MSCベリッシマのクルーズ(2):2025/05/18〜05/27
後半になると船の中で知り合った人達とも、親しく会話が弾むようになります。食事の時に隣の席などになったのをきっかけに「じゃラウンジでお茶でも」、という具合になる事もあります。

MSベリッシマは外国船籍なので、東京を出港して日本各地に寄港して再び東京に戻る、というのは”外国船が国内輸送に従事する事を禁止する法律”に抵触するためできません。

従ってMSCベリッシマは、クルーズ中に必ず日本以外の外国に寄港するようになっています。今回は台湾・基隆に寄港というスケジュールになっていました。

クルーズ後半の記録は基隆入港からです。

基隆入港(1)
基隆港は日本統治の時代に整備が進み、台湾の主要な港として発展したところです。

その後台湾南部で農業開発を進めた結果、高雄港が整備され、更に戦後は南部の工業化も進み、現在の台湾では高雄港が最大の港だそうです。

船上からみる基隆港には多くの”ガントリー・クレーン”が並び、規模の大きさがよくわかります。
現在の基隆は、台北とか九分などの有名観光地へのアクセスの便利さから、クルーズ船の寄港地として有名です。

軍港・基隆(1)
基隆は軍民共用港で、港の一番奥に海軍の艦艇が停泊、軍の施設・建物も多く見えます。
ベリッシマが接岸する直前に中型艦の横を通過、バルコニーから双眼鏡で観察させてもらいました。

艦はフリゲート艦”艦番号938:寧陽”、元アメリカのノックス級フリゲート艦です。(AIによる確認)
甲板は汚れ、舷側は各部錆が酷い。ズバリ、整備状況はよくありません。
時刻は8時前、艦首・艦尾に国旗等は掲揚されていません。乗員は体操準備中のようです。

軍港・基隆(2)
台湾はずっと中国と緊張状態にあり、今や中国の台湾侵攻はお話レベルではなくなっており、その時に最前線に立つのが台湾海軍です。

台湾海軍最大の軍港は高雄(左営港)にあるそうで、基隆を見る限り非常に古い艦艇が目立ちました。ただ港の一番奥に新しい小型艇が何隻もあり、調べると台湾海軍切り札のミサイル艇のようです。

ドイツ北部には”キール”という、有名な軍港があります。日本人が聞くと、台湾の”基隆(キールン)”と発音が似ているのは偶然でしょうか。

台北101;先ず小籠包
台湾は4回目で、今回は一カ所だけ観光したいところがあったので効率よく観光する、という目的でオプショナル・ツアーを申し込みました。
見たいところとは”迪化街(てきかがい)”です。

ガイドさんは50〜60才くらいの方で日本語もうまく、内容もよくわかりました。

基隆のクルーズ岸壁から先ず向かったのが、台北のシンボルとも言うべき”台北101”。

バスは入り口付近に横付け、ガイドさんに連れられて気が付いたら”ディン・タイ・フォン”という”、小籠包で有名な店の前。
「ハイ、ハイ、ハイ〜、こちらへどうぞ〜、ここで整理券もらって並んで下さいね〜」

再び気が付いたら、店の中のテーブルで小籠包を食べておりました。

ボクは小籠包とか餃子の類いは、好んで食べないのですが、「ま、こんなもんかな?」、という味でした。

台北101;展望台チケットを買います
みんなを小籠包屋に送り込んで、益々ニコニコ顔になったガイドさんに案内され、5Fまで行って展望台行きのチケットを購入します。
どの旅行案内にも、チケットカウンターの前は長蛇の列ができるので時間の余裕を持って来ること、となっているのですが人は疎ら、意外でした。

101って何のために建てられたのか?
殆どはオフィスエリアで多くは金融機関、国際企業などが入っており、それに付随してレストラン、ショッピングエリアがある、という事らしいです。

台北101:89Fからの眺望
東京タワー(150m/250m)、スカイツリー(350m/450m)、トロントCNタワー(346m)に上がった事がありますが、台北101は382m、素晴らしい眺めです。

ここからは中正記念堂、龍山寺なども間違いなく見えるのですが、残念ながら私は識別できませんでした。

ここは夜景が素晴らしい筈です。今度来るときは夜景、それと85Fにいいレストランがあるそうなので、是非入ってみたいと思います。

台北101;制振ダンパー(TMD)
87Fから92Fには直径5.5m、重さ660トンの巨大な”銅製の球”がぶら下がっています。
これは強風や地震による建物の揺れに対して、逆方向に揺らせて、建物の揺れを吸収する装置です。

日本の多くのビルにもTMDは耐震・揺れ防止設備として設置されていますが、台北101のように一般の人は見ることはできないそうです。

台北101のTMDはキャラクター・マスコットになっており、以前来たときに買いました。

台北101:1Fフードコート付近
台北101のエレベーターのスピードは驚異的で、5Fから89Fまでの約400mを約35秒で上り下りします。自然落下に近い速度か、と思いたくなります。
これは日本製(東芝)です。

1Fの巨大なフードコートで食事、スゴい人です。あっさりしたものを食べたいと思い、ベトナムのフォーを注文しましたが、台湾風フォーで、あっさりしていませんでした。

隣にスーパーがあったので覗いてみました。ちゃんとドリアンがありました。エライ高価でした。

龍山寺(1)
ここも以前に来た事があります。

日本人の皆さんはあまりご存じないのですが、ここの最大の特徴は”仏教・道教・民間信仰”の3つの宗教の合体寺である、という点です。

別な言い方をすると一カ所(ここ龍山寺)に来れば3つの信仰行為ができるという、実に便利なところなのです。

西洋のキリスト教は非常に排他的で、かつ闘争的でもある訳で、彼らが知ったら腰を抜かすのは間違いなしですね。

龍山寺(2)
台湾では御利益のあるものは何でも拝む、という文化があり、宗教は対立するものではなく、共存するもの、という考えがあるので、龍山寺は不思議でも何でもありません。

これは日本も似ており、結婚式は神式、葬式は仏式、その他その都度使い分けています。京都壬生寺の境内には、壬生神社があったりします。

神様・仏様も隣が繁盛して、自分のところの参拝者が少ないと、ワシももっとご利益を与えねば、と努力するんじゃないかな〜とか、ボクは不謹慎な事を考えていた次第です。

迪化街(1)
今回の基隆上陸で行きたかった”迪化街”(てきかがい)、他は今までの旅行で行った事があるところでした。
迪化街は話でいろいろと聞いていたので、一度行ってみたいと思っていたところでした。

清の時代(1860年頃)に淡水港が開港したことにより発展した問屋街で、現在も残るレトロな建物は、ほとんど日本統治時代に建てられたものです。

通りの雰囲気は昔と大きく変わっていないという事で、時間の範囲でブラブラと歩いてみました。

迪化街(2)
ガイドさんから「路地に入ると迷って絶対に出られなくなるので入らないで下さ〜い」、と脅かされました。

買い物はクレジットカードが使える店が少なく、現金が必要と言われましたが、カミさんがこの前の旅行で残った現金を少し持っていたので、それを使って買い物をしました。

通りは乾物屋が多く、他に漢方の店もいくつかありました。売られているものの産地を見ると半分以上は大陸からのものでした。
英語は殆ど通じませんでした。

迪化街(3)
日本統治時代に建てられた、鉄筋とモルタルで作られた建物はなかなか味があります。

ボクは建築の専門家ではありませんが、窓の形状・装飾は明らかに昭和初期の和洋折衷のデザインです。

何年か前に旧満州旅行をした時も、昔の日本がそのまま残っており、感無量でした。

日本ではこういうのは殆ど残っておらず、写真でしか見れませんが、台湾に来ると見れるのです。ここを訪れた目的は達成できました。

迪化街(4)
カミサンが現金がまだ800元残っている、と言います。食べ物は買う気がしません。
焼き物屋があったので、店に入ってみました。丁度酒の杯によさそうなのを1000元で見つけました。

店番の女の子に英語できるか聞いてから、「800しかないが、、ディスカウントしてくれないか?」と聞くと、びっくりした顔になって、「私にそんな権限はありません!」という返事。唯の店番の子のようでした。

残念、買う事はできませんでした。

バイク社会
台湾はバイク社会です。
殆どが山陽(SYM)と光陽(KYMCO)のバイクで、いずれも日本のホンダが技術供与、ホンダ車の生産をしていました。
その後ホンダの戦略も変化し、両社は独立して独自ブランド車を生産・販売しています。

運転のマナーを少し観察したのですが、悪くはないと思いました。
ベトナムのように3人とか人を乗せて走っているバイクも時々見掛けました。

船に戻ってきました
船の横では土産物屋が開店し、出口では台湾人のお嬢さん達が台湾の楽器演奏をして、船に乗り込むボク達を見送ってくれました。
基隆上陸時の手続きは、日本人はパスポートのコピーを見せればOKという事で、台湾当局は簡略化した手続きをとってくれました。

今回参加したオプショナルツアーは、効率よく3カ所を回ることができ大変良かったと思います。ただ2組4人の方が集合時間に大きく遅れ、みんながイラつく、と言う一幕がありましたけど。

基隆出航
船室に戻ってきてほっと一息。バルコニーから港を見ると既に夜景です。
港の夜景というのも大変きれいです。

今日は金曜日の夜です。ここから見える灯の下で暮らす人達も、花金をエンジョイするのでしょうか。今朝見たフリゲート艦の乗組員達も街に繰り出すのでしょうか。

しかしこの日は暑かった!
この後急いでシャワーを浴びてレストランへ行き、冷たいビールを頂きました。

航海中の運動
基隆を出航、翌日は丸1日航海日、航海日になると、ナゼか身体を動かしたくなります。

15Fの露天デッキには、1周300mちょっとのウオーキング・トラックがあります。

ここはウオーキング・レーンとジョギング・レーンが分かれており、ペースに合わせて快適に運動できます。

16Fには本格的なスポーツジムもあります。ここで汗をかいてプールで冷やす、、、最高です。

バッフェ・レストラン(3)
ここは地中海料理を中心に、世界各国の料理が楽しめる気軽なレストランです。1日20時間やっており、座席は1300あるそうです。
夜食はここしか開いていませんので、小腹が空いた、という時はここに来れば良いわけですね。

エリアのど真ん中にはバーがあり、液体燃料は何でもあります。今回はここで食事はしませんでしたが、前回乗船時に1回だけランチを頂いた事があります。

ボーッとして過ごすには穴場です。

バッフェ・レストラン(2)
午後3時頃来てみたのですが、窓際でひとりで食事をする方、また何かをつまみながらひとりでビールを飲んでいる方など、ラウンジ代わりに使っている感じでした。

一般船室で乗船している方のレストランは、8人の丸テーブルで2回の入れ替わり制、かつメンバーが固定されているようです。

という事は10日間同じ顔ぶれで食事をする事になり、たまには違う雰囲気で食事を、という場合はここに来れば良いことになります。

ヨットクラブでの会食
後半になると親しく会話ができる方が何人もできて、じゃ今晩食事でもご一緒に、という事になります。

その時はレストラン・チーフに、事前に人数と希望する場所を言っておけば、確実にそこに案内してくれます。
突然でも可能な限り、希望どおりにテーブルを準備してくれます。
丸テーブル、四角のテーブルも指定できます。

誕生日にはウエイター・ウエイトレスが合唱してプレゼントをくれます。

夜のラウンジ
食事のあとは親しくなったKさん達と、ピアノをBGMにしてラウンジで一杯やりながら歓談。

Mさんがウエイターに焼酎のお湯割りの作り方を教えて、「これは日本語で”ビタミンC”と言うんじゃ」と教えたので、”ビタミンC”でお湯割りを注文できるようになりました。

ピアニストはマレーシア人で、我々にわかるスタンダードを一生懸命に弾いてくれました。
みんなで彼を取り囲んで拍手喝采!!毎晩12時まで、ワイワイでした。

レッドカーペット
今回は乗客の出演による“レッドカーペット”、12組の参加、但し3組はひとり参加。
イヤー、ここまで皆さん決まっているとは!

何人かの方にインタビューもあり、「一生の記念として思い切って参加させて頂きました」、という方が多かった。
出演する方も楽しみ、見る方も楽しみ、という事で素晴らしい企画でした。

母上と娘さん(多分)だと思うのですが、投票があったならボクはこの2人に一票を差し上げたいと思いました。

日本食について
ランチ、ディナーのレストランメーニューに日本食はありませんが、朝食だけは3種類の簡単な日本食セットメニューが準備されています。

「鮭の塩焼きは2つ欲しい」、と言えばそれで持ってきますし、その他お代わり自由です。
19Fのオープンデッキで空と海を見ながら、味噌汁を”すする”事もできます。

「毎食日本食を食べないと死んでしまう」、という方は日本船に乗るしかありません。

鹿児島港接岸
この前の入港時は左舷接岸で、船室バルコニーから目の前に、ドーンと桜島が見えたのですが、今回は右舷接岸で鹿児島市街の南端しか見えませんでした。

一般的に商船は歴史的な理由により、左舷接岸が多くなっています。
なので、左舷側の船室は入港時の眺めが良い場合が多いように思います。

前の寄港地が基隆、つまり外国だったので鹿児島上陸時には簡単な入国審査があります。

鹿児島中央駅
上陸をしたら循環バスがかなりの行列。タクシー乗り場を見ると、レストランで顔見知りになったWさん夫婦を発見、行き先を聞いて相乗りさせて頂きました。

着いたところは鹿児島中央駅。ここは2004年までは”西鹿児島駅”と呼ばれており、新幹線の開通で改名されたそうです。
ボクは何十年も前にここから東京まで、夜行列車に乗った事があります。

近代的なきれいな駅と周辺の建物です。

鹿児島と言えば
中央駅から天文館まで路面電車に乗ります。運賃支払にSUICAは使えず、クレジットカードが使えました。

天文館から城山町にブラブラと歩きます。すると明石家がありました。
伊勢と言えば赤福、京都と言えば八ツつ橋、、東京と言えば王貞治の亀屋萬年堂ナボナ、、、そうです、鹿児島と言えば”かるかん饅頭”です。

そしてかるかん饅頭と言えば、明石家です。明石家の看板に釣られて店に入ってみました。

鹿児島・西本願寺
城山町の南端に西本願寺があったので入ってみました、
私の家は真宗田派なので、親戚ではありませんが、言ってみれば同じ祖を持つ宗派という事になります。

ちなみにボクは京都に行くと必ず”お西さん”、または”お東さん”に参拝をします。

本堂の中はやはり浄土真宗らしく金ピカというか、豪華で壮麗な造りになっていました。
ここは鹿児島県内の、本願寺派寺院を統括する拠点である事がわかりました。

西郷隆盛銅像
黎明館に向かう途中の高い場所に西郷隆盛像があります。2018年に”飛鳥U”のクルーズで鹿児島に寄港したとき、鹿児島市とその周辺のバスツアーに参加しました。

そのツアーでこの西郷さんの銅像を、車窓から見た記憶があります。
この時はNHKの大河ドラマで「西郷どん」が放送中で、鹿児島は大変に沸いていました。

飛鳥では西郷さんの子孫による講話があり、なかなか興味深かったのを覚えています。

鶴丸上跡・黎明館
鶴丸城は正式名称は”鹿児島城である、というのを今回初めて知りました。
天守閣のない、平山城で、城山の麓にあります。

もっとたくさんの乗船客が来ているのかと思いましたが、数人を見掛けただけで、意外でした。
皆さんやはり仙厳園とかの方に行かれたのでしょうか。

本丸跡には”黎明館”という歴史資料館があり、中身が非常に充実していると聞いていたのですが、時間の都合で今回はパスしました。残念、、、。

天璋院篤姫
島津一門の家に生まれ、のちに第十三代将軍、徳川家定の正室として江戸城大奥に入った人です。
薩摩の出身ではありましたが、最後まで幕府側の立場を貫き、徳川の人間として生き、幕末に大きな政治力を発揮した人です。
この人の一生も2008年にNHK大河ドラマで放送され、かなりの人気だったそうです。(僕はその頃はアメリカにいたので見ていません)

天璋院篤姫は写真が残っており、それを仙厳園で初めて見ました。実に意思の強そうな女性、という印象でした。

薩摩義士碑
やはりここまで来たからには城山に登ってみない事には話にならない、という事で城山に登ることにしました、
城山遊歩道の入口に”神になった薩摩義士”という説明書きの立った碑がありました。

江戸中期に幕府から、三重県、愛知県、岐阜県にまたがる木曽川治水の命を受けた1000名の薩摩隼人がおり、中から83名が命を落とした事に対する弔いの碑です。

木曽川とはボクの故郷・今の住まいの僅かな距離、そこでこういう事があったというのは、全く知りませんでした。

城山展望台へ!
義士碑から展望台までは1.6kmと看板にあります。入り口で展望台行きどうするか一瞬迷ったのですが、ここまで来て上らないテはないだろう、という事でスタート。

ボクの上ったルートは展望台までのショート・カット・ルートで、かなり急勾配、すぐに汗が噴き出てきます。

誰の姿も見えず、展望台には誰もいないんじゃないか?一体MSCベリッシマの4000人はどこに行ったのだ、、、とか考えながら約25分、カミさんと別行動、ひとりで上る坂道というのは案外疲れるものでした。

城山展望台
展望台に着きました。
眼下には鹿児島の街、その向こうには錦江湾が広がり、そしてバックには桜島。
上った甲斐があるというものです。先に訪れた西本願寺も、天文館の山形屋も全部見えます。

MSCベリッシマが接岸しているマリンポート鹿児島までは6km以上離れており、船は見えませんでした。

山頂にはボランティアガイドの女性がおり、ボクの”くだらない質問”にも丁寧に答えてくれました。

 みなと食堂・2号店
展望台を下り、カミんと待ち合わせ、循環バスに乗る前にちょっと何かを食べていこう、という事になりました。
1年半前に来て、入った店”みなと食堂”は鹿屋漁協直営で山形屋デパートの前の脇道を入ったところにあります。

この店の入り口には、三重県漁協の大漁旗が入り口にデンと掲げてあったのですが、まだありました。
ナゼこの旗があるのか、未だによくわかりません。

ここは鹿屋かんぱち(養殖)を食べさせてくれるのですが、今回はパス。隣の店であっさりラーメンを頂きました。

4Fから18Fまで
巡回バスに乗って船に戻ってきました。4FでIDカードスキャン、手荷物検査をやって入船。バトラーがいて、優先エレベーターで18Fまで案内してくれます。

が、カードをスキャンしても優先エレベーターが下りてこない。バトラーは係に連絡して、少しやりとりがあってエレベーターは動くようになりました。

ベリッシマで、設備の故障とかは今まで一度も経験したり、見聞きしたりはありませんでした。今回が初めての、ほんのちょっとした故障でした。

鹿児島出航
最後の寄港地、鹿児島を18:00に出航、明後日の朝に東京湾入港予定です。
桜島が左舷後方に遠ざかっていきます。暫くすると右舷前方に開聞岳が見えてきます。

ボクは鹿児島は今まで7〜8回は来ていると思うのですが、イヤな思い出は1回のみ、それ以外は悪い印象のないところです。薩摩の液体燃料、焼酎も悪くはありません。

今度は何日間か滞在する旅の計画を作り、ゆっくりと過ごすのも悪くないな〜、、、と思ったりしていました。

鹿児島出航後のディナー
船に帰って来て直ぐにシャワーを浴びてスッキリして、レストランでディナー。
まだ錦江湾を航海中、右舷側に開聞岳が見えるので、席はなるべく右舷側を指定。

ボクはチーフのEliza(フィリピン人、女性)にはタガログ語で挨拶したり、フィリピン駐在時の写真を見せたりして、顔を覚えてもらってたので、いろいろ頼みやすかった。

レストランは船首18F、船の中でここより眺めのいいところはありません。大隅半島が見え、見事な夕焼けでした。

ホワイト・デー
この日はホワイト・デーという事で,”白づくめ”が基本ですが、そこは”なるべく白っぽい服”という拡大解釈で、ボクは手持ちの服でお茶を濁しました。

ちょっと迷うのが
イタリアン・デー、緑・赤・白の服を着る日ですが心配無用、緑か赤のハンカチをハデに胸に入れておけばOKでした。

トロピカル・デーはボクはハワイで買ったアロハシャツ、調子に乗って半ズボン・ティーシャツはちょっとマズいかも、です。

イベント後のプロムナード
食事の後、6Fまで下りてプロムナードをブラブラ。何かのイベントが終わった直後のようで、たくさんの人がいます。
天井のLEDは相変わらずきれいです。

ここはショッピングモール、レストラン街、バー、ラウンジ、バー、ちょっと奥には1500册のミニ・ライブラリーもあります。横にはワインバーがあり、ボクは読書ではなくワインを頂いたことがあります。

化粧品屋を覗くと着物を着たご婦人が、メイクをやってもらっていました。

グランドキャニオン・プール&バー
最後の航海日はブランド品もディスカウントします。
カミさんは化粧品を幾つか買ったようで、レジに行くと
200ドル以上の買い物は抽選券を差し上げます、とか言われて結局300ドルくらいを散財。

カミさん、この抽選が
見事当たりました!何百人かの買い物客の中から一人だけ当たる抽選でした。

何をもらったのか?
使った金額と同額の買い物がタダでできる、という特典で、更に300ドルの買い物ができた、という次第でした。

Captain’s Speech
鹿児島出航翌日は終日航海日、この日の午後に船長の挨拶(Captain"s Speech)がありました。
昔から商船の船長、軍艦の艦長に大男は少ないと言われており、ベリッシマの船長もイタリア人にしては小柄でした。
同時にホテル部門の総支配人(General Manager)も同席していました。

MSCベリッシマは船の運航のみ(航海科、機関科、他)は100名程度、これに1500人近くのホテル部門(エンタメ・レジャー要員を含む)が乗船しています。

グランドキャニオン・プール&バー
船長の挨拶セレモニーでは、自分で注文しなくてもタワー・トレーがテーブルの載っており、飲み物もウエイター・ウエイトレスがどんどん配ってくれました。

そんな訳で我々のグループは、終了後更にシャンパンとかカクテルで、宴会に突入した次第でした。

この日はシアターで”夏川りみ”のショーがあり、ボクも見に行きました。前日の鹿児島で乗船したのでしょう。
唄が上手なのは当たり前として
三線、三板、トークも上手、それに表情豊かで、なかなかよかったです。

最後のタオル・アート
部屋に戻ると部屋はターンダウンを終えて、最後のタオルアートをEnestinaは作って置いてくれてました。

この日の朝の部屋の掃除の時、Enestinaは「もし私の仕事を満足に感じたのでしたら、アンケートに書いて残してくれませんか」、と言いました。

部屋の清掃など完璧だったし、何よりもいろいろと雑談の相手にもなってくれたので、ボクはバトラーのLandryと共に感想をアンケートに書いて残しておきました。
勤務成績、つまり給料に影響するのですね、これって。

最後のディナー
明日は東京に入港、今回のクルーズ最後のディナーです。
テーブルの隣には4人の家族、聞くと60才くらいの夫婦、そのダンナさんの妹、それに母上。

この母上が何と92才、今回ボクが会った中で最高齢の方で、詩吟の先生。多くの弟子を抱えている(いた)方でした。
普通に話しができるし、背筋も伸びており、ボクは唯々驚くばかり。
きちんとドレスを着て、化粧もきっちりし、少なくとも20才は若く見えた方でした。

最後の宴会
今回もあちこちからお見えになった方々と親しくさせて頂き、実に楽しく過ごす事ができました。

特に宮崎からお見えになったKさんご夫妻、東京からお見えになったOさんご夫妻他何名かの方々とは、
毎日夜中の12時までラウンジで液体燃料注入ミーティング。

他には年齢的にはボクと
同世代の方で まだ仕事をやって見える方、ボクよりウンと若くても悠々自適の生活の方など、ボクが普段は付き合いのない、別な世界の方達との会話は、やはり楽しかったです。

お世話になったスタッフとのお別れ
東京国際クルーズターミナルに接岸しました。
10日間毎日顔を合わせた、ヨットクラブのスタッフともお別れです。

レストランのフィリピン人のチーフ、Eliza。テキパキと動き、大変親切にしてくれました。
レストラン、ラウンジの日本人アドバイザーのMinakoさん、1年半前と全く同じ、感じのいい人でした。

来年も残っているスタッフはきっとMinakoさんと、Mgr.のクロアチア人の大男だけでしょうね〜。

下船です
下船は順番に行われ、クルーズ・ターミナルは上下船が効率良くできるようになっているものの、全部で4000人ですから相当な時間がかかります。

スーツケースは前の日の夜10時までに部屋の外に出しておけは全部運んで持ち出してくれます。

下船したら番号で自分のスーツケースを探して受け取り、そのまま宅急便の窓口へ持って行けば翌日には自宅に届く、、、クルーズ船旅行はとにかく、世話なしです。
下船はあっという間に終わりました。

10日間のクルーズは長すぎる、という方用に5日間程度のクルーズもあります。ボクの場合は10日間は少し短いような気がしており、できれば3週間くらいのアジア各国に寄港するようなのがあればいいな、と思っています。

日本船と違うのは洗濯は
コインランドリーがないので、自分でやるかランドリー・サービース(有料)を使うかになります。また浴室は全部で2200室のうち、最上級の10室のみにバスタブがあり、他はシャワーオンリーです。
どうしても湯に身体を浸したい、というのであればジェット・バスで代用するという、”奥のテ”もあります。

船内のスタッフとの会話は
日本語は使えません。でも何か重大な行き違いとか、トラブルがあったという話は聞いていませんので、皆さん何とかやってみえるのでしょう。
日本船に比べてサービスは少々雑なところがありますが、
おかしいと思ったら言えばいいだけの話です。

ボク達はMSCベリッシマのクルーズは気に入っており、これからも機会があれば乗ってみたいと思っています。