中欧の旅−4 : 2019/6/10〜2019/6/20 |
今回の旅の最後の国、ハンガリーです。一般的にハンガリーというと日本人にとってのイメージは、、、そもそもヨーロッパの地図の中から正確に示せる人がどれくらいいるか、そんなに多くはないのでは、と思います。 ハンガリーってかつてはヨーロッパの中でも大国だったのですね。 私もぼんやりしたイメージと、行く前の付け焼き刃的な知識だけで訪れましたが素晴らしい国でした。 旅も最後の方になってくるとメモも相当に乱れてきます。でも何とか整理してコメントを書いてみました。 |
夕食です | ||
簡単なフルコースでした。まあ可もなく不可もなく、って感じですかね。 ウイーン観光で歩き回り、列車に2時間半乗って来たし、旅も8日目だし、という事で皆さん疲れはどうかなと観察すると、とにかく元気です! 私達も疲れは感じません。 毎日の総歩行時間が日程表に書いてあり、最初のプラハが4時間でそれ以外は2〜3時間程度。 やっぱり余裕をもってプランは組んであるんですね。 |
部屋からの眺め | ||
部屋の窓は一面で、ドナウ川の向こうに左から王宮、鎖橋、それに漁夫の砦が見えます。 手前には遊覧船、それに遊覧船を利用したレストランなどがあって客も結構入っています。 ナイトクルーズの遊覧船が時々見えます。 感激ですね、この眺めは。 今まで世界中いろんなホテルに泊まりましたが”ホテル日航香港からの夜景”、モニュメントバレーの”グールディングズ・ロッジからの日の出”、に次ぐ眺めです。 |
マーチャーシュ教会(1) | ||
ホテルの部屋から塔が鎖橋の右側の遠くに見えており、これがマーチャーシュ教会です。 ブダペストのシンボル的な教会だそうですが、ツアーで毎日教会を見ているとちょっと食傷気味になります。 ドナウ川の西側がブダ、東側がペストでそれぞれの町が1873年に一つになって”ブダペスト”。 ブダペストはヨーロッパで最も美しい町の一つで、年間300万人近くが訪れているそうです。 しかし、多くの建築物は第二次世界大戦で破壊・破損し後に再建・修復されたものが多いのです。 |
ちょっと寄り道です | ||
マーチャーシュ教会、漁夫の砦付近はブダペストの一大観光地で大変な人混みです。 しばらくすると添乗員さんに、「さあ、ちょっとお買い物に行きましょうか」、と言われ喧噪を避けて街の通りに出ました。 そうです、このツアー2回目の土産物屋紹介です。通りをしばらく歩いて一軒の小さな土産物屋に入りました。 土産物屋と現地旅行会社というか現地ガイドの関係というのはズバリ、あの手この手のバック−マージンで繋がっているのが殆ど。 今までの経験で一番ひどかったのは、行く前に申し込んだオプションツアーを現地でキャンセルさせ、現地ガイドが紹介するオプションツアーに参加させるというもの。 これはサンフランシスコでありました。 NYの1日観光ではガイドが説明そちのけで、夜のオプションツアーの売り込みに必死というのもありました。 上海では現地ガイドがお茶屋でがっぽりリベートもらっているところを目撃、私がじっと見てるとグッとにらんでその場を離れた、なんて事もありました。 |
イシュトヴァーン大聖堂前広場 | ||
大聖堂の前は大きな広場になっており、この巨大な聖堂の写真を撮るためには広場の端の方というか少なくとも真ん中辺りまで行かなくてはなりません。 が、行きませんでした。 従いまして、大聖堂の外観の写真はありません。 ハンガリーは建国1000年で様々な建物を建てた訳ですが、日本はあと320年で建国3000年。 その時日本はどんな国になっているのだろうか、そもそも日本という国が存在しているのだろうか、、、、。 |
ハンガリーのビール | ||
今までとちょっと違います。このレストランは珍しくサイズを選ばさせてくれました。 私は文句なしに”大”。 日本とかアメリカ・カナダではキンキンに冷えたビールというのは常識ですが、そうじゃない国というのは結構あります。特に中国に行くと”冷えてないビール”が普通ですね。 それと注ぎ方ですが、日本のように泡を4分の1くらい入れて出すというのは一般的にNGです。 客から、「何で泡入れて出すんだ?」、とかのクレームが出るからです。 |
英雄広場(1) | ||
高い塔と左右に扇形に拡がるモニュメント、その支柱の間には7人、合計14人の像が立っています。 そのうち8人の像は有名な国王、6人が有名な政治家・軍人です。 これも建国1000年を記念して1900年に完成したたそうで、広場は本当に広場で、とにかく広いです。 ハンガリーは第二次世界大戦ではドイツからの圧迫で枢軸国側として戦い、敗戦直線の1944年12月から1945年2月までドイツ軍と共にソ連軍と戦い破れ、ソ連に占領されて結局はソ連の衛星国に組み込まれてしまったという歴史です。 大戦中枢軸国側から逃れようとしたのですが、逆にドイツに占領されて親ドイツ政権ができ、この時にホロコーストで25万人のユダヤ人が殺されています。 ブタベスト包囲戦でもドイツ軍、ハンガリー軍、ソ連軍の死者は30万人、市民4万人が亡くなっています。 ほんの数十年前にはそういう歴史があった、というのは美しい街並みを見ていると信じられません。 |
英雄広場(2) | ||
1750万人が訪れる観光国ですが、見ているとやはり団体のグループが目立ちます。 個人旅行でプダペストまで来て、1日か2日グループツアーで有名な場所を巡り、あとは自由にゆっくり見て回る、という方法の人が多いとガイドさんが言ってました。 私達も初めてのところは1日だけグループツアーで案内してもらい、そのあとは自分たちで好きなところを巡る、という方法をとっていました。 でも最近は丸ごと全部グループツアー、というのが増えましたね。 |
お母さんと子ども | ||
日本では若い夫婦がこれくらいの小さな子を連れて旅行をするのは珍しくはありませんが海外、特に欧米ではあまり見掛けません。 ハワイなどに行って、小さな子どもを連れて来ているのは日本人が圧倒的に多いのはご存じのとおり。 欧米人もファミリー旅行だなという姿を見掛けますが、3才以下くらいとかの子どもを連れているというのは少数派です。 考え方の違いと言えば、アメリカでは赤ん坊を連れて飛行機に乗る時、睡眠効果のある害のないクスリをミルクに少量入れて飲ませる人もいます。 |
中央市場(2) | ||
今回はハンガリー料理を堪能する、というような企画は含んでいませんでした。ハンガリーのレシピは一般的に日本人の口に合うそうです。 やはり1回くらいはそういう料理を食べさせる、という日があってもいいんじゃないかと思いました。 野菜とか肉の味付けは調味用のパプリカを使うことが多いそうです。 ここは06:00からやっており、閉まる時間は曜日によって違いますが大体17:00頃のようです。 |
中央市場(4) | ||
そんな訳で観光客用の市場、それなりに楽しめました。 お店のメインのバイヤーは地元民というより、この付近のレストラン・飲食店なんでしょうね、きっと。 だって買いもの袋持った人って、殆ど見掛けませんでしたからね。 イタリア、ドイツなどで青空市場に連れて行ってもらいましたがこういう室内の市場は今回が初めてでした。 ここはブタペストに北観光客は必ず行くところだそうで、確かに1回は見ておくのもいいところ、ではありますね。 |
さあ、ドナウ川クルーズです | ||
ドナウ川の真珠、プダペスト。 そのブダペストをドナウ川からナイト・クルーズする、しかも貸し切りで。 しかしナイトクルーズとは言うものの6月17日、つまりほぼ夏至の夕方。空はかなり明るいので”Night Cruise”ではなく、”Dusk Cruise”、じゃないか、と突っ込みたくなりますが、まあいいでしょう。 ドナウ川はやはり清水ではありませんが、ゴミもなくきれいな川です。ドナウ川とはドイツの南部の森林地帯から10カ国を流れて黒海に注ぐ全長2850kmの大河です。 |
ドナウ川クルーズ(2) | ||
鎖橋です。私は建築は素人ですが、このような工事を江戸時代(1849年)にやったとは、どういう事だ!と思ってしまいます。 これができる前までは洪水の度に流される浮橋で、この橋がブダ地区とペスト地区を結ぶ最初の橋だそうです。 その後構造の異なる橋が幾つも掛けられ、この橋が最も美しい橋、とされています。 ところで基礎工事は水中深い工事になると思うのですが、そんな時代にどうやってやったのでしょう。 考えるとキリがありません。 |
ドナウ川クルーズ(3) | ||
鎖橋をくぐると左側に私達が泊まっている”インターコンチネンタル・ブダペスト”が見えてきました。 ドナウ側にぴったり面しているのがよくわかります。ですから部屋からの景観は★★★★★です。 時々遊覧船と行き交いますが、乗船客は多くはありません。中途半端な時間帯だからでしょう。 明るい日差しの中の風景ならもっと早い時間帯、夜景を楽しむならもう少し襲い時間帯ですからね。 でも夕焼けの始まっている頃の景色もよかったですよ。 |
ドナウ川クルーズ(4) | ||
これにはびっくりしましたね〜。全長が100m近くありそうな遊覧船です。 前方40%はレストランなど、残り60%くらいは船室で宿泊できるようになっていました。 レストランの方は客がちらほら見えましたが、船室の方は誰もいないような感じでした。 川ですから大きな波はないので大丈夫なんでしょうが、海に出たら船体が折れてしまうのではないかと思いました。同じようなタイプの船は他にもう一隻反航していきました。 |
ドナウ川クルーズ(7) | ||
クルーズは川上に向かいますので、陸との相対的なスピードはゆっくりです。ですから景色を眺めるには好都合です。 40分くらい行ったところで反転をして船着き場に戻る時は今度は川の流れに乗りますので、20分くらいで到着です。 このクルーズはブダペスト観光のハイライトの一つと言われており、乗ってみてそのとおりだと思いました。改めてプダペストの美しさを認識しました。 船着き場にはこれからクルーズ船に乗る人たちが結構詰めかけていました。 |
最後の夜 | ||
ホテルに着いて風呂に入り、そのまま寝るのは何となくもったいない。 という事でロビー横のバーに行って一杯やる事にしました。バーには何人かいましたが、東洋人は私だけでした。 ホテルには私達以外にもう一組の日本人グループ・ツアー客がいたのですが皆さん、こういうところにはなかなか来ないのですね。 ビールを2本ほどゆっくり飲んで部屋に戻りました。 正確な値段は忘れましたが、ビールはエライ安かったと記憶しています。 |
朝の散歩 | ||
今日は帰る日です。空港に行くまでに時間がありましたのでホテルの周りをブラブラ散歩してみました。 この日は火曜日、電車の乗客は勤めに行く人でしょうか、中はそれほど混んでいません。 ヨーロッパ各国も始業時間は早い(7時とか、7時半)ようなので、ラッシュは終わっていたのかも知れません。 ハンガリーはブダペスト市内をぐるっと回っただけで、田舎をバスで走るとかいうのがありませんでした。 ですから”生活の香り”を嗅ぎ取る機会はなく、ちょっと残念でした。 |
ブダペスト空港 | ||
空港に行ってびっくりです。人でごった返していました。 免税の手続き、ガイドさんに、「やったらどうですか」、と言われたのでアテにしないで一応書類だけは提出しておきました。何ヶ月かして僅かですが振り込みがありました。 税金と言えばハンガリーの所得税は一律で15%。消費税は27%で、食品とかには軽減税率が適用されます。 給料は普通支給の3分の1くらいは様々な税金などでなくなってしまうそうです。 ここでもいかに日本が税金が安いか、わかります。 |
ヘルシンキ空港 | ||
日本からJALでヨーロッパに行く場合、各都市直行便は昔に比べてうんと少なくなりました。今はパリ、ロンドン、フランクフルト、モスクワだけになったと思います。 スペインとかポルトガルのツアーを見るとフィンエアーのヘルシンキ経由、というのが殆どです。 ヘルシンキからリスボンなんて4時間くらい掛かるので、せめてフランクフルトまでJALの機体で行って乗り換え、というのがいいのですがね〜。グループツアーではこういうのは見掛けませんね。 コードシェアー便というのは基本的にダメですね。 |
お土産 | ||
今回の旅行で私が買ったお土産はこの2つです。 一つはボヘミアングラスの花瓶。これは日本酒を入れるお銚子用にぴったり!重くてズッシリ、ちょっと高かったのですが思い切って買っちゃいました。 もう一つはハンガリーの刺繍。ウサギ小屋のマンション住まいなので、小さいのを買いました。 一杯やる度にプラハの街を思い出し、書斎で横を向く度にブダペストを思い出します。 |
”60歳からのゆったり中欧3カ国、10日間”、というタイトルの旅、総合評価は90点でした。 グループツアーというのは添乗員、ガイド、それにメンバーの相性で決まります。今回はそれぞれ90点で、非常に楽しく旅をする事ができました。 訪れた3カ国はそれぞれ特徴があり、感動しました。どこがよかったですか?と聞かれる事が多いのですが、答えは、「全部!」です。 中欧はあとはポーランド、それにロシアにも是非行ってみたいですね。 そのうち計画したいと思っています。 |