スペインの旅(2):2024/06/25〜07/04
旅の後半は、バルセロナ・マドリッドになります。

スペインで教会などを訪れる場合スペインは旧教(カソリック)であり、いろいろな面で新教(プロテスタント)より厳格なため、服装について半ズボンとか、女性は肩の見える服などは控えて欲しいと添乗員から言われました。
アメリカ人の観光客が時々”超ラフな格好”でこういうところに入ろうとして、入り口で係員と揉める事があるそうで、さもありなん、です。

スペインと日本の時差は夏期は7時間、スペインの朝8時は日本は同日の午後3時になります。
一般的に西回りの移動はそれほど時差を感じないと言われており、私も今までの経験でそれは実感しており、今回もバス・電車の移動中でもあまり眠くならず、ホテルでも割とよく寝れました。

以下に後半のハイライトを写真と感想・解説で綴ります。

バルセロナ(1):5日目
バレンシアからバルセロナ・サンツ駅には、ほぼ定刻の14:30に到着。
大きな駅でいろいろな路線が入っているそうで、人も多く賑やかでした。

駅を出ると駅ビルに”BALCELONA SANTS”と大きく書かれており、バルセロナにやってきた〜、と実感。

駅からは待っていた男性の現地案内人の誘導で、バスに乗り込みました。バスの駐車位置は案内なしで行き着くには、大変そうな場所でした。

バルセロナ(2):5日目
今日は土曜日、市民それに観光客と思われる人で溢れています。
「ここはスリが多いので注意して下さ〜い!」、と添乗員が何度も注意を繰り返します。
ゾロゾロと歩く帽子を被った東洋人のご婦人達、イヤでも超目立ちます。

街中はバイクも多く、ホンダのバイクを多く見かけました。そんな中で見つけたCBR650R。
650CCのDOHC直4、200km/h以上は軽く出るという、ヨーロッパで真価を発揮するマシンです。

バルセロナ(3)フラメンコショー:5日目
市内中心地の”サグラダ・ファミリア”近くのレストランで昼食、その後市内を少し散策してから郊外のホテルへ。

ホテルにはバレンシアからバスで別送したツースケースなどが届いており、高速鉄道には大きな荷物なしで乗れたのでした。

ホテルチェックインの後、再びバスでバルセロナ市内へ。
今夜はお待ちかねの”フラメンコショー”です。
遅かった昼食がこなれてない状態で、夕食にはパエリアを頂いたのですが、まあまあの味でした。

バルセロナ(4)フラメンコショー:5日目
フラメンコは(男1名)、ギター演奏(男1名)、踊り(男2名、女2名)の3つから成り立っており、この中で最も重要で中心は歌だそうです。

フラメンコとは踊りではなく歌、そしてそれを支えるギター演奏、更に歌を身体で表現する踊りです。

歌は心の底にあるものを絞り出すような響きがあり、残念ながら言葉がわからないので意味は不明ですが、そういう迫力というか、熱が伝わってきました。

バルセロナ(5)フラメンコショー:5日目
私がフラメンコを初めて見たのは、何十年も前に出張で行ったカナダ・トロントのスペイン・バーでした。、

その後アメリカに転勤になり、メキシコ出張時は本格的なフラメンコ・ショーをやる居酒屋(現地駐在社員はそう言っていた)によく行きました。

メキシコでのフラメンコは非常に明るい開放的な雰囲気で、皆は「ビーバ、ビーバ!!」と言って盛り上がって騒いでいました。
しかしここで言われたのは、「踊りのリズムに合わせて手拍子を叩かないこと」、でした。

これは場所にもよるようで、禁止するところが多いようですが、そうでないところもあるそうです。客の手拍子で演奏、踊りのリズムが狂うのを嫌がる、これが理由でしょう。

それにしてもあの独特のタッピングと手の動き、キビキビとした踊りはよかった。

ショーで出されてた飲みものはワインとコーラを1:1で割った”カリモーチョ”、従ってアルコール度はビールよりちょっと高い程度の爽やかな飲みものでした。

バルセロナ(6)フラメンコショー:5日目
イギリスとドイツ駐在10年の私の友人に、LINEで写真とコメントを送ったところ、「フラメンコは太目の女性と真っ赤な意匠というイメージなんですがネ〜。」、というメッセージが返ってきました。確かに、、、。

彼はスペインは出張で何十回、家族旅行でも何回も来ており、娘さんはスペインに短期留学もしていたようです。

フラメンコのアーティスト(?)になるには学校に入って学ぶ必要があり、日本人も結構いるそうです。
確かにフラメンコは日本では人気ある外国舞踊です。

バルセロナ(7):6日目
バルセロナのホテルは隣にスーパーとか様々なショップがありましたが、宿泊翌日は日曜日で店はクローズ、スーパーも観光が終わって帰ってきた時は閉まっており、買い物はできませんでした。

日曜に店舗が閉まるのは宗教的な理由(日曜は教会に行く日)、労働者の権利と労働法、文化的・社会的な習慣(日曜は家族と過ごす)からです。

アメリカでも日曜日は閉店はしないものの、開店が平日より遅い11:00からとか、12:00からとかいう店がありました。

バルセロナ(7)モンジュイックの丘:6日目
モンジュイックの丘、だったと思います。バルセロナの港と街が一望できる素晴らしい眺めのところです、

港には10万〜15万トンクラスのクルーズ船が3隻入港していました。
多いときは5隻が同時入港、1隻から3000人以上の乗船客が上陸、一気に15000人が市内に繰り出すため、バルセロナではオーバー・ツーリズムが大問題になっているそうです。

今回も市内に観光客が多い理由がわかりました。

バルセロナ(8)モンジュイックの丘:6日目
港には富豪が所有するクルーザーが何隻も接岸してました。ガイドによるとその中に、ロシアのプーチンが所有する1隻があるという”噂がある”、と言ってました。

プーチンのクルーザーは過去にイタリア、ブラジルで没収されたと記憶していますが、スペインにも持っているの?

港の反対側を見るとバルセロナの市街が見え、中心に工事中のサグラダファミリアがそびえています。
他に高いビルなどがないせいもあって、170mの割にはそびえ立っている、という感じです。

バルセロナ(9):6日目
再びバルセロナ市内にやってきました。バルセロナ市内は各種モニュメントと古い街並みのバランスが見事で、非常に芸術的な雰囲気が漂う都市です。
アメリカはそもそも歴史がない、日本は一部を除いて戦災で歴史は消滅してしまった、なので歴史と近代が融合した街は殆どありません。

街中は観光客とおぼしき人を多く見かけます。
これら観光客相手の怪しい商売も多く”グッチの店の前でグッチのイミテーションを売る”、こういうのは普通にあるそうです。

バルセロナ(10)サン・パウ病院:6日目
これは全く知らなかった!
サン・パウ病院はバルセロナでガウディーに次ぐ2番目の世界遺産で、病院が世界遺産という珍しさ。

ここでの滞在は20分程度で詳細は何もわからず、帰国してから調べてその経緯・歴史を知ったという次第です。
説明はともかく”行けるところ”は全部行く、というのはツアー観光の特徴でもあります。

一辺400m四方の広大な敷地に病棟などが整然と並ぶ大病院で、主要部見学だけで2時間かかるそうです。

バルセロナ(11)サグラダ・ファミリア:6日目
サグラダ・ファミリアというのはナゼか日本人の多くが知っていると思います。
その理由として、多分その名称が”桜田ファミリア”という漢字で書けそうなところにあるんじゃないか、と思ったりしております(違うか〜)。

しかし、です。
この建物の意味、目的について日本人は、よく知らない、というのが実態ではないでしょうか。
当たり前です。クリスチャンではありませんので。

建築にすごい時間が掛かっている、エライ背の高い教会のようだ、変わったデザインだ、ガウディーとか言う天才建築家が設計した、、、こんなもんではないでしょうか。

勿論私もそんな程度でした。
ところが今年の1月に名古屋美術館で”ガウディーとサグラダ・ファミリア展”というのに行き、少しだけ知識を付けることができ、ました。

今回はこの”付け刃知識”をベースに、スペインはバルセロナに行った、という次第です。

バルセロナ(12)サグラダ・ファミリア:6日目
そもそも”サグラダ・ファミリア”とはどういう意味なのか。
・サグラダ:聖なる、神聖な、という形容詞
・ファミリア:一般的な”家族”という意味ではあるが、英語で言うと”Holly Family”、つまり”聖なる家族”。

では聖なる家族とはどこの家族か?
これは”イエス・キリスト”、その母である”マリア”、その父である”ヨセフ”の3人を指すそうです。

入り口付近には、聖書に基づくこの”家族”の様々な物語が彫刻されています。

バルセロナ(13)サグラダ・ファミリア:6日目
つまりサグラダ・ファミリアという建築物は、”神聖な、聖なる3人の家族に捧げるもの”、というキリスト教徒の熱意と信念と執念で設計、建築されている建物です。
(いっちょ作って、見世物にしてやるか〜、という程度の商人根性ではない事を先ず理解すべきである。)

設計者はスペインの天才建築家”アントニー・ガウディー”、建築開始は1882年で、完成はガウディーが事故で亡くなって100周年の2026年を目指しています。
が、これは修正されて、完全な完成は2030年です。

「イタリー・ミラノのドーモは500年、ドイツ・ケルンの大聖堂は600年、イギリスの大聖堂は500年かけて作りました。数年の遅れは誤差でも何でもありません」
というガイドの説明でした。ナルホド。

建築の遅れについては、そもそもガウディーは詳細な設計図を画いてなかった、戦争で中断、資金不足、市の建築認可取得遅れとかによります。

最近になって建築が一気に進んだのはCAD、CNC加工機などのITの大幅な導入によります。

バルセロナ(14)サグラダ・ファミリア:6日目
横には資料などの展示室がありましたが、時間がなくゆっくりと見て廻ることができませんでした。
ガウディーが設計に使ったとされる作業机、それにガウディーが1926年に路面電車に轢かれて73才で亡くなった時のデスマスクがありました。

作業机の再現を見ると、設計者にしてはかなり乱雑で、”整理整頓には無頓着”な性格ではなかったのか、という推測は何となく当たり、と思った次第です。
ガウディーは建築家であると同時に芸術家でもあった、それを表しているようにも見えました。

バルセロナ(15)サグラダ・ファミリア:6日目
この奇妙な建物はなんだろう?何かの動物の顔で、窓が目に見えます。
これは晩年のガウディーが建築現場で働く職人や、その子ども達のための教育施設、サグラダ・ファミリア付属学校で、1910年頃に建てられました。

学校はガウディーが亡くなった1926年に閉鎖され、2017年に修復工事が完成したそうです。

教室の真ん中に大きな柱があるのはちょっと気になりましたが、昔の学校の雰囲気がよくわかりました。

バルセロナ(16)サグラダ・ファミリア:6日目
サグラダ・ファミリアは18本の尖塔によって構成されており、それぞれ意味があり、中央の一番高い塔はキリストを意味し172mの高さがあります。

残りの17本は聖母マリア、12人の使徒、4人の福音書の記述者で、キリストの父ヨセフの塔はありません。

この日の現地ガイドはアントニオさんで日本人と結婚しており、奥さんは今は名古屋市緑区にいるそうです。
日本語はほぼ完璧で、理解しやすく、ユーモアもあり、快適な観光ができました。

モンセラート修道院(1):6日目
マドリッドの北西約50kmにある標高1236mの山の山頂近くの、標高900mにあります。
ここまではバスで1時間半ほど、”日光のいろは坂”、カナディアンロッキーの山道を思い出しました。

駐車場から修道院までの歩道、天気がよかったせいもあり、左側には絶景な光景が広がります。

モンセラートはアラビア語で”鋸山”を意味するそうで、やかりイスラムの影響なんですね。

モンセラート修道院(2):6日目
修道院の歴史は古く、作られたのは11世紀で、その後時代を経て各種建物が建てられました。
近年まで200人くらいの修道士がいたのですが、現在は20人くらい、しかも年配者が多いそうです。年配の修道士?ピンときませんが、まあそういう事らしいです。

ここで最も有名なのは“黒い聖母マリア像”で12世紀に発見され、以来モンセラートの守護聖人です。
マリア様はガラスで保護されていますが、右手に持っている球体に手を触れる事ができ、この瞬間にお願いをすると叶えてくれるそうです。

モンセラート修道院(3):6日目
ここは多くの巡礼者受け入れのための宿泊施設もあって、数日間滞在(身と心を清める、か?)するそうです。

礼拝堂に入ると、若い巡礼者らしい人たちが賛美歌を歌っていました。若い人が多いのは夏休みだからです。

礼拝堂からは皆がマリア様の球体に触れる姿が見えるようになっており、異教徒である私とカミさんの姿も、皆に晒した事になります。
マリア様は奇跡を起こしてくれたという報告があるそうで、私たち異教徒でも大丈夫だったのかな〜、、、。

モンセラート修道院(4):6日目
モンセラートの山頂付近は丸みを帯びた独特のもので、地殻変動で山ができて、最後にマグマが吹き出して、これが風化したもの、とありました。

しかしここは修道院、宿泊施設、観光地なので様々な物資を搬入するのは大変なろうな〜、電気は送電線で何とかなるが、は?等と心配になります。

帰りに、単線ですがしっかりしたケーブルカーが開通しているのに気が付きました。これで輸送は解決、水は山から豊富に供給されるので問題なし、のようです。

モンセラート修道院(5):6日目
駐車場の横に土産物屋があったので入ってみました。
ハーブリキュールのミニボトルのセットがあったので買ってみました。

気に入ったのがあれば日本で普通サイズのボトルを買えばいいかな、と思って帰国して調べたらいずれの銘柄も輸入はなし。従って日本では入手できず、です。

私はハーブリキュールはたまにしか口にしないのですが、入手できないとわかって、ガックリ。
誰か輸入してくれませんかね、、、。

モンセラートからバルセロナ:6日目
標高900mから下り、高速道路に乗ります。
スマホでナビの地図を見ていたら、あれ?バルセロナと反対方向の車線に入るではありませんか。

近道にしてはおかしい、と思っていたらガイドが「風景を楽しむ時間が追加されました」、とアナウンス。次のインターチェンジまで20分近く逆走した次第。

この日は天気も良く、左右にはきれいなオリーブ畑、葡萄畑などが広がっている風景を楽しむ事ができました。

バルセロナからマドリッドへ(1):7日目
翌朝は07:30出発だったので6:50にレストランに飛び込んで朝食。
スペインのホテルの朝食は07:00〜08:00にオープンです。添乗員が早く開けるように依頼をするのですが、10分くらい早めてくれる程度です。

スーツケースはバスでマドリッドまで運んでくれるので、今回も列車の中に持ち込む必要はなく、ラクチンです。

バルセロナの駅では少し時間があったので、ホテルで飲む時間がなかったコーヒーをカフェで一杯。

バルセロナからマドリッドへ(2):7日目
09:00の高速列車は少し遅れて出発です。
列車は特等、1等、2等の3ランクあり、今回は1等車でマドリッドまで2時間45分。

日本の新幹線のグリーン車のようにきちんと何もかも整備されているわけではなく、薄汚れた感じです。トイレは2等よりはマシです。
列車に荷物室はなく、大きなスースケースを持ち込むスペースは殆どありません。

1等の乗客の顔ぶれはビジネスマン風の人が多く、一般客風の人は少ない感じでした。

マドリッドの風景:7日目
マドリッドに着きました。大きな駅です。
ここからバスに乗って市内にのレストランに向かいます。マドリッドは都会、という雰囲気が大いにあります。

地下鉄も路線は多いようで、駅の様子を見たかったのですが、そういう自由行動ができないのがツアーの弱み。

マドリッドは人口330万人の大都市で、8世紀にイスラム教徒が城塞都市として作ったのが起源です。
バスに乗って市内を少し通るだけで、その美しさは直ぐに実感できました。

マドリッドのべっぴんさん:7日目
昼食後バスを待っている間、アチコチをキョロキョロしていると、べっきんさんが目に入りました。
周りを見ると同じような服装と花束を持ったもう一人のお嬢さん。さて、何かのイベントか?

添乗員によるとスペイン女性は茶髪70%、黒髪20%、金髪10%で、金髪が多いのは染めているから。

また殆どの人の髪の毛はウエーブがかかっており、ストレートなのはストレートパーマをかけている、身長は平均162cm/57kg、etc。ナルホド、、、。

トレド(1):7日目
トレドに向かいます。75km、バスで1時間です。
トレドは1986年にユネスコの世界遺産に登録され、街全体が中世の博物館、とか。
トレドという市はオハイオにもありました。ここはスペインのトレド、その近郊からの移民が多かったからです。
トレドは私のいたコロンバスから200km、車で2時間で、街に入ったのは1回のみ、あとはいつもデトロイト方面に行く時に市の横を素通りでした。

ツアーでは添乗員が予め街の概要についての地図を配布してくれるので非常に便利です。

トレド(2):7日目
トレドに着きました。
何と美しい街なのか!
街は丘の上に築かれ、タホ川に囲まれ、標高は500mほどあり、風は実に爽やかです。

トレドは8世紀まで西ゴート王国の首都として栄え、その後イスラム教徒支配、そして15世紀末にキリスト教徒の街となったのは他のスペインの各地の都市と同じです。

トレド(TOLEDO)という地名は、オハイオに15年いた私にとっては懐かしい響きがあります。

トレド(3):7日目
タホ川にかかる橋をを渡って、昔の城壁の下をくぐると長いエスカレーターがあり、これで街に入ります。

エスカレーターを上がりきった所からは新市街が見え、ここには7万7千人が住み、城壁内には8千5百人が住んでいるそうです。

街を善美見て歩くには最低でも半日、じっくり見ると1日は必要な感じでしたが、そこは日本人ツアーのスゴいところ、2時間で主要な見学を終わらせました。

トレド(4):7日目
街の中を歩いて行きます。
街並みも中世そのままのようです。路地に入るととてつもなく古い建物を見かけますが、全て住居或いは何かの店舗で使われています。
よく見ると修繕されたとわかる建物もなどもアチコチにありますが、周りとの調和がよくとられており、違和感は全くありません。

外観は長い月日を感じさせ、窓枠などは新しくなっているものの、何世紀も前のものが今でも使える、逆にお金をかけて昔を保存しておくという努力はスゴいと思います。

トレド(5):7日目
トレドと言えば画家のエル・グレコで有名です。
グレコは1541年にクレタ島で生まれたギリシャ人で、イタリアで修業した後1577年にトレドに移住し、1614年ここで生涯を終えました(73才)。

作品は世界中の美術館に展示され、NYのメトロポリタン美術館、ボストン美術館などで幾つも見ましたが、”スペインの画家”となっていたと記憶しています。

サント・トメ教会にはグレコの大作”オルガス伯爵の埋葬”を間近で見ることができました。

トレド(6):7日目
今回の現地ガイド(名前を失念)も英語で説明して、添乗員が日本語で説明するという方法でした。

観光ガイドはスペイン政府の公認ガイド試験ををパスした、資格のある人以外行ってはならない、という規則によりこういう形になります。
フランス、イタリアも同じでした。

ガイドは土産物屋にも連れていきましたが、入り口にはドン・キホーテと従者サンチョ・パンサの見事な金属細工の作品が置いてありました。

トレド(7):7日目
トレド大聖堂で、トレドのシンボルです。スペインカトリック教会の中心的存在だそうです。

トレド大司教はスペイン・カトリック教会において最も高位の聖職者のひとりである事などから、スペインで最も権威のある大聖堂とされている、と言う説明でした。

中に入る時間はなかったのですが、立派な外観で大司教様とバランスがとれている、、、そういう事か?。
聖堂の中をしっかり見学をするには最低2時間は必要だそうです。

マドリッドのホテル:7日目
最後の2泊は旅行会社もえらく頑張ってくれて、”ユーロスターズ・スイート・ミラシエラ”という5つ星のホテル。
広さは60uあり、ベッドも大きく、隣の間は広々としたLDKになっていました。

ところがエアコンが使えない。早速連絡したところメンテナンスのアンちゃんがすっ飛んできて、点検したらエアコンのメイン・サーキットブレーカーが入っていなかっただけ。

修理は2秒で終わりました。アンちゃん、ニコニコして帰っていきました。さすが、スペイン!

マドリッド(王宮):8日目
朝の一発目の訪問は”王宮”です。内部の見学はできますが、我々は外から見るだけ。

スペイン王室の公式の居住地となっていますが、実際には住んではいないそうで、王室の主催する晩餐会や内外からの公式訪問客に対する宴会が行われるそうです。

ここが使われる時は、周囲をサブマシンガンを装備した警官が取り囲むそうです。
マドリッド市内の警官は他の欧州各国と同様、普通にサブマシンガンを装備して巡回していました。

マドリッド(スペイン広場):8日目
王宮前広場から5分ほど歩いたところにスペイン広場があります。
ここで目を引くのはミゲル・デ・セルバンティスの記念碑で、その下には昨日もトレドで見た”ドン・キホーテ”と従者の”サンチョ・パンサ”の銅像がありました。

ドン・キホーテは17世紀初頭に出版された西洋文学の古典と言われている作品です。
この作品は後の文学・芸術に多大な影響を与え、ミゲル・デ・セルバンティスは巨匠中の巨匠として今でも尊敬されているそうです。

マドリッド(プラド美術館):8日目
素晴らしいの一言に尽きる美術館でした。プラド美術館は当然というべきか、世界一のスペイン絵画の宝庫です。

ゴヤ、ベラスケス、エル・グレコの絵画は圧巻でした。他にイタリア、フランス、オランダの絵画などもありました。

入場は事前の団体予約で殆ど待つことなく入れましたが、たった1時間半では、私にとっては完璧な消化不良、大きなストレスが残りました。

内部の写真撮影は一切禁止でした。

マドリッド:8日目
非常に限定的ではありましたが、マドリッドの市内を垣間見ての感想は、街全体が美術館、という感想です。
スラムのような場所もあるのでしょうが、目抜き通りは東京のように近代ビルが林立、ゴミゴミ感は感じない街として目に映りました。
気温は33℃と高いのですが、日陰に入るとこの上なく爽やかでした。

この日のガイドは日本人女性の”ユリコ”さん、スペインの公式ガイドの資格を持つ方で、説明の上手さと解りやすさ、そして知識の豊富さで、最高のガイドでした。

セゴビア(1)ローマ水道橋:8日目
昼食を済ませバスに乗って北西95km、1時間半でセゴビア到着。
ここで先ず有名なのはローマ水道橋。紀元前1世紀〜紀元2世紀頃に作られ、その後1000年くらい、つまり中世まで使われたそうです。

実際に見るとその巨大さに圧倒されます。高さは28m、全長は818m、全体のアーチは167あります。

しかしこういうものを2000年以上前に作ったローマという国、信じられません。

セゴビア(2)街歩き、始め!:8日目
ここから街中の坂道を上がったり、降りたりで約1.4kmを歩いて街の外れの”アル・カーサル”に向かいます。

セゴビアは水道橋に代表されるローマ時代の遺産、その後中世にはイスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒が共存した時代があり、それぞれの影響を受けた文化遺産が残っている、という説明でした。

共存とは平和的な共存でなかったのは確かで、調べると睨み合いの中での共存で、最終的にはキリスト教徒が他を制圧・排除して今に至った、という事です。

セゴビア(3)大聖堂:8日目
半分くらい歩いたところにセゴビアの大聖堂があります。
13世紀から16世紀にかけて建築された教会です。

この先の狭い路地などはユダヤ人街の名残で中世の雰囲気を今に伝える、という説明でした。
ユダヤ人街の特徴というのはあとで調べたのですが、いろいろあって先ず”狭い路地”というのがあります。
ですから通りを歩いているだけではわかりません。

そう言えばコルドバのメスキータに行く途中のユダヤ人街も、狭い路地の中にありました。

セゴビア(4)中世の街並み?:8日目
ここも古い建物が今でも使われ、人が住んでいます。いつ頃建てられたのか、数百年単位の古いものだと思います。

快適かどうかはともかく、電気・水道・下水を通すことができれば、生活はできる訳です。
外観の補修などは極めて厳格な規制があって、自由にはできません。

スペイン、イタリア、フランスは、中世・ルネッサンス時代の家に住み、家具なども100年前とか200年前のものを使っている家庭は普通にあるそうです。

セゴビア(5)アルカーサル:8日目
アルカーサルの意味は”城塞、宮殿”です。
イスラムの支配下にあった11世紀から12世紀(日本の平安時代)にイスラムの要塞として建てられました。従って城の周りには深い壕がありました。

その後キリスト教徒によって大きく改築され、キリスト教の要塞になり、宮殿としても使われたという事です。

デスニーのシンデレラ城のモデルになったという事を言われますが、全く関係ないようです。
他人のそら似?

セゴビア(6):8日目
スペイン独立戦争(1808年〜1814年)の英雄である、ペドロ・ベラルデ大尉を称えるモニュメントです。

ベドロ大尉は1808年にスペインに侵攻してきたフランス軍に対し、マドリードでスペイン民衆と共に戦い、命を落とした人です。
モニュメントはペドロ大尉がセゴビア出身であることにちなんで建てられ、彼の勇気と犠牲を称えるとあります。

つまりスペインの歴史的な抵抗運動の一環として重要な位置にあるという事のようです。

今回スペインを訪れるにあたり少しだけスペインの歴史を調べたのですが、やはりナポレオンのヨーロッパの覇権というのは我々の想像を絶する出来事だったというのがよく解りました。

スペインに来ていろいろとヨーロッパの歴史を実際に目で確かめて実感する事ができたのは、今回の旅行の一つの成果と思っています。
ナポレオンのヨーロッパ征服の野心によって全ヨーロッパで命を落とした人数は、12年間で1000万人以上となっています。

セゴビア(番外編):8日目
スペイン庶民の普通の生活を垣間見る、こういうツアーではそういう機会は殆どありません。まあ店を覗くとか、軒下の洗濯物で生活を感じるくらい、、、。

今回の旅行期間中、子どもが外で遊ぶ姿は一度も見ませんでした。私の会社のベルギー駐在社員が子どもを外で遊ばせたところ、隣のお婆さんから「うるさい」と即クレームが入ったという話を思い出しました。

これは理由のほんの一部、実はもっと大きな理由が他にあるのです。アメリカもそうですが、やたらと子どもは外で遊ばせないのです。

お土産はスーパーで:8日目
ホテルはマドリッド郊外の住宅街にあり、住民の身なりも良く、マンションは厳重なセキュリティーが掛かっている、というエリアでした。
スーパーも覗いてみましたが、そこそこの品揃えでした。

外国はそこに実際に住んでみないとわからない、というのアメリカ15年、フィリピン2年の滞在から言える事です。

今回の旅行でスペインを垣間見る事ができた訳ですが、これをきっかけにスペインの事をもっと幅広く知ろうと思っている次第です。

マドリッド空港:9日目
日本に帰る日で。ホテルを出てマドリッド空港へ。
カウンターのチェックインは人も少なくスムーズにいったのですが、出国審査でびっくり。

並ぶ、という事はなく、入り口に向かって皆が突き進むだけ。イヤ〜、参ったのなんのって。
添乗員が係員に噛みつき、この集団をかっ飛ばして出国審査の窓口にたどり着きました。こういう時に添乗員の実力が丸見えになります。
群衆の持っているパスポートを見たところアルゼンチン、チリ、ブラジルなどの南米系が多かったです。

マドリッド空港:9日目
ゲートに行き、飛行機に乗り込んで自分の座席に座った時は毎度の事ですがほっとします。

エアーラインはキャセイパシフィックなのでCAは全員東洋人(中国人)で、愛想の悪さだけは他のエアーラインに負けません。一流と言えます。白ワインを頼んでも、赤ワインを持ってくるとか平気でやります。
私の経験上からでは、多分ワザと、です。

前菜はスペインからのフライトなので、という事で生ハムを頼みましたが、何の変哲もない生ハムでした。

さようなら、スペイン:9日目
スペインは緑豊かな大地の国、そういうイメージを持って訪れたのですが、目に入ったのは枯れ草の茶色の大地でした。

これは”季節としての風景”なので仕方ありません。
茶色の中で、ひときわ目立つ緑色のオリーブの木、葡萄の木が印象的でした。

今夏のスペイン旅行、行ってみて本当によかったと思いました。もう1回来るならマドリッドに少し滞在したい、、、そんな事を思っています。

香港着陸2時間前:10日目
飛行機はイタリアのナポリ上空を過ぎ、黒海からカスピ海上空を飛んでヒマラヤの北を超えて中国に入ります。南回りのフライトは、ずっと地上を飛びます。

この付近で夜明けを迎え、窓からは地上では絶対に見れない素晴らしい夜明けの空が見えます。

更に機は東に飛び、中国の西安の南から成都を過ぎた頃から高度を徐々に下げていきます。
窓から巨大な積乱雲が見ます。これも地上からは絶対に見えない積乱雲です
積乱雲は朝日に照らされて金色に光っています。

私は飛行機の窓から見える風景、そして雲を見るのが大好きです。
今まで一番感激したのはアメリカにいる時に、日本出張から帰るフライトでアラスカ上空で見たオーロラです。
巨大なカーテンが揺れ動き、一瞬で姿を変える様子は今でも忘れる事ができません。

今回成都を過た後に見えた積乱雲、これはあのオーロラの次に匹敵する機上からの眺めではなかったかと思います。感激でした。

香港からセントレア:10日目
機は無事香港に到着。
香港まで来ると日本は直ぐ目の先、という気になります。空港にいる乗客も東洋人が大半です。

今回の旅で親しく話ができるようになったご夫婦と、ラウンジでゆったりと過ごしました。
トランジットは3時間でした。出発は71番ゲート、空港の一番端です。離陸、、、。

セントレア着陸前にスマホのSIMを入れ替えます。
15:00、無事着陸しました。

足かけ10日間のスペイン旅行、中身は大変濃い旅行でした。
個人旅行で行動したなら今回の旅程の3分の1も行けなかったのではないかと思います。旅行会社のグループ旅行は好まない、という方が結構いるのですが、私は初めてのところはグループ旅行で行くのは悪くはないと思います。

今回も大した事ではありませんが、あれ?という出来事が幾つも。
・ホテルの部屋の洗面所のコップが1個しかなく、何回フロントに頼んでもダメだった。
・5つ星ホテルで、エアコンが作動しなかった。原因はメンテナンスミスだった。
・バスの運転手が2回道を間違え、かなりの時間ロスがあった。
帰りのマドリッド空港の下りのエスカレーターで後ろにいた白人のオバさんがでっかいスーツケースを滑らせ、その下側にいたカミサンの腰を直撃、帰国後整形外科でかなりの打撲と診断され、旅行保険を申請したり、、、。

グループ全体としては大きな出来事がありました。
・4日目から体調不良になり5日目にとうとう病院に行き、その後みんなと行動を一緒にできなくなった方がいた。
・帰国1日前にパスポートをなくし、再発行までマドリッドに残り、皆と一緒に帰国できなかった方がいた。

今回のグループメンバーの年齢構成は、私の知った範囲では最高年令87才、最低年令は1名を除き64才、平均年令は73、4才という感じでした。・
今回の旅行、細かいことを数え上げればキリがないのですが、まあ85点くらいですかね、、、満足でした。