに泊まっているのだと思います。。

出発前日の夕食
しばらくは日本食も食べれなくなるので、刺身で一杯できるレストランに行きます。
ここはセントレア空港開港以来営業しているレストランで、その質の低下ぶりは相当なものがあります。

他に洋食系のレストランもありますが、サービスがひどいので行きません。
入り口で立っていても案内に来ない、席に座っても注文を取りに来ない、客と目を合わさず呼ばれないようにしている、などなど。

ナゼこうなったか、思い当たるフシはありますけどね。

出発ロビー
ロビーの端っこにグループツアーのカウンターが並んでいますので、ここに行ってツアーチェックインをします。
次にエアーラインのチェックインカウンターに行ってフライトのチェックイン、その後出国手続きしてゲートへ。

その前にラウンジに入って軽く食事をして、ついでに一杯やります。ここまでくると、「さあ、出発だ」、という気分になります。

今回のエアーラインはJALと共同運行をやっているフィンランド航空です。

シベリア上空
ソ連崩壊まではヨーロッパへのフライトの殆どがアラスカ・アンカレッジ経由でした。
私が初めてヨーロッパに行った1981年の時もアンカレッジで給油、休憩をしました。
その2年後に大韓航空機がソ連の戦闘機に撃墜されて300人近くの犠牲者が出ました。

アンカレッジで飛行機を出たら土産物屋が一杯、それに”ウドンのつゆの香り”がしてきたのには驚きました。
働いている店員さんは殆どが日本人、アメリカの兵隊と結婚してここに来ている人達だと聞きました。

機内食(1)
まあまあです。
機内食の昔との大きな違いは量が減った事です。昔はかなりの量があったように記憶しています。
30代だった頃でも全部食べるのは大変でした。

それと最近私は機内食で和食は食べません。味というか、メニュー自体が貧弱になったような気がするからです。

液体燃料は日本酒をお願いします。飛行機に載せている日本酒は割といい日本酒が多いものですから。
液体燃料は地上の2倍くらいの効き目があるので注意しないといけません。

食事(2)
昔ヨーロッパへYさんという部長に同行して行った事があります。その時も私は機内食を全部食べました。
「Nさん、全部食べたね。ひょっとして足りないんじゃないの?CAに言えばもう一食持ってきてくれるよ」

私は、「出されたものは残さず全部食べること」、というのを教わった最後の世代なので、これに従っただけでした。

東南アジアに行くときはチャイナ・エアーを使います。
例えばバンコックへはセントレア⇒台北の3時間で1食、台北のラウンジで軽食、台北⇒バンコックの3時間で1食、着いた頃はお腹がおかしくなります。

ヘルシンキ国際空港(1)
ここもずっと昔4回ほど来ているのですが、全く記憶にありません。こんなにチマチマした空港だったかな〜。
6月という季節柄なのか、時間帯なのか人も結構多い。

ラウンジにも行ってみましたが、人で一杯。
みんなガツガツと食事をしていて、とてもじゃありませんがゆっくりできる雰囲気ではありませんでした。

写真の1Fはショップ、2Fはバーとか軽食レストランになっていて、ここの方がゆったりとくつろげました。
あのラウンジはもう少し何とかして欲しいものです。

ライブラリー
フィンランドと言えば”ムーミン”です。
ムーミンはある童話作家が作った架空の動物で、日本でも人気があります。
でも私の感想はムーミンはともかく、一緒に登場する生き物たちは何となくグロテスクな感じがします。

アメリカにいてわかったのですが、彼らの”かわいい”と日本の”かわいい”は明らかに違います

また日本では高校生くらいでもキティーちゃん持って歩いてますが、アメリカではそういう子は例外だと思います。
フィンランドでのムーミンはどうなんですかね。

プラハのホテル(1)
ヘルシンキで3時間待って更に2時間半のフライトでプラハに着きました。
空港のATMからチェコのお金”CZK”(チェココルーナ)を引き出します。操作間違って200ドル分以上も出してしまいました。

ここからバスで市内に向かい、ホテルへ。
ホテルは何と”プラハの春”で有名なヴァーツラフ広場に面したところにある”Ambassador”。

チェックインの手続きとかは全部添乗員さんがやってくれるのですごく楽です。全員で8組16名、直ぐに終わりました。

プラハのホテル(2)
このホテルには2泊、部屋はマズマズで悪くはありませんでした。ドイツより北の国々ではアメリカ系などの新しいところを除き、部屋にエアコン(クーラー)があるホテルは割と少ないと思って間違いありません。
1990年頃までは車もエアコンは高級車を除き、オプションでした。
最近の異常気象で、ヨーロッパも夏は熱帯大陸になる事が多くなりましたので、場合によってはちょっと大変な事があるかも知れません。

ウオッシュレットは100%ないと思って差し支えありません。

ヴァーツラフ広場
プラハの春・チェコ動乱を知る日本人は今では割と少ないのではないかと思いますが1968年、私が高校生の時大きなニュースになりました。

簡単に言うとチェコで起きた民主化の動きをソ連(ワルシャワ条約機構軍)が20万人の兵力をチェコに送り、武力で押さえ込んだ事件です。

ここの広場(通り)をソ連軍の戦車が埋め尽くし、抵抗した市民何百人かが犠牲になったそうです。
正面の塔(インドジシュスカ塔)とソ連軍戦車、それに乗っかる市民、多くの写真が残ってます。

市内を散歩
6月で緯度が高く、しかもサマータイムの国、夜の9時になっても空は明るいのです。部屋にいても時間の無駄、ホテルの近所を散歩してみました。

北西方向にぶらぶら歩いてみました。実にきれいな街です。観光客なのか、それとも地元の人なのか多くの人が散歩して、そして食事をしたり一杯やっています。

ヨーロッパに来るといつも思うのですが、どこへ行ってもどちらを見ても写真を撮りたくなる風景が本当に多い
ゆっくり一カ所に滞在してスケッチをやるのもいいだろうな、、、そんな事を考えていました。

朝の散歩
このツアーは”、、、60才からのゆったり中欧3カ国10日間”とかいうキャッチフレーズのグループツアーです。
そのとおりで、参加者は全員60才以上で現役の方は1人を除き、みえませんでした。

で、朝なんですが年配者向けの旅なのでゆっくり余裕を持って出発は毎日、09:00になっています。

これはちょっとおかしな話で、皆さん時差ボケと年令で朝起きるのは早いし、時間をもてあまします。
そんな訳でさっさと朝飯を食べて街中を散歩するのです。しかしこれがまたいいのですね、ブラブラと最高です。

ファーストフード・スタンド
朝の8時頃ですが、既に店はオープンです。値段は円換算で日本と同じか、それよりちょっと高い感じです。
コーラ、水ボトル150円、とか、、。

チェコの勤労者の平均収入は1500ドル程度、所得税は一律15%、消費税は20%、これからいくと結構高いと言えそうです。
ヨーロッパへ来て話を聞けば聞くほど、日本は税金の安い国だというのがわかります。

先ず、日本は殆どの人が所得税を払っていないか微々たる支払いです。ウソ!、と言うかも知れませんが事実です。

ヴァーツラフ広場に戻ってきました
チェコはパリとかロンドンに比べると治安はグッと良いそうです。しかしスリは多いし、釣り銭のごまかしなどは日常茶飯なので要注意だと言ってました。
自分が歩いている周りの人の身なりを常に気にしておく、というのも大事でしょう。

両替は基本的に銀行かちょっとレートは悪いのですがホテルでやるのがいいそうです。
私は空港CZKをたくさん下ろしすぎたので、ホテル近くの両替屋でUSDに交換しましたが、レートは非常に良心的でした。

プラハ城(1)
初めての都市でガイドと添乗員に連れられてさっさと回るとどの写真がどこだったのか、しばらく経つとわからなくなってしまいます。
これはグループツアーの欠点なんですが、仕方ありません。

プラハは2回の大戦で戦場になっていないので、昔の街並などもそのまま残っているところである、とガイドさんが言ってましたがその辺がドイツとかとは違うのでしょう。

プラハ城は高い城壁に囲まれているというより緩やかな陸の上に建てられた城という感じでした。。

プラハ城(2)
ちょうど軍楽隊がやってきました。6人しかいませんでしたが、全員かなりの年配者ばかり。

いずれにせよプラハ場内には様々な建築物があって、ちょっと説明を聞いただけではなかなか理解ができませんでした。
非常に広い敷地であるというのは歩いてみてよくわかりました。

恐らくゆっくりと見て回るには丸1日をかけてもいいところだと思いました。
観光客は多いのですが、ごった返すという程ではありませんでした。

製ヴィート大聖堂(1)
ここはどの観光案内を見ても”行くべきところ”になっており、プラハ城の中にあります。
ここでは仏教徒の私も急遽クリスチャンにならなければいけないのであります。

創建は10世紀、14世紀頃から改築が始まり、最終的に1929年に今の形になったという、我々日本人にはちょっと信じられない歴史を持つ建物です。
つまり600年ですね、完成までに

床に最後に作ったのはこの辺だ、というのがわかるようになっています。
材料は石、地震がない、だからできるのですね。

イタリアの建物もそうですが、ヨーロッパというのは何百年もかけて1つの建物を仕上げるというのは普通というか、それほど驚く事ではないようです。

日本はパーッと一気に作ってしまうので、それがいつまでも残ると技術の伝承ができない、だから親方の生きているウチに同じものを作る、という方法で技術を伝承しているのですが、こういう建築は技術をどうやって伝えたのですかね。

聖ヴィート大聖堂(2)
大きな教会です。
ある友人が言いました。
富と労力と時間をかけてこういうものを作っても、”それが庶民の生活の何に何役に立つのだ”、と。

つまり、”この建築によって多くの飢たり病気になっている人を救えたのか、これらの建築は民の命の上に建てられたのではないか?!”、と彼は言ってました。

要するに教会という権力(者)が富を集め、その権力を誇示するためだけのものだった、と言うのです。
言われれば、そうだな、という気になってしまいます。

聖ヴィート大聖堂(3)
ここのステンドグラスも格別の美しさです。
見事としか言いようがありません。
よく見ると模様は人とか様々で、それぞれ意味があるのでしょうね、きっと。
ステンドグラスは10世紀頃にはあったそうです。

ステンドグラスが教会の窓にはめられると教会の中は光に溢れ、更に神秘な世界になりますね。

ちなみにチェコ国民は複雑な背景から60%は無宗教だそうです。知りませんでした。

プラハ城からの眺め
プラハ城からの街並み、この風景は何百年前も同じだったのではないかと思いました。
近代的人工物が視野に入らないのです。
しばし見とれてしまいました。

チェコというのは普通の日本人にとってはピンとこない国の1つではないでしょうか。
私はそうでした。というか今でもそうです。
チェコはかつては有数の工業国であったというのは知っていますがその程度です。

もっとこの国について知ろうと思いました。

ブドウ畑
チェコのワインというのは日本ではあまり知られませんが、いいワインを作る国のひとつです。
ドイツ、オーストリア、ハンガリーに接しているので同じようにワインを作りは得意という事なんでしょうか。

夕食の時に白ワインを一杯頂きました。残念ながら私はワインの味はについて、ああでもない、こうでもないとゴタクを並べるだけの舌を持っていませんが、頂いたワインはサラッとした軽やかな味がしました。

まあ、今は日本もいいワインを作るようになってますから、世界中どこでもおいしいワインは飲めますよね。

カレル箸(1)
ブルタヴア川(ドイツ語はモルダウ川)にかかる長い立派な橋で1400年頃にできたそうです。

全長520mもあり、今でもビクともしない幅10mの橋です。
何でこんな立派な大きな橋を600年前に作ったのだ?いや作る事ができたのだ?驚きです。

ここは観光客でいつもごった返しているので現地ガイドさんが、”スリに注意!”、と言ってました。
橋の両側には写真のような人物の彫像が30体も並んでいます。いずれも聖者とか歴史上の人物だそうです。

カレル橋(2)
プラハ城とこのカレル橋はプラハ観光のハイライトです。
川と街並みが本当にマッチしています。
橋の真ん中辺りで4人の老人が楽器を楽しそうに演奏していました。
どんな曲を演奏していたのか、記憶にありませんが、橋を歩いて渡る観光客への素晴らしいサービスだと思いました。

カレル橋の夜景も最高だと言われたのですが、この日はこの後ずっと市内観光で歩きづめ、夜は残念ながらホテルから出る元気がありませんでした。

旧市街
橋を渡って旧市街の中に入っていきます。
それぞれの建物は何百年も経っていると思うのですが、今も普通の人が住んで生活をしているのです。
住み心地はどうなんでしょうか。

数百年前も今と同じ風景だったと言われると何だか不思議な感じがします。
道路は多分何度も修復されていると思うのですが、それでも昔のまま、というところがたくさん残っています。

日本で今も昔と変わらず、という街はありますかね〜。

天文時計
これは旧市庁舎の南側に取り付けられていて、何と600年以上前の1410年に完成したそうです。
今も構造は全く昔のままで、当時の部品を作ってメンテナンスしているそうです。

この時計は時刻だけではなく、太陽・月・星などの天体の動きも表しています
毎時正時に時計横のガイコツが鐘を鳴らすと、上の小窓からキリストの12使徒が姿を現すという凝った仕組みです。

これを600年前に作った?信じられません。

ランチです
ツアーのランチは予め予約してあるレストランに入って頂きます。ヨーロッパはレストランとメニューによってはランチでも軽く1時間とか1時間半くらいかかりますので、やはりツアーは効率がいいですね。

飲み物は別料金になっていて、その都度注文をします。私はビールを必ず頂きますのでドル換算で3ドルくらいを払います。
ビールはお昼に1杯、夕食時は1〜2杯とかなり控えめです。

料理はまあまあですが、ビールはどこに行ってもおいしかったです。

屋外レストラン
ランチはこういうところで食べたいですよね〜、このツアーではとうとう1回もアレンジはありませんでした。

プラハは冬はかなり寒いところで(平均)最高気温は0℃くらいで、空もどんより曇っているそうです。
ですから夏はこのように外で食事をして、積極的に太陽の陽を浴びる、という生活をするのですかね。

今回の旅では私は使いませんでしたがチェコもトイレはレストランなど以外は基本的に有料です。(10CZKくらい)

チェコのビール
チェコは1人当たりのビール消費量が世界一なんですね。私はベルギーだと思っていましたが、ベルギーは25位でした。

・1位 チェコ: 192リッター(大瓶300本)
・20位 アメリカ: 74リッター(大瓶116本)
・52位 日本: 40リッター(大瓶63品)


以上は2018年の統計で年間消費量です。
この6つのグラス、いろんな味が楽しめるのですね。これ日本酒でやった事あります。
飲みたかった、、、、、。

旧市街地広場(1)
プラハで宗教改革を行ったプロテスタントの指導者、ヤン・フスという人の像で、1915年に制作されたそうです。

昔はキリスト教はその立場を利用して、いろんな商売などにも手を出したりして堕落したのでこれを本来の姿に戻そうとした、というのが宗教改革、でしたっけ?違うかな〜。
よくわかりません。誰か教えて。

日本では坊主(仏教徒)が勢力持って比叡山で毎日酒盛りやっていたのを、織田信長が一網打尽にしてからおとなしくなった、というのがありましたが。

旧市街地広場(2)
これは確か時計塔に上がって上から見た景色だったと記憶しています。

とにかくいろんなところにドンドン連れて行かれるのでメモ取ったり、写真撮ったり、べっぴんさんに気を取られたり、忙しくてうろ覚えなところが一杯あります。

しかしこの風景を見ただけでプラハに来て良かった、、、と思える程でした。
広場の中心から眺める風景も素晴らしいですが。

旧市街地広場(3)
人が集まっているのが見えます。何してるのだろう?
双眼鏡などがないときはデジカメで光学ズーム撮影してそれを拡大して見ると詳しく見えます。

高校生くらいの団体がただ座り込んでいるだけでした。夏休みに入っているのでこういう団体を結構見かけました。

午後は自由行動か、ガイド・添乗員と一緒に回るか選べたので私達は添乗員さん達と一緒に回る方を選びました。
ガイドさんは日本に留学したことがあるという女性で、大変上手な日本語をしゃべってくれました。

ハベル市場
旧市街からブラビラと歩いて市場を通りました。野菜とか果物を売っていました。キューイ・フルーツが100gで15CZK(60円くらい)、という値札がついています。

プラハの街は主要な観光地は全部歩いて回れます。
ゆっくり回って、適当に休んでビール飲みながら人波を見て、という観光をするならば4〜5日は必要かも知れません。

観光客は東洋人は殆ど見かけませんでした。日本人グループを1つ、それと大陸人グループを1〜2くらいでした。
英語喋ってる白人もいましたのでイギリスあたりから来ていたのでしょう。

バスで移動です
大型バスで16人+ガイド+添乗員ですからゆったりです。
3日目はチェスキークルムロフ経由、オーストリアのハルシュタトに向かいます。

でも、昨日はよく歩いたな〜、、、12〜3km、いやもっと歩いたと思いますが60才以上の皆さん元気です。
旅行は時差ボケを吹き飛ばし、そしてどこまでも歩ける元気、これがないと行けません。

チェスキークロムロフまでは180km、3時間の旅で、車窓からの風景は本当に飽きません。

チェスキークロムロフ(1)
観光バス駐車場からブラブラと歩いて行きます。
ここは、「16世紀が残っている世界で一番美しい街」、と言いうキャッチフレーズで、南ボヘミアに位置します。

年々観光客が増え、大陸人(中国人)の観光客のマナーが悪く非常に困っている、とガイドさんが言ってました。
そこでバスで来ての短い時間の見学(3時間以内だったかな)は制限する、という方法で乱入を防止しているそうです。

この姿勢は京都も見習うべきではないかな?

チェスキークロムロフ(2)
時間は12時少しを回っており、先ずレストランに行って食事です。スープ、大きめのマスを焼いたのとジャガイモ、質素ですがこれで十分です。

グループツアーですから食事の時にそれぞれ参加メンバーの方達といろいろと話しをする事になります。
皆さんどこから来たかと言うと三重県が4人、残りの12名の方は全部は話しませんでしたが殆どが愛知県だったと思います。
事前に訪問先の勉強を詳しくやってきた方が見えて、ガイドさんと専門的な話しをされてました。

チェスキークロムロフ(3)
食事を済ませてブラブラと歩きます。
グループツアーではワイヤレス・レシーバーを1個ずつ渡され、それでガイドさんからの説明を聞きます。
腰に下げたスピーカーでガーガーとやるのは今では一部の国を除いて禁止です。

街中は見事な石畳で、これは近年に修復されたところも多いという事でした
建物も基本的にはオリジナルなんでしょうが、ペンキで塗られたりして、きれいにお化粧されているのが目立ちました。

チェスキークロムロフ(4)
チェスキークロムロフ城の方に歩いて行きます。
こういうところの観光は季節が一番大事で、やはり夏が最高でしょう。

後で調べた事ですが、チェスキーとはチェコ語で”ボヘミアの”、という意味で、クロムロフは”川の湾曲部の湿地帯”、という意味だそうです。
我我が訪れたのはこの曲がりくねった川、”ヴァルタヴァ川”に囲まれた市街ではなく、外側にあるお城のみを訪れただけというのが配られた地図を見てわかりました。
ここは小さな街とはいうものの、全部見学すると2日はかかると思います。

ここの歴史はヨーロッパの歴史に詳しくない私には断片的にしかわかりませんが、近代になって、”オーストリア・ハンガリー帝国領”になり、その後、”チェコスロバキア領”になり、更に第二次大戦では”ナチス・ドイツに占領”され、という工合で我々から見ると複雑です。

第二次世界大戦後は”共産主義化”され、プラハの春で自由を求めたが”弾圧され”、1990年のソ連崩壊で”チェコ国”の一部になって今は”EUに加盟”、している、という事で本当に波瀾万丈です。

チェスキークロムロフ(5)
日本人のご婦人は200m先から識別できます。
それはみなさん帽子を頭に載っけているからです。

これは私の大先輩のSさんの奥さんに随分前に言われて、その後観察を続けた結果、「ナルホド」、と納得しました。
奥さんとバンコックで会ったとき、「Nさん、日本人はみんな帽子かぶるのよ、だからわかりやすい」

Sさんの奥さんは私と同じ年令でインドネシア人、5〜6カ国語喋りますが、今は日本語が一番得意だそうです。

ちなみにこの奥様も大抵帽子を頭に載っけてみえます。

チェスキークロムロフ(6)
これがお城の塔から見たチェスキークロムロフの街です。
よく見るとオープンカフェなども見えます。きっとビールを飲んでいるのだと思います。

16世紀と言うと日本の江戸時代。江戸時代の”ある程度の規模の風景、街並み”は日本中を探しても残っていません。
当然写真もありません。
浮世絵などで当時を想像するだけです。

当時の人はこの街でどんな生活をしていたのだろう、、、私はそういう事を考えるのが大好きです。

チェスキークロムロフ(7)
随分前にフランスに行った時にこんな話を聞きました。

「昔は宮殿も含めて家にトイレはありませんでした」
「通りの家では排泄物は大きな壺に溜めて、時々窓から道路目がけてザーッとやるのです」
「気をつけないと頭から黄金を浴びる事になります。道路の汚れと匂いはすごかったと思います」


これはアメリカも同じで、エジソンが育った家に行った時、トイレはありませんでした。溜めておく壺が寝室に置いてありました。これを裏庭にザー、だったそうです。

チェスキークロムロフ(8)
通りには土産物屋が少しだけありました。
私は以前は行った先々で記念にマグカップかビールジョッキを買っていました。
何年か経って止めました。数が増えてあまりにもかさばるからでした。

そこで今回もビールジョッキを買う代わりに”ビールを飲む”ことにしました。
広場横のちょっと下がったところにある店に入り、ジョッキ一杯の冷えたビール、、、。
歩き回ってちょっと汗ばんだところだったので最高でした。

チェコからオーストリアへ
チェスキークロムロフの観光を終えて、再びバスで190km約3時間、オーストリアのハルシュタットに向かいました。

ハルシュタットは非常に人気のある観光地で、昔から岩塩採掘の町だったのですね。知りませんでした。

ハルシュタットの意味は”塩の場所”だそうで、採掘は今でも続いているそうです。

この日は合計6時間もバスに乗りました。
ハルシュタットにも2泊です。

中欧の旅、最初の3日間で感激の連続でした。
観光で来ている訳ですから、生活感とは関係ない場所を効率よく回る、、、。やはり初めての国とか場所はグループツアーも悪くはありません。

メンバーは同じような年令の人ばかりで、これも非常にいいと思いました。それとはなしに現役の頃の仕事の話しをするとサラリーマンの方が多く、それ以外ではひとり歯科の先生がいたくらいでした。

4日目からはオーストリア、その後ハンガリーと訪れましたので別トピックにしました。