初夏の函館:2022/6/21〜2022/6/24
函館は10年以上前に行った事があるのですが、もう一度行ってみたいとずっと思っていました。
コロナ感染はまだ続いてはいますが、今回思い切って3泊4日のスケジュールを組んでいつものぶらり旅、あまりセカセカしないで、ゆったりと過ごしてきました。
撮った写真に感想を添えて旅の記録とします。

新千歳空港着
中部セントレア空港から新千歳空港までは1時間半ちょっと、朝早いフライトだったので、空港のいつものホテルに前泊しました。
乗った飛行機はほぼ満席状態、ツアーの団体さんも2グループほど一緒でした。

各旅行会社はそろそろグループツアーを積極的に売り込み始めているようで、私の友人も先日道東のツアーに行ってきたと連絡がありました。

空港も予想以上にたくさんの旅客がいました。

JRで函館に向かいます
新千歳空港からJRに乗って一駅、南千歳から11:27発の”北斗10号”に乗ります。

列車は6両編成、1号車がグリーン車、2〜4号車が指定席、5〜6号車が自由席です。

列車は車内販売がないので、予め弁当を買っておく必要があります。
新千歳で駅員に、南千歳で弁当は買えるか聞いたところ、買えないとの返事だったので、空港売店で買いました。

車窓からの風景
座席はちょっと贅沢とは思いましたが、グリーン車を予約して正解でした。

北斗10号での3時間は”移動”という目的以外に、車窓からの風景を楽しむ、というのがあるので座席の快適さは重要になります。
路線の75%以上は海岸線間近を走るので、本当に風景を楽しめました。

乗客は年配夫婦の旅行者が2組、ひとりでの旅行者が数名、あとはビジネスマン風の乗客が途中で何人か乗り降りしただけでした。

函館に着きました
14:30ちょっと過ぎに函館駅に到着、列車からは結構な人数の人が降りてきました。

函館駅を出ると、造形作家の林昌平氏の作で”OYAKO(親子?)”のモニュメント、これが真っ先に目に入ります。
今回もさっそくご挨拶をしてきました。

これは人間なのか、動物なのか見る人にお任せという事らしいのですが、カミさんは何の躊躇もなく”人間”、ボクは函館だし、赤いので蟹かな〜、と思っちゃいました。(頭があるので違いますね。)

ホテルチェックイン
ホテルは函館国際ホテル、チェックインは15:00からなので一旦荷物を預けて時間つぶしをして、15:30頃にホテルに戻って手続きを済ませました。

部屋は別館の7階で一応最上階なのですが、エレベーターまでは長い長い廊下を歩いて行かなくてはなりません。
レストランとかは全部本館にあるので、少々面倒でした。

部屋は悪くはありませんが、大浴場はやはり本館の13階にあるので、エレベータを2回乗り換える必要がありました。

青函連絡船・摩周丸
部屋からは”摩周丸”が目の前で、この船は現在”青函連絡船記念館摩周丸”と言うそうです。

1965(昭和40)年から1988(昭和63)年の青函トンネル完成まで青森と函館間を航海していた連絡船です。

約5000トン、旅客定員1200名、船員53名で運航していたそうです。

青函連絡船と言えば1954年に台風で沈没、1155名が亡くなった
洞爺丸の事故があります。

初日夕食
チェックインの後は大浴場でゆっくりとお湯に浸かり、その後部屋でのんびり。

この日の夕食は予め和食のコースを注文してあり、それを頂きました。
なかなか手の込んだ料理でしたが、函館らしさをもう少し出してもいいんじゃないかと思いました。

和食でしたが函館ワインの2018年の”HATSUYUKI”をボトルで注文、ボクはワインの味はよくわからないので、「こんなもんかな〜」、という程度の感想でした。

さすが函館の朝食
昨夜はワインをボトルで3分の2頂き、ちょっと酔っ払ったのですが、翌朝の目覚めはすっきり。

朝食は一般的なバイキング形式で、イクラとかネギトロなどがあって、函館らしい品揃えでした。

バイキングの品数は十分で、それにつられて朝から結構な量を頂いてしまいました。
こういう海鮮丼は中国人に大人気で、これを食べるために日本に来る、という連中も多いとか。

函館朝市(1)
ここに来ないと函館に来た事にならないという、函館の超定番観光スポットです。

毛ガニとかが目を引きますが決して”安い”という訳ではありません。むしろかなり高い感じです。

店の人たちはヒマそうにしていたので、いろいろと話を伺ってきました。
興味があったのは中国人客、台湾人客、韓国人客、それぞれの特徴について、皆さん最初はちょっと口が重かったのですが、聞き出すと止めどなく話してくれました。

函館朝市(2)
元気な黄色い声がしたので行ってみると、中学生の修学旅行の一団。
イカ釣りをやっていました。

どこから来たのか聞くと宮城県。何とカミさんの故郷の近くからでした。
カミさん、引率の先生としばし故郷の話をしていました。

修学旅行の団体は他の場所でも見かけましたが、みな一応にお行儀のいい生徒達ばかりでした。

函館朝市(3)
朝市の敷地の中には各種海鮮丼、定食などを食べさせる店がいくつもあります。

最近は、大抵の人はホテルで朝食を食べると思うのですが、ここで朝食を食べる人はどんな人なんでしょうね。

東京上野のアメ横裏通りには、こういう海鮮丼を出す店がいくつもありますが、そこより値段は高い感じ。

海鮮丼は中国人には人気、定番のようです。

金森赤レンガ倉庫(1)
函館駅前からブラブラ歩いて15分くらいの場所にある、ここも函館観光の定番スポットのひとつです。

倉庫群は1909(明治42)年に建築され、1988(昭和63)年からショッピングモール、ビアホール、イベント会場などとして営業、と市の観光情報にありました。

9時頃に行ったら観光客は誰もいません。
オープンは9時半で、時間になって入り口の鍵を開けてくれた女性が声をかけてくれ、招き入れてくれました。

金森赤レンガ倉庫(2)
赤レンガ倉庫は横浜、神戸、門司港、長崎などにもあり、ボクは神戸以外は行った事があります。

こういう倉庫を利用して商業施設にしているのは函館だけではなく、ボクはニューヨークのブルックリンにある、函館の10倍くらいの敷地の倉庫群にも行った事があります。

意外と難しいのが写真撮影、周りのゴチャゴチャした建物が視界に入るので、撮影アングルが限られており、誰が撮っても似たような写真になると思います。

金森赤レンガ倉庫(3)
ボクは世界の観光地をそこそこ回ってきたと思うのですが、日本の観光地の特徴は土産物屋の多さ、そして売っているお土産に食べ物が多い事です。

日本以外で食べ物をその観光地のお土産にしている、というのは皆無ではありませんが少ない。
日本は何とか饅頭、何とか煎餅、何とか最中に始まってあらゆる食べ物が”その地のお土産”で大量に売られています。

ボクは外国に行くたびに、食べ物の土産を探します。しかしなかなか見つける事ができません。

金森赤レンガ倉庫(4)
しかし例外があります。それはハワイ。
クッキーとかナッツ類とかの食べ物のお土産は、日本に次いで多い感じですね。

ボクは一度アメリカ人と、食べ物のお土産について、意見交換をした事があります。

彼らは一様に、「観光に行って何でクッキーを買うの?クッキーはクッキー、食べてしまえば何も残らないじゃない?それより何で日本は飾りスプーンを売ってないの?」、とかで話が全く噛み合いませんでした。

北海道第一歩の地
函館は明治以降、北海道の玄関口となったわけですが、湾の一番奥が本土からの上陸地点(東浜桟橋)でした。

上陸地点という事は当時の輸送船は沖に停泊、人間はランチで運ばれ上陸した、という事だと思います。

この右側に赤レンガ倉庫があり、左方向は港関係の施設が続き、北西端には函館どつく(造船会社)があります。

上陸地点には開道100年を記念して1968年に設立された記念碑がありました。
何のモチーフか、、、白熊でした。

海上自衛隊函館基地隊
記念碑の横に海上自衛隊の基地があります。隊門の横には大きな錨が置いてあり、カメラを構えたら隊員が1名、そのうち2名が出てきて、慌ただしい動き

諸外国では軍事施設の写真撮影は禁止見つかるとぶん殴られ、そのまま連行、というのは普通です。(日本も普通の国になればそうなるのでしょうね。)

ボクはシンガポールで警備兵がいる施設(首相官邸)の写真を撮った時などは、兵隊に声を掛けて許可をもらいました。
カメラを構えた瞬間、彼らはサッと顔を横に向けたのを覚えています。

基坂から元町公園へ
大通り(5号線)から函館山に向かっていくつもの坂があり、その一つが自衛隊正門前から上がっていく基坂です。

関東以南の内地は(この言い方、今でもするのかな〜)30度を越す猛暑、湿気もあり大変!というメッセージがLINEで入ってきますが、こちとらは現在蝦夷地。

気温は22〜3℃、湿気がなく実に爽やか。木陰に入るとひんやり、これだけ歩いても汗が出ません。
そう、この感じはボクが15年いた、アメリカ・オハイオの気候と同じでした。

ペリー像
日米和親条約(1854年)により、下田と函館が開港、ペリーは条約締結直後に函館に来て、アメリカの捕鯨基地とするための作業に取りかかった、とあります。

函館開港により、アメリカの捕鯨船が入港するようになり、異国文化が取り入れられ函館は大きく発展をした、となっています。

そして同時期に蝦夷地はロシアから、西国はイギリス・フランスからの接触、つまり当時日本は、西欧列強諸国の植民地候補国であった、という事は知っておきたい歴史です。

元町公園
基坂の突き当たりが元町公園です。ここには多くの文化財・建造物があり、特に有名なのが旧函館区公会堂で、立派な明治建築です。

国指定の重要文化財で1年前にリニューアル・オープンになっています。
建物は西欧人の指導を受ける事なく、西欧建築物などを視察した職人が考案して、1910(明治43)年に建てたそうです。

観光客風の人影が数人のみで、静かにのんびりと見学する事ができました。

八幡坂
ここは函館山の夜景の次に人気のある、ビュー・スポットです。
坂の先は建物がなく、湾の正面には摩周丸が見えるという絶景の構図です。

”片平なぎさ”のサスペンスドラマにぴったりの景色じゃないですか。ボクはこういう場所を見ると、ナゼか片平なぎさを思い出してしまうのであります。

後で知ったのですが、ここはドラマだけではなくCMのロケ地でも有名だそうです。

カトリック元町教会
ボクはキリスト教徒ではありませんが、一応敬意を表して中に入らせてもらいました。

歴史としては明治維新前後に建てられ、その後火事で何度も焼けたりして1924(大正13)年に建てられたものが現在の姿とありました。

礼拝堂は(失礼ながら)あまりにも質素、異教徒のボクでさえもう少し何とかならないものか、と思った次第でした。

道路を挟んで東本願寺別院の大きな屋根が見えましたが、訪問は次回という事にしました。

土方歳三最期の地碑
元町エリアから再び朝市エリアに戻り、丼横丁で食事。久しぶりに、怒りがこみ上げてきた食事でした。

それはともかく、もう一度行ってみたかったのが、土方歳三戦死の場所。駅から南方向に歩いて15分、碑は若松緑地公園内にひっそりとありました。

土方は戦死した時は34才(35才で戦死というのは数え歳)、波瀾万丈の人生を歩んでます。
今でもファンが多く、理由はその風貌、なんですかね。京都新撰組時代もエライもてたそうです。

センチュリー・マリーナ函館
今回は1泊目が函館国際ホテル、2泊目と3泊目がこのホテルという事でチェックイン。
新しいホテルで清潔、部屋も最上階の函館山側で眺めも抜群、◎でした。

この日は10kmくらい歩いたと思うのですが、それほど疲れは感じませんでした。

大浴場の湯に浸かったあと部屋でウトウトしていると6時、函館の夜景を見るために再び駅前まで行って函館山ロープウエー行きのバスに乗りました。

函館山(1)
世界3大夜景、「香港・長崎・モナコ」又は「香港・函館・ナポリ」、だそうです。
この2説以外もあるようですが、ボクは長崎、香港は見ました。ナポリは行きましたが夜景は見てません。

前回函館に来たときは天気が悪く見れませんでした。

今回は、、、やっぱり山頂に雲がかかっていました。昼間はあんなに天気がよかったのに、、、。

でも一応ロープウエーに乗って頂上に行ってみました。

函館山(2)
明るいうちから行ってしばらく様子を見ましたが、晴れる気配はありません。函館山頂上は雲の中です。

待てば晴れるのか、でもこの感じは晴れる事はなさそうです。
結局諦めて再びロープウエーに乗って下りました。

カミさんは今回で函館は4回目で、私と一緒ではなかった2回は、2回ともバッチリ見れたそうです。

こりゃ意地でも見てやる!今度は冬に来てみよう!。

夕食
ロープウエーのり口からバスに乗り駅前まで。駅前にホテルが契約している居酒屋レストランがあったの入ってみました。
これが大当たり!カミさんと私、それぞれ3〜4品注文したのですが、良心的な中身でした。

2合徳利を注文したら、1合徳利が2本出てきたのはどうしてだろう、、、これだけは?でした。

周囲の客のメニューもそれとはなしにチラチラ見せてもらいましたが◎。今度も来たらここですね。

函館風ブレックファスト(1)
朝食はバイキングですが、先ず”海鮮お重”を持ってきてくれました。
オイオイ、これじゃ朝から一杯やれと言う事かい?

しょうがないな、全く、、、という事で飲み物コーナーを見たら、スパークリング・ワインがあるではありませんか。

イヤイヤ、海鮮にはやっぱり米の汁、日本酒だろ?
で、探してみましたが見つかりません。
仕方なく朝っぱらから”海鮮お重”をスパークリング・ワインで頂いたという次第でした。

チェックアウト
お重のサービスは海鮮とビーフがあって、カミさんはビーフを食べていました。
お重のご飯は少なかったので、普通のバイキングも少し頂きました。

お重の中身は、バイキングでも提供されているので、次の日はお重は遠慮しました。

朝からイクラ、マグロ、イカ、ネギトロなどを出すのは函館のホテルの特徴というか、定番のようです。

函館駅前バスターミナル
函館は主要な観光場所には、歩いて行く事ができます。

歩くのがイヤであればバス、それに市電(路面電車)を利用する事ができるし、いずれも距離はたいしたことがないので、タクシーという方法も悪くないと思います。

五稜郭だけは歩いては行けないので、3日目の五稜郭行きは駅前のバスターミナルからバスを利用しました。

バスの運転手は、いろいろ質問しても丁寧に対応してくれ、気持ちがよかったです。

五稜郭・入門橋
五稜郭は1854年の日米和親条約の締結によりできた、函館奉行所のために作られた、稜堡式(りょうほうしき)の城郭です。
1866年に完成したものの、奉行所としては1868年に幕府が崩壊したので、2年間使われただけです。

幕府崩壊後に新政府軍と旧幕府軍の戦い(戊辰戦争)の、最後の戦いである箱館戦争で、旧幕府軍の本拠地となったところです。

戊辰戦争は京都の鳥羽伏見の戦いから幕府軍は敗北を続け北上、箱館戦争で終わってます。

五稜郭・奉行所見学受付
奉行所は1983年から復元の作業が進められ、2010年に完成しています。私が最初にここに来たのが2011年、つまり完成直後であり、白木の香りがしていました。

奉行所見学の受付には3名の職員がいました。

1人目:「靴は脱いでビニール袋に入れて下さ〜い。」
2人目:「入場券は自動販売機で各自買って下さ〜い。」
3人目:「入場券は自分で破ってそこに入れて下さ〜い。」


3人はそれぞれの場所に立って、繰り返してました。
この仕事、間違いなく失業対策事業ですよね。

五稜郭・奉行所内主要間
床の間のある奥が一之間(18畳)、手前が二之間(18畳)三之間(21畳)四之間(18畳)となっています。

何に使われたのか、他の部屋は”同心詰所”とか”近習詰所”とか説明されているので用途がわかりますが、この大きな部屋4つはよくわかりませんでした。

恐らく各種評議(会議)に使われた汎用的な部屋ではないかと想像しました。
建物の中に厨房(台所)はなく、別棟にあったものと思われます。

五稜郭・奉行所内庭
奉行所の庭なので殺風景なのか、再現の対象から外されたので作ってないのか、ちょっと不自然な庭です。

見学料500円を取っているのですから説明員・案内人、又は学芸員などを配置すべきだと思うのですが、、。

しかし今の季節はいいのですが暖房はどうなっているのか、もしないとしたら真冬の見学は無理と思いました。
北海道ですからね〜。
以前、冬に川越の喜多院に行った事があるのですが、足が冷え切って見学どころではありませんでした。

五稜郭・奉行所内説明パネル
いくつかの部屋を使って説明パネルが設置されており、これを見ると様々な事がわかるようになっていました。

こういうのは専門家が知恵を絞って作っているので、中身は極めて豊富、というのをある先生から聞いた事があります。なので時間のある限り、詳しく見るようにしています。

説明パネルの設置してある部屋は入場人数制限があり、概ね12、3名から20名程度でした。
制限の理由は何なのか、床の耐荷重の関係でしょうか、よくわかりませんでした。

世界の五郎核(星形要塞)
函館五稜郭のような星形要塞は世界中に200以上あり、アメリカでも20くらいあります。

星形要塞は砲の発達により、それまでの高い円筒形要塞などでは簡単に破壊されてしまうため、また星形の突起部分は”互いを援護”しやすくするために、こういう形状になったそうです。
薄い城壁では砲撃に耐えれなくなった、という事ですね。

星形要塞は15世紀から16世紀頃から現れ、日本には函館以外に5カ所あります。

五稜郭・函館戦争
五稜郭に近接して五稜郭タワー(107m高)があり、ここに上がると五稜郭の星形要塞が手に取るように見れます。
今回は雨も降ってきそうなお天気だったので、上がるのは止めました。
五稜郭タワーの1階には土産物屋などがあり、土方歳三はあちこちで”お土産販売促進キャラ”に使われておりました。
これには土方も草葉の陰で苦笑していることでしょう。

箱館戦争は明治元年10月から明治年5月までの8ヶ月間の戦いで政府軍300名が戦死、旧幕府軍1000名が戦死という犠牲者を出しました。

函館ラーメン
五稜郭から再びバスに乗り、函館駅まで。
丁度お昼になったので駅にあったラーメン屋に入って、函館ラーメンを頂きました。

これが大当たり!
スープはともかく麺が何とも言えない歯触り。久しぶりにおいしいラーメンを頂きました。

最近は”こだわりのラーメン”とかいうのが多く、結局はしつこい味になっているのですが、ボクは”こだわらないラーメン”が好きです。

部屋に帰って
雨が降りそうになってきたし、明日は帰る日だし、ホテルの部屋は結構快適でもあるし、という事で夕食まで部屋でゆっくり過ごす事にしました。

大浴場に入ってすっきりして、窓から外の景色を眺めてぼんやり、、、。こういうのもなかなかいいものです。

部屋備え付けのメモ用紙とペンを使って、部屋からの風景を何枚かスケッチしてみました。

夕食は朝市横の居酒屋で
夕食候補のレストランはいくつかあったのですが、今夜は軽くでいいという事で、ホテルから歩いて4分ほどのところにあった居酒屋に入ってみました。

10分ほど待たされ、やっと席に。
待っている間に客に出されるメニューを観察すると、どれもイマイチ。
まあ軽くだからここでいいや〜、という事で2品ほど注文してさっさとお開きに。
ほっけのフライというのを初めて食べましたが、ほっけはフライに向かない、というのをしっかり味わいました。

チェックアウト
朝起きると外は大雨。
09:00の北斗5号に乗ります。駅までは500mくらいなのですが、タクシーを呼んでもらいました。

センチュリーマリーナ函館ホテル、気に入りました。
空いた部屋を修学旅行生用に転用するとか、もちろんそういう事はやらないホテルだし、ゆったりとした雰囲気が気に入りました。

いい居酒屋レストランも見つけたし、あとは函館夜景のリベンジ。もう次の計画が頭の中にチラチラです。

徐行運転です
北斗5号は定刻通り出発しましたが、1時間程行ったところから時速30kmくらいの徐行運転を開始。
昨日来の大雨で河川の水量増大、線路地盤の緩みなどに警戒しての対応のようでした。

南千歳着は12:10で、14:20のフライトには十分間に合う予定でしたが、どうも90分遅れになるらしい。

早速JALの予約センターに電話。マイレッジでとったチケットの場合、電車の遅延証明を持ってきて下さいとのこと。
車掌にお願いすると直ぐに発行してくれました。

新千歳空港にて
空港に着いてカウンターに行き事情を話すと連絡は受けていますとの事、直ぐに19:20のセントレア行き最終便のチケットを発券してくれました。

これで一安心です。
でも今から5時間近くどうやって時間をつぶそうか?
という事で取り敢えず食事をして、空港内の見学をすることにしました。

ボクらは最高確か7時間くらい、空港で次のフライトを待った経験があります。アメリカでの出来事でしたが。

空港内見学
空港内には様々な展示会場があり、その中のひとつがJALの歴史。
CAの制服の変遷、5代目のミニスカートは1970(昭和45)年から1977(昭和52)年に使用されたとの事、ボクは実際には見た事はありません。
1977年からは腕が縞模様のニットになっているタイプ、ここからはよく覚えています。

機体はなんと言ってもB747、昔はどこに行ってもJALのB747を見ました。サンパウロで見た時は、よくもこんな地球の裏側まで、と妙に感激したのを覚えてます。

チェックアウト
桂銀淑、浜圭介の北空港の歌詞も掲げてありました。あんまり得意じゃないけど歌えるな〜、そう言えばNさんから盛んにカラオケに誘われているのでお付き合いしなくては、、、。

空港内見学もいい加減飽きたので16:30頃手荷物検査をやってゲートに入り、ラウンジで時間をつぶしました。

今回の旅、最後の日を除いてまずまずの天気だったし、美味しいものも少し頂く事ができたし、、、ビールを飲みながらの旅の振り返りでした。

函館は一般的な観光をするなら3泊4日で十分に余裕を持って回れるところです。
函館は海鮮類が豊富なところではあるのですが、決して安くはないし、店によって品質に大きなバラツキがあると感じました。
今回も一軒、完璧に外れの海鮮レストランにぶち当たってしまいました。

しかしボクは2回の訪問で未だに函館の夜景を見ておりません。3度目の正直、もう1回だけ行ってトライしてみたいと思っています。