佐渡島:2024/09/17〜09/19 |
佐渡島というとどんなイメージがあるか、まず誰でも頭に浮かぶのは”佐渡の金山”、次に”佐渡おけさ”、更に”日本で2番目に大きな島”、あとは、、、こんな感じではないでしょうか。 今から40年くらい前に新潟に行った時、海の向こうに浮かぶ佐渡島を見て、「どんなところだろう?」、とずっと気になっていました。 ミュージカル映画”南太平洋”の中で、ブラッディー・メアリーがケーブル中尉に唄う、”バリハイ”。 「Bali Ha'i may call you, any night, any day in your heart, you'll hear it call you "Come away, come away"、、、、」(バリハイは貴方を呼んでいる、、、さあ来て、さあ来て)。 私の場合”バリハイ”ならぬ”佐渡島”。 「SHIN、はよ佐渡へ来いや、佐渡はエエとこやで〜、、」、と私は声なき唄にずっと呼ばれていた、、、。 そんな訳で、今回カミさんの勧めもあって2泊3日のツアーに参加、佐渡島にやっと行く事ができたので、その記録を簡単にまとめてみました。 |
小布施(3):1日目 | ||
私は北斎と言えば”富嶽三十六景”などの版画しか知りませんでしたが、北斎は多くの肉筆画の作品があるのも、ここで初めて知りました。 特に花鳥画は見事で、細密な写実性の高い作品には正直大いに驚いた次第です。 画家は高いデッサン力が基礎、というのをここでも見事に証明してくれていました。 以前ピカソのデッサン、また画家を目指していたヒトラーのデッサンを見た時も同じ印象でした。 |
小布施(5):6日目 | ||
北斎館を出て駐車場横の土産物屋に入ると”栗おこわ、栗羊羹、栗何とか”で栗だらけ。私は栗ソフトクリームを買って食べてみました。 思い出したのは埼玉に住んでいた頃、川越の小江戸の菓子屋横町で”芋ソフトクリーム”というのを食べたこと。 川越には”芋ビール”もありましたが、ここ小布施に栗ビールはありませんでした。 バス横では、直径5cmくらいのジャンボ栗が売られていました。 |
今では珍しいモノ?:1日目 | ||
中野インター横のドライブインで昼食。もちろん信州蕎麦を頂きました。 横の土産物屋を見ていると”いなご甘辛煮”を発見。今の田んぼは農薬だらけ、まだイナゴなんているのですかね〜。 私が子どもの頃、近所のお百姓が持ってきてくれた事がありましたが、ナゼか食べた記憶がありません。 カミさんは子どもの頃、竹の筒を取り付けた紙袋持って田んぼを走り回って、イナゴ獲りをやったそうです。 |
直江津港から佐渡・小木港:1日目 | ||
船は”こがね丸”2500t、全長116m、乗客定員は580名の中型のフェリー連絡船ですが、直江津で乗船した人数は異常に少ない。 下船の時に人数を数えると約30名、車で渡った人はこれに含まれませんが、そんなにいたとは思えません。 海は穏やか、5Fのラウンジで居眠りしたりしてゆったりと過ごしました。 直江津から佐渡・小木港まで2時間40分でした。 |
妙宣寺(2):2日目 | ||
境内は規模は大きくはありませんが、なかなか立派で、金山で栄えた江戸時代は宗教施設としての寺と言うより、文化交流の場であった、という説明でした。 中を歩いていると、京都のどこかの寺にいるような錯覚に陥りました。 五重の塔は1825年に建立され、高さは24mと小ぶりです。 しかし佐渡島に重要文化財指定の五重塔があったなんて、全然知りませんでした。 |
妙宣寺(3):2日目 | ||
本堂横の建物には大きな大黒柱があり、柱高485cm、幅73cmX51cmの赤松と説明がありました。 佐渡島には約230の寺があるそうで、最盛時の人口5万人から考えても異常に多い数です。 これは佐渡島は流刑地であった事と、関係がありそうです。 流刑者は政治犯、日蓮のような宗教的反逆者などが多く、凶悪犯者の流刑は少なかったと言われています。 第84代順徳天皇も鎌倉時代に佐渡に流され、ここで崩御しています。 |
トキの森公園(3):2日目 | ||
トキはかつては日本全国どこにでもいた鳥で、万葉集などにも詠まれています。 明治以降になるとトキは美しい羽などから狩猟の対象になり、また食用にもされ、大きく減少しました。 肉は産後の肥立ちの悪い母親や、冷え性の女性に効くと言われていたそうです。 現代になって田んぼに大量の農薬が使われ、トキのエサが激減、これが致命的になったのですね。 |
七浦海岸・夫婦岩(1):2日目 | ||
佐渡島は島の東西がくびれて狭くなっており、南北は斜めの島がくっついたような形をしています。北西の端に七浦海岸というのがあり、ここに夫婦岩があります。 ズバリ、三重県伊勢市にある、二見の夫婦岩より大きくて迫力があります。但し、しめ縄はありません。 佐渡島は北緯38度に位置しており、ここから真西に700KMで南北朝鮮国境です。 七浦海岸にはハングル文字の漂流物が大量に流れ着き、困っていると言ってました。 |
尖閣湾(3):2日目 | ||
ここではグラスボートに乗って、海中散歩をしました。ボートには7名+添乗員さんの8名。 ゆったりと海中の魚を観察できました。 グラスボートで感激したのは、石垣島の川平湾です。 あれは海の透明度が高く、海底まではっきりと見えたからだと思います。 今回は多くの魚が泳ぐ姿が見えたものの、太陽が出ていなかったので、海中がそれほどきれいに見えませんでした。 |
佐渡金山(3):2日目 | ||
金山全体の労働者は最盛期の江戸時代中期で1万人以上、坑内夫は1500〜2000人くらいだったとありました。 坑内夫は危険で、重労働、作業環境も劣悪なので短命、人集めに幕府は苦労したようです。 このため江戸などから無宿人などを捕捉、これを定期的に送り込んだりしていたようです。 坑内の再現に使われている人形は実際の人間と等身大で電気仕掛けで動いており、迫力がありました。 |
佐渡金山(4):2日目 | ||
坑内作業は採掘、搬出など全てが手作業で、様々な道具が工夫して用いられていました。 たがね、槌(ハンマー)等は鉄製ですが、当時は強靱な鋼を作る技術も未発達だったので、たがねなどは2日で使えなくなったそうです。 道具は木、竹、藁なども使用され、消耗はもの凄く早かったのではないかと思いました。 金は採掘者の目に触れる事は希で、持ち出しはほぼ不可能であったにも係わらず、幕府は工夫の身改め(身体検査)を徹底して行っていたようです。 |
佐渡金山(5):2日目 | ||
坑内見学が終わると資料館に続きます。 ここもなかなか充実しており、じっくり見学すると軽く1時間程度は必要と思いました。 資料館の中には、実物10kgの金塊(表面は透明コーティングしてあった)を持ち上げる”体験コーナー”があったので、やってみましたが、私は無理でした。 比重20の金塊は見た目の大きさに比べて、異常に重みがありました。 ちなみにこの10kg、1億2千万円です。 |
佐渡金山(9):2日目 | ||
「佐渡へ、佐渡へと草木もなびく、、、佐渡は居よいか住みよいか、、、」 佐渡おけさは、ウンと古い民謡かと思っていたのですが、発表されたのは1921(大正10)年なんですね。 金山で栄えた佐渡、宗太夫坑の見学を終えて最後の問をくぐった私達は佐渡の栄華を後にしました。 佐渡金山で400年間に採取された金は約80t、今の貨幣価値に直すと1兆円、現在の日本政府の金の保有量は770t、10兆円相当だそうです。 |
田んぼのトキ:3日目 | ||
3日目はホテルを出て、小木港にで”たらい船”に乗ってから連絡船で帰るというスケジュール。 港に向かう途中の田んぼの中、いました!! トキの大群!もとい、3羽です! 今回の佐渡島ではトキは何度も見ましたが、ここまでの至近距離は初めて。 帰る日にラッキーでした。 同じような2泊3日の旅で、「一度も見ないというケースもありま」す、と添乗員さんは言っておりました。 |
小木港のたらい船(1):3日目 | ||
佐渡は2つの港があり、島の中央の両津港から新潟港へ、南の小木港からは直江津港との連絡船があります。 たらい船は佐渡中どこにでもあると思ったら大間違い、小木港にしかありません。 連絡船乗り場の150mくらいのところに、たらい船が浮かんでいます。 これに一人、または二人が乗って女船頭がギッチラ、ギッチラと櫂を漕いで湾内を遊覧してくれる、こういうシステムであります。 |
小木港の構想句モーターボート:3日目 | ||
たらい舟に乗った後は、モーターボートに乗り、小木の”青の洞窟”へ向かいました。 生憎、天気が悪く洞窟に行くまでの間の景色がイマイチでしたが、洞窟ではマリンブルーのきれいな海水を見る事ができました。 ナポリに行った時、カプリ島の青の洞窟か、ポンペイの遺跡か選ぶようになっており、私達はポンペイの遺跡巡りをしたのですが、いつかカプリ島に行ってみたい、、、。 |
小木街のシンボル:3日目 | ||
小木港にあったマンホールのデザイン、女船頭さんとたらい船のデザイン、なかなかカワイイ。 グループの一人の女性が、「そこの観光案内所で”ご当地カード”をくれますよ〜」、とみんなに教えてくれたので、早速もらってきました。 これのデザインもマンホールと同じでした。 小木のたらい舟、佐渡旅行最後の体験として、なかなかよかったです。 |
小木港の土産物屋(1):3日目 | ||
最後のお土産の物色です。 今までの旅と今回の旅の違いは、今回はお土産を幾つも買ったことです。 金の延べ棒羊羹は2本も買っちゃいました。 私にとっては必須の米の汁(日本酒)も1本仕入れました。後で反省したのは宅急便で何本か送ってもらえばよかった、という点でした。 出航は10:35、あまり時間はありませんでしたが、佐渡最後のお土産を一つだけ買いました。 |
直江津での昼食:3日目 | ||
連絡船は予定どおり13:15に直江津に到着。 直江津から塩尻まではバスで行くのですが、その前に直江津市内のホテルのレストランで海鮮丼の昼食。 ネタは新鮮で言うことなしでしたが、御飯がイマイチ。でもまあおしかったです。 今回の旅の食事は2回の朝食と夕食は全く問題なし、昼食も2回含まれていましたが、これも辛うじて、ま、合格という事にしましょう。 |
今回の佐渡島はグループ・ツアーで行ったのですが、添乗員さんは佐渡島には何十回と来ているそうで、一桁の客数というのは過去に1回しかなく、これで2回目だと言ってました。 最大時は40名を超えるときもあり、こういう時は大変というレベルを超えます、と言って笑ってました。 最近のグループ・ツアーは一人参加という方が必ずみえ、今回は7名中3名が一人参加でした。名古屋駅から乗った一人参加の方は、「ダンナを誘っても来ません。駅まで車で送ってくれて、行ってらっしゃ〜い、です」、と笑って言って見えました。 ツアーは少人数、現地には観光客が殆どいなかった、天気は晴れではなかったが雨には遭わず、ホテルの部屋・温泉・食事は文句なし、それに私は絶品の液体燃料(日本酒)を味わう事ができ、グッドな旅でした。 95点!! |