マレーシア、ショート・トリップ:2023/6/7〜2023/6/11
マレーシアは現役時代に出張の機会もなく、行った事のない国で、ずっと気になっていました。いつかは行きたいと思っており、今回5日間という短い日程でしたが、とうとう行く事ができました。

マレーシアというとボクの場合、真っ先に頭に浮かぶのが”マハティール元首相”、次に”イギリスの元植民地”、そして”イスラム教の国”、でASEANの中では指導的立場にある、etc。

それにボクが30代半ばの今から35年以上前に、ボクの会社の国際研修機関にマレーシア政府から研修で来ていた人(男性、確か当時30才)を研修の一環で、自宅に泊めた(一般家庭経験のボランティア−として)事がある、というのもカレーシアとの関係と言えるかも知れません。

今回短期のグループ・ツアーではありましたが、実際にマレーシアを訪れて少しだけ具体的にイメージを描けるようになりました。

初めてのマレーシア、何を見て何を感じたか、非常に大ざっぱではありますが記してみます。

シンガポール航空
セントレア空港ETD(10:30)のSQ(シンガポール航空)なので当日に自宅を出ても間に合うのですが、空港ホテルに前泊しました。

SQは今までに何度も乗った事があり、世界のエアーライン格付けランキングがずっと1位又は2位という会社です。

ボクは米国のデルタ、アメリカンなどのフライトに一杯乗っており、SQの評価の理由がよくわかります。
しかし群れを抜いていたのはノースウエストでしたね。今のフィリピン航空といい勝負です。

シンガポール・チャンギ空港(1)
空港ランキングでずっと1位だったと思います。世界で最も素晴らしい空港だそうで、乗り継ぎで空港内を歩いただけで、その理由がわかるような気がします。

羽田とか成田も評価は高いようですが、羽田の国際線と国内線の移動のあの不便さは一体何だろう、という気がしますが改善されたのですかね。

シンガポール・チャンギ空港利用は4回目で、広々としてピカピカです。

シンガポール・チャンギ空港(2)
ラウンジはいくつもあって、その規模も半端じゃありません。飲み物とスナックだけでいい人、食事をしたい人、それぞれうまくエリアが分けてあります。

私たちは軽く食事をしましたが、種類などで言えば成田のJALラウンジがボクは一番だと思います。
アルコールでSAKEを見つける事ができませんでした。何で?置いてないんですかね〜。

ラウンジも米国の空港は番外。話になりません。

マラッカ/リバークルーズ(1)
宿泊はKL(クアラルンプール}の繁華街のど真ん中の「JWマリオット・ホテル」。一流のいいホテルです。
翌朝から観光開始、まず150km離れたマラッカへ。
マラッカは14世紀末から16世紀初頭までマラッカ王朝のあった古都です。

今回のガイドはYO(ヨー)さんという45才くらいの男性で、日本に留学しており、日本と日本人の事は知り尽くしているようでした。
先ずはマラッカ川の”リバー・クルーズ”。ここに来たら絶対に乗るべし、とい45分のコースです。

マラッカ/リバークルーズ(2)
クルーズにYOさんは乗って来なかったので、ゆっくり流れる両岸の景色を眺めるだけでしたが、これはライトアップされたナイト・クルーズが最高だそうです。

マレーシアの民族構成はマレー系70%、中華系20%、インド系8%、その他2%です。

国語はマレー語ですがマレー系はマレー語、中華系は中国語、インド系はタミール語を話し、異民族間ではマレー語または英語で会話するという、多民族国家です。

マラッカ/オランダ広場
マラッカはペルシャ、インドなどとの交易港で栄え、16世紀にこれを狙ったポルトガルの植民地になり、17世紀にはオランダ、18世紀から20世紀にかけて今度はイギリスの植民地になっています。

従ってマラッカは、これら
白人の侵略の歴史が主な観光対象になっています。
ですからマレーシアには
マレー古来の文化・遺跡などは少なく、今回も殆ど案内はされませんでした。他国支配のイロハのイが、その国の文化の破壊です。

この
白人支配の神話を打ち破ったのが日本でした。

マラッカ海峡
高さ110mのマラッカタワーの向こうにマラッカ海峡が見えます。
マラッカ海峡は交易上、昔も今も非常に重要な海峡で現在は年間9万隻の船が行き交うそうです。
ペルシャ湾から日本への原油タンカーが通る海峡であり、日本にとっても生命線と言える海峡です。

マラッカ海峡は海賊が多く出没、2000年頃には日本船も襲われ、船員が拿捕されたそうです。
海峡が狭く島も多いため、海賊が急に現れたり隠れたり、襲撃がやりやすいからだと説明がありました。

マラッカ/セントポール教会跡地
1521年にポルトガルがキリスト教布教のために建て、その後海賊に破壊され、1590年に再建されましたが、19世紀にイギリスによって破壊されたので、現在のような姿になりました。

ここはフランシスコ・ザビエルの東アジアへの布教拠点となっていたそうですが、ザビエルはスペイン人、マラッカはポルトガルの植民地。
既にポルトガルは勢いをなくしつつあった頃、その後スペインはポルトガルを併合しています。

マラッカ/サンチチャゴ砦
1511年に、ポルトガル人が上陸したときにオランダとの戦いに備えて作った砦です。
つまり当時は植民地争奪戦に、急激にのし上がってきたオランダがポルトガルの敵だった、という事です。

実際にその100年後の1641年にはオランダによってポルトガルは駆逐され、マレーシアはオランダの植民地になってしまいます。

しかし19世紀にオランダからマーレーシアを奪ったイギリスが砦を破壊、このような形になったそうです。

マラッカ/海峡モスク
2003年に建てられたイスラム教モスクです。
ドームはイスラム教共通ですが、左右の屋根は中華風に見えます。
マレーシアは憲法でイスラム教を国教(連邦の宗教)として定めています。日本で言えば仏教、或いは神道を国教とする、みたいなものです。

殆どの国では文化、風習、日々の生活習慣、教育まで宗教の影響が大きく、日本人はなかなか理解できない部分かも知れません。

旧岩崎邸庭園(2)
「マラッカ海峡」、「世界で一番長く、そして最も交通量の多い海峡」、と英語で書いてあるので、下の中国語も同じ意味だと思います。
馬六甲海峡 ⇒ マラカ海峡、、、なるほど、ですね。

この左隣にはマレー語とタミール語でしょうか、同じレイアウトで私には読めない文字が並んでいました。

多言語国家(多民族国家)というのはものすごい非効率なんですね。多言語国家って意外と多い。ボクがいたフィリピン、米国のお隣のカナダもそうでした。

マラッカ/青雲亭
マレーシア最古の仏教寺院です。明朝時代の1646年に建立されたそうです。

マラッカの中華街はマラッカ川の西側にあり、独特のレトロな奮起で、青雲亭はその隅っこの方にあります。

通りはいろいろな店があり、食べ物屋なども多く、じっくりと見て回りたいのですが、グループツアーなのでさっさと通り抜けただけで残念でした。
川の西はポルトガルの雰囲気、西にくると中華の通り、マレーシアらしいです。

プトラジャヤ/ピンクモスク(1)
プトラジャヤはマレーシアの行政上の首都です。マハティールが4代目首相の時、2001年に連邦直轄地になったそうです。
殆どの省庁がクアラルンプールから移転が完了し、機能しています。
場所はクアラルンプールと空港の中間にあります。

ピンクモスクは首都移転工事中の1999年に完成、総工費が日本円で70億円だったそうです。

観光客に人気のモスクです。

プトラジャヤ/ピンクモスク(2)
中に入るには様々な規則があり、女性は頭からすっぽりとローブを羽織る必要があります

男も半ズボンはダメで、ガウンを借りる必要があります。
注意書きの中に次のようなのもありました。

Female visitors who are menstruating are requested not to enter the Main Prayer Hall.

つまり、「生理中の女性は主礼拝堂への入場を断ります」、という内容です。

プトラジャヤ/ピンクモスク(3)
外観は紅色の花崗岩で作られ、礼拝堂などの中も紅色の実に美しいモスクです。
このモスクの横には立派な首相官邸、各省の建物が並んでおりプトラジャヤの中心部にあるモスクです。
ここは建物、道路から街路樹まで計画的にきっちりと作られており、ワシントンDCのような雰囲気があります。

ボクは仕事でワシントンDCのある政府機関に行った事がありますが、中は意外と質素でした。
日本の旧文部省、国交省にも入った事がありますが、中は中学校の職員室状態、わかりますよね、これで。

ペトロナスツインタワー
高さ452m、KLのシンボル的な建物で、それぞれ日本のハザマと韓国のサムスンが建てました。

建設途中でハザマはサムスンにかなり技術的なテコ入れををしたそうで、これがなければ建設は中断したと言うのを聞いた事があります。

KL付近は活断層もないので地震がなく、高層建築に対する規制も日本などとは比較にならないほど緩いそうです。
また台風もない国で、世界一自然災害の少ない国と言われているそうです。

ブキッ・ビンタン
ホテルの前の通りで、マレーシアの銀座といった雰囲気です。とにかく賑やか、ショッピングセンターが建ち並び、高級ブランドからお手頃品まで何でもあるという感じです。

KLは昼間は治安上の問題は特定のエリアを除き、問題はないという事でした。
但し夜間のチャイナタウンなどは女性の一人歩きは止めた方がいい、とガイドのYOさんが言ってました。

滞在中に警察官を見掛けたのは1回のみ、欧米に比較すると警備がされていない(犯罪が少ないから?)印象でした。

バドウ洞窟(1)
ヒンズー教の聖地だそうで、KL市内からバスで30分ほど行ったところです。
階段の入り口には「ムルガン神像」が立っており、高さ42.7m、世界で最も高い神像です。
金色に輝いているのは本物の金が使われている、とかいうのですが本当かな〜、、、。

神像はヒンズー教の軍神で、軍神にしては優しい顔をしています。
階段は272段で、室生寺の階段に比べたら朝飯前という感じなのですが、ここはマレーシア、大汗百斗です。

バドウ洞窟(2)
登り切ったところには大鍾乳洞があり、あちこちにヒンズー教の神さまが祀られています。

とにかく汗だく、まだ先に階段があり、ここにはもっとエライ神様が鎮座されているそうなんですが、階段の手前で柏手を打って、おじゃまするのは省略させて頂きました。

階段は一定間隔で踊り場があるので、危険は感じませんでした。
しかし何で階段はこんなにカラフルなんだろう。

バドウ洞窟(3)
階段の途中には結構な数の猿が飛び跳ねていますので、食べ物を持っての階段は禁物です。
下りの半ばで一匹の猿がじっとカミさんを睨んでいます。
「ど、どうすればいいの?」
「これはご先祖様と思って、ジッと目を見て、、、」

という事で通り過ぎたのですが、ご先祖様は何の反応もなく杭の上で休憩してます。

という事で、せっかくなのでご先祖様とツーショットを撮らせてもらいました。

バドウ洞窟(4)
ここはヒンズー教の聖地なので、インド系の人が多いかなという印象でしたが、ブルカを着たイスラム教徒、白人(多分キリスト教徒)、そして日本人(殆どが仏教徒?)など異教徒も溢れておりました

ヒンズー教も多神教と聞いておりますが、宗教はボクの不得意科目のひとつなで、今度しっかりと勉強してみたいと思います。
キリスト教のように排他的な宗教ではなさそうですが。

バドウ洞窟(5)
大汗をかいたので広場横のテントに入ってココナッツ・ジュースを飲んでみました。
冷やしてないのが1個150円相当、冷えているのが180円相当でした。
普通はココナッツ1個で十分ですね。

ボクはココナッツジュースをフィリピンにいた時によく飲みま、コップ一杯50円くらいだったと記憶しています。
そこそこの糖質が含まれており、飲み過ぎには注意!と言われた事がありました。

クワイ・ツアイ・ホン(1)
クワイ・ツアイ・ホンとは広東語で「鬼仔巷」⇒「ゴーストの路地」という意味だそうです。

これは1960年代のマレーシアの中華街の雰囲気だそうですが、何かもっと古いような、DVDで観る昭和初期の支那の街という感じがします。

営業しているのかどうだかわからないような店が並んでおり、ボクはこういうところに入るのが大好きなんですが、如何せんグループツアーでは身動きがとれません。

クワイ・ツアイ・ホン(2)
本当に昔ながらの路地、という雰囲気で上を見上げるとムルデカ118がドーンと見えたりして、この「時代のアンマッチ」が何とも言えません。

ウオール・アートもあったりしてその描き方はボクが子どもの頃、父の書斎にあった古い雑誌に載っていたような雰囲気の絵柄、、、。
マレーシアの華僑・華人は国全体の経済の85%以上を握っていると言われ、これは実質的に国を支配する民族と言えます。

従って華僑・華人は人口の70%以上を占めるマレー人を支配する民族です。
タイでフィリピンも国を支配しているのは色の白い連中(華僑・華人系)です。

フィリピンの大物華僑・華人はビジネスで得た資産を米国の口座に送金し、ポケットにはいつも米国までのオープンチケットを忍ばせていると聞いていました。

何かあれば身体ひとつで米国に逃げれるようにしておく、これは彼らの常識だそうです。
つまり何かあれば真っ先に襲われる人達、という事ですね。

プタリン・ストリート
KLのチャイナタウンを南北に縦断するプタリン・ストリート、ブラブラと歩きましたが、本当に飽きません。

ボクは売っているモノをジロジロ見るのが大好きです。
腕時計など、パッと見ただけでは「あれ?XXXとそっくりじゃない?」というのが一杯並んでいます。

ボクはこういうビジネスに詳しいある人から聞いたのですが、イミテーションにも5ランクくらいあって、上の2つのランク品は「普通の人は本物と2つ列べても直ぐにはわからないだろう」と言ってました。

日本製品
マレーシアには多くに日系企業が進出しています。弱電関係ではSONY,パナソニック、キャノン、車ではホンダ、トヨタ、日産などがそれぞれ大きな工場を持っています。

マレーシアは東南アジア唯一の国産車メーカーが2つある国で、そのうちのひとつと、ボクのいた会社は業務提携を結んでいます。

これに深く関与したてきた知人のひとりが言うには、トップ以下幹部は殆ど中華系で、油断できない連中で非常に難しかった、と言ってました。

リバー・オブ・ライフKL
クアラルンプールという地名の由来となったクラウン川とゴンパック川の合流地点です。モスクと近代的なビルのコントラストはなかなかの景色です。
夜はライトアップされて非常に幻想的だそうです。

川の横(右側)の建物には大きな壁画があり、船で商品を運んだ貿易の画のようです。
これもじっくり見ることができず、残念。

KLはチャイナタウンを中心に壁画の多い都市、という印象を受けました。

クラウン川横のお惣菜屋
KLの屋台は簡易移動式ではなく、基本的にテーブルとテントの、いわゆる「ご開帳タイプ」です。
なのでタイ・バンコックにあったような屋台は見掛ける事はありません。

今回は食事付きグループ・ツアーだったので、こういうのを口にする機会はありませんでしたが、ボクはこういう食べ物が実は一番好きなんです。
尚、イスラム教徒の国なので、こういうところでビールとかは飲めません。(オバサンがヒジャブを被っている)

旧連邦事務局ビル
独立広場(ムルデカ・スクエア)の道路を挟んだところにあります。
マラヤ(マレーシアの前身)の独立は1957年、この時ここの広場で宣言されました。

建物は全てイギリスの植民地時代の19世紀末に建てられました。旧連邦事務局ビルは現在、最高裁判所になっています。

広場の向こうには年金局があり、ガイドのYOさんからマレーシアの年金について少し話を聞きました。

独立広場横の通り
いいショットの写真だな〜、、、と、自画自賛。
近代建築以外はイギリスの植民地時代に建てられ、独立後もキチンとメンテナンスがされ、品位がある街並みという印象を受けました。

世界の殆どの都市が同じですが、ここKLもチャイナ・タウンを除き、広告・看板・注意書きなどが殆どありません。
ですから街並みがすっきりしています。

日本の都市は無制限の広告・看板・旗竿で埋め尽くされており、香港といい勝負ですよね。

クアラルンプール・シティー・ギャリー
クアラルンプール、マラヤの歴史を非常にわかりやすく説明してあります。
19世紀に客家人であるYap Ah Loy がクアラルンプールに来て、発展に大きく寄与した事など、他は時間がなくて詳しく読むことができんかったのが残念。

1941年1月に日本軍はイギリス軍を降伏に追い込み、1945年8月に原爆投下によって日本は降伏をした。
そして「イギリスがまた戻ってきやがった」、と書いてありました。(これは英文説明のボクの意訳です)

クアラ・セランゴールのホタル観賞(1)
KLの北西60kmの街まで行ってボートで川に繰り出し、ホタルを観賞するというコースです。

先ずは食事。中華風の海鮮料理で、多くの観光客と一緒に頂きました。観光客のほとんどはマレー系、中華系、インド系で白人はいません。
後でわかったのですが、白人は別の部屋が準備してありました。理由はいくつか想像できます。

ウエイター、ウエイトレスは15才〜20才くらいの地元の少年・少女達でした。

東クアラ・セランゴールのホタル観賞(2)
トイレに行くときに他の観光客の料理をジロジロ見て行ったのですが、我々のものとはかなり違いました。
我々のは淡泊で量が少なく、彼らのは脂ぎって山盛りでした。ボクはこっちの方を食べたかった、、、。

日本人、特に年配者が多いツアーは、ツアー会社が、食事の味は淡泊、量は少な目に準備をするそうで、香辛料などをドカッと入れるとクレームがつくことがあるそうです。

食事が終わった頃、セランゴール川に太陽が沈みました。見事な夕焼け、そして周りの景色、、、。

東クアラ・セランゴールのホタル観賞(3)
ホタル観賞はボートに乗って10分以上川を上り、岸辺に近寄ります。
今回は外れ、でした。
かなり暗くなるまで待って、何カ所もホタルのいる場所を探したのですが、チカチカと数十匹程度。

米国でボクは自宅の芝刈りをやったフロントヤードに、何百匹ものホタルが飛んできたのとか、10m以上の大きな木全体がホタルで埋め尽くされたのとかを見たことがあり、さてマレーシアのホタルは、、、がっかりでした。

アロー通り(1)
ホテルはKL銀座である”ブキッ・ビンタン”通りにあり、ここを300m程西に行って別の通りに入ると一変します。それまでのブランドショップ、ショッピング・センターとは違う、生活の香り漂う、庶民の街になります。

本当は夜行くのが面白いのでしょうが、ツアーのスケジュールの都合でAM10時頃に散歩してみました。

200mくらい歩いたところで、女乞食が前にいます。歩き方がおかしい、、、ン? 何かでキメているな。
急いで追い抜きましたが、その時顔を見たら目はうつろ、ブツブツ独り言。いるんですね、KLでも。

アロー通り(2)
ヒジャブ姿の女性の皿に豚肉はない、中華料理は豚肉だらけ、インド人の皿に牛肉はない、、、ややこしいな〜。
ゆっくり歩いて、店先で立ち止まると直ぐに店の人が寄ってきて注文を取ろうとします。

ほんの薄らと笑み浮かべて、相手の目を見て軽く首を横に振るこれは”No,thank you.”の万国共通のサインで、ボクは米国でこれを覚えました。

日本人がよくやる、顔をひきつらせて”手のひらを顔の前で横に振る”、あれは相手がびっくりするだけで、殆ど通じません。

名ブキッ・ビンタン駅横
駅横にはISETANがありました。ISETANは他にもあるそうです。
マレーシアは車社会で朝夕のラッシュはかなりのものです。BTSとか地下鉄とかはかなりできているのですが、中距離・長距離移動用の鉄道がまだ十分でないと聞きました。

日本の新幹線のような鉄道の計画があると、ガイドのYOさんは言ってました。

まあその時はインドネシアの高速鉄道のようにならない事を祈ります。

スタバに入ってみました
暑くて汗がだらだらになったのと、喉が渇いたのでスタバに入ってみました。
アイスコーヒーを注文したら”Your name,please.”.
一瞬エッとなりましたが、”I'm Shin.”と答えると、店員はそれをカップに書いて、出来上がると名前を呼んでくれる、、、こういう仕組みでした。

これからは日本人以外でもわかりやすいファーストネームを日本人は持っておいた方がいいですね。

ちなみに”ShinXXX”は中東系に間違えられるようで、ボクはフライトチケットに”SSSS”を何度も押されました。

ロイヤルセランゴール(1)
マレーシアお「ロイヤルセランゴール」、ボクはこれを昔英国人から聞いて知っていました。

世界最大のピューターのメーカーで、マレーシアの王室御用達、その他世界各国で売られて、直営店まで持っている、工場見学に行った最初に話された事でした。

日本では伊勢丹、和光(!)で売られています、、、と工場見学に行った最初の話でした。

創業は140年前、創業者は勿論、、、中国人です。

ロイヤルセランゴール(2)
ここには200名の職人、40名のデザイナーがおり、工場見学の観光客は年間15万人だそうです。
説明は会社の社員がやるのではなく、ガイドのYOさんが日本語でやってくれたので、質問はなし。

工場をざっくりと眺めたところでは、現在の稼働率は高くなさそう、工場の整理・整頓レベルは中以下、従業員が250人いるのにチラッと見えた食堂が随分小さい(職制で分けている?)、etc。

ボクは工場を見ると、つい現役時代のクセが出てしまうのですね。

ロイヤルセランゴール(3)
見学コースの中には加工の実演もあります。職人さんは工場内でも女性が多いように見受けました。

ピューターは錫を主成分(95%)で他にアンチモン・銅などが含まれており、融点は250℃です。
ハンダの融点が200℃くらいなので、ピューターのマグカップはボクの持つ半田ゴテで穴が空いてしまうことになるのだな〜、、、。

いずれにせよ、ピューターは非常に柔らかい金属なので加工は簡単ですね。

ロイヤルセランゴール(4)
最後にショールームに連れて行かれます。ライトアップされた製品はまるで宝石のように輝いています。和光で売られるのも納得です。

ボクはワインゴブレットとビアマグを買いたいな〜、と思っていたのでそれを中心に見て回りましたが、こりゃイイな、と思うのはやはりそれなりの値段がします。

ボクが時々行くホテルのレストランの冷酒はピューターの片口に入れて出され、それをピューターの猪口で頂きます。
あれも欲しいな〜。

ロイヤルセランゴール(4)
結局は最初の計画通り、ワインゴブレット2個とビアマグ2個を買いました。ビアマグ1個は娘婿のお土産にしましたが、この価値をわかってくれたかな〜。

ショールームには他に各種の置物などが展示されており、いずれも見事。このロブスターは50cmくらいあり、150万円相当の値段になっていました。

昔のピューターは錫成分が70%と低く、経年で曇りが出てくるのですが、今のピューターは曇らないそうです。

ブルーモスク(1)
場所はサー・アラムというところで空港に向かう途中で寄りました。
マレーシアの旅、モスク巡りも段々と飽きてきますが、この「ブルーモスク」で最後です。という事は皆さんも「てるてる坊主」になるのもこれで最後です。
案内は日本語がしゃべれるという人でしたが、実は片言。結局は英語でやってくれましたが、これエライ訛り。

ボクは半分も理解できず、でも気のよさそうなオジサンで一生懸命だったので、ボクも一生懸命に聞きました。

ブルーモスク(2)
ブルーモスクはは通称名で、正式名は長すぎて覚えられません。
世界で4番目に大きなモスクで、最大2万4千人が入れるという話でした。本当かな〜、でもデカかった。

我々のグループに中国人女性2名も同行して見学をするように係から言われてましたが、途中で勝手にどこかに行こうして説明員に注意されていたにも係わらず、結局どこかに行ってしまいました。

隣に博物館もあったのですが、時間がなくパス。

KL国際空港
今回のグループツアーは女8人、男3人という組み合わせで、1人〜2人ちょっと浮いたオバサン以外、みんな仲良くやってきました。

ガイドのYOさんも、よくやってくれました。運転手は名前はわかりませんでしたが、小銭混じりで失礼とは思いつつ、残った現金を全部チップで渡しておきました。

帰りのフライトもシンガポール経由、中部国際で、ボクは食事のあと液体燃料を注入、ぐっすり寝て目が覚めたら着陸30分前でした。

グループツアーの観光地巡りではありましたが、マレーシアのぼんやりしたイメージは掴むことができました。
やはりいろいろな事をガイドに聞けるというのが、こういうツアーのいいところではないかと思います。

マレーシアは多民族国家で成功した国と言われますが、人口の70%を占めるマレー人の中華系に対する鬱積した感情は、相当なもののようです。
「前ら中華系だけ、独立して国から出てけ!」、「おお、わかった出ていく!」という事で出来上がったのがシンガポールである、というのも今回知りました。(まあ、簡単に言えばこう言う事です。)

まあそういう事はともかくもう一度、今度は個人旅行でKLのあちこちを、じっくりと回ってみたいと思っています。
何せチャイナタウンだけでも、ゆっくり観光すれば半日でも足りない、という感じでしたから。
言葉も英語が十分に通じる、というかマレーシアは英語社会なので問題ない、と言う点も心強いです。

初めてのマレーシア旅行、総合的に10点満点の8点、いや9点をあげましょ〜!