MSCベリッシマのクルーズ(1):2025/05/18〜05/27
2023年の秋にMSCベリッシマのクルーズに参加、なかなか良かったので2024年も春、秋を申し込んだのですが、人気が高く満室でキャンセル待ち、結局乗れませんでした。

ベリッシマのクルーズは、いろいろな旅行会社が手がけており、”ジャパネット・タカタ”は1隻丸ごと貸し切り。ここの企画はいろいろな特典も充実して人気も高く、今年もキャンセル待ちでしたが、乗る事ができました。

コースは”東京⇒油津(宮崎)⇒那覇⇒石垣⇒基隆(台湾)⇒鹿児島⇒東京”の10日間。
その前半のハイライトを簡単にまとめてみました。

東京国際クルーズ・ターミナル(1)
乗船手続きの時間は12:30〜16:00、13:00頃に着けるように、東京駅(新幹線)⇒新橋駅(山手線)⇒クルーズターミナル駅(ゆりかもめ)です。

駅から歩いて5〜6分くらいで、MSCベリッシマに到着です。スーツケースは特大2個を予め宅急便で送ってあり、これは船室まで運び入れてくれます。

船旅は服とか靴などが多くなるので、皆さん大体がスーツケースひとり1個、つまり夫婦で2個ですね。
今回の乗船客数は4000人、ほぼ満室です。

東京国際クルーズ・ターミナル(2)
乗船手続きは10分ほどで終了、バトラーのLandry君が船室まで案内してくれます。
Landryは40才くらいのインドネシア人です。国には奥さんと子供が2人いると言ってました。

バルコニーに出るとお台場方面のビル群が見え、今話題のフジテレビ本社ビルもよく見えます。

右端に映っている小さな船は船の科学館横に係留されている、初代南極観測船(正式名は巡視船”宗谷”)です。
機会を見て見学したいものです。

キャビン(船室)
今回も快適なクルーズを、という事でヨットクラブメンバーでの乗船としました。

部屋をちょっと出ている間に、テーブルの上にウエルカム・シャンパンとフルーツが置いてありました。
シャンパンはあとで調べたら、プレミアム・スタンダードクラスのなかなかいい銘柄でした。

部屋の清掃は1日2回、夕方のターン・ダウン・サービスでは、チョコレートをベッドのサイドテーブルに置いていくのも、やっぱり欧米風ですね。

ベリッシマの目抜き通り
夕食までに時間があったので、船内をブラリ。ベリッシマの6Fには全長96mのプロムナード(ガレリア・ベリッシマ)があり、7Fまで吹き抜けになっています。

シーリング全体はスクリーンになっており、6F左右はショップやレストランが並び、まるで豪華なショッピングモールのような雰囲気です。

プロムナードの船尾側は5Fから7Fまでの吹き抜けで、5Fにはステージがあり、ピアノ&ボーカル、ギター&ボーカルなど様々な演奏が行われます。

カジノ
7Fの船尾側の広いスペースをカジノが占めています。
ベリッシマは外国船(マルタ船籍)なので、公海上に出ればカジノがオープンされます。
ブラックジャック、ポーカー、バカラ、ルーレット、そしてスロットマシン。

カジノのど真ん中には円形のバーがあるので、ここで水割りか何かを注文してそれを飲みながらプレーする、、、こんな感じですね。
ラスベガスのように、カクテル・ウエイトレスはベリッシマにはいません。

レストラン
ベリッシマのデラックス・スイート以上の部屋は94室なので、約190名がヨットクラブ・レストランの利用者です。

ここは毎日メニューが変わり、基本的にはアペタイザー/スープ・パスタ/メイン/デザートのそれぞれのメニューから選びます。
前のクルーズで、「メニューで迷ったときは、それを全部頼んじゃう、という方法もあります」というアドバイスがありました。
ボクは飲み物は最初はビール、次に白ワイン、最後に赤ワインとかいう、お行儀の悪い注文をしたりしていました。

インフィニティー・アトリウム
ベリッシマのプロムナードの船尾側エンドに5FからFの吹き抜けがあり、5Fのステージではギター&ボーカル、ピアノ&ボーカルなどの演奏を殆どの時間帯でやっています。

ギター&ボーカルでは、日本の唄なども歌ってくれたりしてくれます。演奏も歌もそんなに上手と言うわけではありませんが、一応聞けます。

本格的なショーはシアターで毎日行われ、日本人のショーもあり、今回は橋幸夫・金沢明子、それに夏川りみの2回がありました。

フォーマルナイト
乗船すると毎日ディナータイム以降のドレスコードが前日に示されます。ベリッシマはフォーマルの日は、女性は普通のドレスとアクセサリー、男はダークスーツにネクタイという格好でOKです。

フォーマル以外には、イタリアン、ホワイト、トロピカル・デー、等があり、例えばイタリアン・デーは赤・白・緑色の服またはアクセントを身につける、といった具合です。

女性の中には着物をお召しの方が何人か見えましたが、やはり目立ちましたね〜。

部屋に戻ると
食事をして、シアターに行ってプロムナードをブラブラして部屋に戻ると、部屋は2回目の清掃が終わってます。

バスルームのタオルは交換して欲しい時は、シャワー室などの床においておくと交換してしてくれるのは、普通のホテルと同じです。
キャビン・アテンダントは愛想のいい、40才くらいの小柄なインド人の女性、名前はEnestina。
子ども2人を国に残し、8ヶ月の乗船勤務、2ヶ月の休暇、これを繰り返すと言ってました。
彼女は時々タオル・アートを作ってくれました。

ロンドン・シアター
6Fの舳先にあり、ブロードウエイ・スタイルのショーが毎日行われます。

私は橋幸夫ショーの時に、最前列で彼を10mくらいのところで見ながら唄とトークを聞いたのですが、82才という歳のせいか、歌唱力もかなり衰えていた感じでした。

専属エンタテイナーによる、ダンス・唄などはなかなか迫力があり、大いに楽しめました。
変わったものとしては、観客の中から3組6人を選んで料理を作らせ、船のシェフが品評するのいうのがありました。

橋幸夫氏へご挨拶
ショーの翌朝、私達の隣のテーブルで、橋幸夫氏が朝食を取っていたので、私は立ってご挨拶。
なんと言っても橋幸夫は我々世代の超憧れ人気歌手、私はカラオケも2〜3曲できます。

声を掛けたのですが彼はきょとん、ジーッと何かを考えている様子。
すると付き人のひとりが「ありがとうございます、ショーは楽しんで頂けましたか、、、」、と代返。

この2時間後くらいに、橋幸夫の病気について発表がありました。

油津(宮崎県)入港
油津港は江戸時代から飫肥杉の積み出し港で栄え、現在は海上物流の重要拠点で、20万トンのクルーズ船も入港可能な大きな港です。

ジャパネット・タカタのクルーズは入港すると、ガイド付きの有料観光以外に、主要拠点を巡回する無料バスが手配され、これで観光もできます。
入港時には既に多くの大型バスが港に集結しており、最終的に60台以上になりました。

油津上陸では、無料巡回バスを使って観光をしました。

鵜戸神社(1)
ここは7年くらい前に来た事があります。

4000人の船客のうちどれくらいの人が上陸したのか、鵜戸神社にはかなりの人が押し寄せていました。

ベリッシマの船客は、みんなブラスチックカードを首から下げているので、直ぐにわかります。

クルーズでは寄港地の観光地に、一度に多くの人が押し寄せる事になるので、どうしても混雑する訳で、これは仕方ないすね。

鵜戸神社(2)
楼門をくぐってしばらく歩くと長い下りの階段があり、そして洞窟の入口に拝殿があります。
拝殿の横には素焼きで作られた直径1cmくらいの”運玉”が5個200円で売られています。

運玉は海の中にある”霊石・亀石の穴”に向かって投げ、穴の中に入れば「願いが叶う、運が開ける」、です。
男は左手、女は右手で投げます。

皆さんの様子を見ていると、入るのは10人に1人もいませんが、ボクは3個目で見事穴に入りました。感謝です。

鵜戸神社(3)
この神社の本殿は、海沿いの階段を降りたところにある洞窟にあるので、「下り宮」というそうです。
本殿そのものは、大きくはありません。

御利益は万能(?)ですが、特に「安産・子授け」、「縁結び・夫婦和合」、「育児・健康」とありました。

ベリッシマ乗船客の平均年齢は70才を越えており、強調されるご利益とは既に縁遠い、、、今日の多くの参拝者に対しては、神様もリキが入らなかったのでは?

若い夫婦は熱心に参っておりました。

早めに船に戻ってきました
鵜戸神社から再び巡回バスで、ベリッシマが横付けしている岸壁まで戻ってきました。

岸壁にはテント村ができており、地元のお土産とか、食べ物屋が開店、特に人気があったのがラーメン屋。

たった2日間の航海ですが3食とも洋食メニューだと、もう飽きてきた人もいるのですね。

ボクは30代の頃、約3ヶ月間、日本食なしで過ごしたことがあります。今は自信を持って「絶対にムリ」、です。

後部サンデッキ
船は13〜19ノット(24〜35km/h)で進み、何の遮蔽物もない高さ45mの船首サンデッキは、かなりの風(風圧)に晒されます。
なので、これを避けて海を見ながらゆっくりしたい、という場合は後部サンデッキが最適です。

ここには感じのいいバーとチェアーがあり、大海原に筋を引く航跡を見ながらの一杯も最高です。

後部最上階にはアクア・パークがあり、大人も楽しめる遊園地になっています。

ハンバーガー
ランチメニューはディナーと変わらないフルコースから、「ハンバーガー」のようなものまであります。

白いテーブルクロスの掛かったレストランで、ハンバーガーを食べるときはどうするか?アメリカにいた時、こういう事に詳しい会社のアメリカ人に聞きました。

「手で持っての”かぶりつき”(bite into)はしない方がいいでしょう」、「私はナイフとフォークで食べます」

ランチでもビール、それにデザートを食べますのでお腹一杯になります。

バー巡り
船内には18のバーと4つのラウンジがあり、1杯16ドル(約2300円)以下の飲み物の支払いは必要なし。
種類にすると150種類くらいだそうで、ビールもこの前のオランダ・ベルギー旅行で飲んだ、”9%”もありました。

私は7Fの”マスター・オブ・ザ・シー”という、バーが気に入って、毎日のように顔を出していました。

「どこから来た?」、「ベトナム・ホーチミンです」、「違うだろ?サイゴンだろ?」、カウンターのベトナム人のチーフと、こんな会話でスタートでした。

専用デッキでの朝食
ヨットクラブエリアのサンデッキは、朝食・ランチ・ティータイム、夕方暗くなるまでオープンしています。

前のクルーズは10月でちょっと寒かったのですが、今回は南へのクルーズ。
海面からの高さ45m、朝日を浴びながらの朝食はなかなかいいものです。利用者は少なく、いつもガラガラでした。

バッフェ形式ですが、飲み物とか追加があればウエイターに言えば運んでくれます。

那覇入港
4日目の朝、那覇入港です。船室から見る那覇は大きなきれいな街です。沖縄は道路が良く整備され、大きな建物はきれいです。
この理由は案外知られていません。

私は何十年も前に神戸からフェリーで、那覇の安謝(アジャ)港に入った事があります。

やはりバスがここでも60台以上岸壁に来て、乗船の上陸を待っていました。
上陸すると”エイサー”で歓迎してくれました。

那覇・首里城(1)
行く前は那覇は上陸をしないで、船内でゆっくりしようと思っていましたが、無料巡回バスも一杯来ているし、出てみようか〜、という事で上陸しました。

ラウンジ手前のコンシェルジェ・デスクに言うと、バトラーが下船手続き、バスへの乗り込みまで案内してくれます。
バスに乗って20分ほどで首里城に到着です。

事前に久米島のTさんからのLINEで、「沖縄は蒸し暑いですよ」という連絡があり、そのとおりでした。

那覇・首里城(2)
首里城は1400年頃に琉球王朝が築城した城で、太平洋戦争末期の沖縄戦で、完全に破壊され戦後再建、1992年に復元が終わったそうです。
ボクは2011年にここを訪れており、その時見たのは復元されたきれいな、城壁・建物でした。

2019年に正殿から原因不明の火災で正殿他の建物が焼失、現在再建中でした。

復元工事エリアは大きな建物で囲われ、工事中の正殿は建物の中に入って見る事ができました。

那覇・首里城(3)
私は”東のアザナ”というエリアの首里城の一番高いところまで上がってみました。
遠くに那覇の街が見えました。

80年前の1945年3月26日から6月23日の間、沖縄では日本軍と米軍の激しい戦いがあり、まさに80年前の戦いの最中(5月21日)に私は訪れた事になります。

沖縄戦では上陸した25万人の米軍に対し、3万人の沖縄人が加わった日本軍12万人が戦い、日本軍10万人が戦死住民の非戦闘員10万人が犠牲になったとありました。

国債通り:公設市場(1)
沖縄戦当時、沖縄師範2年生(16才)だった某町の元町長さんと、ボクは数年前に一献頂く機会がありました。
昔の沖縄と、その後の沖縄について、貴重な話しを伺うことができました。

首里城見学の後、巡回バスに乗って国際通りへ、ボクは沖縄本土復帰3年後の1975年にここに来た事があります。
まだ車は右側通行、お婆さんが1円を1セントと言うのを聞いてびっくりした思い出があります。

ここでは公設市場に行ってみました。

国債通り:公設市場(2)
国際通りは私が復帰直後に行った当時、”MIracle One Mile”、奇跡の1マイル(1.6km)と呼ばれ戦後復興の象徴でした。
公設市場は2023年にリニューアルされ、リニューアル後初めての見学です。

建物は1Fは鮮魚、肉、野菜などの売り場、2Fは飲食店になっており、1Fで食材を買って2Fで調理をしてもらう「持ち上げ」が人気です。

しかし、、、何?この値段は?、、、となりました。

国債通り:公設市場(3)
中トロの薄い6切れで4500円、肉は石垣牛のロース100gが2500円。さて、これを誰が「持ち上げ」するのか、という疑問です。

唯一考えられるのが俗に言う”インバウンド”、具体的に言うと”中国人”です。沖縄にとって中国人観光客は大変重要な客なのです。
ボクは北海道で焼き鳥1本500円とか、ケガニが2万円とかで売られている、というのを思い出しました。

ちなみに店員は、我々には見向きもしませんでした。

バルコニーからの日の出
夕方に那覇港を出港、船足20ノット(37km/h)で石垣島に向かいます。

カミさんが毎日行っているショーにボクもディナーの後に行ってみました。
劇場の写真撮影は禁止ですが、入り口付近からはいいんじゃない?という事でステージを撮影。

公海上の航行なので、カジノもオープンです。今のスロットマシンはジャックポッドでも数字が出るだけ、ジャラジャラとコインが出るわけでなく、気分はイマイチです。

夜のプロムナード
ショーが終わった後にプロムナードをブラブラ。
この時間帯は人も少ないので、ゆっくりと見て回るにはいいタイミングです。

左右の7Fには、有料のレストランが並んでおり、寿司とか鉄板焼きとかもあります。
予算は一人前で、少し飲んで60ドルから100ドル(約1万円〜1万5千円)くらいの感じです。

でもな〜、前も感じたのですが、鉄板焼きはともかく、寿司職人のあの手つきでは、、、今回もパスでした。

バルコニーからの日の出
洋上からの日の出・日の入りは、これを見るだけでもクルーズ船に乗った価値があります。
写真ではその感動の100分の1も記録できません。

海上は大気が安定している、清浄である、視界が広い、そして海面が空を映す、などの理由で本当にきれいです。
まるで光の成分が陸上とは違うのではないか、とさえ思ってしまいます。

しかし4月頃の東シナ海付近は中国の黄砂で空が黄色く霞むことが多いと、息子が船乗りの知人が言ってました。

石垣港入港
ここまで来るとさすがに海の色が違います。

石垣は以前に来た事もあるし、、、とか思いながら巡回バスの行き先を見ると”石垣島鍾乳洞”というのがあり、ここは行ってないね、という事で下船してみました。

石垣でも港には大型の観光バスが60台以上来ており、そのうち15台くらいが循環バスとして運行され、残りはガイド付き観光に使われると聞きました。

しかし島に60台ものバスがあるとは驚きです。

石垣島鍾乳洞(1)
沖縄は実は鍾乳洞の多い地域で、2000以上の鍾乳洞があるそうです。
これは地質と気候が影響している、つまり沖縄の地盤は隆起した珊瑚礁で、これが長い年月で石灰岩に変化

その石灰岩の主成分の炭酸カルシウムが、雨に含まれている二酸化炭素で溶けて鍾乳洞になった、と説明にありました。

要するに珊瑚礁(石灰岩)、雨(二酸化炭素)というのがキーワードね、、、という事で辛うじて説明書きを覚えた、という次第でした。

石垣島鍾乳洞(2)
全長660mのコースで、ゆっくり回って40分くらいでした。鍾乳洞の写真撮影は大変に難しく、遠近感を出しながら色を出すというのは、素人には無理です。

多くの乗船客は有料ツアーの川平湾観光(グラスボート)、由布島の水牛車体験などに行ったのか、地味な鍾乳洞はそれほど混んでいなかったのは幸いでした。

寄港地で何が何でも有名地観光をするんだ!というのは、大型クルーズ船の旅では向いていない寄港地がある、というのは実感しました。

早々に船に戻って来ました
MSCベリッシマはデカいです。
全長316m、17万トン、旅客定数4400名、乗組員1600名です。
船の運航関係の士官はヨーロッパ系(イタリア、スペインなど)、部員・ホテル関係のサービス要員は多国籍です。

みんな名札に名前と国名が書いてあるので、よくわかります。ちょっと珍しいのはマダガスカル、シオラレオーネ、モルディブという国名が確認できました。
日本人はショー部門に司会要員で2名、シェフで1名、コンシェルジェデスクに2名の5人と聞きました。。

ヨットクラブ専用レストラン
ヨットクラブ乗船客専用のレストランは18F船首にあり、大体ここで食事をします。

私はラグジュアリー・クラスの日本船、「飛鳥U」と「パシフィック・ヴィーナス」に乗った事がありますが、和食メニューがある以外、ベリッシマと大差はない感じです。

ベリッシマはあまり堅苦しくなく、リラックスした雰囲気で食事ができます。
ウエイターの中にオカ○ちゃんがいて、オーダーのあと腰をくねらせて、クルっと回ったのにはびっくりでしたけど。

ベリッシマ・バー・ラウンジ
6Fのプロムナード中央の船首寄りに誰でも気軽に使えるコーナー(ベリッシマ・バー・ラウンジ)があり、ここではダンス教室とか、”B級バンド”の演奏がありました。
曲はヒップホップ系が多く、私的にはオールディーズなどをやってくれるとウレしい、と思った次第です。

ダンス教室はみんな楽しそうです。エラく上手なカップルなんかも時々いますが、大体がみんな似たり寄ったり。

7Fの本格的なスタジオでは、15人〜20人限定のカラオケ大会を毎日2回やっていました。

朝食について
朝食はその時の腹の具合でオーダーのやり方を変えます。しかし結局は同じようなパターンに落ち着きます。

カミさんは卵はオムレツ、ボクは目玉焼き又は両面焼き2個。(西部劇ではカウボーイが、「腹減った〜!卵半ダース!」とか叫びますね)

両面焼きは”Two eggs over-easy”(黄身はとろっとした状態)、”two eggs over-hard”(黄身が固まった状態)と言います。これにハムとかベーコンを頼んで、最後にフルーツ・ヨーグルトで〆。朝からビールの方も見えます。

ヨットクラブ専用サンデッキ
19Fのサンデッキは船客が利用できる最上階です。この上は高級船員(船長など)の部屋、20Fはブリッジ(操舵室)になっており、勿論我々は入れません。

サンデッキ・エリアにはプールとかジェットバス、グリル・バーなどがあります。
部屋からプールは階段を上がったところにあって、40秒で行けます。

サンデッキにはデッキチェアーがずらり並べられていますが、日本人客はあまり利用しないようです。

グランドキャニオン・プール&バー
広いところで泳ぎたい、ジェットバスに入りたい、という方には15Fに室内プール・ジェットバスがあります。

横にはバーがあって、アルコール・ソフトドリンク・アイスクリームなどを頼めます。

「ワン・アイスね、ワン。え?何?バニラよ、ば・に・ら。オッケイ、オッケイね、ありがと。」

こんな感じで、あるご婦人はやっておりました。
パーフェクトです!

トップセイル・ラウンジ
18F専用レストラン下の16Fに、同じく専用ラウンジがあります。
この船に17Fがないのはイタリアでは17は不吉な数字で、イタリアの飛行機はシートの17列がないそうです。

港に入港して上陸、観光をやるのもいいですが、観光は巡回バスで適当にして、あとは船内で、、、これもクルーズの楽しみ方です。
昼間のラウンジは明るく、人でごった返す事もなく、エアコンも効いており、新聞か本を読みながら、ビールでも頂く、、、。最高です。

クルーズ前半は東京から油津、那覇、石垣で大変快適に過ごせました。
前回クルーズ時と同じ顔ぶれは、レストランのマネージャーの白人(クロアチア人)、それにヨットクラブ・コンシェルジェ・デスクの日本人女性(名前は失念)、それとレストラン担当のMINAKOさん(日本人)、の日本人のみで他は誰もいませんでした。

バトラー、メイド、レストランのウエイター、ウエイトレス、その他全て入れ替わっていました。
クルーズが快適に過ごせるかどうかは、設備とか食事の内容と同時に、こういうホテル・サービス・スタッフによって決まりますが、今回も1〜2回、「?」というのがあった以外は非常によかったと感じました。

クルーズ後半は石垣を出航、台湾・基隆、そして鹿児島に寄港して東京です。