ヨーロッパ(ベルギー編):2025/04/20〜04/27
ベルギーという国の名前は知っているものの、ではどんな国なのか、具体的に知る日本人はそれほど多くはいないと思います。
それでもEU本部、NATO本部、小便小僧、フランダースの犬、ビール、グランパレス、チョコレート、レース編み、画家のルーベンス、、、この中の幾つかは頭に浮かぶでしょう。

ベルギーはボクが31才の時、初めての海外出張でしかも4ヶ月弱という長期間滞在した国で、その後のボクの会社員人生に様々な面でプラスのインパクトを与えた、そういう国です。

今回の旅行では大変短い期間ではありましたが、そのベルギーを密度濃く観光する事ができました。

ドライブインにて
オランダのキンデルダイクからベルギーのアントワープまで、約100km、1時間ちょっとです。
途中ドライブインに立ち寄ったので、並べられていたサンドイッチなどの値段を眺めます。

サイズはでかく、フィリングもしっかり入っていて、値段は日本の2倍(約1000円相当)くらいの感じでした。

清潔な店のテーブルで4ユーロ(700円相当)でランチが食べられる国は日本以外にどこがあるか?
ないと思います。

アントワープの道筋
アントワープに着いたのは午後でしたが、道路にはゴミの山が。ヨーロッパ各国のゴミの分類は厳格で、普通4〜5種類に分別が要求されています。
あのイタリアでさえ、色分けされたデカいゴミ箱があったのに、これは何だ?アントワープは例外か?

アメリカから日本に帰った時、日本のゴミの分類の厳しさにびっくりしましたが、ヨーロッパはもっと厳しいのです。

アメリカでは生ゴミ、不燃物、雑誌・段ボール、全て同じ。ウチなんか中型のテレビも普通のゴミ出して処分したね。

アントワープ、聖母大聖堂(1)
このゴシック様式の教会は世界遺産にも登録されており、内部にはピーテル・パウエル・ルーベンスの有名な作品がいくつも展示されています。
生憎の小雨模様ですが、教会内部の見学なので、関係ないよね〜、という感じ。

教会の高さは123m(覚えやすい)で、ベルギーで最も高い教会との説明。
更にあとで調べると着工は1352年、完成は1521年(約170年)、そして財政難(!)で当初計画の一部がまだ完成していないそうです。

アントワープ、聖母大聖堂(2)
見所はやはりルーベンスの作品、現地ガイドのSさんは3つの有名な画がある、と何回も説明してくれました。
・ 祭壇の左に”キリストの昇架”
・ 祭壇の右に”キリストの降架”
・ 礼拝堂に”復活のキリスト”
全て非常に力強く、躍動美というかそういう強い印象を受けました。これらは1610年前後の5〜6年間で画かれた、という説明だったので、調べたら多くの弟子を使って短期間で画いたようです。

ここには何と!日本語の案内パンフレットがあります。理由は以下のコメントを読めばわかると思います。

アントワープ、聖母大聖堂(3)
そうです! 聖母大聖堂、そしてルーベンスの”キリストの降架”は日本人にとって特別なのです。
”フランダースの犬”に出てくるネロ少年と忠犬パトラッシュがクリスマスの夜にこの画の下で亡くなったのです。

画描きになりたかったネロ少年、この画を見たかったのですが、貧しくて入場料が払えませんでした。
クリスマスの夜、仕事がなくなったネロ少年は忠犬パトラッシュを連れて教会に来たところ、奇跡的に扉が開いていて画を見ることができた、でも命が尽きた、というお話です。
日本人でこの話を知らない人はいないのでは、、、。

アントワープ、聖母大聖堂(4)
懺悔室です。4つほど確認できました。
この構造では真ん中に司祭が入り、左右に懺悔をする信者が入ると思うのですが、これでは丸見えなので実際はカーテンが引かれるのでしょう。

懺悔の扱いはカトリックとプロテスタントでは違うそうで、カトリックでは神父の守秘義務は絶対だそうです。

仏教にも類似した行為はあると聞いており、キリスト教では告白の相手が司祭(神の代理)であるのに対し、仏教は仏そのものです。

アントワープ、聖母大聖堂(5)
ボクは”フランダースの犬”の物語がベルギーでは誰も知らない、そして教育上良くない話、という事は知っていましたが、改めてベルギー在住35年の現地ガイドSさんに聞いてみました。
「そんな話、ベルギー人は誰も知りません!」
素っ気ない返事が返ってきました。

悲しすぎるストーリーである、ネロはたくましく生きていない(原作では15〜6才くらいの設定で、当時は働くのは当たり前)、不遇なネロ少年を助ける人が絶対に居たはずなのに書かれていない、そして作者はベルギー人ではなく、”イギリス人”である、、、そういう事なんです。

アントワープ市庁舎前
そんな訳で日本人があまりにも「フランダースの犬!」と騒ぐので、2003年に教会の前にネロ少年とパトラッシュの最後を表すオブジェが作られ、更に2017年に今の白いのにリニューアルされた、という次第です。

ベルギー人が全く知らない物語で、日本人が泣きながら訪れる”聖地アントワープ”、ボクも牛乳の荷車を引く忠犬パトラッシュと、ネロ少年が見えるような気がしたのであります。

マルクト広場前には、16世紀に建てられたという見事な市庁舎(世界遺産)などがあります。

アントワープのクッキー屋さん
ベルギーは”ビスケット文化”みたいなのが発達しており、様々なベーカリーがあります。

”Philip’s Biscuits”はアントワープでは老舗の一つだそうで、店は小さかったのですが、様々なクッキーがたくさん売られてました。中くらいの袋で30ユーロ(5千円相当)とかの値段でした。

ボクはコーヒーを飲む時にクッキーを食べる事がありますが、ソフトクッキーでもないのにフワフワと柔らかいのではなく、パリパリとしたのを好みます。

ブルージュのホテル
アントワープからバスで1時間半でブルージュに到着、ホテルはブルージュのバスセンターの近くにあり、朝はバスと自転車、そして車が行き交い賑やかでした。

今回のツアーのホテルはオランダ・ロッテルダム以外はNHホテルで、これはビジネス・観光両用のスペインに本拠を置いているチェーン・ホテルです。

ホテルの値段を調べると1室で2万円相当(2名分)から、朝食が5千円相当(2名分)という料金で、非常にリーズナブルと言えます。

ムール貝
19:00にホテルのロビー集合、歩いてレストランに向かいます。15分くらい歩いて、運河横の小さなレストランに入り、ムール貝のディナーを頂きました。

ムール貝の調理方法は”ワイン蒸し”と”ケチャップ蒸し”の2種類から選べ、という事でボクはワイン蒸し、カミさんはケチャップ蒸しを注文。

しかし出されたワイン蒸しの半分は貝殻が開いておらず、死んでいた貝だったのは明らか。
ボクは殻が開いているものだけを食べたが、やはり後でお腹の調子がおかしくなりました。

一方、ケチャップ蒸しの方はしっかりと開いており、問題はなかったようでした。
後で、他のメンバーの方に聞いたところ、ワイン蒸しを注文した人はボクと同じような状態だったと言っており、その方も殆ど食べなかったようでした。

ボクは以前、カナダのオタワでムール貝を食べて食当たりして、エライ目に遭った事があり、ムール貝はボクと相性が悪いようです。

ブルージュの夜景(1)
これは絵葉書ではありません。
レストランを出たところの橋の上からの夜景で、あまりにきれいだったのでシャッターを押しました。

あとで調べてびっくり、これは”ローゼンホードカイ”という、ブルージュのもっとも美しい景色が見れる、超有名観光スポットでした。
鐘楼を背景に、運河に面した中世の建物が美しく並んでおり、タイムスリップした気分でした。
これを見ていると「ムール貝の件はチャラにしなさい」、という大御心を感じたので、ボクは従ったのであります。

ブルージュの夜景(2)
ブルク広場に来ました。
ブルージュの市庁舎があり、実に上手にライトアップされ、見とれてしまいました。

建設は1376年に開始、50年以上をかけて完成した建物です。
600年前の建物がこうやって現役で使われている、、、ここがヨーロッパのスゴいところです。

しばらく行くとマルクト広場に到着、ヤン・ブレーデルとピーテル・デ・コーニンクの像がありました。

ホテルの朝飯
NHホテルは朝食バッフェ(バイキング)が好評なホテルのひとつだそうです
かつてのベルギーの朝食は典型的なコンチネンタルスタイルで、パンとオレンジジュース・コーヒー、卵・肉類なし、地元産チーズが1〜2種類。
バンはノコギリのようなナイフでガリガリ切って、バターを塗って、、、こんな感じでした。

それが今ではアメリカ的(インターナショナル的と言うべきか)なバッフェに変わっており、これが”人気”という言葉で表されているようです。

ブルージュの運河クルーズ(1)
朝イチで運河からのブルージュ観光です。
ボートは屋根がなく、幸い雨も止んでおりラッキーでした。

ボートは貸し切りで、録音による日本語での説明、そしてその都度船頭が説明の方向の建物などを指さす、という親切な案内方法でした。

ブルージュは”北のヴェネツィア”呼ばれ、運河は市内を縦横に流れており、ここからの眺めは抜群、、、という話ではありましたが、曇り空では景色が映えず、少し残念でした。

ブルージュの運河クルーズ(2)
これらの運河は日本の平安時代に造られ、目的は交易と物流でした。

ボートでゆっくりと運河を往くと左右に中世の建物が並び、この風景は何百年も前とあまり変わっていないと思うと、少し不思議な気もしました。

ブルージュは第二次大戦時、戦略的価値が少ない都市だったのでベルギー軍は抵抗せず後退したため、ドイツ軍は無血占領、破壊を免れた都市のひとつです。

ブルージュの運河クルーズ(3)
ブルージュは中世のままの姿が残っている“屋根のない博物館”と言われているそうです。

15世紀に運河が砂の堆積で使えなくなり、それまでの商業都市としての機能を失い、その地位をアントワープに明け渡した、という歴史です。

しかしこれらの事により近代化の波も受けす、戦争でも破壊されず、今に至っている、、、。
ボクは前日に見た”ローゼンホードカイ”からの夜景、そして運河クルーズからの風景は一生忘れません。

ブルージュ聖母教会(1)
この教会は高さ115mのレンガ造りで非常に高い塔になっており、世界有数の高さだそうです。
が、写真を撮るのを忘れました。

ここにはミケランジェロの”聖母子像(聖母マリアと幼子イエス)”で有名。
彼は自分の全ての作品は”イタリア以外への持ち出しを禁止”した人で、この像は”持ち出しを許可”した唯一の作品だそうです。

貴重な作品でしたが、これも写真を取り忘れました。残念。

ブルージュ聖母教会(2)
ではボクは何に気を取られていたかというと、ブルゴーニュ公国支配者の棺でした。ブルゴーニュ公国というのは、14世紀〜15世紀に今のベルギー全土とオランダ・フランスの一部にあった”領邦国家”です。

この辺になるとヨーロッパの歴史に疎いボクには、全てが聞くのが初めてというストーリーばかりで、頭の中は断片的知識がパラパラ残っているだけで、後で調べなくてはならない事ばかりになってしまいます。

棺の彫刻はハンパなく美しくものでした。

ブルージュ市庁舎
昨夜は食事の帰りにライトアップされた市庁舎を見たわけですが、こうやって昼間に見る市庁舎も素晴らしい。

建物には様々な人物、聖人の彫刻とか装飾がびっしりとありますが整然としており、いわゆるゴチャゴチャ感が全くありません。全てにそれぞれ意味があるそうです。

屋根には欧州連合(EU)旗、ベルギー国旗、フランドル地域旗、西フランドル州旗、ブルージュ市旗の5つの旗がひらめいていました。これは欧州どこに行っても同じで、EU旗から始まって、複数の旗が掲げられています。

コーヒーブレイク
市の中心部で解散、自由行動です。
観光とはつまり歩きづめになる訳で、毎日大体2万歩弱の歩行となります。
そんな訳で自由行動時には、どこかカフェに入って一服したくなります。

Iさんご夫妻と広場横のレストランカフェに入ってみました。屋外のテーブルに案内され、一瞬この気温では、、、、と思ったのですが心配無用、斜め上の壁にはヒーターがズラリと設置され、この輻射熱で寒さは全く感じませんでした。
ちなみに外気温は13〜4度くらいだったと思います。

ブルージュのマルクト広場
市庁舎のあるブルク広場の横にマルクト広場があり、観光客とか校外学習・修学旅行の学生でごった返しています。

今年のイースターは4月20日で、前後1週間が春休みになり、この時にこういう校外学習などが行われます。
学生達は明るく、みんなペチャクチャとおしゃべりに夢中、楽しそうでした。

先生らしき(旅行ガイドかも)中年の女性が、大きな声でいろいろ話しをしていましたが万国共通、生徒は何も聞いていませんでした。

ブラッセル到着
ブラッセル2泊は”NHホテル・コレクション”、やはり最後は4つ星クラスのホテルです
建物は1920年に建てられたものでリニューアルされており、近代的な感じになっています。

グランパレスまで7〜8分、ホテル横にはショッピング・ストリートもあって、文句なしのロケーションです。

夕食に行く途中のショッピングストリートには、ちょっと中を覗いてみたくなる店が幾つかありました。

夜のグランパレス(1)
ボクは31才の時にブラッセルから30kmくらい離れた、アールストという街に4ヶ月弱の出張で滞在、しかし夜のグランパレスはナゼか記憶がありません。

恐らく当時は、こんなに派手にライトアップされていなかったのではないかと思います。
今はLEDの発達で、素晴らしい夜景を作る事ができるのですね。

小雨で濡れた石畳は、「これぞベルギー!」という雰囲気を醸し出してくれます。

夜のグランパレス横の路地
群れた石畳の道を歩いてホテルに向かいます。
ボクは先輩に連れられてこういう通りから更に路地に入り、立ち飲みバー(ビアスタンド)に何度か入りました。

でも帰りの運転はボクの役割だったので、あまり飲むことはできませんでした。
歩きながらそんな昔の事を思い出しておりました。

通りには気軽に入れそうなレストランも多くあります。
こういうところにも入った記憶はあるのですが、何を食べたのか、、、記憶にありません。

ホテルの朝食、ボクは簡単です
食事は9Fのレストラン、終わってベランダに出たら、50代の上品なご婦人が2人、聞くとブラジルからとのこと。
トウキョウ、ヒロシマ、キョウトなど、日本にも行った事があると言います。
服装とか物腰・態度で、それなりの方と見受けました。

ボクは時々同じ旅行者に挨拶して、ちょっと声をかけてみます。でも日本人・半島人、それと大陸人にはやりません。

かけても手荷物をグッと手で押さえて、睨み返み返されるか、無視される事が多いので。

ベルギー王宮
王立古典美術館に行く途中、広々とした広場に面して”ベルギー王宮”があります。

ここは行政上の公邸で、国王の執務室や迎賓の間などがあり、国王はここには住んでいません。
つまりここは”事務所”と”宴会場”で、住まいは郊外の”ラーケン王宮”だそうです。

ブラッセルも車の乗り入れが厳しく制限されており、これはガイドのSさんが何度も言っていました。調べると”Good Move”という交通計画の一部の施策となっていました。

王立古典美術館(1)
グループツアーでは、添乗員さんが料金などをまとめて払ってくれるので、入場料は意識はしません。

ここは”OLD MASTERS”(古典美術館)と”MAGRITTE”(マグリット美術館)があり、単独だと大人は10ユーロづつ、両方入れるのは15ユーロ、という事のようです。

ボクらはメインの建物にある”古典美術館’だけの見学なので、10ユーロなんですね。
マグリットの方は地下通路でつながっているそうです。

王立古典美術館(2)
入り口を入ると大広間になっており壁に幾つもの絵画、壁際には幾つもの彫像が置かれています。

彫像の中で特に目立ったのが、このコンスタンタン・ムーニエの”ル・グリズー”で、意味は炭鉱で発生する爆発性ガスの、”メタンガス”だそうです。

添乗員さんは戦争で亡くなった息子を見て悲しむ母親、という説明でしたが、母親としての悲しみがどうしても伝わってこないので、調べたら”炭鉱事故でなくなった抗夫を見て悲しむ女性の姿”を彫像にした、となっていました。

横たわる抗夫の頭から流れ出ているのは血でしょうか、これはガス爆発で受けた傷のように見えます。

ボクの知るムーニエは画家とばかり思っていましたが、間違いでこういう彫刻家でもあり、炭鉱労働者とか港湾労働者とかの、社会の底辺で働く人々の姿を描いた芸術家です。

調べるとムーニエの父親は労働者で、ムーニエが4才の時に自殺をしており、それが彼の芸術家としての意識の底流にあるようです。

王立古典美術館(3)
アルフレッド・ステヴァンスの”1878年の学校の行列”です。これはベルギー独立50周年の記念を祝福する、学校の子供達の行列を描いたものです。
記念行事風景なので、子供達の様子、それを見守る群衆、背景の空は青空で明るく描かれています。

この絵の右から6番目の女の子は他の子とは違い、ピンクのアクセントが付いた服を着ており、顔も大変可愛く描かれています。
この子はステヴァンスの娘、という評もあるようです。
自分の娘を可愛く描く、ナルホド、絵描きの特権ですね。

王立古典美術館(4)
ディルク・ボウツの”ローマ皇帝オットー3世の正義”という絵です。絵の話のストーリーは現地ガイドのSさんが手短に話してくれましたが、絵のとおり、かなり不気味です。

ボクが興味を持ったのは中世以前のヨーロッパでは重罪を犯した“身分の高い者”への刑が首を刎ねる、というもので”普通の人は絞首刑”だった、という部分です。

日本は重罪に対しての処刑は、庶民は斬首・さらし首、武士は切腹で、やはり身分によって処刑の方法が違ったという点は同じです。

王立古典美術館(5)
3枚パネルの絵はヒエロニムス・ボスの”聖アントニウスの誘惑”という絵で何とも奇怪です。
しかしよく見ると聖アントニウスが悪魔から数々の誘惑・苦行に晒されているのがリアルに描かれています。

更に行くとピーテル・ブリューゲルの”反逆天使の墜落”という作品、反逆した天使を打ち負かす、というテーマです。

反逆した天使は奇怪な生物(魚が多い)に変化して成敗されていく、、、という聖書の中の話の絵です。
細部を見ると、実に興味深い。

王立古典美術館(6)
これもピーテル・ブリューゲルの”バベルの塔”です。
バベルの塔の作品はウイーン、ロッテルダムの美術館にもあります。
これは旧約聖書の中に出てくる話で、人間の野心とか限界を示すもの、とされています。

神様はこういう塔を建設する人間に怒って、それまで人間はひとつの言葉で話していたのを、幾つもの言葉に分けて建設を阻止した、となっています。
絵の中のケンカをしている人達は、言葉が通じなくなったからなんですかね。

王立古典美術館(7)
この絵は大いに気になって、写真を何枚も撮ってあるのですが、作者・作品名を調べる事ができません。
テーマはフランドル地方の農村風俗ですね。

4人の女性はいずれも逞しく、赤いスカートをはいている女性は子供の頭の”蚤取り”をしており、子供はそれに身を任せている顔が、実にうまく描かれています。
たくさんの動物を飼い、左には広々とした農場が広がっており、豊かな感じがします。

細かい部分をよく見ていると本当に飽きません。

王立古典美術館(8)
ここはフランドル絵画が中心ですが、宗教画はやはりキリスト教というか、聖書のキー・ストーリーのバックグランドがないと、理解が難しいと思いました。

ボクはクリスチャンではないので、あちこちで絵を見た都度、気になった事を調べるのですが、今回は”聖アントニウスの誘惑”、それに”反逆天使の墜落”というのを知る事ができました。

しかし絵というのは1mまで接近して細部を見ると、様々な事が見えてくる、というのを再度認識しました。
でもツアーの宿命、時間が全く足りませんでした。

ギャルリー・サンチュベール(1)
ヨーロッパ最古のショッピングアーケードのひとつです。
1847年に完成だそうです。こんなにスゴいものを日本の江戸時代に作ったのですね。

当時の日本は鎖国中でオランダ、イギリス、ロシアなどから盛んに接触を受けて、1853年にペリーが浦賀に来航、、、そんな時期ですね。

43年前に来た時、ボクは東洋のからの田舎者で、この天井を見上げて、「スゴいな〜」と感激したものです。
今回もやはり感激しました。

ギャルリー・サンチュベール(2)
ギャルリー・サンチュベールが完成した、、、ではここに来てショッピングとかをしたのは誰か、調べてみました。(当時の国民は400万人で成人を200万人と仮定)
■ 上流階級:約1%(2万人)
■ 中流階層のブルジョワ:5%〜8%(10〜16万人)

つまり社会的、経済的にギャルリーを利用できる層は国民の6%〜9%程度だった、こういう事ですかね。

今では高給ブティック、老舗チョコレート店、ジュエリーショップ、カフェなどが入っています。何軒か入ってみましたが、いずれも非常に洗練されていました。

ギャルリー・サンチュベール(3)
正確にはギャルリーの外ですが、日本でもお馴染みの”GODIVA”のベルギー本店です。
GODIVAの日本におけるブランド認知度は90%売り上げは2位、収益は何と1位だそうです。

つまりGODIVAにとって日本は”蜂蜜の上に砂糖をまぶした”くらい”甘くておいしい市場”なんですね。
デパートと組んでの、バレンタイン・デー作戦が大成功した結果ですね。
ベルギーチョコの有名どころは、殆どギャルリーとその周辺にあるそうです。

グランパレス
ボクらもチョコレートをお土産に幾つか買い、再度グランパレスへ。しかしどこに行っても人が多いです。

ブラッセルの主要観光場所は大体徒歩で回れます。午後は自由散策で、自力でホテルに帰らなくてはなりません。

「道に迷ったらタクシーで帰ればいいんじゃない?でも流しのタクシーあまり見ないわね〜。
とかいう猛者メンバーもお見えになったりして、エ〜!

海外ではタクシーは拾うものではなく、呼ぶものですよ。

ロッテルダム(5)
ブラッセルではクラッシック・カーを観光用の乗り物にしていました。こういう場所での観光乗り物は”馬車”が多いのですが、これを見たのはボクは初めてです。

シンガポールでは”トライショー(自転車)”、フィリピンでは”シクル”、ボストンでは”ダッグ・ツアー”。
ダッグ・ツアーは軍用の水陸両用艇を観光用に改造、街の中を走り廻り、川の中にも飛び込む、というダイナミックなものでした。

日本は人力車が多いですが、乗ったことはありません。

小便小僧
ブラッセルに来てこれを見ないで帰る人はまずいないのでないか、と言われている超有名な彫像で、グランパレスからほんの数分のところにあります。

全長60cm
ちょっとの小便小僧、1619年に作られ、街中で堂々と、かつ延々と小便を垂れている今の像は、1965年に置き換えられた複製です。

作られた由来はいろいろありますが、世界一の衣装持ちと言われ、今回見たのは看護師の服を着て、マスクもしておりました。コロナ流行の余韻ですかね。

ランチタイム
ギャルリー・サンチュベールの中にあった簡単なレストランに、Iさんご夫婦と一緒に入ってランチ。
店の中はほぼ満席でしたが、一番奥の席に通されそれぞれサンドイッチなど簡単なものを注文。

ボクはラザーニアを注文したのですが、やはり特大(フォーク・ナイフと比較して下さい)。
全部食べきれませんでした。

ヨーロッパでは一般的に食事の時間が長く、ランチでも観光地以外のレストランに入ると、最低でも1時間では絶対に足りません。

ホテルまでブラブラと歩きました
ボクは初めてベルギーに来た時、グランパレス近くのホテルに1週間くらい泊まり、今回探してみましたが見つかりませんでした。
日本に帰ってから保管してあった当時のパンフレットをPDFにして現地ガイドのSさんにメールで送ったところ、即座に「証券取引所前のMARIOTTEです」という返事をもらいました。
何でコピーを持って行って、Sさんに聞かなかったんだろう、と悔やみましたが後の祭り。

出張の最後の方で2回ほど行った日本レストラン”SAMURAI(侍)”もまだあると仰ってました。

ブラッセルの近代的な建物
ブラッセルはEU本部、NATO本部、その他UN(国連)の出先などもある国際都市です。
理由は地理的条件が大きく、ヨーロッパの中心に位置しており、また政治的中立性を保ってきた、などです。

東西冷戦期にはその前線に近すぎず遠すぎずという、やはり地理的な理由からもNATO本部があったとされます。

ボクの会社のヨーロッパ本部もブラッセル郊外にあり、ボクもここから4ヶ月間で10カ国を飛行機と車で行ったり来たりしたのですが、地理的条件というのはよくわかります。

ブラッセル観光:番外編(1)
夕方からは”ちょっぴり街歩きinブラッセル”という、希望者のみ参加の、Sさん先導によるツアーでバスに乗りました。
途中で検札員(STBI)による、無賃乗車の抜き打ちチェックがあり、しばし停車。STBIは濃紺の制服と半長靴を履き、様々な装備を持ち体格もよく、威圧感があります。

客にクレジットカードの提示を求め、支払い履歴を専用端末でチェックします。
対象はSTBIが任意に抽出、日焼けの濃い連中とか、服装の怪しい連中が件並みにやられていました。

ブラッセル観光:番外編(2)
行った先はブラッセル中心部の南東方向にあるLOUISE(ルイーズ)地区。バスで20分くらいでした。

ここには南北に延びる細長いイクセル池があり、その西にはブラッセルでも特に魅力的で高級な住宅地が広がっているエリアです。
こういう高級住宅地での万国共通の事は、自然を最大限に利用して、その中にひっそりと住宅がある、という形ですが、ここもそれに近い形です。
それともう一つの特徴は、各種施設、池の周りなどに”看板”とか”柵”が殆ど見当たらない事です。

ブラッセル観光:番外編(3)
池の西側に行くのにちょっと道を間違えましたが、高級アパートが立ち並ぶエリアに到達。
各アパートは平均180uで、当然ですが内装は見る事ができませんでしたが、内部は重厚でかつ近代的な設備があります、とSさんは言ってました。

しかし、です。
ボクは1階の出入り口付近の草木の手入れなどを観察した限り、手入れが行き届いているとは言い難く、雑草が生えたりしていましたので、共有部分のメンテナンスは割といい加減ではないか、と意地悪い見方した次第です。

ブラッセル観光:番外編(4)
ここは確かに高級な住まいが建ち並びます。
高級な建物ではありますが、つぶさに観察するといろいろ見えてきます。

ベランダの手すりの塗装は長年やられた形跡がありません、通信ネットワークの配線はカバーなどもなしで、むき出しのままです。ウーン、という感じです。

アメリカでは住人の人種にもよりますが、ドイツとか北欧系の連中の家は、暮らし向きのレベルに関係なく、感心するくらいに手入れが行き届いていました。

ブラッセル観光:番外編(5)
ルイーズ地区の見学を終え、再びバスに乗ります。
その前にトラムの駅に立ち寄りましたが、何でヨーロッパは、唯の停車場でもこんなに洒落たデザインなんだろう、と思いたくなります。

この横から再びバスに乗り、ボクはクレジットカードを運転手横のリーダーでスキャンしたら”ピッ”とエラー。
そしたら運チャン、「OK、OK!」、というサイン。

ボクは終点まで運転手公認の無賃乗車で行き着いた、という次第でした。

ブラッセル最後の一杯
ホテル近くのレストランで皆で簡単な夕食をし、せっかっくの機会だったので、ボクは皆と離れた場所でビールを飲んでいた現地ガイドのSさんのところに行ってガイドのお礼方々、少し話を伺いました。
やはり波瀾万丈のベルギー35年だったようでした。

Sさんと別れ、ホテルに戻りましたが、ナゼかこのまま寝るのは惜しいような気分だったので、ツアーメンバーのIさんに声を掛けて、9Fのレストランでブラッセル最後のビールを2人で頂きました。
今回の旅ははIさんのお陰で大変楽しく過ごせました。

世同士飲み明かす金曜の夜
翌朝は4時頃目が覚めたので、シャワーを浴びようとベッドを抜けたら、カミさんも起き出しました。
聞くと通りの店で夜通し飲み明かす連中の声などで、あまり眠れなかったとの事。
ボクは全然気が付かず、ぐっすりでしたけど。

こういうのはドイツとかも同じで、金曜の夜は明け方まで飲み明かす社交の場、というかそういう感じなんですね。

日本はレストランとかスタンド・バーで夜中の12時を越えて飲む、というのは普通はないですね。

ブラッセル空港(1)
翌朝はブラッセル空港へ。
今回のバスの運転手は大男で動きも良く、交通制限の大きいブラッセルの市内でも巧みな運転で、我々に大いに便宜をはかってくれました。
ボクは彼にお礼を言って別れました。

ブラッセル空港はもの凄い混雑です。
免税の払い戻しでガイドのSさんと窓口に行き、手続きをしました。
書類を出すと係官は書類を見たのか見ないのか、一瞬でぽーんとスタンプを押して、あっけなく終わりでした。

ブラッセル空港(2)
ボクの記憶にあるブラッセル空港は、サブマシンガンを肩にした空港内を歩哨する兵隊の姿ですが、今回は見掛ける事はできませんでした。

何年か前に行ったフランスのシャルル・ドゴール空港は、自動小銃で武装した20才前後の男女の若い兵隊が、空港内を警備していました。

日本は911の後でさえ、警官の配置が十分ではなく、アメリカから、「国際空港には武装警官を配置しろ!」と言われて豆鉄砲を腰にぶら下げた警官を配置するようになった、という経緯があります。

オランダ・スキポール空港へ(1)
ブラッセルからオランダ・スキポールまで。
スキポール着陸前に、オランダの大地が機内からよく見えました。空から見てもオランダは国土がよく整備されているのが一目瞭然です。
住宅地も整然としています。

外国は、5年とか10年とか住んで見ないとわからないのは、ボクの経験から言える訳ですが、それとは別な”短期間の観光”という視点から見たオランダ、そしてベルギーは大変印象的な国でした。
今度はいつ来ることができるか、、。

成田に向かいます
帰りも”Cクラス”の席はほぼ満席。
アムステルダム・スキポールから成田まで14時間弱の長いフライト。
この1年でヨーロッパはスペイン、ドイツ、そして今回のオランダ・ベルギーと3回行きましたが、前の2回のCXに比べてKLMの機内サービスは満足できるものでした。

強いて言えば成田⇒スキポール間の日本食、あれは何とかならんのか、という点です。あれって日本で作っている訳ですが、どうやればああいのができるのか、知りたいです。

キンデルダイクの風車(4)
KLMのCクラスは、中にオランダ・ジンの入ったデルフト焼きのミニチュアハウスをくれます。
これはCAが大きなお盆に何種類も載せたものを盛ってきて、自分で好きなものを選びます。

大変な人気で、コレクターズアイテムにもなっているそうで、ボクらも往復で合計4個をもらいました。

それと機内のカトラリーは、マルセル・ワンダーズを使っていました。この辺もなかなかだと思います。
強いて言えば、ワインの種類を少し増やして欲しい、、、。

成田到着
10:30成田着、入億審査を済ませて、添乗員さんにお礼を言って皆さんにも挨拶、グループは解散となりました。

添乗員さんのIさんの風貌は誰かに似ていた、、、そう、立民党の元議員のRだ、と後で気が付きました。
それと今回のツアーで四国からお見えになったIさんご夫妻、大変気持ちよくお付き合い頂き、実に楽しく過ごさせて頂きました。
今までの経験から、こういう方は少ないのです。
成田から東京駅までバス、東京駅から名古屋、名古屋から鈴鹿の自宅までスムーズに行き着きました。

今回のオランダ・ベルギー旅行、十分に楽しめました。事故・トラブルもなく、何よりも添乗員さん、2人の現地ガイド、そしてツアー・グループのメンバーもよかったです。
強いて言えば、お天気に恵まれなかった事くらいでしょうか。これにしてもザーザー雨が降ったりはなかったので、大きな問題ではなかったと思います。

多くの美術館を訪れ、3回の運河クルーズを楽しみ、ホテルも食事も全体としては悪くはありませんでした。
そして若かったボクの長期間の海外出張先であったベルギーを再訪する事ができたのは、ボクにとっては大きな意味がありました。

そんな訳でこの旅行の総合評価は98点!、大変満足でした。