ドイツのクリスマスマーケット探訪(1):2024/12/4〜12/9
ドイツのクリスマスマーケットの話は、アメリカ・オハイオに住んでいた頃から耳にしていました。
「絶対に行く価値がある」と、何度も聞かされたました。
いつかドイツのクリスマスマーケットに行きたい、、、そう思いつつ2024年12月、やっと行くことができました。

ドイツのクリスマスマーケットの起源は14世紀ともいわれ、非常に長い歴史があります。 私が訪れたのはドイツ南部。12月の気温は日中でも最高5℃程度、最低気温は氷点下になる気候でした。
その様子を写真とコメントで、簡単にまとめました。

中部国際空港(セントレア)
飛行機はセントレアから、キャセイパシフィックCX539(15:20発)で香港まで行きます。香港着は19:10、5時間のトランジット、CX289(00:15発)でフランクフルトまで、14時間のフライトです。
ドアー・ツー・ドアーでは30時間近くになります。

成田からJALのフランクフルト直行便がありますが、CXの方が少し安いので、旅行会社もツアーではCXを選択する事になるのでしょう。
午後のこの時間帯は、出国手続きを終えてエアサイドに入っても搭乗客は少なく、免税店の客も疎らでした。

一大事発生!!
とりあえずプラザ・プレミアムラウンジへ。
カミさんが椅子から立って数歩歩いたところで、何と!!ブーツの踵が外れてしまいました。長い間使ってなかったせいで、材質が劣化していたようです。

カミさん、慌ててラウンジを出てブーツを買いに。しばらくしてルンルン、新しいブーツを履いて戻ってきました。

お!いいブーツじゃないか!しかし値段を聞いて、ボクはワインのグラスを落としそうになりました。Fというブランド品でした。空港なので、これしかなかったそうです。

香港まで
Cクラスは半分くらいのシートが埋まっています。CXは半年前にスペインに行った時に乗り、今回で2回目です。

細かい事を言えばキリがありませんが、結局はCAのサービスと食事で機内ライフ(?)が殆ど決まります。
CAのサービスは辛うじて可、食事はこれがCクラスかよ、と言いたくなるレベルでした。

ただ映画だけは豊富でチョイスの幅が広く、香港からフランクフルトまでの14時間、3本は見たと思います。

香港のラウンジ
香港国際空港はCXのハブ、ラウンジも4カ所あります。
半年前のスペインへ行く時に全部行ってみたのですが、今回は一カ所で4時間近くを過ごしました。

セントレアから香港に着くまでに、ラウンジで軽食+機内食、香港のトランジットで軽食。
香港からフランクフルトで機内食2回、合計5回何かを食べることになります。

ボクはお腹の調子を維持するために、フランクフルトまでのフライトの2回目の食事は殆ど食べませんでした。

フランクフルト到着
フランクフルトに来たのはアメリカから帰国して以来で、15年ぶり。巨大で、大変きれいな空港です。
ここはドイツ最大の航空会社、”ルフトハンザ航空”のハブ空港、ヨーロッパの重要空港です。

バスの出発までに少し時間があったので、集合場所付近を少しブラつきました。両替所の前を通過したら、各国通貨の中に日本円がありませんでした。

これは円貨の取扱量が非常に少ないことを意味している、と考えていいのでしょうか。

ニュルンベルクに向かいます
時間は朝の8時半頃のA3、フランクフルトへ向かう車線はかなり混んでいますが、ニュルンベルクに向かう反対方向はスムーズに流れています。

しばらくすると車は疎らになって、ボクの持つアウトバーンのイメージに変わります。
ボクはこのA3を何十年か前に自分で走りました。

ベルギーの現地マネージャーからは、無制限区間であっても慣れるまでは130km/h以上は出さないこと、と言われましたが、すぐに慣れました。

ニュルンベルクに着きました
ニュルンベルクと言えば第二次世界大戦後、ドイツの戦争責任裁判が行われた所として有名で、裁判が行われた司法宮殿はここから2km程離れたところだそうです。

ニュルンベルクも第二次大戦で徹底的に破壊され、現在我々が目にする建物は中世の趣を残した忠実な再建です。従って全て現代建築技術によって建てられています。

ドイツへ行って我々が目にするこういう建物は、田舎以外の多くは再建されたものです。(例外はローデンブルクとハイデルベルクです)

龍ニュルンベルク・Cマーケット(1)
今回の旅の最初のCマーケットです。スゴイ人です。
会場はハウプトマルク広場、ブライエン教会を背景に180の屋台が開かれます。

ここはドイツ3大Cマーケットの一つだそうで、11月末から12月24日まで開かれます。

気温は2〜3℃、ブーツと厚手の靴・手袋、それにマフラーで、寒さは全く感じません。
むしろ爽やかな感じさえします。この日は木曜日、何でこんなに人が多いの?という感じです。

龍ニュルンベルク・Cマーケット(2)
売っているものは様々で一番目につくのが、クリスマスの装飾品です。
装飾品の部品など、無数です。

手頃な値段で実に多くの装飾品が売られています。高級陶器・磁器のようなもの、例えばマイセンなども少数売られています。

職人広場というのがあって、そこに行くと素晴らしいものがあるそうですが、残念ながらどこが職人広場なのかわかりませんでした。

龍ニュルンベルク・Cマーケット(3)
Cマーケット言えば”グリューワイン”、これにホイップクリームを乗せたのを売ってる屋台がありました。

日本では”ホットワイン”と言いますが、これで言うと、アメリカでは「??」になります。
ホットワインは完全な和製英語です。

グリューワインはオレンジとかレモンを入れて作るというのは知っていましたが、見ているといろんなものを入れてました。調べると、シナモンとかクローブ等を入れる、となっていました。

ローデンブルクのホテル
ニュルンベルクからローデンブルクまでは約100km、1時間半くらいかかりました。

ローデンブルク旧市街は以前に、我々夫婦はアメリカ・オハイオから、娘2人は日本から来て、7月という最高の季節に訪れたところです。

ボクらはバスを降りて城壁外のホテルに一旦チェックイン、部屋に荷物を置いて徒歩で城壁内に向かいました。

くぐった門は”レーダー門”、旧市街地の東の玄関と言われ、観光客が最も利用する門だそうです。

ローデンブルク:レーダー通り(1)
ボクはローデンブルクでは忘れることができない、出来事がありました。家族4人でここに来た時、下の娘が急にお腹が痛いと言い出して、しゃがみ込んだのでした。
その時はレーダー通りのもうひとつ北の”ガルゲン通り”で、ボクは薬局を探しました。

薬局は見つかり、店の奥さんに事情を説明し、薬を選んでもらい、それを娘に飲ませたのでした。
奥さんの英語は片言でしたが、一生懸命にボクと娘に説明してくれました。
娘は30分ほどで動けるようになりました。

ローデンブルク:レーダー通り(2)
左右の店には様々なクリスマスグッズがウインドウの淡い光の下にディスプレイされています。

石畳を照らす街灯はボーッとした光で、日本のように煌々と照らす、やたらチカチカとする、というのがありません。

白人と一緒にいて気が付くことのひとつに、彼らと我々は光に対する見え方が違うのがわかります。彼らは薄暗い部屋で、細かい字の新聞を平気で読みます。
写真では判らないのですが、実際はもっともっとボーッとした感じでした。

ローデンブルク:シュピタール通り
レーダー通りの突き当たりがマルクト広場、この隅で添乗員さんからの説明を聞くことになっているのですが、添乗員さんが来ません。
しばらくして走ってきた添乗員さんによると、メンバーのひとりが動けなくなって、ホテルに帰りたいが道が判らない、それと夕食をどこで食べたらいいか、教えて欲しい、と言われたとのこと。

そう言えば車いすに時々乗ったりしている方がいて、オイオイ大丈夫か?と思っていたのですが、大丈夫じゃなかったのでした。

 ローデンブルク:木組み建築(ファッハヴェルク)
マルクト広場には見事な巨大な木組み建築の建物がたくさんあります。
右は16世紀に建てられたもので、現在も薬局、倉庫、住居で使われている現役です。
左も現役で、様々な用途使われているそうです。

木組み建築は他の国にもありますが、ドイツの特徴は木材の骨組みを露出させるところにあります。
この形式はドイツ、というよりもドイツ語圏、例えばベルギーにもあります。
殆どは16世紀から18世紀の建築との事でした。

ローデンブルク:ウインドウ・ショッピング
ドイツと言えばくるみ割り人形が有名で、あちこちの店に並べられていました。この人形は17世紀〜18世紀に登場、当初は”くるみ割り”の実用品だったのが、その後装飾用の人形になりました。

ボクはここで、木組み建築の焼き物(陶器)のミニチュアハウスを、土産に買いました。
ローデンブルクは中世の町並みが完全に保存された都市、”木組み建築”は町の顔ですですからね。
淡い光で包まれたローデンブルク、混雑もなく、Cマーケットの雰囲気をゆったりと味わう事ができました。

ローデンブルク:レストラン
マルクト広場から北に向かって5〜6分歩いたところの、小さなレストランに連れていかれました。
ウエイター、ウエイトレスの愛想のなさは、特筆に値するものでした。
ちょっと離れたテーブルには韓国人の団体が10名くらい、ここは東洋人御用達のレストランのようです。
きっと最近、何かあったのでしょう。

日本人はあまり会話もせず、黙々とあっという間に食べて、黙々とサッと出て行く、、、彼らにとっては”不気味な集団”に見えるのは間違いないと思います。

ローデンブルクの朝
ホテルの窓からの朝の風景です。
城壁の中はメルヘンな世界ですが、外は人口1万2千人の普通の小さな町です。

昨夜訪れた旧市街は第二次大戦で40%が破壊され、それを忠実に再建したのが現在の姿です。

ローデンブルクのCマーケットは非常に幻想的でした。
その雰囲気は写真や言葉では表せません。
やはり実際に来てみないと、この印象は絶対にわからないと思いました。

バスでゆったりと移動です
メンバーは12名、バスはひとり4席くらいあります。
今回の旅は東西、そして南をフランス・スイス・オーストリア・チェコに囲まれたドイツ南部。

3日半のツアーで、移動時間は3時間が2回あったのみで、あとは1時間半とか1時間でした。

Cマーケット巡りなので現地ガイドもなく、添乗員がバスの中、訪問先でいろいろと説明をしてくれました。

12名の中でドイツが初めて、という方は2名だけでした。

シュタイフ・ミュージアム(1)
シュタイフ?熊のぬいぐるみだろ?、くらいの認識だったボクですが、マニア以外はそんな感じじゃないでしょうか。
そもそもボクはシュタイフがドイツのブランド、というのも知りませんでした。

そんなボクが、シュタイフ・ミュージアムなるところに連れて行かれました。

シュタイフについて調べると、”マルガレーテ・シュタイフ”という女性が、1880年にぬいぐるみを世界で初めて”商品化”し、設立した会社です。

シュタイフ・ミュージアム(2)
入り口を入るとショップのレジがあり、その横にでっかいテディベアが立ってます。

可愛いという感じではなく、”どう猛”そうです。「猟銃はどこだ!」と言いたくなります。

アメリカで子どもが生れると、テディベアをプレゼントする習わしがある、というのを聞いた事がありました。

ですからデディベアはドイツ人だけではなく、アメリカ人もみんな知っている、と思って間違いなさそうです。

シュタイフ・ミュージアム(3)
ミュージアムの2Fには「シュタイフの世界(Welt von Steiff)」があり、シュタイフの歴史を辿る事ができる、と説明されたものの、イマイチよくわかりませんでした。

後で知った事は、ここには日本語ガイドがあって、受付で借りれば、しっかりと説明を聞けたようでした。

ただディスプレイのあちこちに、やたらとデディベアが転がっていたり、ぶら下がっていたりはわかりました。ディスプレーと照明は大変きれいでした。
シュタイフに興味のある人にはいいところですね、きっと。

シュタイフ・ミュージアム(4)
1Fには大きなショップがあって、デディベアだけではなく、あらゆる動物のぬいぐるみが売られていました。

ライオンからヘビまで、スヌーピー、そして何と”くまモン”もあるそうです。

僕たちの孫は男だし、ぬいぐるみもいいんだけど、、、という事でシュタイフのロゴの入った”バスローブ”をお土産に買いました。
ミュージアムを出る時、もう一匹の巨大なデディベアの横では、ドイツ人の親子が楽しそうに遊んでおりました。

ウルムのクリスマスマーケット(1)
ウルムは一般的な日本人には馴染みのないところですが、ここはアインシュタインが生まれたところです。
昨日のローデンブルクから直線距離で110km、道路距離で140kmです。

ウルムのCマーケットは世界一高い教会塔(ウルム大聖堂、161.5m)前のミュンスター広場で行われ、16世紀から始まったそうです。

広場には約130軒の様々な屋台が並び、平日の午後なのに結構な人がいました。

ウルムのクリスマスマーケット(2)
屋台は統一された屋根の下にそれぞれが開業しており、イルミネーションもあるので、夜はきれいな光で包まれていると想像できます。
日本でこのような屋台村ができれば、旗竿があちこちに立って、食べ物屋台の前にはテーブルと椅子が並んだりするわけですが、ここはドイツ、会場は整理された雰囲気を保っていました。

売られているものはクリスマス用の装飾品が中心で、肉や野菜といった類いの食品はありません。ただちょっと変わったパン(多分この地方特産?)とか焼き栗は見掛けました。

ウルムのクリスマスマーケット(3)
グリューワインはシナモンとか柑橘類を入れて加熱するので、かなりアルコールが飛んでしまい、ボクらにはちょっと物足りない感じがしないでもありません。

一杯10ユーロ(1600円)で、飲み終わってカップを戻すと3ユーロとかを払い戻してくれます。カップが欲しければ、そのまま持っていけばいいだけです。

日本だったらきっと紙コップとかで売るのでしょうが、ちゃんとした陶器のカップなので、これを片手で持ってマーケットを散策する、という訳です。

ランチしました
Cマーケットはウルムの街中なので、会場を出たところにあった、赤い魚のマークのNORDSEE(ノルトゼー)というファーストフード店に入りました。

ところがメニューは全部ドイツ語、ボクはこういう時は他の人の注文内容を指差して、「同じモノをくれ」と言いますが、金髪・大女のオバさんは英語が全くダメ。

横にいた東洋人の若い店員(多分中国人)が口を挟もうとしたら、オバさん睨み付けて黙らせてしまいました。
結局ボクは、指差しと英語で注文を押し通しました。

ウルム:フィッシャー地区(1)
このエリアはドナウ川とその支流沿いに広がる、かつて漁師や職人たちが暮らしていた、中世の街並みが色濃く残る場所です。
木組みの家々が立ち並び、まるで絵本の中に迷い込んだような雰囲気です。

メッツガートゥルム、町の防衛のために築かれた望楼で、14世紀に建てられた塔です。
塔は傾いており、見た瞬間「?」、となります。これはこの場所の柔らかい地盤のせいです。

塔を抜けると旧市街に入り、左側にはドナウ川の支流である”ブラウ川”が流れています。

ブラウとは英語のBLUE(青)で、ヨーロッパの川としては珍しく、青い色をしている、つまりこの川は日本で言うところの”清流”です。

ボクは世界中あちこちで川をみましたが、清流は非常に少ない、です。
どこに行ってもドロンと緑色か、茶色をしています。

塔の下を潜ると中世の世界に入ります。

ウルム:フィッシャー地区(2)
堤防はよく整備され、建物の雰囲気からこれが”ドイツの中世”か、と感激します。
木組みの家が建ち並ぶ様子はボクが持つ、昔のドイツの街並みのイメージそのものです。

ここは外国からの観光客だけでなくドイツ国内から、そして地元の人にも人気のあるエリアだそうです。
冬で緑がなく、曇り空でしたが、これが夏の緑と太陽の下であればどんなに美しかったでしょう。

夏の風景写真を見ると、全く別の場所に見えます。

ウルム:フィッシャー地区(3)
それぞれの建物は殆どが現役で、人が住んだりレストランになったりして、路地には車も入ってきます。

地盤が軟らかいので、15世紀に建てられた”世界一傾いたホテル”とかもありましたが、現役のホテルでした。

このエリアは第二次大戦の空襲の被害が比較的少なかったところだそうです。
被害を受けた建物は注意深く修復、悲哀がなかったものは補強をして、とにかく昔を残すという事に、今も全力を尽くしているそうです。

ウルム:フィッシャー地区(4)
「シーフェス・ハウス(Schiefes Haus:傾いた家)」1443年に建てられた木組みの家で、もとは普通の住宅でした。
建てられた後、増築を重ねるうちに柔らかい地盤の上に拡張してしまったため、徐々に傾いてしまったそうです。

何度か修復が試みられたものの、完全には直らず、最終的にはその傾きを活かして、1995年にホテルとして営業を開始しました。

世界で最も傾いたホテルとしてギネスブックにも登録されています。中は快適で、人気のホテルだそうです。

アインシュタインの生家跡(1)
フィッシャー地区を出て市街の方に歩いて行きます。
着いたところが、アインシュタインの生家跡を表すモニュメントでした。
”ここに、1879年3月18日にアルベルト・アインシュタインが生まれた家がありました。”

と、モニュメントには刻まれているそうです。(ボクはドイツ語は読めません)家は第二次大戦の空襲で焼失、その跡にモニュメントを建てたそうです。
路面には家のあった具体的な位置が、金属プレートの帯で示されていました。

 アインシュタインの生家跡(2)
ビルの横に”79”と大きな数字が書かれた、地下に降りる階段があります。
近くに行って上から見ると、79から始まって55まで、ランダムに数字が並んでいます。

これはアルベルト・アインシュタインが1879年に生まれ、1955年に没するまでの履歴、偉業を残した年の数字です。
数字の下には小さなプレートが埋め込まれ、そこに説明が書かれていました。
ここは地下鉄の駅に繋がっている階段でした。

アウグスブルクへ
ウルムから1時間半、アウグスブルクにやってきました。
ここは紀元前からの歴史を持つ、ドイツでも最も古い歴史を持つ、人口30万人の都市です。

ここのCマーケットは華やかな雰囲気、そして規模も大きく人気があり、日本からのCマーケット・ツアーでは必ず行く所になっています。

旧市街地の入り口付近でバスを降りると、多くの人が行き来しています。気温は2〜3℃くらいです。

アウグスブルク・クリスマスマーケット(1)
会場は旧市街の中心にある、市庁舎前のラートハウス広場というところです。広場は大きく、その横に立派な市庁舎が建っています。

市庁舎は1944(昭和19)年の連合軍の空襲で大きな被害を受け、外観は1950年代に修復完了、最終的には1980年代に全ての復元が完了したそうです。

今回の旅で感じた事は、戦争で破壊された古い建物などに対する、”復元と再建のドイツ人の執念”のようなものでした。完璧で、徹底しています。

アウグスブルク・クリスマスマーケット(2)
ドイツの古い建物などの再建は、「過去の栄光の象徴」としてではなく、「ドイツという国がどこから来たのか」、という国民の意思の表れである、と聞いています。

戦後の復元・再建の考え方は、同じく大きな被害のあったベルギー、フランスなどと比べると、大きく違うそうです。

殆どの都市でCマーケットは中世から始まっており、それが中世の(再建された)建物と広場で行われている、という歴史の継続・一体性のようなものを、今回のCマーケットを見て感じました。

アウグスブルク・クリスマスマーケット(3)
これはチュロスですね。スペインで人気の食べ物で、まあ揚げパンの一種と思えばいいです。小麦粉を水で練って揚げただけ、です。

しかしこれの発祥の地は中国で、16世紀の頃スペインが世界中を荒らし回っていた頃、中国から持って帰った、という説もあります。皆さんはチョコレートとかキャラメルのようなものをつけて食べてました。

あとはソーセージ、これはいろんな種類があちこちで一杯売られてました。

アウグスブルク・クリスマスマーケット(4)
オバちゃん3人組です。
Cマーケットに来て気が付いたのは10代、20代の若者が少ない点です。
これはCマーケットが、”静かに雰囲気を味わう、刺激性が少ない、家族連れ中心”、という催しなので、若者のたまり場になりにくいからでしょう。

それに、どこも大体20時頃には閉場するので、「行くタイミングではない」となるのか、いや平日は勉強とか仕事で忙しいのだ!、、、なのか。
ちなみに訪れたのは金曜、時間帯は夕方6時頃でした。

アウグスブルク・クリスマスマーケット(5)
屋台に並べられている多くのものは、ドイツの伝統的な人形・装飾品です。
どれもそれなりの値段です。
小さな人形でも50ユーロ(8千円相当)とかいうのはザラです。

多くは職人による”手作り・手塗り”の品物で、工場大量生産品ではありません。

木製のオーナメントは”一生使える”もので、年を重ねて飾ることに意味がある、というドイツ人の考え方ですね。
しかしうんと安いもの(5ユーロとか)は工業製品です。

アウグスブルク・クリスマスマーケット(6)
日本だとこういう催しには、キャラクター・グッズが満載になるのですが、ここには皆無です。

マスコミなどは「日本のキャラクターグッズは海外で人気がある」とか言ってますが、抜けているのが、”限られた世界の中で、人気がある”、という点です。

しかしグリューワイン、飲むと身体は温まりますが、全然酔いは回りません。
やっぱりウイスキーのスキットルをポケットに入れて来るのが正解かも、です。

アウグスブルク・クリスマスマーケット(7)
小さな人形や像、これは大量に安く売られています。これらを組み合わせて、”ミニ・ジオラマ”などを作ったり、照明と組み合わせて”季節の演出”などに使うそうです。

大体が東欧(ポーランドとかチェコ)で機械加工・型抜きなどで作られたもので、やはり手頃な価格なのでこうのもよく売れているのが、屋台の数から想像できます。

ちょっと手にとってみたのですが、ウッドのように見えても
樹脂の射出成形品でした。

アウグスブルク・クリスマスマーケット(8)
アウクスブルクのクリスマス市のハイライト、”エンゲル・シュピール”です!
Cマーケット期間中の金・土・日の18:00から市庁舎の窓がライトアップされ、24人の天使が現れます。

天使は人間、つまりアウグスブルクの子ども達で、天使の衣装をまとい、音楽(ハープ・トランペット)に合わせて立っているだけですが、聞いてびっくりしました。

これは中世の起源ではなく、1980年代から始まったイベントだそうです。見れてよかった〜、、、。

ミュンヘンのホテル
アウグスブルクのCマーケットを見終わり、その後バスでミュンヘンまで。約1時間で到着です。
ドイツは欧州一の経済大国ですが
国民の10%以上が移民で、今回のCマーケットでも多くの外国人を見ました。

移民は近年大きく問題視されていますが、これは60年以上前から起きています。
ドイツは労働力不足
(というより、ドイツ人が3K仕事をやらなくなった)から、ゲスト・ワーカーとして呼んだ外国人達が定住。これによってドイツ国内に外国ができあがってしまった、というわけです。

今回のクリスマスマーケットツアー、昼食は全部自分達でどこかで食べる、夕食も手配されていたのは1回のみ、というやり方でした。
これにより
食事に時間を取られる事もなく、十分にクリスマスマーケット体験をする事ができたと思います。
食事は適当にどこかに飛び込んで、、、
これも楽しい思い出になります。

アメリカ西部の旅で、ランチはスーパーで各自が買ってバスの中で食べる、というのがありましたが大変効率的でよかった記憶があります。

ドイツのクリスマスマーケット巡り、後半は
シュツットガルト、ハイデルベルク、そしてフランクフルト、いずれもハイライトです。別のページにまとめます。