ベトナム駆け足の旅(1):2023/09/05〜2023/09/11 |
ベトナムは過去にホーチミン(サイゴン)に行った事があります。 活気に溢れた街、昼も夜も歩いてブラブラ回れる街、暖かい感じのする人達etcで何となく親しみが記憶にあり、また行ってみたい国の一つでした。 今回は南北5つの都市を6日間で駆け抜けるという少々無理に思えるスケジュールのグループツアー、これに参加してみました。 知人からは、それぞれの所はじっくり味わって訪れるのがいいのではないか、というアドバイスが多くありました。 しかし知らないところは最初から長期で行くのではなく、「まずは大まかに見て回って、気に入ったと感じたなら再度行ってみる」、というのがボクのやり方です。 ツアーはさすが旅行会社のプロが練って考えた中身、結構中身の濃いツアーを楽しむことができました。 そんなツアーについて、感想を簡単なコメントで記録に残します。 |
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ベトナム航空 | |
セントレアからハノイまで、ベトナム航空で約6時間、ビジネス・シートで行ったのですが、ズバリ3世代前のタイプ。(機材はA321) 今回はベトナムの国内線にも2回乗ったのですが、これと同じシートでした。 ベトナム航空の以前のPRでは、セントレア・ベトナム各都市間は最新機材を導入となっているのですが、コロナ下で機材のグレードダウンをしたのでしょうか。 食事は普通のレベルでした。 |
ハノイ着陸前 | ![]() |
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ハノイ空港着陸のために機は高度を下げていきます。窓からは農地、家々、それに大きな工場群が見えます。 大工業団地が見えたので、その中からいくつかの工場を機内から撮影、写真を拡大してみるといずれも未稼働の様子。新設の工場のようです。 ベトナムは人材の確保、部品調達、政府のいい加減さ、その他で各国(台湾・韓国・日本)とも進出した会社の幾つかは苦戦中と聞いています。 |
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ハノイ近郊の商店街 | |
ボクは外国に行くとその国の人がどんな暮らしをしているのか、可能な限りこの目で見ようとします。 またツアーのガイドも、生活とか日本との違いなどについてについていろいろと話をしてくれます。 でも興味を示す人はあまりいません。 ベトナムの家は間口が狭く、奥行きが非常に長く3階建て以上が多い、というのが特徴だと聞いていたのですが、都市部はそのとおりでした。 |
ホテルからの眺め | ![]() |
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バスからの風景でホテル周囲の雰囲気は何となくわかったのですが、部屋からの眺めで少々びっくり。思ったより広い地域に多くの施設。 湾の方はベトナム最大と言われるテーマパークもあり、そこのライトが空を照らしています。 朝起きて外を見て再度びっくり。ホテルなどの建物が延々と連なっています。 しかし車や人影が殆ど見えません。観光客はコロナ前の20%くらいしか戻っていないそうです。 |
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ハロン湾クルーズ(1) | |
翌朝は早速ハロン湾クルーズ。クルーズ船乗り場の「ハロン国際港」までバスで5分。 ここには大小500隻のクルーズ船があるそうで、出港時も帰港時も港は船で埋まっており、やはり稼働している船は非常に少ない感じです。 観光客の3分の1が白人、3分の2がアジア系といった感じでしょうか。 日本人は、10人程の同年代のグループをひとつ見掛けたのみでした。 |
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ハロン湾クルーズ(3) | |
波止場を出て20分くらいでティエンクン洞窟(”天空”の意味)に到着です。 ここはクルーズで立ち寄る、一番ポピュラーな鍾乳洞です。 規模は大きくありませんので、秋芳洞とかと比較してはいけません。 この日はよかったのですが、中はうんと狭いので観光客が増えたらどうなるんだろう?という感じです。 しかし素人の鍾乳洞写真は、後で見ると典型的”ガッカリ写真”なんですね。 |
ハロン湾クルーズ(4) | ![]() |
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ハロン湾の奇岩はどうやってできたのか、海中にあった石灰岩の台地が隆起して風雨・海水によって削られて残ったもの、という事らしいです。 ボクはそれまではハロン湾の奇岩も、アメリカ西部にあるあの巨大な奇岩(モニュメントバレーのような)と同じように溶岩(マグマ)が地下から上がってきて、周りの岩石が風雨で削られて塔になった、と思っていました。 今回、近くで岩肌を見ると、無数の縦縞が見えたので、これってやっぱり溶岩じゃないの、とか思って再度調べたら、何を読んでも「泥岩、石灰岩である」とあります。 最後にはムキになってChatGPTに聞いてみたら、見事な説明でボクの思い込みの溶岩説を粉砕。 「石灰岩の隆起」です、と。 おまけにモニュメントバレーも溶岩ではなく「砂岩」が風食と水食であのような形になった、という事まで教えてくれ、ボクの持っていた知識は全て「完璧な間違い」であった、という事も判明した次第でした。 |
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ハロン湾クルーズ(5) | |
クルーズ船は何隻も見えます。洞窟見学以外の奇岩への上陸地点もあるようで、簡単な艀が設置されているのも見えました。 それぞれのクルーズ船には多くても12〜3人くらいしか乗っていません。 料金体系をチケット売り場で見たら、小さな船だと8人分で3時間貸し切りができる金額でした。 また観光客の払うクルーズ船料金の60%は、ハロン湾エリア入場料金(政府が召し上げるお金)でした。 |
ハロン湾クルーズ(6) | ![]() |
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視界もよくなって湾内も本当にきれいに見えます。 モノ売りの小さな船が寄せてきて、南国のフルーツを売りにきました。 傘(ノンラーと言うそうです)を被っているのは老人で、その横に子どもがいます。船の屋根の下にはもう一人、船頭がいるのでしょうが見えませんでした。 日本人観光客の特徴として、こういう物売りからフルーツなどを買うことはあまりしないですね。何でですかね。 |
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ハロン湾クルーズ(7) | |
コースの折り返し地点辺りから船内で食事を頂きます。 普通のベトナム料理で、食べやすかったです。 ベトナム料理は北部・中部・南部で調理方法、味付けが違うそうです。 「南の料理は甘い、だからデブが多い。」、ガイドのフイさんに言わせるとこうなります。 フイさんはなかなか愛嬌のあるガイドで、日本語はベトナムの大学で覚えたそうです。 この前ベトナム人旅行者の添乗員で東京に行った、と言ってました。 |
ハロン湾クルーズ(8) | ![]() |
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ハロン湾はこんなに多くのホテルなどが立ち並ぶ観光地だとは思いませんでした。 せいぜい鄙びた漁村程度、、、大間違いでした。 すれ違った白人の観光客にどこから来たのか聞いたところ「オランダから」という返事でした。 しかしこのホテル群、客で一杯になる事はあるのか?他人事ながらちょっと心配になったり、、、。 ハロン湾、噂どおり、来る価値はあるところです。 |
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タンロン遺跡(2) | |
遺跡発掘は2002年頃から始まり、2010年にユネスコ世界遺産になったそうです。 発掘の難しさはやはり各王朝、時代の異なる建造物などが折り重なっている点で、一番深いところには中国支配時代の遺跡があったりしたそうです。 遺跡の発掘には奈良女子大の上野邦一先生という人が多大な貢献をしています。 この方は古代寺院・建造物の発掘調査・研究の世界的に有名な方との事です。 |
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タンロン遺跡(6) | |
タンロン遺跡はハノイ観光の必須の場所と、あらゆる観光案内に書かれています。しかしベトナムの基本的な歴史の知識がないと建造物とか、偉人の説明を聞いたり見たりしても、殆ど意味をなしません。 15世紀の中国からの独立、19世紀後半のフランスによる植民地支配、1940年前後の日本との関係、1950年代のフランスからの独立、1970年代の南北統一という5つの節目と、流れの把握・理解が必要です。 日本はベトナムのフランスからの独立(戦争)、それにベトナム戦争後の経済的発展に大きく寄与しています。 |
タンロン遺跡(7) | ![]() |
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ここの各種展示を見て思うのは改めて「ベトナムは完全な漢字文化圏」であったことです。 漢字はフランスの植民地化によって強制廃止(捨てさせられた)、ベトナム語をアルファベット表示した「クオック・グー」という文字を使わせ、これが今のベトナムの文字です。今では漢字を読める人は皆無だそうです。 日本で例えれば、漢字、仮名を全部捨てて、ローマ字の表音文字だけになった、という事です。これはその国の歴史・文化・技術・文明の分断・破壊です。 |
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アオザイ | |
見学を終えてバスに乗ろうとしたら、アオザイの美女軍団、同じ色のアオザイなので何かの催しなのか、向こうでは盛んに写真などを撮影していました。 ちょと近寄って、「ところでユー達はどういうグループなのか?」とか聞きたかったのですが、グループツアーの悲しさ、1枚だけ写真を撮らせて頂いて、急いでバスに乗り込まざるを得ませんでした。 ”元”乙女、という方達ではありましたが、やはりアオザイの女性はいいですね。 |
国会議事堂 | ![]() |
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ホーチミン廊と道路を挟んで建っています。 ホーチミン廊は中には入れず、高飛車な警備の兵隊が来ている観光客に対して、注意しまくっていました。 座って写真を撮るな!、やたらと水を飲むな!、ギャギャー騒ぐな!etc。 ホーチミン廊の中には、ホーチミンの遺体がそのままガラスケースに入っているそうです。 そう言えば北朝鮮の金正日も冷凍保存されており、維持費に年間1億円以上が必要と聞いています。 |
元ホテル・ニッコー・ハノイ | ![]() |
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何年か前にホテル・デュパルク・ハノイに変わっています。 雰囲気とか客室はホテルニッコーのままです。 ホテルニッコーは今までメキシコシティー、サンフランシスコ、香港、台北、お台場、成田、サイゴンなどに泊まっていますが、さすが外れはありませんでした。 でもそれぞれ微妙な違いがあります。部屋の細かい部分の清掃状況とか、設備のメンテナンス状態とか、、、。 |
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朝食レストラン | |
一般的なバフェ形式で、普通の和食メニューは全部揃ってました。大変美味しかったです。 宿泊客の多くは日本人の出張者と思われる人達で、一瞬ハノイにいるのを忘れるような、日本語の会話があちこちから聞こえていました。 ハノイ周辺には日系企業も多く、ボクのいた会社も巨大な工場が4つあり、部品メーカーも多く進出しているので、朝飯を食べてる連中の中に関係する人がいたかも、、、と思うくらい、日本人御用達のホテルでした。 |
ハノイからダナンまで | ![]() |
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この日は朝一で空路ハノイからダナンです。お世話になったガイドのフイさんとも空港でお別れです。 アジアの空港ではボーディングブリッジを使って乗客が飛行機の乗り降りをするより、バスによってゲートと飛行機の駐機スポット間を往き来するのが多いです。 バスはビジネスクラスとそれ以外を分けて輸送します。 バンコックのスワンナプーム国際空港のような、入国も専用レーンがハノイにあるのかと思っていたのですが、これはありませんでした。 |
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ダナン着 | |
空港からダナンの市内に向かい、まずランチです。 この頃になるとメンバー間も打ち解けてそれぞれいろいろと話をするようになります。 今回は4名の方が名古屋市が主催する、「高齢者何とか大学」の級友4人組(男女2名ずつ)、夫婦2組、女性2人組、男性1人という11名。男性の1名は30代で残り全員60代〜70代。 級友4人組は毎日部屋で夜中まで酒盛りをしているとの事。とにかく皆さんお元気でした。 |
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ダナン大聖堂 | |
1924(大正13)年に完成したカトリック教会です。教会内部にはミサ以外は入れず、ミサで入っても観光は禁止だそうです。 ベトナムでも異教徒間の結婚はいろいろとあるようです。 ちなみにベトナムでは、ある条件下でベトナム人女性と韓国人男性との結婚は法律で禁じられています。 理由は韓国人男性のDVによって、多くのベトナム人女性が犠牲になっているからです。 フィリピン、カンボジアも韓国人男性との結婚は注意喚起の対象です。 |
ダナン大聖堂前の韓国人観光客 | ![]() |
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今回の旅行中どこに行っても多くの韓国人に出会いました。 現時点ではまだ中国大陸からの観光客がほとんどいないため、彼らが一番多いと思われます。 ベトナム国内で観光ガイドをするには「ベトナム人国籍で、かつ政府の許可が必要」です。 しかし韓国人ツアーのガイドは韓国から来たガイドで、許可もクソもなく好き勝手にやっている、と私たちのガイドが憤慨していました。 彼らの大声とマナーには辟易とします。 |
日本人橋(来遠橋) | ![]() |
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1693年に造られた屋根付きの橋で、2万ドン札にも印刷されている、ベトナムの観光名所のひとつです。 「当時ホイアンに住む日本人によって架けられた橋」という事で、非常に頑丈に造られています。 この橋の右側の街が日本人街、左側が中国人街で2つの街を橋は結んでいたと説明がありました。 残念ながら修復工事中で、ガラス越しにしか見ることができませんでした。 工事には日本人技術者が来て指導をしているそうです。 |
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貿易陶磁博物館 | |
ホイアンの観光エリアにはいくつもの博物館があり、これもその一つです。 栄えた頃の貿易船の模型、その他当時の様子を描いた絵巻、それに有田焼の陶磁器の展示がありました。 この「博物館の建物自体が、1995年に日本の手によって復元された」そうです。 建物の中の文字は当然の事ながら全て漢字で、いずれも立派な楷書でした。 |
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ホイアン博物館 | |
これも19世紀頃なのか、その頃の暮らしの様子を一部模型などで展示してありました。 算盤とか秤は当時の実物だと思いますが、日本に比べて造りは荒いと感じました。 食事は魚と野菜、それにエビがどっさり入った汁物があり、このレベルが常食だったとすれば栄養満点だったじゃないか〜、と妙に感心したり、、、。 貿易で栄えた街ホイアン、ここの人達は海の幸・山の幸にも恵まれていたようです、、、。 |
福建会館 | ![]() |
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会館というのは華僑・華人の集会所の事で、今も実際に使われているそうです。 福建会館ですから福建省出身の人達が集まるところで、様々な神様、そして17世紀に福建省からやってきた家族の家長の像などが祀ってありました。 言ってみれば、集会所兼寺院というところでしょうか。 ベトナムは昔から中国を宗主国とした多くの中国人が住み、それが現在も続き、ベトナムの経済を握っている、こういう事のようです。 |
ホイアン・ナイトマーケット(1) | ![]() |
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提灯の迫力は、ベトナムも本場台湾などに、負けてはいません。「どや!」、というくらいにあちこち「提灯だらけ」であります。 この提灯ですが中国提灯と日本提灯の違いは何か? 提灯は中国から伝わってきましたが、中国提灯は縦に竹ひごが入っており折りたたみ不可、折りたたみができるのが日本提灯であります。 これから行くと、ホイアンの提灯は全部支那提灯でした。 当たり前か〜。 |
トウボン川の手こぎボート | ![]() |
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ボートで川に出て、そこから夜景を眺めるのも人気があり、たくさんのボートが出ていました。 この日は朝から結構な歩行数で、ホテルに帰って見たら”1万8千歩”でした。 でもメンバーの誰も疲れた、、、とは言いません。 ただ4人組のオジサン・オバサンは今夜も早々から酒盛り開始なんでしょうか、先にホテルに帰ったようでした。 盛りだくさんの1日でした。 |
ここまでの観光で2人のベトナム人のガイドのお世話になったのですが、2人ともいろいろな説明の中で北と南の違いについての話が割と頻繁にありました。例えば; ・言葉:発音の違い、方言、言葉そのものの違い。 ・料理の味付:北部は薄味、南部は甘味 ・人の気質:北は真面目・クール・明日のことを考えて行動、南は大ざっぱ・明るい・今日のことだけを考えて行動 ・嫁:北の女は厳しい、南の女は優しい ガイドさんはこれらについて、面白おかしく話をしてくれた訳ですが、南北間には結構わだかまりもある感じでした。 ベトナム旅行の後半は別ページで記録を残します。 |