酷暑の京都:2022/7/18〜2022/7/22 |
今月の旅はまた近場の京都でした。昨年もこの時期に京都に行ったのですが、さすがに暑かった。 その暑い京都に今回は4泊もしてしまいました。 しかし我々の目的は中高生の修学旅行にように寺院・仏閣巡りではなく、普段の生活の場を移してホテルでブラブラしながら、ま、せっかくだから気が向いたらどこか出掛けてみようか、という感じなのです。 帰ってから友人のKさんには、「よくまあ、京都に5日間も行ってるよな〜、、、。」、と半ば呆れ顔で言われましたが、PCと本を2冊ほど持って普通に生活するだけなので、言われるほどの事ではありません。 そんな訳で今回も何の変哲もない京都旅行でしたが、せっかくなので写真を整理しコメントを付けてみました。 |
近鉄特急 | ||
京都には電車で行きます。何人かの友人からは、車の方が時間的にも目的地での移動にも便利だと言われます。 が、特別な事がない限りボクは車は使いません。ナゼか?ボクは移動も旅の重要な一部であり、風景を眺めたり周りの人を見たり(観察)するのも楽しみなのです。 車という密室で高速道路を走っては、街の風景も人々の顔も何も見えませんからね。 ボクの旅は「目的地」に行くだけではなく、その途中の全てを含みます。 ですから車大好き人間のボクでも車は使いません。 |
京都駅、以前の混み具合になっていました | ||
バスの旅をすると日本人は座席で直ぐに寝ます。女性は日焼けを嫌い、カーテンを閉めます。何で風景を眺めないんだろう、と思います。どんな風景にも発見はあります。 イタリーでローマからナポリまでバスに乗ったとき、みんながカーテンを閉めまくるので、ガイドさんが、「この辺の景色は素晴らしいですよ〜」、と声を掛けましたが、カーテンを開けた人は殆どいませんでした。 多くの日本人にとっての移動は観光スポット・ホテルなどに行くための”手段”で、楽しむ対象ではないのですね。 |
東本願寺(1) | ||
ホテルチェックインは14:30頃までやってくれないし、昼食には早いし、と言うことで荷物を預けて取り敢えず”お東さん”に行ってみました。 現在の御影堂門、御影堂は明治28(1895)年に再建された建築物とは言え、実に立派です。手入れも行き届いている感じがします。 礼拝者は思ったより少なく静かでした。外国人の姿はなく、支那語を話す若いカップルを見かけただけでした。 |
東本願寺(2) | ||
御影堂の中からは読経が聞こえ、本尊の前には仕切りを作って2〜30人の人が座っていました。 読経が終わると世話人のような人が、「お弁当は、、、」、とか話をしていましたので、信者の団体さんか何かだったのかも知れません。 先ほどの支那語を話すカップルは正座して、神妙に手を合わせていましたので大陸人ではなく、台湾人でしょう。 大陸人は見学はしますが普通、正座して手を合わせたりはしません。座り込み、飲食はやりますけどね。 |
東本願寺(3) | ||
南端の大きな建物が阿弥陀堂です。欄干のある廊下の隅で礼拝者の中年のカップルが腰を掛けて休んでいましたので、ボク達も一休み。 気温は軽く30℃を越しており、湿気もあり汗がダラダラと出てましたが休むと少しマシになりました。 ペットボトルに水を入れ、これを冷蔵庫で凍らせたのをリュックに入れてあったので、少し飲んでみました。 お堂の中ではないので、水を口に含むくらいは大目に見てもらえると思いますが。 |
東本願寺(4) | ||
御影堂からの高廊下には僧侶の書いた格言がいくつも掲げてあり、これはその中のひとつです。 「平均寿命が80才を越えた今、価値ある生き方をしなくては意味がない、、、」、という事なのか。 「現代は長生きをするから、その分意味のある人生を送れ」、と言っているのか。 ネガティブな解釈として、「長生きして、生き恥を晒すな」、という意味にもとれますね。 |
さ真宗大谷派僧侶と大逆事件 | ||
前回来たときは気が付かなかったのですが、御影堂の北にある視聴覚ホールの中に、大逆事件と真宗大谷派僧侶の件がかなり大きく掲げられていました。 大逆事件とは無政府主義者・社会主義者の”幸徳秋水”以下12名が検挙、処刑された事件というのは知っていましたが、その中に僧侶が連座していたというのは初耳でした。 ここに掲げられていた説明は、ボクの解釈では過激かつ明らかに偏向しているので、時間を見つけてしっかり調べてみようと思いました。(また宿題が増えました。) |
お昼の定番 | ||
東本願寺でブラブラしていたら1時を過ぎてしまいました。昼食は駅前の地下街で蕎麦を頂きました。 でも蕎麦だけでは何だか物足りない。という事で同じ通りにあったスイーツの店で甘い物を。 これがまた盛りがよくて、ボクは全部食べるのにちょっと苦労をしちゃいました。 ボクは左党ですが、甘いモノも拒みません。 アメリカでは、口に入れるとジャリッと砂糖が歯に当たるドーナッツとかで鍛えられたな〜。 |
朝食 | ||
ホテルの朝食は和食セットメニューと、それ以外でレストランが分けてあります。最初の朝食は洋食のセットメニューを頂きました。 前にビュフェで頂いた事があるのですが、席から離れていて往復するのが面倒だったので、セットメニューにした次第でした。 ビュッフェで料理を取りに行くのに、ずっとスーツケースを引きずって5回も6回もテーブルを往復していた女性がいましたが何なんですかね、あれは。 |
京都のバス | ||
2日目はずっと雨でどこにも行けず。でもボクらの場合、それでも全く問題ありません。ホテルでゆっくり過ごせるように広めの部屋も取ってあります。 3日目は天気も回復したので、仁和寺に行ってみることにしました。 バス停まではホテルを出て1分。そしたら1分もしないうちにバスがやってきました。ラッキー! 京都はバス、鉄道、地下鉄、それに徒歩でどこでも行けます。非常に便利です。 |
仁和寺(2) | ||
二王門左の本坊表門を入り、御殿入り口で拝観料1100円を払います。 ここにはウクライナ人道支援募金箱が置かれていました。 NHKだったかの調査では、今や日本人の30%以上がウクライナのために何らかの形で支援をしているとありました。 ボクはこれを聞いて、びっくりしました。余りにも高い率だからです。この数字には「支援をしたいと思っている人」、も含まれているのではないか、と思えてなりませんがどうなんですかね。 |
仁和寺(3) | ||
白書院から南庭をはさんで勅使門、超有名なアングルです。やはり実に絵になる構図だと思います。 勅使門は大正2(1913)年に再建され、まだ100年ちょっとしか経っていません。しかし仁和寺の中の多くの建物は江戸初期の再建で400年近くが経っています。 ヨーロッパ各国には古い建造物がたくさんありますが、基本的に”石”で木造建造物というのは殆どありません。 緑豊かな日本は木の文化、それは建造物にも言えるのだと思います。 |
仁和寺(4) | ||
仁和寺の五重塔は東寺と同じく江戸時代に作られ、特徴として各層が同じ大きさに作られています。いずれもその優雅な姿に感動しない人はいないと思います。 京都の五重塔を見るとボクは子どもの頃夢中で読んだ大佛次郎の鞍馬天狗を思い出してしまいます。 白馬に乗った鞍馬天狗が五重塔の横を駆け抜けていくと、屋根にとまっていたカラスが一斉に羽ばたく、、、そんなイメージです。今の子どもにはわからないでしょうね。 |
仁和寺(5) | ||
南庭の隅に緑色に濁った池があります。池には何匹もの鯉がいるのですが、全部池の隅っこのモミジの葉の下に退避していました。 この日の気温は33〜34℃で池の水温も恐らく30℃近くになっていると思います。 そんな中で鯉ちゃん達も直射日光に晒されたのでは身の危険を感じたのでしょう、みんな木陰に集まっていました。。 確かにこの日は格別に暑かったです。 |
基仁和寺(7) | ||
白書院の畳の上には満開の桜の枝が飾られていました。 でも今時桜?そうですこれは造花で全て紙で作られている桜でした。 これは仁和寺の創建888年に因み、888輪の桜の花、幹、そして土台など全てが紙によって作られているのでした。 他にここでは将棋の竜王戦も行われ羽生名人、藤井名人などの写真も飾られていました。 昨年は10月に行われたようです。 |
基仁和寺(8) | ||
ここは霊明殿というところで、本尊の薬師如来坐像と歴代門跡の位牌が安置されており、中を少し覗けます。 昭和大東亜戦争終戦前の昭和20(1945)年、日本が連合国に降伏した場合、昭和天皇に退位・出家をして頂き、仁和寺に入るという検討が近衛文麿を中心に行われました。 仁和寺は京都市街からは少し離れ、明治以前は人里離れた結構寂しいところ、近年になっても静かな森の中にひっそりとあったのが仁和寺ではなかったかと想像しました。 |
基仁和寺(9) | ||
しかし暑かったです。これだけ暑いと頭の回転も明らかに鈍くなるのがわかります。 日本の夏は気温も湿気も高く、本当に参ります。 ボクは気温38℃、湿度は多分20%以下というのを経験した事がありますが、こういう場合は肌を出さず顔も隠す、というのが大事であるというのがわかりました。 熱い空気を遮断するのですね。 この日はあちこちに腰を掛けて水を飲みながら、汗を拭きながらの見学でした。 |
朝食のテーブルからの眺め | ||
食事をしながら、京都駅JRの烏丸口の改札から出口までを、ほぼ上から見ることができます。多くの勤め人、学生風の人達が忙しそうに出口に向かっていきます。 ここでボクの職業病が発病。一体何割の人がカバンではなく、リュックを使っているか。何と、約60%でした。 リュックも様々で、何が入っているのか聞きたくなるような大きなリュックを背にしている人も多かったです。 その前屈みで歩く姿は、記録映画に残る舞鶴港に上陸した満州など外地からの引き揚げ者のシルエットに重なる? |
錦市場(1) | ||
前から一度見たいと思っていたところです。 賑やかな三条と四条の間にあるアーケードの両脇に食品販売、土産物販売、飲食をさせるお店がズラリです。 通りの長さは約400mで歴史を辿ると平安時代に行き着くそうです。つまり御所に新鮮な魚を納める店が集まったのが起源とか。 お昼前に行ったのですが、人通りは疎ら。これでは全く商売にならないという感じです。午後から夕方にかけてはもっと客が多くなると思います。 |
錦市場(2) | ||
こういう魚介類などを売っているお店は奥にテーブルが幾つもあって、それらを料理してもらって食べたり、一杯やれるようになっています。 これを最近は”イート・イン”とか言うらしい。しかしここで、ボクは心の中でブツブツ言うのであります。 「"eat in"って何だ?、”家で食う”、とかの意味でオレは使ってたぞ。それ言うなら"dining in"じゃないのか?」 最近は時々、いや頻繁に、様々な事に対して思い込みと偏見で絡むのを、ボクは自覚しているのであります。歳か? |
錦市場(3) | ||
仕事を辞めてからの旅行でお土産を買うことが殆どなくなりました。 アメリカでは定番の都市の名前の入ったビールジョッキを集めた事もありました。でっかい段ボール箱一杯になってどこかに残っています。 しかし、今でも普段使いする小さなモノを買う事はあります。今回は箸置きを1個(500円)と大きめの日本酒の杯を1個(1000円)を買いました。 これだと邪魔になりませんしね。 |
錦市場(4) | ||
ボクはアメリカ人を何人も日本に連れて来た事がありますが、彼らがお土産を買いたいと言うので、連れて行って喜こばれたのが100円ショップでしたね。 ホテルにあったクマの形をした石けんを見て、「これは娘のお土産にいいね!SHIN、貴方の部屋のもくれませんか?」、とかで喜んでいたのもいました。 日本のお菓子とかは一番人気がありませんでした。先ず羊羹なんかは絶対に食べません。歯にネチャネチャくっつくのってダメなんですね。 |
スタンド(3) | ||
カミサンは鶏カラ定食、ボクはチクワ天とビール。予想どおり、全て良心的。定食にはスパゲッティー・サラダ、グリーンピース入りの炒り卵がサイドディッシュで付いていました。 出されたビールは何と大瓶!最近はどこに行っても瓶ビールは中とか小で、何だか女々しい。 しかし大瓶をデンと置くと見るからに男らしく、そして「さあ飲むぜ!」という盛り上がり湧いてくるのであります。 ここには吉田類が来て、取材をしたそうで写真が貼ってありました。夜は味のある居酒屋に変身するのでしょうね。 |
デザート | ||
スタンドでお腹いっぱいになったのですが、ナゼか別腹で冷たい甘いものが欲しくなりました。 これはボクにとっては異常で、ボクは普段は間食は少なく、食後に甘いモノはあまり口にしません。 京都に来るとボクの中で何か別なスイッチが入るのかも。 先ほどのスタンドから50mほど離れたところに小ぶりのかき氷を出す店があったので入りました。 さっぱりとしておいしかったです。 |
ホテル裏の居酒屋 | ||
カミサンは夕食は軽く済ませたいという事で、ボクだけ居酒屋に行きました。 ひとりなのでカウンターに。両脇は50代の中年カップル、いずれも夫婦ではなさそう、スーツ・ネクタイ、、、。 右隣にいた方がエラクうまそうなものをつついていたので、何か聞いたところ「ホルモンです。」というのをきっかけに話が弾み、ボクもかなり酔ってしまいました。 そろそろお開き、という時に頂いた名刺には、○A○再建をやったI氏が会長だった、赤いロゴの超有名会社。 お二人ともしかるべきタイトルの方でした。 |
頼まれました | ||
ボクが京都に来ている事を、友人のK君にLINEで連絡したところ、”阿闍梨餅”を買ってきて欲しいという依頼。 調べると”阿闍梨餅”は今や京都の人気の有名なお土産で、売っている場所は限定されているとのこと。 ポルタ地下街の土産物屋で聞くと、「そんなもん、ウチにはありまへん。」、とプイと横を向かれたのにはびっくり。 質問をしようにも、オバサンは天空を睨んだガマガエル状態、諦めました。 結局三越地下の銘菓売り場の出店で買う事ができました。結構な行列ができていました。 |
今回の京都は4泊5日と今までの中で最長ですが、行動の密度は低かったです。 第一の理由としては天気が悪かった、です。1日半は完全な雨でした。二番目の理由では暑かったので、行動の意欲が萎えた、です。 三番目はもともと大きな目的はなく、行き当たりばったりで日を過ごす旅行である、です。 次はいつ行こうか?既にそういう話が出ています。 |