ヨーロッパ(オランダ編):2025/04/20〜04/27 |
ボクが初めて海外出張に行ったのは、今から遙か40年以上前のヨーロッパでした。 この時はベルギー・ブラッセル郊外のホテルに4ヶ月弱滞在、北はノルウエー、南はスイス、東はドイツ、西はフランス、合計10カ国を上司・先輩の小間使い・雑用係で車と飛行機で飛び回りました。 そのベルギー、いつかは再訪してみたいと思っていましたがなかなか機会を作ることができず、今回やっと適当なツアーを見つける事ができ、再訪が実現しました。 ツアーはオランダ、ベルギー2カ国を実質6日間という短期間ではありましたが、中身は無駄なく大変充実しており、十分に満足のいく旅をする事ができました。 前半のオランダ、旅の様子を写真と簡単な感想でまとめてみました。 |
KLMラウンジ | ![]() |
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出国手続きの後、ラウンジへ。 ここはバングラディッシュ航空、ベトナム航空、ブルネイ航空、中国南方航空他数社の共同ラウンジです 中は結構広いく、ガラガラ状態でした。 今回のツアーは14名で、他にもう一組Cクラスの方がいたのですが、見当たらず。 出発は12:35分で、直ぐに食事が提供されるので、ここではワインを一杯とほんの少しおつまみを頂くだけにしました。 |
アムステルダム・スキポール空港 | ![]() |
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トランジットで来た事はあるのですが、降りるのは初めてです。大きくてきれいな空港です。 入国審査は顔も見ないで、パスポートをスキャンしてスタンプ押しておしまい。アメリカの一部の空港のように、グチャグチャ質問はなしです。 14名のメンバーと添乗員のIさんは現地誘導ガイドに連れられてバスに。 バスの運転手が全員のスーツケースをあっという間にトランクに放り込み、ホテルに向かいます。 |
アムステルダム国立美術館(3) | ![]() |
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入った瞬間、レンブラントの「夜警」、これは2019年から修復作業が開始されており、作業はこのようにガラスで仕切った中で行われ、公開されています。 この作品は過去にも何度か修復されており、その影響とか絵の具の劣化とか、AI技術を使ってやられているそうです。 また16世紀に、市庁舎へ移管されたされた時に切り取られた部分の再現も、AIを使ってやるそうです。 ところで修復はいつ終わるのか?発表はされていません。作品はこうやって見れるので、ま、ゆっくりやって下さい。 |
アムステルダム運河クルーズ(4) | ![]() |
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様々な建物の間を流れる運河をゆっくりと進み、左右の建物などを見学する運河クルーズ、いいものでした。 ボートの船頭は白人女性(年の頃40才前後の大女)でしたが、久しぶりに見た白人独特の蔑視的目つき。 ボクは下船の時に「ありがとう」を言ったのですが、目をそらして顔も少し横向き。 皆さんが鈍感なのか、ボクが敏感なんのかよくわかりませんが、オランダには日本に恨みを持っている人が結構いる、というのは理由と共に知っておくべきでしょう。 |
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バスでの移動 | |
今回のツアーで一番長かった移動は2時間、というのが1回、あとは全て1時間程度以内でした。 大型バス1台に、14名のツアー客+添乗員+現地ガイドの16名が乗車ですから、ゆったり。 ボクは殆ど一番後の隻に座っていました。 オランダの高速道路は時間帯で制限速度が違い、日中(06:00〜19:00)は100kmhですが、どう見ても120kmhくらいで流れています。 ドイツみたいに”速度制限なし”の区間はないそうです。 |
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ハーグ・マウリッツハイス美術館(1) | |
国際司法裁判所から歩いて美術館に到着。 ここは一般入場より早く入館できる手続き、というか割り増しの見学料が払ってあり、従って入館した時は誰もいませんでした。 入り口では看板娘のフェルメール”真珠の耳飾りの少女”が出迎えてくれました。 正式名称は”マウリッツハイス王立美術館”で建物は17世紀に建てられ、美術館としての開館は1822年、外観は小ぶりの美術館です。 |
デルフトの風景(2) | ![]() |
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猛スピードで行き交う自転車、場所によっては30kmh以上、40kmh近くのスピードです。 オランダでは他の国と同様、自転車専用道路があり、歩行者は自転車をよける必要があります。 もしここで自転車と衝突してケガをしても責任は基本的に歩行者にあります。 運河を渡り歩いて行くと”実にオランダらしい風景”が目に入ったのでシャッターを押しました。 ボクでもこんな写真が撮れるのだ!!。 |
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デルフトの風景(3) | |
1632年にフェルメールが生まれそして過ごし、1675年に没した街デルフト。 日本の時代で言うと、江戸時代初期です。 フェルメールの作品は女性、または男性をテーマにした風俗画ですが風景画も数点あり、その中のひとつが”デルフトの眺望”です。 フェルメールが描いたデルフトの風景画は何の変哲もないようですが、水門とその向こうに立つ教会、これらは当時のシルエットのままです。 作品は全くの写生ではなく、自分に関係のある建物などをキャンバス内に凝縮してあるそうです。 現在の街を400年前の絵に投影できる位置が観光スポットになっています。日本にこういう事ができる絵と、街があるか、、、ボクは思い当たりません。 絵は1661年に描かれたとありますので、フェルメール29才の作品です。 ボクはフェルメールがこういう絵を描いて、そして有名になっているのは知りませんでした。 |
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ロイヤル・デルフト(2) | |
デルフト焼きは、17世紀に”オランダ東インド会社”を通じて中国から輸入された磁器の影響を受けた、とあります。 明時代、青花磁器に人気があったが、これの輸入が途絶えて、オランダの職人が陶器として模倣を始めたのがデルフト焼き、という事です。 博物館にはデルフト焼きで作られたレンブラントの”夜警”があり、これはアムステルダム国立美術館で見た実物と同寸ではないかと思います。 |
ロッテルダム(4) | ![]() |
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オランダでは1人で2台とか3台の自転車を所有して、用途で使い分けている人も多いそうです。 国中に専用道路があり総延長距離は2万km以上(!)あり、道路は自転車優先で、人は自転車をよける義務があるので要注意です。 自転車は一般に猛スピードで30kmh以上はざらです。 駐輪場も整備されており実に自転車王国です。 オランダ以外、ベルギー、チェコ、ハンガリー、デンマークなども自転車専用道路があり、普及していました。 |
ロッテルダム(6) | ![]() |
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内部のマーケットはそれぞれ専門店です。レストラン併設の店もあります。 中のひとつにラーメン屋があったのにはびっくり。丁度従業員が出てきて、目が合って「こんにちは」。 ボクを瞬時で”日本人”と識別したのですね。 グループの集合前に入り口付近のパブで、ツアーグループのIさんとスペインビールを頂きました。 他にもイギリス風パブ・レストラン、ベトナム・レストランもありました。 |
ロッテルダム(7) | ![]() |
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液体燃料事情について。 オランダビールと言えば”ハイネケン”ですが、他に種類は無数にあります。 レストランでメニューを見ると殆どの場合、4%〜9%という具合にアルコール度が併記されています。 ボクは銘柄に関係なく、いつも9%程度のものを頂きましたが、実に美味しかった〜! オランダはワインの生産量が非常に少なく、ボクは銘柄を知りません。オランダワインは希少価値があるそうです。 |
キンデルダイクの風車(1) | ![]() |
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ロッテルダムから10kmちょっと、キンデルダイクには世界遺産に登録されている風車群があります。 ボクはここも43年振りです。ベルギーからデンマークに行く途中、寄り道をして見ていきました。 09:00前に着いたので、少し待って入場。 ここには19基の風車があり、先ずボートに乗って風車群を運河から眺めます。 風車は巨大で、今でも人が住んでいる風車があります。 |
キンデルダイクの風車(5) | ![]() |
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風車の建設には多くの木材が必要であったわけですが、オランダにこのような巨木を切り出せる森林はありません。 では一体どこからもってきたか、調べてみました。 巨大な歯車とかカム機構部分には摩耗に強い、堅い木材のオーク・ブナなど、これはバルト海沿岸地域(スカンジナビア、バルト海3国)、ドイツ、ポーランド、イギリスからの輸入木だったそうです。 では誰がこのような高価で手間のかかる風車を建設したのか、それは水利組合、裕福な商人、大地主などでした。 水利組合とは、そこに住む人々が費用などを分担する、自治的共同体です。 ですから風車守はどこから収入を得ていたのか、これもわかります。 国土の4分の1が水面下にあるオランダ、水車で国土を守り、そして築いてきた訳ですが、風車について調べていくとオランダの歴史・経済が鮮やかに見えてきます。 オランダの風車は意外と奥が深いのです。 |
オランダでの食事 | ![]() |
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オランダでの食事は3食全てコースに組み込まれていて、いずれもおいしく頂きました。 オランダの家庭料理”ヒュッツポット”というのも頂きましたが、美味しかった。 いずれも量が半端ではなく、普通の日本人はこの半分以下でいいと思います。これを完食できるのは高校、大学の運動選手だけです。 朝食について、ボクは普段は食べないのですが、旅行では少しだけ頂きます。 |
オランダは大航海時代のポルトガル、スペインが衰退後の17世紀には欧州最大の海上商業国家でした。 世界中に植民地も持っており、特にオランダ領東インド(現インドネシア)は350年間も植民地として支配、カリブ海諸島は1600年代から現在もオランダ王国を構成しています。 オランダは日本の江戸時代に於ける唯一の貿易取引国であり、更に重要な点は江戸幕府は世界情勢をオランダを通じて得ていたという点でした。 ボクはこの旅行の3週間前に長崎に行って出島・シーボルト記念館などを具に見て、オランダは日本にとって重要な国であったというのを実感してきました。 今回のオランダ旅行は、ほんの短い期間ではありましたが、オランダは国土は小さいものの、実にキチンとした国である、というのがよくわかりました。 小国ではあるが、歴史と文化のある国、そして日本とはある意味で繋がりの深かった国、というのを実感する事ができた次第です。 |