ハワイ(3) : 2020/1/30〜2020/2/17
今年のハワイはちょっと長くて約3週間弱の滞在でした。今まで2年連続で同じ時期にハワイに行きましたが、いずれも1週間程の滞在で、ゆったりと過ごしたいという私達にとっては短すぎる日程でした。
コンドミアムはルールで2週間連続では使えないので、真ん中の1週間は普通のホテルに泊まり、前後1週間をコンドミアムに泊まるというスケジュールにしました。
滞在の途中で滞在場所の変更が入る事になりましたが、仕方ありません。

私たちにとってハワイ行きの目的は観光ではなく、生活する場所を三重県からハワイに変えるというのが目的です。以下は適当にシャッターを押したスナップショットとコメント集でダブり、意味曖昧、勘違いなどありますが、率直な記録という事で作ってみました。

出発です
フライトはいつものETD22:30のJALです。
ラウンジもガラガラ、これもいつものとおり。軽く一杯、これもいつものとおり。
何にもかもいつもと同じ、これもまた良し、です。

時間になったのでゲートへ。この時は既に中国でコロナ感染のニュースが出ていましたが、”まだまだよその国の出来事”、くらいの感じでした。

このあと中国から世界中にウイルスがばらまかれ、大変な事になるなんて夢にも思わず、でした。

離陸直後
この日は冬にもかかわらず珍しく南に向けて離陸、大きく右旋回をしながら高度を上げていきました。

天気も良く、四日市市から名古屋市にかけての見事な夜景が窓から見えます。
こういう機会は多くないので、しばし素晴らしい夜景に見とれていました。

さあ今から日常を離れて旅に出る、まあゆっくりと3週間を過ごそう、そんな事を考えながら眺める飛行機からの夜景は格別です。

間もなくホノルル空港到着です
オアフ島の西南端を左に見ながら飛行機は降下しつつホノルル空港に向かいます。上から見る住宅地の様子はアメリカでよく見掛ける共通の模様です。

しかし模様は地域によって少し違い、オハイオ、インディアナとかの中西部州の郊外の家並み模様は、もう少し疎らな家々の隙間が広い模様が多いように思います。

ハワイは島で山もあり、住宅地にできる土地は自由自在という訳でもないからでしょうか。

ワイキキの夕焼け
予定通り空港に到着、今回は一昨年と同じ22Fの部屋です。私は34Fより22Fの方が間取りも良く、景色も見やすいので気に入っています。

この時点でアメリカでは既に何百万人もの人がインフルエンザに罹り、1万人以上が死亡している、という状況でした。
アメリカでは予防接種は毎年会社では食堂で、外に出るとスーパーの薬局などで(保険に入ってれば)無料でチョンチョンとやってくれていました
あれってドクターじゃなっかと思うのですが、”flu shot”をやりましょう、って張り紙がありました。

ベランダにて
麦ジュースは(なるべく)午後から頂くようにしています。ベランダで風に吹かれてユーチューブの音楽聴いたり、日本の友人達とSKYPEで話すこともあります。

今回は3週間の滞在で時間に余裕があるので本3冊と雑誌1冊を持ってきました。
麦ジュース飲むといい睡眠薬になり、寝室に行ってゴロンと横になる事もあります。

日本のテレビも見れるようになっていますが、私は見る事は殆どありません。

ランチ
朝食はミルク、野菜ジュース、パン、チーズ、ハム、などでこれは日本にいるときと同じです。
私はカミさんより早く5時頃に起床するので、ベランダで体操してからひとりで朝食を頂きます。

昼食はどこかへ行って簡単に済ませる事が多いです。ロイヤルハワイアンセンターのフードコートにベトナムのフォーの店があり、時々頂きます。
あっさりして私は好きです。
日本のラーメンもありますが、1回食べたら「ウーン、、、」で、その後行ってません。

カラカウア通り(1)
この辺りが観光客が一番多いところで、いろんなお店も一杯あります。
今回は真ん中の1週間はホテルに泊まるので、どこかに出かけるのは中1週間にして、コンド滞在中はあまり出かけない、というパターンでした。

予定している面会者は、昨年と同じく販社のKファミリー、50年前から付き合いのあるYファミリー、それにオハイオでの私の上司であったAファミリーの3組。
Kファミリー、Yファミリーは昨年に続いて連続で、偶然とは家少々びっくりでした。

カラカウア通り(2)
コンド(左の高い建物)を出て2〜3分歩くとデューク・カハナモクの像があり、この前がトロリーの乗り場になっていて本当によく利用させてもらいました。

JALはフライトを利用するとパス発行してくれるので、JAL専用のトロリーを使う事が多いです。
トロリーはいつもゆったりと座って乗れます。

遠くまで行くときは有料のトロリーに乗る必要がありますが、値段もリーズナブルで便利です。
更に遠くへ行くときは普通の”バス”を使います。今回乗ってみましたがこれも便利です。

オアフ島にもとうとうモノレール(高架鉄道:HART)が間もなくできるそうです。先ずアロハスタジアムからカポレイ地区が開通し、その後延長されるそうです。

朝夕のフリーウエーは結構な混み具合なので、これが緩和されるのではないかと思います。
開通したら一度乗ってみたいものです。

カピオラニ・パーク(1)
コンド滞在中もなるべく1日に1回以上は散歩に出かけるようにしていました。

散歩にはワイキキから東のカピオラニ・パーク方面のビーチ沿いをブラブラ歩くのがが最適です。こちらに来ると日本人観光客はあまり見なくなります。

このままずっと歩いて行くとダイアモンドヘッドの南西に近づき、幾つかのホテルがあります。
でも日本人は少なそうです。日本人はやっぱりワイキキに近くないとダメなんですね。

カピオラニ・パーク(2)
ワイキキ水族館の付近になると更に人が少なくなり、静かな雰囲気になります。
歩くのもいいのですが、アメリカ人などのようにレンタバイクで走るのも悪くはなさそうです。

注意しなくてはいけないのはトイレが少ないのと、飲み物などを売っている場所が少ない点です。水はボトルを冷蔵庫で凍らせて持ってくる、、、これがベストです。

コンドから離れたホテル群まで往復で2.5kmくらいですから丁度いい散歩になります。

ショア−ライン・ホテル(1)
最初の1週間はコンドに宿泊、次の1週間は普通のホテルに泊まりました。
いろんなホテルがあり迷いましたが便利な場所で値段も安く、評判も悪くない、というホテルがこの”ショア−ライン・ホテル”。

DFSとかロイヤル・ハワイアンセンターまで歩いて数分という便利さ。
評判では裏から聞こえてくるバンドがうるさいとかありましたが、これも22:00でピタリと止めるので問題ありませんでした。

ショア−ライン・ホテル(2)
ホテルはコンドのように滞在型ではないので、この1週間はあちこち出歩く事にしました。
宿泊客も変なのはいませんでしたし、日本人も何人か見掛けました。
付近には日本人御用達の有名ホテルも多くありますが、こういうリーズナブルな所に泊まって施設だけ利用させて頂く、というのも方法かも知れません。
総合で”穴場のホテル、OK!”、でした。

しかしホテル全体のこのカラフルというか原色のデザイン、ハワイらしいと言えば、言えなくはないのですが、、。

ダイアモンドヘッド・トレイル(1)
いつもコンドから双眼鏡で見ていたダイアモンドヘッドの頂上、登るなら朝一番と思っていましたのである日登り口の確認、くらいのつもりで行ってみました。

トロリーバスで行くと入り口付近まで連れて行ってくれます。入り口で1ドルだかの登山料を払います。が、係の人は私の顔をチラと見ただけで私達からはお金を取りませんでした。
前の白人からは取っていましたが、どうしてかな?シニアは無料だったのですかね。
いずれにせよ、目でお礼を伝えました。

ダイアモンドヘッド・トレイル(2)
何人かの人が登り口の方に歩いて行きます。やっぱりせっかくここまで来たのだから登ってみようか、という事になってとうとう頂上まで登っちゃいました。

時間としてはゆっくり歩いて40分くらいでした。階段も少しありそれなりの運動量でした。
やはり頂上の展望台からの景色は”絶景”、なかなかのものでした。
この日は登って正解でした。1週間後に来たAさんの話によると、その時は人が多すぎて途中で身動きが取れずギブアップ、リターンしたとの事でした。

バスに乗ってみる景(1)
ハワイでは遠くへの移動にはレンタカー以外にバスが使えます。
料金はその都度払ってもいいのですが1日乗り放題というのがあるのでこれを購入しました。乗るときに運転手に言えば購入できます。

私達はアメリカの健康保険(Medicare)があったのでこれを見せると2ドルで購入できました。ラッキ〜!
ホノルル市内のバス停にはバスの係の人がいる時があり、行きたい場所などを聞くと親切に教えてくれます。

バスに乗ってみる景(2)
バスに乗ると途端にハワイ(ホノルル)の市民の顔が見えてきます。観光客はあまりいません。と言うか、日本人観光客はほとんどいなくなります。

私は最初にハワイに来たのは40年以上前(1975年)で、その時にバスに初めて乗りました。運賃は25セントで1回の乗り換え券(transfer ticket)を発行してくれました。

その時、後ろの席にテレビで見た事のあるある日本人の歌手が乗っていたのを今でも忘れる事ができません。

兵隊さん割引
ワイケレのアウトレット・モールに行った時に見つけました。軍に所属しているというIDを見せれば本人そして家族も含めて割引します、というサインです。
ハワイの産業は1位;観光業、2位:軍・防衛関係、3位:農業となっており、沖縄と似ているかも知れません。

アメリカでは兵隊さんが外出してレストランなどで食事をしていると客の誰かが支払いをしてくれる、というのがあるそうです。
兵隊さんを見て”our sons”とか”our boys”という言い方をする人もいました。

ステーキ
私はステーキも好きです。アメリカ(ハワイ)で今日は何を食べるかな、、、というときはステーキハウスに入るのが一番です。メニューも簡単ですし、注文に迷うこともありません。
よくわかんないときは柔らかいのはどれ?人気のあるのはどれ?お勧めはどれ?くらいの感じで聞けばOK.
アメリカはウエイター、ウエイトレスにチップを払うので、大抵は親切に教えてくれます。
フードコートのステーキもそんなに悪くはありません。

アメリカですから霜降りはありません。

戦艦ミズーリ記念館
今まで私はパールハーバー地区の観光地には足が向きませんでした。
理由の一つが”パールハーバー騙し討ち”に代表される日本悪者説の殿堂ではないか、という事で見学しても不愉快になるだけ、という気がしていたからです。

少し前にある方から、「そんな事はないよ、非常に公平・冷静に日本を扱っているよ」、という話を聞いたので行くことにしました。
今回は”戦艦ミズーリ”と”パールハーバー航空博物館”に行ってきました。

戦艦ミズーリ記念館:兵員食堂・兵員室
見学のチケットを買って巻手荷物を預け、シャトルバスに乗ると艦まで連れて行ってくれます。甲板に上がると日本語案内の係の女性がいて甲板の上だけ案内をしてくれました。

巨大な艦です。
ミズーリは昭和20年8月29日に、マッカーサー元帥率いる連合軍側と日本政府代表団との間で降伏文書調印式が行われた日本人にとって縁の深い戦艦です。

この時のエピソード、艦の概略など、割とていねいに説明をしてくれ、その後は自分たちで艦内見学を行いました。

戦艦ミズーリ記念館:先任警衛伍長室・工作室
Master at arms(先任警衛伍長)というのは下士官兵に対する規律・風紀の維持、服務の指導などを行う下士官のトップの事だそうです。非常に大きな権限を持つようで、これが執務をするオフィスとありました。

工作室は大型の旋盤、溶接設備、その他機械加工設備一式などがあり、小さな工場のようです。

出航してしまえば、修理・メンテナンスは全て艦内で行わねばならないので、そのための部品も作るそうで、正に”Made in USA”である、と書かれてありました。

戦艦ミズーリ記念館:士官食堂
ミズーリは1944年に就役、1955年に退役、1986年に再就役、湾岸戦争に出動後1992年に再度の退役となった戦艦です。
再就役時の乗組員は約1500名、そのうち士官は約90名で、これは上級士官用の食堂です。それぞれの役割に応じて椅子が決まっていたようです。
航海、軍医、兵装、機関などが読めました。

下士官兵用の食堂はいくつもありましたが、士官用は2つと説明にありました。

戦闘操舵室
戦闘時の操舵は防御された区画の中で行なわれます。区画は装甲14インチ(35cm)の巨大な円形の部屋で、中には操舵関係の装置があり、ここから操舵をします。視界は幅3cmくらいのスリットです。

扉の厚さも35cmあり、戦艦の主砲の直撃を受けない限りは破壊されない場所です。
ミズーリの主要な部分はこれくらいの厚さの装甲で覆われており、もっと厚い部分もあると書いてありました。

ちなみに日本の戦艦大和は艦橋の装甲が50cm(!)あったそうです。

石野節雄兵曹(1)
1945年4月11日、ミズーリは沖縄北西海域で日本海軍機の特攻を受け1機が突入、爆弾は不発で機体の破片の中から操縦員の遺体(上半身のみ)が回収されました。

艦長のウイリアム・キャラハン大佐はこの搭乗員に対し、”名誉を持って自らの任務を全うした”、という理由でもって多くの反対があったにも関わらず、正式な海軍式の水葬を翌日に行いました

特攻機の突っ込んだミズーリ−右舷のダメージはその後も修理されることなく今も残っています。

石野節雄兵曹(2)
この搭乗員が誰であったのか長らくわからなかったのですが、20年ほど前に当日鹿屋基地から出撃した石野節雄兵曹(19才)と判明しました。
石野兵曹は岡山県出身、家族の写真の中の飛行機を持っている子どもが本人だそうです。
出撃前の石野兵曹の遺書も残っているそうです。
艦長は水葬にあたり、日の丸の作成を命じ、それで遺体を包んで水葬にしたとありました。

ワイキキに日本人は一杯いますが、ここに来る人は少なく、当日も見掛けた日本人は私達以外に2人だけでした。

乗員の出身州
岸壁にはアメリカの州旗が立てられていましたが、これはかつての乗組員の出身州のようでした。

ミズーリは合計17年間を現役として任務に就いていたので、乗組員は延べ何千人、何万人もいたと思われますので、出身者は恐らく全ての州からではないでしょうか。

オハイオ州の州旗ももちろんありました。
アメリカの戦艦の名前は州名になっています。戦艦オハイオというのもあったと記憶しています。

パールハーバー航空博物館(1)
戦艦ミズーリからシャトルバスに乗って直ぐに到着、今は使われていないフォード島の格納庫内に展示場があります。

入ると真っ先に目に入るのが零戦21型です。見事に修復された零戦は朝焼け空のスクリーンの前に展示されており、エンジンを搭載すれば飛行可能だとか。

他のアメリカの飛行機の色が褐色、黒系に対し零戦は明るいグリーン・ブルー、何とも言えない清々しい色と展示です。ちょとびっくりしました。

パールハーバー航空博物館(2)
パールハーバー攻撃の侵入経路などが詳しく書かれてあり、日本が成功した理由について3つを挙げてありました。
1.高性能な航空機
2.高い技量の搭乗員
3.よく検討された戦術

ここはS17年末までの日米が拮抗していた頃の航空戦についての展示・解説がメインで、日本が敗北したミッドウエー海戦の説明などは小さく書かれていました。

全ての説明・解説は某国の展示のような政治的な意図を全く感じない、非常に質の高い内容だと感じました。

パールハーバー航空博物館(3)
屋外、それともう一つの格納庫には太平洋戦争とは関係のない航空機の展示がされていました。
日本人はこういう博物館には子どもとか、飛行機マニアが行くところ、という捉え方をする人が多いのですが、アメリカでは教育施設の一部、という扱いのようです。

日本人の姿はパールハーバー航空博物館に至っては皆無でした。
広い飛行場には80年前と同じ白黒に塗られた高い管制塔が今でも立っていました。

イオラニ宮殿
1882年に竣工、1893年にハワイの王政が廃止されるまでカラカウア王、カピオラニ王妃が宮廷として使われていた建物です。

その後は1969年にハワイ州庁舎ができるまで行政府として使われていました。
素晴らしい建物で、周囲の敷地などもよく整備されています。

ハワイはアメリカ政府によるハワイ王国の乗っ取り(移民と経済支配)、その後傀儡政権(ハワイ共和国)を作り、更に準州にしたという歴史があります。

アリイオラニ・ハレ(1)
かの有名な”カメハメハ大王像”、今まで近くをバスで通ったりして遠くからしか見ていませんでしたので、今回はきちんと訪問させて頂きました。

大王像はここ以外にハワイ島に2体、ワシントンDCに1体の合計4体がアメリカにはあるそうです。
カメハメハ大王は1810年にハワイ諸島を統一、ハワイ王国を建国した人です。
像は大変美しく、1878年にキャプテンクックのハワイ発見100周年記念でイタリーで制作されたものです。

アリイオラニ・ハレ(2)
建物は1874年に建てられ官庁舎として使われ、イオラニ宮殿完成後は裁判所として使われていました。内部は法廷とかこれに関係する展示物が公開されています。

歴史的に重要な意味を持つ建物で、合衆国政府・州政府の歴史的建物として登録されています。ハワイ王国の繁栄の象徴でした。
内部の見学者は殆どいなくて入り口の手荷物検査係りもヒマそうでした。
法律関係の様々な説明は言葉理解できずギブアップでした。

アリイオラニ・ハレ(3)
中の展示・説明はアメリカ人(白人)がいかにハワイに対して貢献をしたのかクドクドと書いてあります。

しかしカラカウア王は白人支配を嫌い(有色人種への露骨な差別が理由)、明治天皇に対して日本との連邦制の提案、カイウラニ王女と皇族との縁組み、日本主体のアジア共同体の創設などの提案をしました。

しかし明治天皇はアメリカとの対立を避けるためにこの提案を断っています。
この歴史、日本人は殆どの人が知りません。

ホテルのロビーサービス
アメリカのホテルではロビーなどで日本ではあまりやらないようなサービスを時々やります。
私達の泊まったショア−・ラインホテルは何日目かに”綿飴”の無料サービスをやっていました。
綿飴は日本では割り箸などに巻き付けますが、ここでは紙を丸くした棒に巻いていました。

私達も1本ずつもらって部屋で食べてみました。昔懐かしい味がしました。
でももうちょっと量を多くして巻いて欲しかった、、、。

ワイキキの風景
ダイニングテーブルから見えるワイキキの空、結構変化を見せて呉れます。
この日はダブル・レインボウが出現。

しかし何といっても素晴らしいのは夕暮れのワイキキの空です。私はこの夕暮れの空を見るだけで満足、ハワイに来た甲斐があるな〜、などと思ってしまいます。
一番キレイに見える時間になるとベランダに出て空を眺めます。その前に一風呂浴びて右手にはもちろん麦ジュースを持って、です。

ある日本人好みのステーキハウス
大抵の旅行ガイドブックに載っている店です。ロイヤルハワイアンセンターの中にあり、いつも多くの日本人が入っています。
この日は店の入り口付近に多くの若者が今から入って食事をするのでしょうか、たくさんたむろしていました。
学生の団体と見受けました。

この店はランチでもひとり40ドル〜50ドル以上、ディナーでお勧めの何とかいうステーキをフルコースで食べてワイン抜くとひとり最低150ドル以上という感じの、結構強気な値段設定のステーキハウスです。

おお!バイクじゃないか
PRONTOというのはどこのメーカーなのか、私は知りません。ナンバープレートも付けていないし、新車のように見えます。
車の場合、アメリカでは販売店に客が来て店にある車をそのまま乗って帰る、というパターンがあり、客は販売店から仮ナンバープレートを借りて運転していくという仕組みです。

このお姉さん、バイク買ったばかりなのでナンバープレートなし、、、そのうち付けるわ、、、という感じなのかも知れません。日本でも小さな離島に行くとナンバープレートのないバイクなど時々見掛けますよね。あれと同じかな?

高木ブーさん
50年来の友人Yさんファミリーと今年もホノルルで会いました。何という偶然。

会ったのはモアナサーフライダーのガーデン、行ったら丁度いろんなミュージシャンがショーをやっており、その中に元ドリフの”高木ブー”を発見。

歳は85才を超えているとのこと。足腰がかなり弱っており、介助なしでは歩けないような雰囲気でした。
何曲かウクレレを演奏してくれました。

Yさんファミリー
Yさんの娘さんはハワイにも留学経験があり、現在はウクレレ奏者としてデビュー始発、この日は演奏は聴けませんでしたが昨年は聞かせて頂きました。CDも頂きました。

Yさんは私のカミさんと同じ宮城県出身です。温厚な性格で、私と同じ年令です。
が、随分若作りです。体型も、髪の毛も50年前と全く変わりません。私は何で?と言いたくなります。

来年もハワイに来るのかな?こうやって遠くで友人と会うのもまたいいものです。

クラッキンキチン(1)
滞在したホテルの横にあったレストランで、特に気にせずに入ったら、日本人御用達のレストランでした。
テラスにもたくさんのテーブルがあり、これが人気のようでした。
予約なしで行ったのですが「は〜い、ど〜ぞ〜」、という事で入れました。この後直ぐに行列ができてました。

ホノルルでも夜になると気温がかなり低くなるときがあるのでテラス席の場合は長袖が必要な場合がある、というのをこの時に初めて理解しました。
しかし若い人が多かった、、、。

クラッキンキチン(2)
レストランの特徴は皿がないです。テーブルの上にバーッと注文の品をぶちまけていきます。
メニューはいろいろありますが、普通のシーフードレストランと同じ素材で、ソースを3種類の中から選ぶとそれでコッテリとソテーしたのが出てきます。

こっれを手づかみでムシャムシャ、、、です。
まあ話題作りとしてはいいレストランなので、Aさんファミリーとも一緒に行きました。
完璧に日本人ズレした店で、また行ってみようかという気にはあまりなれません。

日本食レストラン
3週間いると、「たまには日本食でも食べてみるか〜」、という事になります。
適当に目に入ったレストランに入り、適当に注文。この日はカミさんはすき焼き鍋、私は刺身と天ぷら、他に1〜2品で一杯。
7勺徳利1本が12ドルとはね〜。

日本食は屋台村もあり、手軽に食べれますので便利といえば便利です。丸亀何とかといううどん屋もあるし、幕の内弁当も売ってます。見たところおいしそうでした。

飽きない風景
テレビでは中国武漢発のコロナ感染の状況を盛んに伝えています。
横浜に入港したクルーズ船内に多くの感染者が発生、日本政府がこれの対応にあたっている、とうとうホノルルから帰国した日本人に感染者が出た、、、etc。
5月以降2つほど旅行が申し込んであったのですが、これをホノルルからキャンセル。結果的に大正解でした。

青い海とサーフィンをやっている連中を見ている限り、まだ変化は見られませんでしたが、この直後から大変な事になりました。

ポキ
ポキはよくお世話になりました。結構スパイシーなのがありますので要注意です。
ポキとサラダでダラダラと飲んで、〆に時雨アサリのお茶漬け、というので私は十分です。
米と時雨とお茶は日本から持ってきます。

コンドには電気釜、鍋・食器など揃っているので、頑張れば何でも作れるのでしょうが、それはやりません。
朝食が面倒な時はコンドを出たところにマックがあるので、そこでマック・ブレックファストをテイクアウト。でもこれってカロリー凄そう、、、滅多にやりません。

ジョリビー
フィリピンにいた人でジョリビーを知らない人はいません。フィリピンではマクドナルドも太刀打ちできないファースト・フード・チェーン店です。

ナゼ人気があるのか、やはりフィリピン人の好みに合わせているからでしょう。
ハンバーガーにご飯をつけるとか、フィリピン人の味覚にあったちょっと甘めのチキンの味付けとか。

アラモアナSCのフードコートで見つけてびっくりしました。日本にも上陸という話があるそうです。

お土産
ハワイらしいお土産、という事になるとサンダルとか例のクッキーなどになってしまいます。

私の場合は普段からお世話になっている友人などに”ほんの気持ち”と言う程度で渡すだけなので、難しく考えす簡単なものを幾つか買いました。

自分用のお土産は2つ買い、あとはオハイオにいたときに食べていた懐かしい味のお菓子などをウオルマートで買いました。

デパート
メイシーズがハワイにもあります。そもそもメイシーズのない州ってあるのだろうか、というくらいにどこにでもあります。オハイオではラザラスがいつの間にかメイシーズに替わってしまいました。

行って面白いのはROSS。ここの品物の値段を見ていると5ドルが大金に思えてきます
日用品などは全部揃うので、日本から手ぶらで来て必要なものはここで買えばOK、、、。
こういう方法もあるな、と思った次第です。

明日は帰り
3週間弱のホノルル滞在、まあのんびりできたと思います。心配した2週目のホテルもマズマズだったの一安心。長期滞在には向きませんが、観光などで出歩く事が多ければ問題のないホテルだと思いました。

来年も同じようなスケジュールで来れるとハッピーなのですが、どうなるかわかりません。

今回滞在の最後の夕食、ホノルルで初め中華レストランに入ってみました。コテコテのアメリカン・チャイニーズではないチャイニーズでした。

ホノルル空港
ETD11:30。ちょっと早めの08:45に空港到着。出国手続きが長蛇の列です。何かあったのでしょうか。結局40分以上並んだところで急に流れ出しました。

やはり国際線はETD3時間前を目安に空港に行っておく、というのは従った方がよさそうです。
ラウンジにいるとAさんがやってきました。Aさんは羽田までのフライトで、出国手続きはスムーズだっとと言っていました。
今回は到着時の入国審査でも1時間以上並ばされました。もう少し何とかならないものですかね、、、。

セントレア・中部国際空港まで
飛行機は予定どおり離陸、9時間弱のフライトです。座席は70〜80%くらい埋まっているようです。
食事は2回出ます。いつものとおり私は洋食を頼みました。カミさんはいつものとおり和食でした。

今回も特に大きなトラブルもなく過ごす事ができました。
しかしハワイもアメリカ、気を付けないとトラブルに巻き込まれる可能性は高いそうです。
夜の外出は最小限、暗い場所、人気のない場所には行かない、これは基本中の基本ですね。

帰りのフライト:三浦半島
セントレア着45分くらい前に三浦半島がきれいに見えました。横浜・東京まで見えました。
太陽が南から北を照らし、雲がなく、適当に風が吹いて空気もきれい、という条件が重なったのだと思います。

相模湾の江ノ島もよく見えました。海面に白い波が見えますのでやはり風が吹いているのがわかりました。
飛行機はまだ高度を下げていなかったので、”1万メートルからの三浦半島・江ノ島の風景”ということですね。

こういう景色っていいですね。

帰りのフライト:富士山
こうやって見ると富士山のタンコブ(宝永山)がどういう形をしているかとか、ジグザクの登山道とかいろいろと見えて興味深いです。
昔BOACのパイロットがキレイな富士山を乗客に見せようと富士山の西側を高度を下げて飛行し、気流に巻き込まれて墜落、という事故があったのを思い出します。

いつかは富士山に登ってみたいと思っていましたが、その機会はあるのか、まあこうやって一瞬だけどキレイな富士山を見る事ができたので良しとするか、、、そんな事を考えていました。

2月17日に帰国、その後直ぐに渡航中止、帰国後は2週間の隔離などのコロナ対策が打ち出されました。ラッキーなタイミングでの帰国でした。

今回思ったのはやはり3週間滞在すると、ゆったりと普通に暮らすように過ごせる、という事でした。ただ現地に知り合い・知人がまだいないので情報が拡がりません。これだけはどうしようもありません。
ワイキキのコンドが使える限りハワイには1回/年程度は行きたいな〜、、、。