再々々度、京都へ行ってきました:2021/9/13〜2021/9/15
コロナ第5派による緊急事態宣言が出て久しいのですが、まあ近場の旅行ならいいんじゃないか、という事で”またX3”で京都に行ってきました。
そんなに京都に行って飽きないのか、と言われそうですが京都はいろいろと見るところも多く、行く都度それなりに新鮮な気持ちで過ごすことができるところなのです。

そんな訳でいつものとおり2泊3日のスケジュールでぶらりと京都に行ってきました。

近鉄特急
いつものとおり07:12の近鉄特急に白子駅から乗りましたが、乗客は5〜6人程度。
大和八木駅で京都行きに乗り換え、ここも2ヶ月前より人は少ない感じでした。

コロナ以前に数回京都には行っておりますが、その時は全部友人の車。
電車で京都に行くようになったのはコロナ感染が始まってからなので、以前の様子がわかりません。
以前でも観光客で一杯だったとは考えにくいので、元々乗車率があまり高くない路線なのかも知れません。

ホテルに行きます
今まで京都駅の上にあるJR系のホテルグランヴィアに宿泊していたのですが、今回は駅から歩いて5分ほどのリッチモンド・プレミアムにしてみました。

リッチモンドホテルは鹿児島、熊本、長崎、東京、宇都宮などに宿泊して割といい印象があり、京都は”プレミアム”という事で新しくできたホテル。

”ビジネスホテル+α”くらいの想像でしたが、シンプルではありますが思ったより良い感じ。09:45、とりあえず荷物を預けてぶらり散策に出かけました。

平等院(1)
行き先は宇治・平等院。ここは京都観光での圧倒的人気スポットだそうで10円玉の裏に描かれている、日本人であれば知らない人はいないところです。

宇治駅を出て左に曲がり少し歩くと宇治橋に来ます。宇治橋と言えば宇治の象徴、宇治と言えば源氏物語の舞台、つまり紫式部、、、こういう繋がりなんですね。

宇治橋の上は多くの車が行き交い、その向こうにはびっしりと建ち並ぶ民家。
万葉の景色はもうないの?

平等院(2)
宇治と言えば、そうです、お茶です。
お茶と言えば静岡がダントツ、、、と思いきや鹿児島が静岡と同じくらいの生産高があるのです。
我が三重県は静岡・鹿児島の4分の1くらいの生産高で3位でした。

宇治茶は高級茶で有名で、これは高級嗜好品を多く消費する京の都が近くにあった、というのが理由だと聞いたことがあります。
平等院までの参道沿いには多くのお茶が土産物で売られていました。

東福寺(3)
関所です。身分改め、身体改めはありませんが拝観料600円を払う必要があります。
トップクラスの人気を誇る場所だけあって、コロナ流行の最中ではありますが何人かの観光客がいました。

カミさんが拝観料を払っている間に表門から中を覗くときれいな庭園が見えて、期待できそうな雰囲気です。

平等院は9年ほど前に塗装のやり直し、屋根の修理などを行っていますが基本的には11世紀に建てられたそのままの建築だそうです。

東福寺(4)
ちょっと大げさですが感激です!! 正に10円玉の裏そのままです。夢中でカメラのシャッターを切りましたが曇り空なのが残念です。

再塗装した朱色が鮮やかでこれは賛否両論があるそうで、私は1000年の経年を渋い色で表すより”当時を忠実に再現した”という意味で良いと思います。

パンフレットによると鳳凰堂は、経典に描かれる浄土の宮殿をイメージしており、”浄土とは五濁や地獄・餓鬼・畜生の三悪趣が無く、仏や菩薩が住む清浄な国”、の事だそうです。

東福寺(5)
宇治の地は平安時代には貴族の別荘があり、平等院の地は源氏物語の光源氏のモデルと言われている嵯峨源氏の左大臣源融が営んだ別荘だった、そうです。

鳳凰堂は建てられた当時はその構造(強度)から粘土瓦ではなく木で似せた瓦で屋根は覆われおり、半世紀後の廉和3(1101)年に粘土瓦に改修されました。

鳳凰堂の中の見学には別途拝観料(300円?)が必要で、今回は見送りました。ここは外から見るだけで十分です。

昼食
平等院は全部で52049枚の瓦が使われており、8年前の改修で全部葺き替えされました。
瓦のデザインは独特で、蓮の中心に巴文があります。

瓦が新調されているので朱色の再塗装と共に鳳凰堂は見事に昔の姿に復元されています。

鳳凰堂の裏には”源三位頼政公墓所”というのがあり、質素な墓石が立っていました。

宇治の平等院は行って期待を裏切らないところです。

お買い物
ちょっと歩き疲れたので参道にあった店に入ってアイスクリームを頂きました。
ここはラーメン屋で店の外にはあの”石ちゃん”と店の人の写真がデカデカと掲げてありました。

石ちゃんは高校の時に柔道部だったそうで、その柔道部の先輩のKさんは私の友人のひとりです。確かに石ちゃんは元柔道部と言われると納得の体格ですね。

私も柔道は少しやりましたが強くはありません。でも一応初段です。

土産物屋
参道の入り口付近にあった土産物屋に入ってみました。
日本人がお土産に買うものでガイジン(特に白人)が絶対にお土産で買わないもの、、、、。

それは食べ物です。

アメリカでもメキシコでもドイツでも食べ物が土産物屋に並べられているのはまず見かけません。(例外はあるかも)

中国の田舎の観光地に行くと近所の農家が栗とかトウモロコシを売っているのは見かけました。

スイーツのサービス
ホテルのチェックインは14:00、遅めの昼食後に帰ってルームキーを受け取りました。

このホテルはラウンジはありませんが午後から夕方までスイーツと飲み物のサービスがあります。
食後のデザートというわけで私も頂きました。

ホテルのレストランはガラス越しに庭が見える、なかなか雰囲気のいいところでした。
ここは朝食とランチだけで夕食は営業していませんので、残念ながらここでダラダラと飲む事はできません。

ホテルの部屋
予約したのは40uのプレミアムツインという部屋でゆったりとしていました。

風呂とか洗面所はタカラの一般家庭で使われるものと同じで自宅にいるのと同じ感じでした。

ただソファーが貧弱でゆったりと部屋で過ごす、という向きにはちょっと、という感じがしました。

観光目的で来て、ホテルは寝るだけ、というのでしたら普通のツインルームで十分です。

朝食
朝食は本来ビュッフェ方式だそうですが、コロナで客が激減しているのでセットメニュー方式になっていました。

和食も洋食も可もなく不可もなく普通で、長細い皿以外のものはお代わり自由です。

コロナになってから東京・目白のリッチモンドホテルに泊まったらやはりビュッフェからセットメニューに変わっていたのですが、そのあまりの貧弱さにアンケート用紙に意見を書かざるを得ませんでした。

本能寺(1)
本能寺は織田信長が手勢数十人で宿泊中に家臣である明智光秀の謀反により襲われ、自害した寺です。

現在の本能寺の場所(寺町御池)は実際に信長が襲われた時と異なっており、現在の場所はその後豊臣秀吉が応仁の乱以降で破壊し尽くされた京の町の大々的な再開発に伴って移されたところです。

本能寺の敷地はかなり狭く、周囲をビルに囲まれており、何か非常に窮屈な感じのするところです。
現在の本堂は昭和3年に再建されたものだそうです。

本能寺(2)
本堂の欄干はかなり高く、物語に出てくるのように信長は攻め寄せる光秀の軍勢を相手にここから弓を射た、、、と思わず想像をしてしまいました。

通説によると信長の弓はすぐに弦が切れ、その後深傷を負うまで薙刀で戦ったそうです。

本能寺の直ぐ近くには南蛮寺(キリスト教会)があり、ここにいた宣教師が襲撃の一部始終を見てこれを記録に残しており、非常に興味深い内容になっています。

本能寺(3)
信長の最後は自害となっていますが、死骸を発見・検分できず、光秀は殺害の成功をしばらく疑ったそうです。

明智光秀の謀反の理由は”怨恨説”と”野望説”がありますが、その両方が相乗していたと見るべきでしょう。

宿泊していた女性達は「女どもは苦しからず」という信長の言葉で脱出していますが、同時に何名かの武士も脱出しています。
本能寺の裏には”信長公廟”があり戦って討死した五十数名の側近の武将、他の名も刻まれていました。

京都御所(1)
京都御所とは明治維新までの天皇の住まいで現在の皇居に相当する場所です。
行った時は殆ど雨がふる寸前、観光客は誰もいません。

砂利道をブラブラ歩いて行くと清所門で警備の警察官に出会いましたので二言三言言葉を交わしました。警察官も余程退屈していたと見え、話しかけると嬉しそうでした。

コロナ前はここも観光客でごった返していたのですかね。今回はぐるっと周囲を歩いただけ、今度京都に来たときは中を見学させてもらいましょう、、、。

京都御所(2)
建礼門前大通りの一番南側にあった立て札です。
「新型コロナウイルス感染拡大防止のため京都御苑内での飲食、飲酒は御遠慮ください」、と書いてあります。

という事はコロナが治まればここで酒盛りをしてもいい、という事なんでしょうか。
皇室の氏神は天照大神、つまり神道の頂点、神社と酒は切っても切れない関係、つまりここで酒を飲むのはOK!?

ちなみにアメリカでは公の場所(電車・観光バスなども含む)での飲酒は違法、見つかると逮捕される可能性大です。

ホテルでのんびり
京都に来る目的は少し観光をやってあとはホテルでゆっくりと過ごす、夕食は気の利いたレストランなどに行って少しだけ美味しいものを頂く、、、。

ところが今回はどこのレストランも液体燃料の提供がありません。私の場合夕食は洋食であれば葡萄ジュース、和食系であれば米の汁を頂かないと話になりません。

そんな訳で今回は2回の夕食は簡単にさっさと済ませ、あとは部屋で少しだけ燃料を頂く、という形になりました。

西本願寺(1)
ホテルから歩いて6〜7分のところにありました。
この前は東本願寺を訪れたので今回は”西”という訳でここに来てみました。

南側から堀に沿って歩いて行くと最初の入り口、中に入ると西本願寺ではなく、興正寺でした。
興正寺とは真宗興正派の本山で、西本願寺の横にあるのでその一部と間違ってしまいそうです。

中の目立つ建物は全て100年ほど前に再建されたものばかりだそうです。

西本願寺(2)
興正寺を一旦出て、再度入門。
どうしても東本願寺と比較をしてしまいます。ズバリ、お東さんのお堂の方が格段にでかい。
とはいうものの、お西さんのお堂も立派であります。

ずっと前から何で西と東に分かれているのだろうと思っており、今回お西さんに行ったのをきっかけに調べてみたところ昔は一つだったそうです。

どれくらい昔かというと戦国時代後半までという事で、織田信長が関係しています。

西本願寺(3)
阿弥陀堂に上ってみると現在修復中で伽藍から中には入れません。そこで御影堂に行くことにしました。阿弥陀堂と御影堂を結ぶ廊下はなかなか立派です。

この日は雨も上がり、気温も少し上がって夏のような感じでしたが誰もいない寺の中というのはナゼか独特の爽やかさを感じました。

写真を撮っていたら、修復作業員らしき2人がカメラの前を横切らないようにじっと立ち止まってくれていました。私は彼らに気が付かず、しばし待たせてしまいました。

西本願寺(4)
御影堂に入ると読経が聞こえます。心に染み入るとはこの事でしょうか、何とも言えない気分になりました。
数人による読経は微妙にハーモニーされ、今まで全く聞いたことのない音楽を聴いている感じでした。

しばらくいると夫婦らしい2人が入ってきて仏前の前に正座、同じく読経に聞き入っている様子でした。

今までであれば人の出入りと話し声などで落ち着かなかったと思いますがここでもコロナの恩恵(?)でゆったりと過ごすことができました。

西本願寺(5)
東本願寺(大谷派)とここ西本願寺(本願寺派)では仏具・仏壇・お堂の柱などでそれぞれ違いがあるそうです。

浄土真宗と言えば仏壇・仏具が他の宗派に比べて金ピカで派手、というのを聞いたことがあります。
確かにお堂の中を見るとそういう感じがしました。

幕末時の西本願寺には隊士が増えすぎた新撰組が壬生から移って駐屯していたそうです。
新撰組と言えば池田屋事件、今度は池田屋跡にでも行ってみますかね。

コロナ
京都の第5派コロナ感染者数はピークで1日に600人近くになり、旅行直前でも200人/日の感染者が確認されていました。

ホテル近くの何軒もの居酒屋は殆どが休業で、開いている店を夕方に外から中を見ると、オジさん数人がノンアルコールビールで焼き鳥をかじっていました。

私は2日間ともコンビニで買ってきたビールをホテルの部屋で頂いたという次第でした。

輸入食品スーパー
京都駅前にはちょっとした地下街(ポルタ?)があってレストランも幾つかあります。
地下街の一番東側に輸入に輸入食品を売っている小さなスーパーに立ち寄るのが定番になりました。

客は多くはありませんが、必ずと言っていいほどガイジンの客が買い物をしている姿を見かけます。
その姿というか気持ちはよ〜くわかります。

私達もアメリカにいた15年間は地元のスパー以外にやっぱり日本食品を売っているスーパーに行きましたからね。

チェックアウト
チェックアウト後、レストランで昼食を頂いているとホテルの支配人が来て声を掛けてくれました。

カミさんがリッチモンドホテルは私が宇都宮でよく利用していました、と何かの拍子にカウンターで話をしたら、支配人は2010年まで宇都宮にいたとの事、しばし宇都宮の話題になりました。

宇都宮では2005年頃以降はこのホテルしか泊まっていませんでしたので、確実に100泊くらいはお世話になっていると思います。

帰りの電車
いつもは14:10の電車で帰るのですが、今回は1時間早いのに乗りました。
列車の中はごらんのとおり。

2拍3日の京都旅行で訪れる観光地は1日目に1カ所、2日目に2カ所、3日目に1カ所の合計4カ所、何となくそういうペースが出来上がりました。

今回は小雨も少し降ったりで少し天気が悪かったのですが、それでもそれなりい楽しめました。
今度は11月ですかね。

京都はインバウンド(この言葉、私は何となく抵抗があるのですが)目当てのホテルが多くなりすぎてしまった、という声がコロナ以前から出ていました。
それは京都が”受け入れ可能な観光客数”以上に観光客を呼び込んでおり、一般市民の生活に深刻な影響が出ていた、という事らしいです。(オーバーツーリズム:観光公害)

観光地はガイジンでごったがえし、日本人観光客は押し出され、京都は徐々に日本人が行かない観光地になっていた、、、そして起きていたのは信じられないようなルール違反というかマナー違反。私は京都の事は知りませんが、2年前に東京浅草の浅草寺に行ったときに見たり聞いたりして腰を抜かしました。

「試食品をすべて食べてしまう」「ほかの店の食べ物を持ち込む」「何も頼まずに居座る」など飲食店での振る舞い、ゴミのポイ捨て、トイレの使い方(これだけは見るまで普通の日本人は絶対に信じられない)、道端で座り込む、落書きetc。ガイジン観光客の5人に4人以上はアジアから。その6割以上は大陸からです。

コロナが過ぎ去って京都が再びガイジンで溢れる元の観光地に戻るなら、私はもう京都には行かないと思います。
本来の京都を味わうのは今しかありません。