佐渡島:2024/09/17〜09/19
佐渡島というとどんなイメージがあるか、まず誰でも頭に浮かぶのは”佐渡の金山”、次に”佐渡おけさ”、更に”日本で2番目に大きな島”、あとは、、、こんな感じではないでしょうか。

今から40年くらい前に新潟に行った時、海の向こうに浮かぶ佐渡島を見て、「どんなところだろう?」、とずっと気になっていました。
ミュージカル映画”南太平洋”の中で、ブラッディー・メアリーがケーブル中尉に唄う、”バリハイ”

「Bali Ha'i may call you, any night, any day in your heart, you'll hear it call you "Come away, come away"、、、、」(バリハイは貴方を呼んでいる、、、さあ来て、さあ来て)。

私の場合”バリハイ”ならぬ”佐渡島”。
「SHIN、はよ佐渡へ来いや、佐渡はエエとこやで〜、、」、と私は声なき唄にずっと呼ばれていた、、、。
そんな訳で、今回カミさんの勧めもあって2泊3日のツアーに参加、佐渡島にやっと行く事ができたので、その記録を簡単にまとめてみました。

前泊です:0日目
ツアーは06:30に名古屋駅コンコースの中央付近に集合、07:06出発なので、私の住まいから朝の出発では間に合いません。

なので名古屋駅の”JRゲートウエー・ホテル”に前泊となりました。このホテルはその名のとおり、超便利なところにあり、隣のマリオットよりお値段はリーズナブル。

部屋は広く清潔で、22Fの部屋からは名古屋駅が眼下に見えました。
名古屋駅は祝日のせいで人でごった返していました。

前泊の食事:0日目
暑かったし、喉も渇いたので駅前のイングリシュ・パブへひとりで行きビールを1杯、じゃなく2杯頂きました。
その後カミさんと待ち合わせして、名鉄デパートにある”まるや”へ。

ここは名古屋とその近辺、セントレア空港にも店を出しており、最近、東京ミッドタウンと銀座にも出店したようです。私は大変気に入っている店です。

会長さんとは、あるきっかけで知り合いになり、この日も店長さんに挨拶したら、会長さんから電話をもらいました。

出発、名古屋から松本:1日目
06:15にホテルをチェックアウト、駅コンコースの待ち合わせの場所に行っても誰もいません。
添乗員らしき女性を見掛けたので声を掛けたら、当たり!

聞くと今回のツアーは全部で7名で、名古屋駅からは私たち2人とあと一人参加の女性1名の3人だけ。
後の4名は多治見、中津川から乗車ですとのこと。

イヤ〜、恐れ入りました。私も今までいろいろ旅行は行きましたが最低人数は確かドイツの12名だった、かな。
ツアーの人数は少ない方がいいのでラッキー、でした。

松本から直江津へ:1日目
乗ったのは“特急しなの1号”、目的地は松本で、ここは何度も行った事があり、大変いい印象があります。
朝が早かったのでホテルで朝食は摂れず、駅のコンビニでサンドイッチを買い、これを列車の中で頂きました。

松本まで2時間半、ここから待っていたバスに乗り込み直江津まで。
ツアーのいいのは、まず移動がラクチン。全て手配がされており、ムダが全くありません。
バスの車窓からの風景はなかなかよかったです。

小布施(1):1日目
バスは小布施で停車、ここで50分ほど自由観光です。
ここは”栗と北斎と花のまち”とかいうキャッチフレーズで、地図を見ると結構広いエリアで、ぐるっと回るには最低半日は必要な感じでした。

さて、、、50分という中途半端な時間をどう過ごすか、カミさんはブラブラ歩き回ると言うのですが、私は”北斎館”というのがどうしても気になるので、別行動とし、ここに入ってみる事にしました。

絵画鑑賞は私の趣味のひとつでもあります。

小布施(2):1日目
葛飾北斎と信州は何の関係があるのか知らなかったのですが、北斎は1839(天保10)年、80才ちょっとの時に江戸から信州に移住したのでした。

移住の理由はいろいろあったようで、”長年続いた江戸の生活に疲れを感じた”、というのが主だったとありました。

それと、北斎の弟子である高井鴻山という小布施の豪商が北斎を招いた、というのも大きかったそうです。

そういう事だったのですね。全く知りませんでした。

小布施(3):1日目
私は北斎と言えば”富嶽三十六景”などの版画しか知りませんでしたが、北斎は多くの肉筆画の作品があるのも、ここで初めて知りました。

特に花鳥画は見事で、細密な写実性の高い作品には正直大いに驚いた次第です。

画家は高いデッサン力が基礎、というのをここでも見事に証明してくれていました。
以前ピカソのデッサン、また画家を目指していたヒトラーのデッサンを見た時も同じ印象でした。

小布施(4):1日目
北斎は小布施で9年を過ごし、89才の時に江戸に戻り、翌年90才で亡くなっています。
北斎館の展示の中で特に目を引く作品が天井画で、これの複製が2点展示されていました。

北斎の画いた風景、人物、動物など、北斎の観察眼の鋭さは時代を超えて伝わってくる、という言い方がピッタリの印象でした。

50分の休憩の45分を北斎館で過ごしましたが、じっくり見ると最低2時間は欲しいところでした。

小布施(5):6日目
北斎館を出て駐車場横の土産物屋に入ると”栗おこわ、栗羊羹、栗何とか”で栗だらけ。私は栗ソフトクリームを買って食べてみました。

思い出したのは埼玉に住んでいた頃、川越の小江戸の菓子屋横町で”芋ソフトクリーム”というのを食べたこと。
川越には”芋ビール”もありましたが、ここ小布施に栗ビールはありませんでした。

バス横では、直径5cmくらいのジャンボ栗が売られていました。

今では珍しいモノ?:1日目
中野インター横のドライブインで昼食。もちろん信州蕎麦を頂きました。

横の土産物屋を見ていると”いなご甘辛煮”を発見。今の田んぼは農薬だらけ、まだイナゴなんているのですかね〜。

私が子どもの頃、近所のお百姓が持ってきてくれた事がありましたが、ナゼか食べた記憶がありません。

カミさんは子どもの頃、竹の筒を取り付けた紙袋持って田んぼを走り回って、イナゴ獲りをやったそうです。

直江津港から佐渡・小木港:1日目
船は”こがね丸”2500t、全長116m、乗客定員は580名の中型のフェリー連絡船ですが、直江津で乗船した人数は異常に少ない。

下船の時に人数を数えると約30名、車で渡った人はこれに含まれませんが、そんなにいたとは思えません。

海は穏やか、5Fのラウンジで居眠りしたりしてゆったりと過ごしました。

直江津から佐渡・小木港まで2時間40分でした。

西三川ゴールドパーク(1):1日目
いきなり砂金採りの実習、もとい、”体験”です。ここは佐渡で最古と言われる砂金山の跡地だそうです。

7人にはギザギザのついてお皿が渡され、2人のインストラクターがやり方を教えてくれます。
お皿で岩砂をすくい、お皿を回しながら岩砂を流していくと、最後に金が残ります。

金の比重は20、岩とかの比重は普通3程度なので、金はどんどん岩砂の下に沈殿する、という理屈です。
みんな目が血走っていました。

西三川ゴールドパーク(2):1日目
金箔は1.5〜2mm四方くらいの大きさで、約20分の間に私は4個、カミさんも4個とマズマズの成績。
採った金は持ち帰りができます。

しかし、「直径2mmの金箔片なんかどうやって保管すればいいの?」、となりますが、心配無用。
それは1600円で解決してくれるのです。

アメリカではこういう人工的な施設ではなく、ゴールドラッシュのあった州(CA、AL、CO、OR等)の自然の渓谷等の中で、砂金探しを体験するツアーなどがありました。

宿泊ホテル(1):1日目
泊ったのは”八幡館”というホテル。
10畳の部屋に6畳の控えの間、風呂もトイレもゆったりして、文句なしでした。

私達は温泉大浴場を利用したので、部屋の風呂を使う事はありませんでした。宿泊客は少なく、大浴場に行っても入浴客は2日間とも5〜6人しかいませんでした。

今回のツアーは7名のうち3名は一人参加で、この人たちは別のホテルだったので、ここに泊まったのは2組の夫婦の4人だけでした。

宿泊ホテル(2):1日目
夕食は20畳の部屋に大きなテーブル2つで、もう一組の岐阜からお見えになった夫婦と4人で食事。

料理は普通の会席料理で、1日目は大きな蟹がついていました。カニとの格闘はカミさんに任せました。
私は越乃寒梅を冷やで徳利3本を頂いちゃいました。

部屋担当の仲居さんは30前くらいの若い子で、全国のホテル・旅館にサービススタッフを派遣する会社から来ており、佐渡に来てまだ1ヶ月だと言ってました。
三重県にも来たことがあると言ってました。

酒蔵訪院(1):2日目
翌日は08:00出発、まず”小畑酒造”を訪れました。

体格のいい、「この人なら一升はイケるだろうな〜」、という女性が、佐渡はいい米、良質な軟水、低い気温の気候、それに伝統的技術の四拍子が揃っている!!と熱弁を振るってくれました。

銘柄は”真野鶴”、どこかで聞いた事があります。私は普段は三重県の地酒”八兵衛”、ちょっとイベントがあると”久保田の千寿”、で鍛えています。
試飲もあるというので大いに期待、、、。。

酒蔵訪院(1):2日目
試飲とは、著系・深さ3cmのカップに2cc〜2ccを一銘柄だけ。飲み比べをしたいという時は、600円を払うと”同量の試飲が一銘柄だけ”できるとのこと。

私はサンフランシスコ郊外のナパバレーに行った事があります。見学客は入り口で立派なワイングラスを渡され、それに見学の先々でドボドボとワインを注いでくれました。

注入ポイントは5〜6カ所あり、ボクは試飲で1/2本以上のワインを飲んだんじゃないかと思います。
グラスはお持ち帰りで、今でも時々使ってます。

バルセロナからマドリッドへ(1):7日目
真野鶴は世界中に輸出、エールフランス、ベトナム航空のファースト・ビジネスに採用されているそうです。

また小畑酒造の会長は1987年1月28日にローマでヨハネ・パウロ2世に謁見を許された、と古い写真が掲げられていました。
日本酒と「人類平和」でも結びつけしたのですかね〜。

カトリック教会ではワインは重要な意味を持ち、偉い神父さんもワインは飲むので、「日本酒はライス・ワインでございます」、とか会長は言ったのかも知れません。

妙宣寺(1):7日目
妙宣寺は1239年に開創となっています。

その42年後に日蓮宗開祖の日蓮が佐渡に流罪となり、日蓮は佐渡で布教を行い、この寺は日蓮の教えを受け継ぎ、佐渡島に日蓮宗が根付く契機となったそうです。

ここまではガイドさんの説明で何となくわかったのですが、日蓮はどうして島流しになったのか、それを少し調べてみました。

簡単に言うと他宗派の徹底的な批判、他宗派は誤った教えである、法華教のみが正しい教えであると、他宗派を強烈に批判したことでした。
さらにそういう間違った宗派を許している時の政府(鎌倉幕府)も徹底的に批判をしたため、だそうです。

言ってみれば日蓮は過激で、強烈な信念の持ち主で、相手を恐れず行動した坊さんだったようです。

今の創価学会は日蓮宗の派生じゃないか?という事で調べたら1991年に日蓮正宗から破門されているのですね。

妙宣寺(2):2日目
境内は規模は大きくはありませんが、なかなか立派で、金山で栄えた江戸時代は宗教施設としての寺と言うより、文化交流の場であった、という説明でした。

中を歩いていると、京都のどこかの寺にいるような錯覚に陥りました。
五重の塔は1825年に建立され、高さは24mと小ぶりです。
しかし佐渡島に重要文化財指定の五重塔があったなんて、全然知りませんでした。

妙宣寺(3):2日目
本堂横の建物には大きな大黒柱があり、柱高485cm、幅73cmX51cmの赤松と説明がありました。

佐渡島には約230の寺があるそうで、最盛時の人口5万人から考えても異常に多い数です。

これは佐渡島は流刑地であった事と、関係がありそうです。
流刑者は政治犯、日蓮のような宗教的反逆者などが多く、凶悪犯者の流刑は少なかったと言われています。
第84代順徳天皇も鎌倉時代に佐渡に流され、ここで崩御しています。

トキのテラス(1):1日目
トキはかつては日本各地にいましたが、近代に入ってからその数はどんどん減少し、ここ佐渡島が最後の生息地となりました。
佐渡島はトキにとって適した自然環境を持っていたものの、農薬の使用や環境破壊により、1981年に捕獲された5羽を最後に姿を消したそうです。

しかし政府はその後、トキの飼育・繁殖計画を展開、2003年には最後の野生のトキが死滅したものの、中国からトキのつがいが提供され、飼育下での繁殖に成功したそうです。

トキのテラス(2):2日目
2008年からは飼育されたトキの”野生復帰”プロジェクトがスタート、現在に至ってます。

トキのテラスは、トキの野生復帰の取り組みや、トキの生態・生息環境などについての展示がありました。
トキのエサはドジョウ、水田になどにいるサワガニ、ザリガニ、ミミズ、カエルなどです。

屋上からは美しい水田が広がる国中平野と、その向こうには金北山が見えるのですが、天気が悪く雲でよく見えませんでした。

トキの森公園(1):2日目
次に行ったのがトキの森公園。ここはトキについての詳しい説明がされている、”トキ触れ合いプラザ”と、”トキ資料展示館”があり、説明員同行で詳しい説明をしてくれました。

入り口には”トキのキンちゃん”の墓があります。キンちゃんは野生最後のトキで、この墓にはキンちゃんの足だか口ばしが、埋められているそうです。

展示館内は割と狭かったのですが見学者が少なく、ゆったりと見学する事ができました。

トキの森公園(2):2日目
説明員は展示されている資料に従って、非常にわかりやすく説明をしてくれました。
トキは2008年の野生復帰以来、現在は約600羽が佐渡に生息している事が確認できているそうです。

トキのエサは水田地帯に多く、従って国中平野の中を走る道路からトキの姿を割と頻繁に見掛ける事ができました。

私は鳥類については不得意科目のひとつなので、今回は新しい事をたくさん知る良い機会になりました。

トキの森公園(3):2日目
トキはかつては日本全国どこにでもいた鳥で、万葉集などにも詠まれています。

明治以降になるとトキは美しい羽などから狩猟の対象になり、また食用にもされ、大きく減少しました。
肉は産後の肥立ちの悪い母親や、冷え性の女性に効くと言われていたそうです。

現代になって田んぼに大量の農薬が使われ、トキのエサが激減、これが致命的になったのですね。

トキの森公園(4):2日目
トキのオスは美しく、羽を広げるとピンク色をしています。田んぼでトキとシラサギを同時に見る事ができ、シラサギは真っ白、トキは飛ぶと僅かなピンク色が確認できました。

トキのクチバシは他の鳥と違って神経が通っており、田んぼの中にクチバシを突っ込んで、その神経でエサを探り当て、捕獲するそうです。

また足が短いので田んぼや川では深いところに入って行く事ができない、という弱みがある、つまり生存能力が低い鳥、という事が言えるそうです。

トキの森公園(5):2日目
トキの天敵としてタヌキ、イタチ、テンの剥製が置かれていましたが、今はも天敵で、トキは地上に巣を作るため、烏に卵や雛を食べられてしまうようです。

残念なことに現在佐渡に生息するトキ600羽は、日本のトキではなく、中国からもらった個体の子孫なのです。
繁殖させた後に中国にもらった数のトキを返還するという約束だそうですが、特に返還はしていないと説明員の方は言ってました。
中国では既に1万羽以上のトキがおり、数に不自由はしていないからじゃやないか、という事のようです。

七浦海岸・夫婦岩(1):2日目
佐渡島は島の東西がくびれて狭くなっており、南北は斜めの島がくっついたような形をしています。北西の端に七浦海岸というのがあり、ここに夫婦岩があります。

ズバリ、三重県伊勢市にある、二見の夫婦岩より大きくて迫力があります。但し、しめ縄はありません。

佐渡島は北緯38度に位置しており、ここから真西に700KMで南北朝鮮国境です。
七浦海岸にはハングル文字の漂流物が大量に流れ着き、困っていると言ってました。

七浦海岸・夫婦岩(2):2日目
夫婦岩横の土産物屋のレストランで昼食、その名も”佐渡天然ブリカツ丼”。
暖ければいいのでしょうが、作ってから時間が経っており、イマイチ、イマニ。

私はツアーでこういう店に入った時は、出された食事が一般では幾らで提供されているか、サッと調べるクセがあります。
これは定食メニューの中の”ブリカツ丼ハーフ”で1320円でした。
客は少なく、我々7人以外には5〜6人でした。

尖閣湾(1):2日目
佐渡島に尖閣列島、もとい、”尖閣”湾という名の湾があるとは知りませんでした。

ここは”5つの峡湾”から成り立っており、全体が見れるように第5景揚島峡湾からは橋が架けられており、全体が見れるようになっています。

この日は天気予報では曇り時々雨でしたが、雨は我々がバスに乗っているときにパラパラ、降りるとスッと止むというラッキーな1日でした。
海の蒼が見れなかったのは残念でしたが。

尖閣湾(2):2日目
湾全体を展望できる橋は、かつては吊り橋で、ここで”君の名は”の映画のロケが行われたという事で、その時の写真がデカデカと掲げてありました。

どういうシーンで撮られたのか、その記述はありませんでしたが女優は”岸惠子(氏家真智子)”、男優は”佐田啓二(後宮春樹)”、となっていました。
私はストーリーは残念ながらよく知りません。

「君の名は」というのは最近、アニメか何かであったと思うのですが、今は何でもアニメになるのですね〜。

尖閣湾(3):2日目
ここではグラスボートに乗って、海中散歩をしました。ボートには7名+添乗員さんの8名。
ゆったりと海中の魚を観察できました。

グラスボートで感激したのは、石垣島の川平湾です。
あれは海の透明度が高く、海底まではっきりと見えたからだと思います。

今回は多くの魚が泳ぐ姿が見えたものの、太陽が出ていなかったので、海中がそれほどきれいに見えませんでした。

北沢浮遊選鉱馬:1日目
採掘した鉱石から浮遊選鉱法という技術で金・銀を取り出す施設で、1937(昭和12)年に整備され、1952(昭和27)年に廃止されたとありました。

具体的には採掘した鉱石に対して水・化学薬品を使って金銀を選別したそうです。
不思議な景観で、手前の緑と廃墟の施設のコントラストが何とも言えませんでした。
巨大な半円形の施設は”シックナー”とあるので、やはり金銀の選別施設の一部と思われます。

佐渡金山(1):2日目
とうとうやってきました!今回の旅のメインイベント、金山の見学です。
見学コースは2つ、ひとつは江戸時代の金山の再現のコース、もう一つは明治時代の鉱山を回るものです。

ガイド・添乗員さんの勧めは、「初めての人はまず江戸時代の金山からがいいですよ」、という事だったので7名全員は素直に首を縦に振りました。

この日も30度以上の暑さ、坑内に入ると20℃前後、イヤ〜気持ちの良いのなんのって、、、。

佐渡金山(2):2日目
鉱山から集めた金は最終的に小判になった訳ですが、その工程は5つ。
採掘 ⇒ 選鉱 ⇒ 精錬 ⇒ 鋳造 ⇒ 鋳貨

見学の400mの坑内はこの中の”採掘”の現場を再現したもので、5つの工程の中で最も危険で過酷な作業です。

金は1t(1000kg)から5g〜10gが採取できていたそうで、現代の採算レベルは1tから1g以上、という事でした。いずれにせよ、気の遠くなるような話です。

採掘作業は坑道が深くなると地中からの湧き水が多くなり。これの排水との戦いであった、という事です。
ポンプなど何もない中での排水、恐らく多くの坑内夫がこの仕事に携わっていたと思われます。

坑内再現では筒の排水器具を使って排水作業をする姿が再現され、非常に興味深いものがありました。

佐渡金山は平安時代の末期から既に砂金が発見されていましたが、金山として世に知れ渡ったのは1601年に金鉱脈の採掘が本格的に始まってからです。

佐渡金山(3):2日目
金山全体の労働者は最盛期の江戸時代中期で1万人以上、坑内夫は1500〜2000人くらいだったとありました。

坑内夫は危険で、重労働、作業環境も劣悪なので短命、人集めに幕府は苦労したようです。
このため江戸などから無宿人などを捕捉、これを定期的に送り込んだりしていたようです。

坑内の再現に使われている人形は実際の人間と等身大で電気仕掛けで動いており、迫力がありました。

佐渡金山(4):2日目
坑内作業は採掘、搬出など全てが手作業で、様々な道具が工夫して用いられていました。
たがね、槌(ハンマー)等は鉄製ですが、当時は強靱な鋼を作る技術も未発達だったので、たがねなどは2日で使えなくなったそうです。
道具は木、竹、藁なども使用され、消耗はもの凄く早かったのではないかと思いました。

金は採掘者の目に触れる事は希で、持ち出しはほぼ不可能であったにも係わらず、幕府は工夫の身改め(身体検査)を徹底して行っていたようです。

佐渡金山(5):2日目
坑内見学が終わると資料館に続きます。
ここもなかなか充実しており、じっくり見学すると軽く1時間程度は必要と思いました。

資料館の中には、実物10kgの金塊(表面は透明コーティングしてあった)を持ち上げる”体験コーナー”があったので、やってみましたが、私は無理でした。

比重20の金塊は見た目の大きさに比べて、異常に重みがありました。
ちなみにこの10kg、1億2千万円です。

佐渡金山(6):2日目
資料館には採掘した鉱石から最終的に小判になり、それを江戸に搬出するまでの作業が、見事なジオラマで作られていました。
佐渡は最盛期には5万人の人口だったと言われ、現在の人口が4万人ですから、それ以上になる訳です。

金山の運営、作業の指揮・運営・監督などは全て佐渡奉行所によって行われ、奉行所には奉行以下300人の属僚がいた、とありました。
佐渡金山は江戸幕府の最重要地であったと、繰り返し書かれていました。

佐渡金山(7):2日目
江戸時代にはオランダ・ポルトガルなどを通じて、大量の金がヨーロッパへ流出したそうです。

これは金と銀のレートの違い日本は1:8だったのに対し、ヨーロッパでは1:13〜15、つまり日本では銀で金を安く買えたのでした。

スペインはメキシコなどで多くの銀を得ており、これで日本の金を買って、それが国家経済の重要な柱であったのでした。
日本のレート負けは、今も円・ドルで続いていますね。

佐渡金山(8):2日目
慶長小判には15gの金(現在価値:20万円)、大判には33gの金(現在価値:42万円)ですが、小判の実物は100万円とか200万円で取引されているようです。

そういうのを買うのは無理なので、私はは金の延べ棒羊羹と小判チョコレートを買いました。

小判のレプリカもありましたが、私は京都の太秦で確か500円で買って、机の引き出しに入れてあります。
今のところ何の御利益も確認できておりません。

佐渡金山(9):2日目
「佐渡へ、佐渡へと草木もなびく、、、佐渡は居よいか住みよいか、、、」
佐渡おけさは、ウンと古い民謡かと思っていたのですが、発表されたのは1921(大正10)年なんですね。

金山で栄えた佐渡、宗太夫坑の見学を終えて最後の問をくぐった私達は佐渡の栄華を後にしました。

佐渡金山で400年間に採取された金は約80t、今の貨幣価値に直すと1兆円、現在の日本政府の金の保有量は770t、10兆円相当だそうです。

夕食:2日目
2日目も20畳の部屋で4人で食事。
この日のイカ刺しは美味しかった。その他の刺身類も超新鮮で、佐渡の地酒がグイグイすすみました。
佐渡の2晩、日本海の魚と美味しい日本酒、最高でした。

もう一組のご夫婦は同年代で2人とも働いて見えるとの事。奥様は介護ヘルパーをやっており、いろいろなご苦労のお話をしっかり聞くことができました。

グループ・ツアーではいろいろな方と話ができるのも、ひとつの楽しみです。

田んぼのトキ:3日目
3日目はホテルを出て、小木港にで”たらい船”に乗ってから連絡船で帰るというスケジュール。

港に向かう途中の田んぼの中、いました!!
トキの大群!もとい、3羽です!
今回の佐渡島ではトキは何度も見ましたが、ここまでの至近距離は初めて。
帰る日にラッキーでした。

同じような2泊3日の旅で、「一度も見ないというケースもありま」す、と添乗員さんは言っておりました。

小木港のたらい船(1):3日目
佐渡は2つの港があり、島の中央の両津港から新潟港へ、南の小木港からは直江津港との連絡船があります。

たらい船は佐渡中どこにでもあると思ったら大間違い、小木港にしかありません。

連絡船乗り場の150mくらいのところに、たらい船が浮かんでいます。
これに一人、または二人が乗って女船頭がギッチラ、ギッチラと櫂を漕いで湾内を遊覧してくれる、こういうシステムであります。

小木港のたらい船(2):3日目
たらい船は円形をしている、と思っていましたが楕円形、つまり小判型をしています。
これを露一本で操ります。

たらい船が実用化されたのは江戸時代から明治で、これは佐渡小木地震と関係があるそうです。

1802(享和2)年に小木の沖で地震があり、海底が隆起、これによりアワビ。サザエなどが豊富に採れるようになったものの従来の船では漁に適さなくなった、ということで考えられたようです。

小木港のたらい船(3):3日目
つまりたらい船は小回りと安定性があって、小木の海の漁に適した舟、となったわけです。
決して”遊び”で考案された舟ではないのです。

これでナゼ、小木にしか”たらい舟”がないのか、理由がよくわかりました。
たらい舟というと、直ぐに転覆しそうですが、乗ってみると非常に安定していました。
櫓を焦がせてもらいましたが、全く進まず、女船頭さんにさっさと櫓を取り上げられた次第でした。

小木港の構想句モーターボート:3日目
たらい舟に乗った後は、モーターボートに乗り、小木の”青の洞窟”へ向かいました。

生憎、天気が悪く洞窟に行くまでの間の景色がイマイチでしたが、洞窟ではマリンブルーのきれいな海水を見る事ができました。

ナポリに行った時、カプリ島の青の洞窟か、ポンペイの遺跡か選ぶようになっており、私達はポンペイの遺跡巡りをしたのですが、いつかカプリ島に行ってみたい、、、。

小木街のシンボル:3日目
小木港にあったマンホールのデザイン、女船頭さんとたらい船のデザイン、なかなかカワイイ。

グループの一人の女性が、「そこの観光案内所で”ご当地カード”をくれますよ〜」、とみんなに教えてくれたので、早速もらってきました。
これのデザインもマンホールと同じでした。

小木のたらい舟、佐渡旅行最後の体験として、なかなかよかったです。

小木港の土産物屋(1):3日目
最後のお土産の物色です。
今までの旅と今回の旅の違いは、今回はお土産を幾つも買ったことです。
金の延べ棒羊羹は2本も買っちゃいました。

私にとっては必須の米の汁(日本酒)も1本仕入れました。後で反省したのは宅急便で何本か送ってもらえばよかった、という点でした。

出航は10:35、あまり時間はありませんでしたが、佐渡最後のお土産を一つだけ買いました。

小木港の土産物屋(2):3日目
土産物屋の壁に昔(明治〜大正初期)の佐渡の様子を伝える写真が何枚も掲示されているのを発見。
私はこういう当時を伝える写真を見るのが文句なしに好きで、思わず見入ってしまいました。

服装、表情など、写真ならではの迫力のようなものが伝わってきます。
私が生まれるほんの50年程前の佐渡の人々の様子がよくわかる写真ばかりです。
当時は金鉱山の町として、いかに活気があったか、よくわかりました。

小木港の土産物屋(3):3日目
作業着姿の3人の娘さん、前掛けに手甲、首に巻いているのは手拭いでしょうか。
鉱山で何かの作業をしていた娘さん達でしょう。
でもこういう着物を着ての仕事、さぞかし動きにくかったのではないかと思います。

写真館で女ばかり6人で撮った写真もありました。小さな子二人は足袋を履いていませんが、みんなキチンと髪を結い、いい着物と帯をしています。

明治末期と注釈がありました。100年前です。

さようなら、スペイン:9日目
佐渡島は以外と大きな島です。聞く人によって違いますが、車で一周すると7〜8時間くらいはかかるようです。

島の北西半分と南東半分は1000m級の山で、多くの人はその間の平地に住んでいます。
観光、農業、漁業の島です。

今回の旅行で見掛けた観光客は驚くほど少なく、ガイジンはひとりも見掛けませんでした。
今から30〜40年前の日本の”古き、良き観光地の雰囲気”が残っていると思いました。

直江津での昼食:3日目
連絡船は予定どおり13:15に直江津に到着。

直江津から塩尻まではバスで行くのですが、その前に直江津市内のホテルのレストランで海鮮丼の昼食。
ネタは新鮮で言うことなしでしたが、御飯がイマイチ。でもまあおしかったです。

今回の旅の食事は2回の朝食と夕食は全く問題なし、昼食も2回含まれていましたが、これも辛うじて、ま、合格という事にしましょう。

塩尻駅:3日目
塩尻駅には5時頃に着いたのですが、地方都市のこじんまりとした駅で、18:03発の”しなの22号”までは1時間ほどあったので、駅の外で時間を潰しました。

外には葡萄棚があり、房はワイン用の小さな粒で、一粒取って食べてみると、まだ甘くはありませんでした。葡萄棚は駅のホームにもあるという、信州らしい駅でした。

名古屋駅に着く前に4名が下車、名古屋駅まで行ったのは域と同じく添乗員さんを含めて4名。
改札でお礼を言って別れました。

今回の佐渡島はグループ・ツアーで行ったのですが、添乗員さんは佐渡島には何十回と来ているそうで、一桁の客数というのは過去に1回しかなく、これで2回目だと言ってました。
最大時は40名を超えるときもあり、こういう時は大変というレベルを超えます、と言って笑ってました。

最近のグループ・ツアーは一人参加という方が必ずみえ、今回は7名中3名が一人参加でした。名古屋駅から乗った一人参加の方は、「ダンナを誘っても来ません。駅まで車で送ってくれて、行ってらっしゃ〜い、です」、と笑って言って見えました。

ツアーは少人数、現地には観光客が殆どいなかった、天気は晴れではなかったが雨には遭わず、ホテルの部屋・温泉・食事は文句なし、それに私は絶品の液体燃料(日本酒)を味わう事ができ、グッドな旅でした。

95点!!